32 洋介の推理
筑波ホビークラブに戻ると愛が首を長くして待っていた。
「洋介さん、お帰りなさい。関西出張の成果はいかがでしたか?」
「ただいま。愛ちゃんのご協力のお蔭でいくつかのことが明らかになりました。判明した事実を突き合わせて真実を明らかにしなければなりません。愛ちゃんには本当に申し訳ないのですが、もう少しの間、受付をお任せして良いですか?」
「いつものことですから、重々承知しておりますわ。でも、少しの間で済めば良いのですけどね」
愛の冷やかし半分の笑顔に送られて洋介は再び東の外れにある小部屋に籠った。
「愛ちゃん、神尾さんはまだお籠り中ですか?」
受付で源三郎が笑いながら訊いた。
「はい、そのようです。関西から帰ってきたと思ったら、東の外れの部屋に直行されました。それから私は洋介さんのお顔を見ていませんわ。でもそろそろ丸二日になりますから、ちょっと様子を見てきましょうか?」
愛が受付を出ようとしたところに洋介が中に入ってきた。
「あらっ、洋介さん。謎は解けましたか?」
「うーん、多分ね。これから鹿子木さんのところに行きたいんですけど、受付、お願いできますか?」
「ええ、洋介さんがいつお籠りから出て来られるか予測できませんでしたので、心の準備だけはしっかりとしておりました。お籠りが少し長くなるだけだと考えれば良いのですから簡単なことですわ」
「いつも悪いね。源さんも済みませんがよろしくお願いします」
苦笑いで頷く源三郎に頭を下げて洋介は駐車場に走って行った。
つくば東警察署に着き、鹿子木に面会を申し出ると直ぐに本人が出て来た。
「神尾さん、悪いけど二階の小さいほうの取調室で良いですか? 今、空いている会議室がないものですから」
「私なら全く問題ありません」
「済みませんね」
取調室に入ると洋介は中をじっくりと見渡した。普通に生活している人間であれば、この部屋に入る機会はまずないであろう。
「へー、ここで鹿子木さんは容疑者を追い詰めているのですね?」
「いやいや、追い詰める段階まで持っていくのはそう簡単ではないのです。ほとんどの時間は容疑者とのやり取りから事件解決への糸口を見つける努力をしている部屋ですよ」
「まあ、そうなんでしょうね。世の中、そんなに甘くはないですからね」
「ところで、神尾さんのご用は一体何なのでしょうか?」
「実は、あのキノコ中毒事件に関連して、数日前、大阪の高槻と京都の清水山に行ってきたのです」
「何か収穫があったようですね。詳しく話してくださいよ」
洋介は、高槻で篠崎と親交の深かった梶原と会い、摂津峡のニセクロハツ採取地に連れていってもらったこと、日陰和田がニセクロハツを採取するために清水山に登る際、案内を頼んだ夜久野にも会うことができ、清水山のキノコ採取地近くまで行ったことを詳細に話した。
「鹿子木さん、私は日陰和田さんが自殺したとはどうしても思えないのです。これまで判明した事実を全て含めて考えてみたのです」
「神尾さんがどんなストーリーを描いたのか、楽しみですね」
「日陰和田さんは深町さんと神保さんにあの病院からいなくなって欲しかったのだと思います。お二人がいなくなれば最高ですが、悪くても神保さんだけはいなくなって欲しかったのだと思います」
「動機は何だったのですか?」
「H署でも考えているように、院長である父親の学さんが、次期院長あるいは理事長候補者として日陰和田さん以外の人を考えている、と日陰和田さんが思い込んでいたからでしょう。その候補者とは深町さんと神保さんだったのです。深町さんについては、あの病院を継ぐ意思はほとんどないと日陰和田さんでも判断できたのでしょうが、神保さんについては、状況さえ許せば後継者になっても構わないと考えることを日陰和田さんは恐れたのだと思います。医師としては、多分日陰和田さんよりお二人の方が数段上だったでしょうから。だから、深町さんは計画が予定通りに進まなくても、つまり、深町さんを殺害できなくても仕方ないが、神保さんだけは殺害しなければならないと考えていたものと推察されます」
「なるほどね。でも、それでは、何で殺害を企てた本人が死んでしまったのでしょう?」
「日陰和田さんがつくばのキノコ業者である篠崎さんのキノコに関する見識を見くびっていたためではないかと思うのです」
「えっ、どういうことですか?」
「あのパーティーの開催を思い付いた時、日陰和田さんは篠崎さんにクロハツを注文しました。この時点ではまだ深町さんと神保さんの殺害計画は明確なものではなかったのだと思います。近い将来のために殺害方法を研究しておこうと思って、軽い気持ちでニセクロハツも別包装で注文したのではないかと思うのです。発注した後、いろいろ調べてみると、クロハツとニセクロハツに関する詳細が分かってきたのではないでしょうか。そんな情報の中の一つに、毒性の非常に高いニセクロハツは西日本で採取されたものに限られ、東日本で採取されたものではまだ中毒で死んだという報告はない、ということがあったのだと思います。それで、自分自身が関西に行って毒性が高いと思えるニセクロハツを採取し、あわよくば神保さんと深町さんの二人を、悪くても神保さんを殺害する計画を練ったのではないでしょうか」
