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4.医学部学生、研修医そして医師へ

 翌年、一九九九年春、深町は国公立大であるI大医学部にすんなりと合格し、神保もJ大医学部に大変な狭き門をくぐり抜けて見事入学できた。J大では学費を借りることができる上、その後、指定の病院で働けば学費の返済が免除される制度があった。一方、日陰和田はと言えば、親の指示に反することができなくて受験した国公立大医学部はもちろんのこと、有名私立大医学部も全て合格することができなかった。最後に本当に滑り止めとして受験したC大学医学部に何とか引っかかり、親に大金を出してもらって、どうにか現役で医学部学生の身分を手に入れた。


 国公立大学であっても学費は結構な額が必要だし、医学部では勉強しなければならないことが他の学部とは桁違いに多いため、教養時代は別として、三年生以降はアルバイトをしている余裕はほとんどない。普通の医学生は生活費を親に頼るしかないのが実情であった。深町は自宅から通学可能な所に入学できたので、高校時代の生活とあまり変わらずに医学部での生活を送った。神保も学費は大学から借りることができ、学生寮にも入れた上に日陰和田学からの援助もあったので、母親からの仕送りには全く頼ることなく、やりくりして医学部での生活をスタートさせた。

 日陰和田は年間一千万円近くのお金を親から出してもらった上に、放蕩息子の典型とも言えるような学生時代をスタートさせたのであった。


 大学のカリキュラムは、医学部とはいえ、一、二年生は一般教養だけなので、他の理科系の学部と何も変わらなかった。高校の勉強とそれ程変わったものとは感じられず、受験勉強をようやく終えたばかりの新入生にはうんざりさせられるものであった。


 深町は授業を終えると、医者に関連するものなら何でも読んだ。どんな情報でも将来必ず自分の医者としての活動の参考になるはずだとの強い信念があった。

 日陰和田はとりあえず医学生になれたので、親たちから口を挟まれることもなくなったのをいいことに、新たな趣味の世界にのめり込んでいった。車に興味を持ったのだ。親からもらう小遣いでは到底足りず、恰好が良くて時給の比較的高めのアルバイトを次から次へと行い、得られたお金を全て車に注ぎ込んだ。

 一方、神保にとってこの二年間はその後の学生生活を安定したものにするための絶好の期間となった。授業に影響を及ぼさないようにしながらも、家庭教師、料理店、警備員などできるだけ時給が高いものを選んでアルバイトした。先輩たちから、稼げるのは教養時代だけだ、と耳にタコができるくらい聞いていたので必死で働いた。

 三人は医学部では別々の大学に入ったものの、二カ月に一回程度は顔を合わせ、いろいろと情報交換を行った。教養時代は勉強について話しても、どこも同じようなものだったため話が弾まなかった。そこで、アルバイトや趣味のことを話して大いに盛り上がった。


 三年生になると、ようやく医学部らしい基礎医学の授業が始まった。生理学、生化学など、人間の正常な働きについて学んだ。さらに解剖学の授業も始まった。亡くなった方を献体として解剖させていただけたのは日陰和田にとってさえ、非常に有意義だったようだ。

 三人にはもう他のことをやっている余裕は全くなくなった。神保はそれまで必死で貯めたお金と日影和田病院から毎月振り込まれるお金とを有効に使いながら全力で勉強に取り組んだ。深町はこれまでと同様淡々とではあるが、得られる知識の最大限を漏らさず身に着けるべく努力していた。

 一方、教養時代に遊び呆けていた日陰和田でさえ、必死に勉強しないと授業の進行に付いていけなくなり、それなりに勉強し始めた。


 四年生になると病理学の授業が始まった。これまでは正常な生命体のことについての勉強であったが、ここで初めて医者となるために必須である病気の状態にある人間について学ぶことになった。病気になった部分から作製された標本を顕微鏡を使ってじっくりと観察した。染色した組織を数時間も連続で観察し続けるため、目には染色に使われたピンクだけが飛び込み続けることになった。ようやく観察が終わって顕微鏡以外のところを見てもピンク以外の色を見つけられないような状況であった。


