29 京都清水山
高槻から京都まで京都線新快速で十五分も掛からなかった。京都駅前のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、慌ただしく胃に流し込んでから夜久野に電話すると、幸いなことに本人が出てくれた。
「あのー、私はつくばから参りました神尾洋介という者です。突然お電話して大変失礼ではありますが、夜久野さんにお訊きしたいことがあるのですが」
「何?」
「少し前のことになりますが、日陰和田さんという方が京都に来て、キノコ探しをされたのですが、夜久野さんはご存知ありませんか?」
「えっ、日陰和田? ああ、彼奴か……。この間キノコ中毒で死んだ人でしょ?」
「はい、そうです。ご存知ですか?」
「知っているも何も、彼奴は俺のことをバカにしてくれたんで、忘れるわけがないでしょう!」
電話の向こうの声はやや甲高く、早口で喋ったので京都の人らしくないなと洋介は思った。
「良かった、ご存知で。もし、夜久野さんのご都合がよろしければ、今からお会いしてお話しを伺うことはできないでしょうか?」
「ああ、今は暇だから、大丈夫だよ。彼奴が死んじゃって何か気持ちが悪くて仕方なかったんで、ちょうどいいや。こっちも話を聞いてもらいたいくらいなんだから」
「有難うございます。それでは、どちらに伺えばよろしいでしょうか?」
「清水寺の近くに来てもらいたいんだけど、神尾さんは今どこにいるの?」
「今、京都駅にいます」
「それじゃ、京都市営バスのDの一番乗り場から一〇〇系統清水寺祇園銀閣寺行に乗って、五条坂で降りてほしいんだ。そこのバス停で会うことにしよう。沢山の観光客がいると思うけど、僕は目印に黄色いヤッケを着ていくからすぐ見つけられると思うよ」
「分かりました。直ぐにバスに乗ります。それでは後ほどよろしくお願い致します」
洋介は指示された通りにバスに乗って五条坂で降りた。清水寺への入口に当たるようで観光客と思われる人たちが目立つ場所であった。
五条坂のバス停の周りには黄色いヤッケを着た人は見当たらなかった。しばらく周囲を歩き回って探していると、目の前を黄色いヤッケを着た小太りの三十代半ばくらいに見える男が走り過ぎるのを見て洋介が声を掛けた。
「あのー、夜久野さんでしょうか?」
小太りの男は走るのを止め、荒い息をしながらこちらに近づいてきた。
「あんたが神尾さん?」
「はい、神尾です」
「いや、申し訳ない。黄色のヤッケとは言ったものの、それを見つけるのに時間が掛かって遅くなってしまった。僕が夜久野です」
「神尾洋介です。お忙しい所本当に申し訳ありません」
「いや、構わないよ。ところで、どうして僕のことを知ったの?」
「私の知り合いのキノコ業者の方にお聞きしたのです」
「あっ、そうなんだ。それでと、ここで立ち話っていう訳にもいかないから、どっかに入ろうか。喫茶店でいい?」
洋介が頷くと夜久野は歩き出した。慌てて洋介が付いていくとそのまま無言で五分ほど歩き、あまり大きくない喫茶店に入った。店内は平日だというのに結構込んでいた。店員が案内してくれた一番奥のテーブルに向かい合って座った。夜久野が直ぐにここのエスプレッソは美味しいからと言ってそれを頼んだにも拘らず、洋介が注文したのはいつものようにアメリカンコーヒーだった。店員が下がると夜久野は堰を切ったように早口で喋り出した。
「いやね、いつものようにネットを見ていたら、彼奴がキノコ中毒で死んだっていう記事がデカデカと出ているじゃない。背筋が凍ったね。別に僕が勧めたキノコっていう訳じゃないけど、全く関係ないとは言えないし、とにかくあまり良い気分じゃなかったね」
「日陰和田さんが京都にキノコを採取しに来た時、やはり夜久野さんが案内されたんですね?」
「案内したとは言えないけど、この近くの清水山に連れて行ったのは僕だけどね」
「ええっ、それはどういうことですか?」
「つまりさ、その日陰和田っていう奴は、初めは低姿勢で『クロハツやその近縁種のキノコが生えている場所に案内してくれ』って言ってたのに、いざ清水山に連れて行ったら、『もうここまででいい。後は自分で探すから』って言って、僕に金を掴ませて追い返したんだよ」
