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6.最後の聡催パーティー

 二〇一四年九月九日火曜日の夜、暫らくぶりで聡催パーティーが開催された。この頃になると日陰和田の珍しい食材入手も相当難しくなってきており、参加者を驚かせるような料理は滅多に口に入らなくなった。日陰和田のパーティー開催意欲にも翳りが見えてきたことと相まって、開催頻度は目に見えて少なくなっていた。今回は余程珍しい食材が手に入ったのか、日陰和田はいつもよりずっと気合いが入っていた。

「皆さん、本日は最後になかなか手に入らない珍しい食材で作った料理を賞味していただく予定です。どうか楽しみにしていてください。それでは、聡催パーティーを開始します」

 いつもよりずっとにこやかな表情で挨拶した日陰和田を見て、参加者たちの堅苦しさは少し消え、パーティーは次第に盛り上がっていった。最後のメニューは特別であったとしても、パーティーが開始されたばかりの時間帯はいつもと代り映えしない料理と酒類が出されていた。

 

 深町がこの病院の診察に来る時にいつもメインの看護師として一緒に働いている百瀬(ももせ)浩子(ひろこ)が、手に持ったお洒落なグラスに半分ほど注がれたロゼワインで喉を潤した後、深町に訊いた。

「深町先生、先生は大学病院で若い研修医や経験の浅い医師たちを指導されておられるのでしょう?」

 深町もビールを一口飲んでから答えた。

「ええ、もちろんですよ。それが大学病院の重要な役割の一つですからね」

「不整脈の心房細動治療で行うカテーテルアブレーション治療でもご指導されるんですか?」

「循環器内科では不整脈は最も重要な疾患の一つで、優秀な若手の医師を育てていかなければなりませんから、かなりの頻度で指導していますよ」

「私が前の病院にいた時、短い期間だったんですけど、アブレーション治療チームのメンバーになったことがあったんです。それで、アブレーション治療もそこそこの回数、経験しました。もちろん、器械出し業務はすぐにはやらせてもらえませんでしたので、外回り業務でしたけど」

「それでは、アブレーション治療の大変なことは相当理解されているんですね?」


「まあ、それなりにですけど……。ある時、かなり若い先生が治療の術者になって、その上司に当たる先生が指導する時、私も外回り業務をやったんです。それ以前に、上司の先生の治療には何回かご一緒していました。その時、先輩看護師の方から、指導された先生はかなりあの治療が上手であると聞かされていました。ところが、若手の先生が術者となって治療すると、上司の先生に一つひとつの動作を確認しながら行うので、進行がかなり遅くなるのです」

「まあ、教えながらやるわけですから、それは仕方がないことですよ」

「でも患者さんにとってはあまり有り難いことではありませんよね。もともとあの治療は時間が相当長く掛かるじゃないですか。若い先生が術者だと上司の先生が処置する箇所の半分くらいしか処置できなかったように思いましたけど」

「うーん……。そういう側面は確かにあるのだけれど、上手な先生が後輩の育成を行わないと後継者が育たないのです。それは日本の医療にとっては良いことではないのです。もちろん、どういう状態の患者さんかは事前に十分考慮してから、誰が術者をやり、助手は誰がやるかを決めていますから、それほど心配しなくてもいいと私は思いますけどね」

「そういう結論になるんでしょうね……」


 浩子はまだ十分には納得できてないような顔で頷いたが、直ぐに質問を変えた。

「ところで、深町先生、先生方はカテーテルアブレーションを『治療』と言われ、『手術』とは言われませんよね。何故なんですか?」

「うーん、確かにその通りですね。不整脈の学会では、正式には『経皮的カテーテル心筋焼灼術(しんきんしょうしゃくじゅつ)と呼ばれ、カテーテル手術の一つに分類される』とされていますから、本当は手術なのでしょうね。また、保険会社でもカテーテルアブレーションは間違いなく手術に分類されていますから、ほとんどの保険会社で一般的な契約内容のものであれば入院、手術給付金ともに支払い対象になるようです。だから、『手術』に間違いはないんですね」

「だったら、『カテーテルアブレーション手術』と言えば良いと思いますけどね」

「カテーテルアブレーション治療は、外科ではなく循環器内科で行います。従って、治療チームには麻酔医は入っていません。手術と言うと、普通は麻酔をかけて外科医がメスを持って行うものとの認識があるので、それとは異なることを意識しているのではないかと私は考えています」

「なるほど、そう考えれば受け入れ易いですね」

 浩子は一応納得したような表情になった。


 浩子の隣で、深町と浩子の会話を黙ったまま聞いていた看護師の服部(はっとり)由紀子(ゆきこ)が、同様にこの会話を聞いていた神保に向かって訊いた。

「新保先生も深町先生と同じように内科ですけど、消化器内科ですよね。だから、この病院に来られるまでも手術はされていたんですよね?」

「ええ、もちろんです。消化器内科では胃カメラや大腸カメラをやりますし、お腹を切開しないで済むような胃にできたポリープは内視鏡で切除しますから。ESD、つまり『内視鏡的粘膜下層はく離術』という方法でやるのですね。麻酔医が必要ない施術であればかなりの数をこなしてきました」