 医者の勉強をし始めたな、と実感できるのは五年生になってからであった。ここでようやく臨床医学を学び始めるのである。内科や外科ばかりでなく、その他の全ての科が含まれていて、かなり専門的に特化している授業内容もあり、学生たちにとって理解するのが非常に大変になってきた。

 臨床医学には苦痛を強いられる講義ももちろんあったが、それだけではなく、実習があることが学生たちにとっては魅力であった。大学病院に出向いていき、真っ白でよく糊のきいた白衣をどことなくフィット感なく着て、先輩医師に何人かで付いて歩き、医者の実態のほんの一部を垣間見させてもらうのであった。

 もうこの頃から卒業後に立ち向かわなければならない医師の国家試験対策を目的に、小さなグループを作り、頻繁に勉強会を行う学生が多くなった。深町や神保はもちろんそんなグループに属して勉強していた。日陰和田もグループには入ったもの、勉強会には欠席することが多く、真剣に取り組む姿は見られなかった。


 医学部では六年生の終わりに卒業試験がある。一ヶ月もかけて全科目の試験が行われるのである。医学部卒業を控えている学生たちにとって、卒業試験の問題がそのまま国家試験の準備に繋がるような内容であれば好都合なのであるが、教授によってはそんなことお構いなしのこともある。卒業試験の間は国家試験の勉強ができなくなるので、学生たちにはストレスが異常に高まる時期となる。 


 指導教官の熱心な教育が功を奏しているのか、あるいは学生たちの頑張り方が凄いのか定かではないが、各大学医学部の医師国家試験合格率はかなり高く、ほとんどの医学生は合格して法的には医師となる。

 深町と神保は当然のことながら国家試験にすんなりと合格した。日陰和田は六年生の秋になってから流石に危機感を持ち、国家試験対策委員をしていた優秀な学生に取り入り、試験に出題されそうな問題を必死に聞き出して、何とか合格できたのであった。


 深町、神保そして日陰和田の三名が医師になる数年前までは、医師国家試験に合格した医学部卒業生は、母校の大学病院のどこかの医局に席を置き、医師としての第一歩を踏み出していた。そこで様々な研修を行いながら一人前の医師になるべく先輩医師から事細かに教わっていたのであった。それが二〇〇四年度になると、新人医師たちは医局に属することなく、各診療科を数ヶ月単位で廻りながら学ぶ制度である『スーパーローテート方式』に変更された。この変更が、長年続いてきたあの医局制度を大きく変えていく変曲点になったと言っても過言ではないのであった。

 いわば医師としての見習い期間でもある卒後臨床研修は二年間に渡って行われ、新人医師たちは「研修医」として病院で勤務する。二、三ヶ月ごとに次から次へと科を経験していく制度となっており、それまでのように初めから自分が専門とする科を決めてしまうのではなく、あれこれと実体験を経てから専門を決めようとする側面と、自分の専門以外については全く診察することができない医者を少なくする側面とを持っている制度と言われている。

 卒後臨床研修が終わると、自分の適性なども考慮した上で専門とする科を決定することになり、その科で専門研修に入ることになる。卒業した大学や科によって期間などは異なっているが、数年間を母校の医学部以外の病院で修行するプログラムになっているようだ。

 新しい制度になる前は、『奴隷の如く』こき使われたと言われることもあった研修医の月収は一説には十万円以下であったとされるが、二〇〇四年度からは月収三十万円程度にするよう国の勧告が下りたとのことで、収入面では大きく改善が見られたようである。


 深町、神保、日陰和田の三人は、自分なりのやり方で非常に厳しい卒後臨床研修と専門研修とをクリアし、晴れて一人前の医師としてそれぞれの勤務に就いたのであった。

 深町は研修中も最優秀の評判を得た程で、将来を期待され出身大学病院の循環器内科に残ることになった。神保は当初からの予定通り、大学から指定された僻地の病院に赴き、消化器内科医としての腕を磨いていった。

 日陰和田は研修医時代も相変わらずで、患者のために必死で治療するという姿勢が周囲に感じてもらえず、すこぶる悪い評価であったため、なかなか勤務先が決まらなかった。そうなると行き先は一つしか残っていなかった。当然の成り行きとして日陰和田病院の内科医となったのであった。


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