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3.高校時代

 深町正人、新保恭平、それに日陰和田聡一郎の三人は二〇年程前、都立D高校の同級生であった。

深町は普通のサラリーマンの家庭に育ち、両親ともに特別な資産家の家柄ではなかったため、学費の安い国公立の高校大学への進学が当然のことと思って育った。

 新保の父親は病院に勤務していた医者であったが、神保が小学校低学年の時、若くして過労が原因で亡くなった。その後は母が必死になって働いて神保を育ててくれた。母親としては高校進学でさえさせてあげられないかもしれないと思った程の貧困さであったが、神保の学業成績は周りと比べ飛び抜けて良かったため、中学の担任も進学を強く勧めてくれて、ようやくD高校に入ることができた。

 一方、中小病院ではあるものの堅実な経営でそれなりの利益を出していた日陰和田病院の御曹司である日陰和田聡一郎は中学受験の際、エスカレーター式に高校に進める有名私立中学への進学を希望した。ところが、庶民の感覚を知らなければ一人前の医師にはなれないとの信念を持つ父や祖父から猛反対を受け、仕方なく区立中学校、都立高校へと進んでいた。


 高校二年生の秋のことであった。生徒たちはそろそろ将来の進路を決め、志望大学の受験に沿った科目の授業を選択する時期になっていた。

「正人は頭が良いからどこの大学でも合格間違いなしだろうな。で、どこを受験するんだい?」

 日陰和田はそれとなく探りを入れた。

「うちは私立に行けるほどお金があるわけじゃないから、国公立しか受験しないよ」

「そうなんだ。それで文系? 理系?」

「うちの両親は大学を卒業したら直ぐに就職してほしいみたいなんだけど、僕としては医学部に進学したいと思っているんだ」

「へえー、また何で?」

「僕が小学四年生の時、大好きだった祖父母が相次いで病死してね。その時、僕がもし医者になっていたら二人を助けることができたんじゃないか、ってずっと考えてきたんだ。だから医者になることしか考えないで生きてきたみたいなものなんだよ」

「それを両親にきちんと話したのかい?」

「うん……。この間、僕の進学について三人で話をしたんだ。その時医者になりたいと言ったら、二人は絶句していた。国公立の医学部への入学は非常に難しいし、私立の医学部に行けるほどのお金はないんだから、両親がそうなるのもよく理解できるんだけどね」

「それで、結論はどうなった?」

「とにかく国公立を受験することと医学部受験に失敗したら、一般企業に就職することができるような学部に進むことを条件にして僕の希望を認めてくれた」

「ということは、深町は浪人することはできない、現役で国公立の医学部に受かるしかないということだな」

 深町は重苦しい気持ちが表れた顔で頷いた。


「それじゃ、恭平はどうするんだ。まさかこの名門高校を卒業するというのに就職するなんてことはないよな」

「うちの母は就職することを望んでいるのは間違いないと思うんだけど、実は僕も本当は医者になりたいんだよ」

「ええっ、お前も! 何でだよ?」

 日陰和田は驚いたようにそう言った。

「僕も深町と同じような理由なんだ。僕の父親はどこかの病院で医者をやっていたそうなんだ。僕が小学二年生の時に過労が原因で亡くなった。それから母は昼も夜も働いてやっとのことで僕を高校に入れてくれた。世の中にはきっと僕みたいな子供たちが沢山いるんじゃないかと思う。僕が医者になって、少しでも病気の人を助けることができれば、僕みたいな境遇の子供を減らすことができると思うんだ。だけど、医者になる道は、僕にとっては想像すらできないほど遠いものだとも感じているんだよ」

 神保は寂しそうな目をして俯いた。


 暗くなった雰囲気を変えたくなった深町が訊いた。

「ところで、聡一郎も医学部を受験するんだろう?」

「家族は皆それが当然だと思っているんだな。俺は子供の頃から医者ばかり見て育ったんでね、医者が世間で言われている程割の良い職業じゃないことをよく知っているんだよ。だから大きな会社に就職したいって思っているんだけど……」

「そのことを親に言ったことがあるのかい?」

「怖くて言えないよ……」

「そうだろうな。あの辺じゃ、かなり有名な病院だと知り合いの人が言っていたくらいの病院だから。聡一郎の親は当然聡一郎が病院を継いでくれると思っているに違いないね。言えないよな」

 深町は同情するような顔つきでそう言った。

「でも、僕にとっては聡一郎の悩みはこの上なく羨ましいものだよな。できるものなら僕と聡一郎とが入れ替わりたいくらいだよ」

 神保の表情は深町とは異なり、嫉妬に近いものが現れていた。


 三人で語り合った半月後、深町と神保は昼休みに日陰和田に呼び出された。校門から学内に少し入り、学生たちの通路からは離れた所に東京都の木であるイチョウが植えてあった。その木の周りを盛り土し、それを石垣で取り囲んであるので、少人数で石垣に座って話をするのに持ってこいの場所であった。