「内科医と言っても、循環器内科や消化器内科は外科的な大変さもあるから本当にお医者様は大変ですよね」

「そうですね。訴訟の危険性も常に考えながら仕事をせざるを得ませんね」

「本当に凄いお仕事なんですね。一般の患者さんやマスコミなんかもこの辺の事情をもっと理解してくれていれば助かるんですけど、本当に」

 神保は微笑んで頷いただけで特にコメントはしなかった。


 暫くの間キッチンに入っていた日陰和田が晴れやかな顔をして戻ってきて、大声で皆に告げた。

「皆さん、お待たせしました。いよいよ本日のメイン料理が出来上がりました」

 参加者たちはその声に釣られて中央に置かれたテーブルの周りに集まって来た。日陰和田が会場入り口に控えていた調理人の野田慎一に合図を送ると、ワゴン上に何かを載せ、その上を白い布で覆ったものが運び込まれた。

「さあ、これが本日のメイン料理です」

 そう言って、派手な動作で白い布を取り去ると、木製の蓋をした大きな鉄鍋と油で炒めたキノコが盛り付けられた白い大皿とが載っていた。

「これはとても珍しいクロハツというキノコの料理です。このキノコの特徴は、風味には癖がありません。汁物や煮物にするとなかなか良い味が出ると言われています。本日は、クロハツの他にいつも皆さんが食べているシメジやエノキダケ等と一緒にスライスし、これに牛肉と鷹の爪を加えて油炒めしたものに、コンニャク、野菜を加えて味噌仕立てのキノコ汁にしました。また、クロハツそのものを味わう目的で、バター炒めも作りました。これは濃厚なコクがあって堪らない逸品です。皆さん、是非ご賞味ください」

 参加者たちは目を輝かせて料理が乗せられたワゴンの周りに集まり、鍋と大皿の周囲に用意されたお椀と小皿を手に持って、この日のメイン料理を取り始めた。


深町が少し青ざめた表情で皆に気付かれないように静かに日陰和田の傍に行き、非常に小さな声で訊いた。

「昔、クロハツとよく似ている毒キノコがあるって祖父から聞いたことがあるけど、これは大丈夫なのかい?」

 日陰和田は深町の方を向いて頷くと、料理に夢中になっている参加者に向かって大きな声で言った。

「皆さん、今、心配性の深町先生がこのキノコの安全性について指摘してくれました。外見がクロハツと良く似ているニセクロハツという毒キノコがあります。でも、ご安心ください。この二つのキノコを見分ける明確な方法があるのです。クロハツは、キノコを傷つけると傷口がまず赤く変色し、その後、徐々に黒変していきます。これに対し、ニセクロハツでは赤く変色したままで留まり、黒色にはならないのです。この点で明確に区別できます。本日使用したクロハツは私の親しくしているキノコ業者の専門的な目で鑑定され、私もこの目でしっかりと確認したキノコですから、どうか安心してご賞味ください」

 日陰和田は勝ち誇ったような表情で説明した後、自分でも新しいお椀を取り、キノコ汁を一杯入れて美味しそうに啜った後、小皿にバターで炒めたクロハツも取ると、これも口に入れた後よく噛み締めて美味しさを堪能しているような表情を皆に見せた。

 既に食べ始めていた人を含め、キノコ料理に興味を示していた人たちは皆安堵の表情を見せ、最初は恐々ではあったが、次第にその味にすっかり取り憑かれたようになって楽しんでいた。


 参加者たちが安心してこの日のメイン料理を堪能している姿にご満悦となった日陰和田は再びキッチンの中に入り、しばらくしてから、今度は小さなお盆の上に三つのお椀に入れた料理を運んできた。二つは黒塗りの立派なお椀に入っていたが、残りの一つは病院の食堂で普段使っている質素な造りのお椀に入れてあった。そのお盆を皆が群がっていたワゴンから随分と離れたテーブルの上に置き、深町と神保を手招きして呼んだ。

「これは、今日のクロハツの中でも最も姿形の良いもので作った特上品のキノコ汁だよ。皆に振る舞う程の量がないので、我々だけで楽しもうよ」

 そう言って、深町と神保に黒塗りのお椀を手渡し、自分は残った質素なお椀を手に取り、美味しそうに啜り始めた。神保は日陰和田に釣られてその特上品を味わい始めた。しばらくして日陰和田が怪訝そうに深町に訊いた。

「あれ、深町先生はこんな絶品に手を付けないのですか?」

「申し訳ない。昔、私の祖父から珍しいキノコは絶対に口に入れてはいけない。食料品店で販売しているようなごく普通のキノコだけを食べるようにしなさい、と言われて育ったので、それをずっと守っているんだよ。本当に済まないけど、勘弁して」

「あくまでも慎重な深町先生らしいお言葉ですね」

 日陰和田は笑いながら、皮肉っぽくそう返答した。


 参加者たちがこの日のメイン料理を堪能できたことを確認した日陰和田は、パーティー終了の挨拶を行なった。

「皆さん、本日のパーティー、楽しまれたでしょうか? 特に最後のキノコ料理は最高だったのではありませんか?」

 参加者たちは口々に特別な料理の美味しさを主催者に告げ、大きな拍手で感謝の気持ちを伝えた。日陰和田は満足そうにお開きの言葉を述べた。

「それでは皆さん、本日はこれにてお開きにしたいと思います。また明日からこの日影和田病院を盛り上げるため、頑張って勤務していただきたいと思います。それではまた明日」

 皆が三々五々会場を後にするのを確かめるように見送った後、深町が日陰和田に近づいた。

「日陰和田先生、何となくいつもより疲れたように見えるけど、大丈夫?」

「ああ、勿論大丈夫さ。いつものように元気一杯だよ。けど、ちょっとトイレに行きたくなったから今日はこれで失礼するよ」

 そう言うと、日陰和田は足早に会場から出ていった。深町は傍で待っていてくれた神保と連れ立って帰路に就いた。


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