「なるほどね。でも、犯行を企てた本人が死んでしまった説明にはならないでしょう?」
「まだ説明が続きます。日陰和田さんは、篠崎さんが納入したニセクロハツは関東産なので毒性が低いと判断したのだと思います。まさか篠崎さんが大阪の高槻にまで出向いて採取したとは考えなかった。本当はどこで採取したかを訊くべきだったのですが、篠崎さんを見くびっていたために、関東産だと思い込んでしまった。つまり、篠崎さんのキノコに関する見識について、日陰和田さんは十分な確認もせずに読み違ってしまったのです」
「日陰和田ならいかにもありそうなことですね」
「さらに悪いことには、京都まで出向いて採取したニセクロハツは毒性の高いものではなかったのだと思います。案内した夜久野さんの鑑別力もなかった上に、素人であった聡一郎さんが一人で判断したそうなので、結果がこのようになってしまったのでしょう。まあ、あの案内人だったら、二人で鑑定しても間違う可能性は高かったかもしれませんが」
「そうすると、パーティーの準備をしていた日陰和田病院の調理室には、沢山のクロハツ、大阪の高槻市で採取した毒性の高いニセクロハツ、日陰和田が京都で採取したニセクロハツだと思っていたが実は毒性の低かったキノコの三種類が並べられていたということですね」
「そういうことだったと思います。沢山の量のクロハツはパーティーの参加者全員に振る舞われて美味しく食べられ、その後何事もなかったのです。また、日陰和田さんが京都で採取してきたニセクロハツだと信じていたキノコは、キノコ汁にした後、上品なお椀に入れて深町さんと神保さんに勧めたのでしょうが、深町さんは食べるのを拒んだのです。一方、神保さんは美味しそうに食べてしまいましたが、その後も元気でした。つまり、毒性の高いニセクロハツは入っていなかったのです。
そして、篠崎さんが高槻で採取した本当は毒性の高いニセクロハツが入ったキノコ汁を、病院で普段使いしているお椀に入れ、日陰和田さんご本人が食べたのです。何故なら、日陰和田さんは、篠崎さんが別口で納入したニセクロハツは毒性が低い、と勝手に決め付けていて、自分が食べても大丈夫だと思っていたからです。そして日陰和田さんだけが中毒死してしまった、というのが私の推論なのです」
「でもですね、神尾さん。もし、日陰和田の計画がものの見事に成功し、新保がキノコ中毒で死んだ場合、キノコ業者の篠崎が、毒性の高いニセクロハツを日陰和田に提供していたことを警察に話せば、最初に疑われるのは日陰和田だということになりませんか?」
「日陰和田さんの計画が成功した場合というのは、篠崎さんから届けられたニセクロハツは彼の読み通り関東産で人が死ぬほどの毒性がない場合です。これを食べた日陰和田さんはピンピンしていたことでしょう。そして京都産のキノコは本当のニセクロハツで高い毒性がある場合ということになります。その結果、神保さんが中毒死した場合、警察による捜査が簡単に行われ、単純な毒キノコ中毒ということで済まされてしまえば、日陰和田さんにとっては、一番都合が良かったことでしょう。もし、警察が不審に思い、捜査が開始され、篠崎さんがニセクロハツを日陰和田さんに提供したことを供述したとしても、日陰和田さんはこれからお話しするような内容を警察に説明するつもりでいたのではないでしょうか。
先ず、自分は篠崎さんから提供されたキノコ、つまり毒性の高いニセクロハツを使ったキノコ汁を食べ、自殺するつもりだったと言うのです。その理由としては、父親が自分を評価してくれていないことを悲観していたとでも言うつもりだったのではないかと思います。そうなれば、篠崎さんの証言は日陰和田さんにとって不利になるどころか、自殺の意思があったことを裏付ける強い味方となったはずです。
一方で、自分がこの世を去るにあたり、最後の感謝の気持ちを込めて同期生の医者である神保先生と深町先生に、特上品のクロハツを食べてもらうために自分が京都まで足を運んで探したのだと言い、『それなのに、残念ながらニセクロハツが混入してしまっていた。彼らには本当に心から済まなく思っている』とでも付け加えようと考えていたのではないかと思います。
しかし、現実は、篠崎さんが大阪で採取した本当に毒性の高いニセクロハツを食べた日陰和田さんが亡くなってしまい、日陰和田さんが京都で毒性が高いニセクロハツだと思って採取したキノコは毒性が低かったので、神保さんは何ともなかったという結果になったわけです」
「なるほど、そう考えればこれまで分かった事実と矛盾はありませんね。後はそれをどう証明するかなんですけどね……」
「そうなんです。今の所、物証が何一つないのです」
「神尾さん、有難うございました。とにかく、今伺ったことをきちんとH署の春田さんにお伝えします。春田さんの意見を聞いた上で、今後どう捜査していくか、相談させてください。今日は本当に有難うございました」
洋介は自分の推論にかなりの自信はあるものの、証拠をどう見つけ出していくかを考えると、全く見通しが立たない状況ではあった。しかし、それに立ち向かっていこうという意欲は漲っていた。