「どうしたんだ、聡一郎? 随分と渋い顔をしているじゃないか」

 深町にズバッと言われ、日陰和田は下を向いていた顔を二人の方に向け、思い切った表情で口を開いた。

「実は昨夜、進路についての自分の希望を親に話したんだ」

「そうか、頑張って言ってみたんだ。それで、お父さんは認めてくれたのかい?」

「それがね、絶対反対されてしまった。まあ、こうなることは初めから分かっていたようなものだけれどな……」

 深町も神保も次の言葉が見つけられなかった。


 随分と長い沈黙の後、日陰和田が口を開いた。

「うちの親父も祖父さんも、俺は当然国公立の医学部に入るものと思っているんだ。でも、正直俺にはそこに合格できる自信はないんだな……。それで、条件を出してみたんだ。一応国公立は受験するけど、私立の医学部も受験させてくれってね」

「なるほどね。それで、お父さんやお祖父さんは了解してくれたのかい?」

「最初のうちは絶対ダメって言っていたんだが、俺がしつこく言い張っていたら、最後には諦めたみたいで、仕方がないと言った」

「そうだったんだ。まあ、とりあえず良かったじゃないか」

「まあな……。その後で受験勉強の話が出たんだよ。予備校に行くのか、それとも家庭教師を付けるのかってね。俺はどちらも嫌だったんで、お前たちの話を出したんだよ」

「僕たちの話?」

「ああ、俺の友達に二人も医学部を受験したいっていう奴らがいるんで、そいつらと一緒に受験勉強したいって言ったんだよ。本当のことを言えば、苦し紛れに言ってしまった訳だけどな」


「そうしたら?」

「親父は直ぐにOKしてくれて、俺の家に二人に来てもらって一緒に受験勉強するように、って言われた。だから、正人も恭平もこれからは授業が終わったら俺の家に来て一緒に受験勉強してほしいんだよ。まあ、とにかく二人が家に来てくれていれば親父たちも安心してくれるだろうから、一緒に勉強するかどうかはどうでもいい話なんだけどな」

 それまで、黙って聞くだけであった神保が大きな声で応えた。

「それはいい話じゃないか。僕は是非聡一郎の家に行って勉強させてもらいたいな」

「僕も、勉強はどこでやってもいいんだから、三人でやることに反対はしないよ。その方が効率的に勉強できるかもしれないしね」

 深町は冷静に反応した。

「それじゃ、決まりだな。善は急げだ。早速今日から家に来てくれよ」

 そんな経緯で、三人での受験勉強が始まった。


 日陰和田家での三人の受験勉強は、思いの外順調に進み、日陰和田の父親の学や祖父は大いに満足していた。日陰和田の母はほぼ毎日三人分の夕食を作り、休憩時間にはケーキや紅茶を運んでくれた。週に一回は学も顔を出し、励ましの言葉をかけてくれた。

 三人が三年生になってからもこの合同受験勉強は続けられた。六月に入った木曜日、いつものように父親の学が顔を見せる日であった。

「皆、頑張っているようだね。ところで、神保恭平君、少し時間をくれないかな?」

 突然の指名に、神保は驚いたが、直ぐに学の方を向いて頷いた。学は神保を連れて聡一郎の部屋を出て、広いダイニングルームに入った。そこには普通の家庭ではほとんど見ることができないような大きなテーブルがあり、周りに十個以上の椅子が配置されていた。神保を長い辺の真ん中に座らせると、学は反対側に回り、神保の正面に座った。


「神保君は大変な勉強家のようですな」

「はい、勉強は嫌いではありません」

「小さい頃にお父様を亡くされ、お母様は随分とご苦労されたとか」

「はい、母は昼も夜も働いて僕を育ててくれています」

「それで君は医者になりたいんだそうだね」

「はい、そうです」

「こんなことを訊いては失礼になるかもしれないけど、医学部に入って無事卒業するのには国公立でも結構お金がかかるんだが、大丈夫なのかな?」

「いいえ、それが……、大丈夫じゃないんです。ですから、学費が安くて奨学金が貰えるような所を受験するつもりでいます」

「君が見事医学部に合格したら、私が経済的な援助をしてもよいと考えているんだがね。もちろん、条件を付けるつもりだが」

「どんな条件ですか?」

「君が医者として就職できるようになったら、この病院で勤務して貰うという条件だよ」

「本当ですか?」


「ああ、本当だ。君はお金をかけないで卒業できる医学部を受験するといっているから、恐らく、J大やS大を考えていると思うけど、医学部で学生生活を送るには授業料以外にも結構金は必要になるんだよ。だからそこを私の方で補助してあげようという話だ」

 医学部に合格しても金銭面で入学できるかどうか非常に不安であった神保がこんな良い話を断る理由は見つけられなかった。

 学は息子から神保のことを詳しく聞いていたし、自分でもそれとなく神保の様子を数ヶ月間観察して、神保が頼りになる医師に成長できるとの確信をある程度持てた上での提案であった。さらにもっと大きな理由があった。学は神保という姓が気になり、調べてみて驚いたのであった。学がまだ他の病院で勤務していた頃、神保の父は日陰和田病院に勤務しており、患者を大事にするあまり過労で倒れ、そのまま亡くなってしまった医師であったことが判明したのだ。学はこの事実を誰にも告げずに援助を申し出たのであった。


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