「あのー、申し訳ありませんが、日陰和田さんから依頼のあった時点から順を追って話していただけませんか?」
「ああ、いいよ。僕は京都生まれでも京都育ちでもないんだ。七年前、この京都に憧れてやってきて、東山区のこの近くに賃貸のワンルームマンションを見つけて住み始めたんだ」
「この辺りだとワンルームでも結構な家賃を払うんでしょう?」
「いや、探せば月五万円くらいの所があるよ」
「そうですか。あっ、済みません、脱線させてしまって。話の続きをしてください」
「ここに住み始めた頃は、有名な寺社仏閣を中心に見て歩くのが本当に楽しかったんだけど、そのうちちょっとマンネリになってきてね。京都にはあまり高くはないけど結構沢山の山があることに気が付いたんだ」
「京都の山と言えば、『五山の送り火』が有名ですよね」
「そうだ。如意ヶ嶽の西峰である『大文字山』、松ヶ崎妙法の西山である『万灯籠山』と東山である『大黒天山』、舟形万灯籠の『船山』、左大文字の『大北山』、鳥居形松明の『曼荼羅山』から成るのは有名だ。このほかにも愛宕山、音羽山、衣笠山、鞍馬山、ポンポン山、比叡山など、結構数が多いので本格的な登山ではなくて山歩き程度が好きな僕にはちょうどいいんだ。この近くには清水山もあるし」
「それでは京都市内の山はほぼ全て登られたんですか?」
「ああ、ネットで出ている山は全て登ったね。低い山を歩いているうちに、キノコに目が行ってね。珍しいのを見つけると写真を撮って、僕の『KTキノコ』っていう名前でやっているブログに載せたんだ。前は別の名前でやっていたんだけど、キノコに興味が沸いてから『KTキノコ』っていうのに変えたんだ。キノコの写真の中にはクロハツとニセクロハツも何枚もあったね。一度『クロハツ・ニセクロハツ特集』というのも掲載したことがあったんだ。
一九五四年の九月に清水山で採取したニセクロハツと思われるキノコで中毒事故が起こったということを知ったんで、僕も清水山に登って探してみたね。両方とも簡単に見つけることができたので、その時の写真を載せたんだ。クロハツとニセクロハツの見分け方もネットで調べたんで僕なら直ぐに区別できるね」
「そうですか。私が専門家から聞いた話では、両者の見分けは結構難しいということでしたが……」
「いやー、僕がやれば簡単にできるよ」
「そうですか……」
「まあ、とにかく、そうやってブログにキノコの写真を載せていたら、今年の九月に入って直ぐに、僕のブログに書き込みがあったんだ」
「それは日陰和田さんが書き込んだのですね?」
「多分そうだろうと思うけど、その時はまだ誰だか分らなかった。こっちも『KTキノコ』っていう名前以外は公表してないからね」
「日陰和田さんは何て言ってきたんですか?」
「清水山のクロハツとニセクロハツの写真に興味を持ったので撮影場所に案内してほしい、って」
「それで、夜久野さんはどう対応されたのですか? 夜久野さんの電話番号をブログに載せるわけにもいかないでしょうから」
「そうなんだよね。それで、案内はするけど、そっちの連絡先を教えてくれれば、こっちから連絡する、と書いたんだ。直ぐに向うの連絡先として電話番号が書き込まれた」
「えっ、日陰和田さんの電話番号が書かれていたんですか?」
「そう。それで僕もちょっと不審に思って電話してみたら、相手は日陰和田病院だと言うんだ。それで、ブログのことを言ったら、電話が内線に切り替えられて日陰和田聡一郎が出てきたんだ」
「なるほどね、病院の電話番号だったら公にされてもあまり問題ないかもしれませんね」
「それで、電話に出た日陰和田は直ぐにでも京都に来たいと言うので、僕はOKしたという訳だ」
「それで、日陰和田さんが京都に来られてから、夜久野さんはどうされたのですか?」
「あんたと同じように五条坂まで来てもらった。ただし、彼奴は金持ちみたいだったからタクシーで来たけどね。僕と会うと、余計な話もしないで、直ぐに清水山に連れていけ、って言い出したんだ。仕方がないから、彼奴が待たせていたタクシーに乗り込んで小さなお寺の近くまで行き、そこから歩いて僕の撮影場所まで連れて行ったんだよ」
「そこでクロハツとニセクロハツとの見分け方を教えてあげて採取したんですね」
「僕もそうしようと思っていたんだけど、彼奴はそこに着いたら、急に態度が横柄になって、上から目線で、『もう案内しなくていい。金はきちんと払う』って言って、僕の手に三万円を握らせて追い返したんだ。結構な金額だったんで、僕も嬉しくないわけはなかったので、仕方なく彼奴をそこに残して帰ってきたというわけさ」
「そうだったんですか。それでは夜久野さんは日陰和田さんがキノコを採取するところを見てはいなかったということですね」
「ああ、そういうこと」
「あのー、申し訳ありませんが、私をその場所に連れて行っていただけないでしょうか? 私は高額のお金をお支払いすることはできませんけれど」
「ああ、もちろんOKだよ。別に僕は金儲けのためにブログをやっているわけじゃないからね」
洋介が喫茶店で支払いをしている間に、夜久野はタクシーを捕まえていた。それに乗って小さな寺の駐車場近くまで行った。料金はもちろん洋介が支払った。
「ここからは歩きだよ。ちょっとはきつい所があるかもしれないけど、所詮、標高が二四二.五メートルしかない山だから大したことはない」
夜久野の正確な数字の表現から、情報の入手先がインターネットか書物からであることが窺えた。十分くらいは一応道らしきところを歩いたが、そこからは道などない山の中に足を踏み入れていった。しばらく歩いた後、夜久野の足が止まった。周りを不安そうな目付きで見回し始めた。何回も首をひねっているところを見ると、この場所に自信はない様子であった。
「この辺が写真撮影した場所だと思うんだけど……。キノコの時期としては遅くなったので、もう見つけられなくなっているな」
「そうですか。日陰和田さんもここに連れて来たんですね」
「ああ、そうだ」
夜久野はまだ周囲を見渡している。口では断定的に言ってはいるものの、内心は不安そうであった。しかし、洋介にはこれで十分であった。洋介はこの景色をしっかりと脳裏に焼き付けると、夜久野に感謝の言葉を述べ、丸干し芋のお土産も忘れることなく渡した。
二人は再び山の中を道がある所まで歩き、そこから先ほどタクシーを降りた場所まで戻った。ちょうど通りかかったタクシーを捕まえ、二人で乗り込んだ。夜久野の都合を訊くと、五条坂バス停で降りると自宅に近いと言うので、また元の場所でタクシーを降りた。
「夜久野さん、お忙しい所に急に押し掛けてきました上、山の中まで案内していただき、本当に有難うございました」
「いや、大した案内もできなくて申し訳ない。それで、神尾さんはこれからどうするの?」
「久しぶりに来た京都ですから、しばらくこの辺を歩き回ってみたいと思います」
「そう。それでは僕はここで失礼するよ」
「本当に有難うございました」
洋介は深々と頭を下げた。
しかし、京都は本当に良い。ぶらぶらと歩いていれば必ず洋介でも知っている寺社仏閣や山や川に出合うことができる。この日も洋介は何の当てもなく景色を眺めながら歩くことにした。
東山五条の交差点を渡り、そのまま南下し、東山七条で右折すると左側に三十三間堂が見えてきた。その周りをぐるりと歩き、大和大路七条で左折して西に歩くと、鴨川に出た。川に沿った遊歩道が見えたので、下に降りて歩いてみたくなった。上の道路を歩いているのとはまた別の景色が展開されるのが洋介には楽しく感じられた。
五条大橋で上の道に出て西に行くと、牛若ひろばがあった。五条大橋を背にして牛若丸と弁慶とが決闘している像があるが、可愛らしく作られていて決闘している感じではなく思わず微笑んでしまいそうになった。この二人が実際に決闘したのは実はこの橋の上ではなく、これより少し北にある松原橋だったということを思い出し、洋介はそこまで行きたくなった。再び鴨川沿いの遊歩道に降り、松原橋まで歩いた。手前から橋を見上げると、バックに比叡山が美しく聳えているのが見えた。
松原橋で上の道路に出て、そのまま西に歩き烏丸通を北上し四条烏丸駅に出て、それから四条通を真っ直ぐ西に歩いてようやく四条大宮駅近くのホテルに辿り着いた。




