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2.理事長からの相談

 聡催パーティーの一週間後の夜、深町は理事長室のあまりフカフカではないソファーに一人で座っていた。深町はこれまで理事長室の中に入ったことは一度もなかったため、病院の一般的な内装とは異なった豪華な理事長室を想像していた。実際に入ってみると意外と質素な造りに感じられ、先代と現理事長の患者や病院に対するスタンスが現れているような気がして、少なからず好ましく感じられた。

「このままの理念が次の理事長になる人にも継承されていけばいいな」

 深町は小さな声で呟いた。


 それから暫らく待たされた後で理事長の日陰和田学が勢いよく部屋に飛び込んできた。

「いやー、申し訳ない。至急対応しなければいけないことができてしまってね。こちらから呼び出しておいたのに本当に済まない」

「いいえ、大丈夫です。本日の私の診療は終了していますので」

 理事長は息が整うまで少しの間沈黙してから話し始めた。

「深町先生は大学病院の勤務の方も順調にいっているんでしょう?」

「はい、お蔭様で何とかやっております」

「今でも医局や教授の力は絶対的なものがあるんでしょうな」

「昔ほどではないとは思いますが、他の大学病院と比べればうちの病院はまだまだ相当な力があるような気がしています。確かに昔の大学病院は『白い巨塔』と呼ばれていたように絶対的な権力があったようです。医者の人事権は医局のボスが握っていましたので、若手の医者は教授の指示通り、たとえ僻地でもただただ黙って赴任していったと聞かされています」

「私が大学病院にいた頃は本当にそうでしたな」

「あれは二〇〇四年でしたか、新研修医制度が始まりました。医師免許取りたての新人医師は二年間、特定の医局に属さずに内科や外科や小児科などいろんな科をローテートすることになりました。それまでは、新人医師は卒業した医大の附属病院に就職するものだと思っていましたが、この頃から都市部の大病院に就職する者が増え始めたのです。これは医局制度にとっては大打撃でした。今やどこの医局にも属さずに、インターネットの医師紹介業に依存した独立系の医者も結構いるそうです」

「ずいぶん変わってしまったんだねえ」

 理事長はほんの少しの間、自分の世界に浸っていたが、思い直して質問してきた。


「深町先生は、この病院のことをどのように思われていますか? お世辞抜きで本音をお聞かせいただけないでしょうか。いやね、この病院の継承についていろいろと考えているのでね」

「この病院の設立者は理事長のお父様だったそうですね。医院から始めて病院組織にし、さらに少しずつ設備やソフトや運営方法を改善してきて、現在に至っているということですね。金儲けに走らずに患者さん志向を強く打ち出している良い病院だと思っています」

「それは嬉しいコメントですが、ちょっと褒め過ぎでしょう。もうちょっと辛口のお話しをしていただきたいと思っているのですけどね」

「いや、今言ったことは私の実感です。現に、この理事長室は私が想像していたより遥かに質素な造りです。その分、患者さんのために原資を使おうというポリシーが現れていると思います」

「そうですか。深町先生は公平で素直な観察力をお持ちですね。私の思っていた通りの素晴らしいキャラクターの持ち主だ」

 深町は思いもかけなかった展開になったので、笑うことによって話に終止符を打とうとした。


 昭和三〇年代前半、日陰和田達郎は十数年の大学病院勤務を経て、自分の生まれた地に日陰和田内科医院を開設した。その十年後には病院とし、さらに五年後には医療法人社団に移行して堅実な経営を行い、数回に渡る増改築を経て現在の規模の病院となった。

 達郎の長男である学も他の病院勤務を経験した後、日陰和田病院に戻り、院長となった。その後、高齢となった達郎の引退を受けて学は理事長に就任したのであった。

 深町が理事長と話していた時点での日陰和田病院の概要は、病床数百五十。標榜診療科目は、内科、外科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、神経内科、消化器外科、整形外科、皮膚科、泌尿器科、リハビリテーション科、麻酔科等であり、救急から療養までの一貫した医療サービスを提供することを謳い文句にしていた。また、東京都指定二次救急医療機関や労災指定病院などにもなっており、一般的には下町で通っているこの地域の患者のニーズに合った医療の提供を目指していた。


 二〇二五年頃になると団塊の世代が後期高齢者となり、医療需要はピークを迎えると考えられていた。医療費の著しい増加を抑制するための様々な施策が実施され、新規立法や法改正、患者自己負担の増額による受療動向の変化促進、診療報酬改定による医療機関の行動変容促進などが実施されていた。これは急性期入院の整備や在宅医療の充実、かかりつけ医機能の強化が進められるということになり、病院側にも大きな変化が求められていた。

 病院の統廃合は進んでいき、集約化されていくことは間違いないと言われていた。つまり、淘汰される医療機関が相当数出てくるわけである。病院経営者にとって生き残っていくための方策を模索するのは当たり前の状況になっていたのである。


「私の父がこの病院を開設してからずっと、医療に関する技術の向上に努め、常に誠実な医療を心掛け、この地域に根ざした医療活動を続けてきました。私もその遺志を受け継ぎ、地域の方々の健康を守るべく種々の改革を行ってきたのです。

 例えば、近隣の医院や診療所の先生方をお招きして地域医療の連携を図るべく月例の勉強会を開催したり、年に二回、職員の知識や意欲の向上を目的に病院内の研究発表会を行ったりしてきているのです。また、技術の向上のためには新たな機器も導入していかなければなりません。最新式のCT、紙媒体から電子媒体へと移行させたオーダリングシステムや電子カルテ、高性能MRIの導入等を順次行ってきました。

 これらの導入と共に、数度に渡る病床数や診療科目の拡大や建物の増改築をも行って、地域の人たちを支える病院としての地位を固めてきたと思っているのです」

「確かにこの病院は少しずつではありますが充実されてきているように、現場で働く我々にも感じられますね」


「私の知り合いに病院に詳しい税理士がいましてね、時々相談に乗ってもらっているんです。彼の話によると、一般的に病院の継承を行う場合、先ず後継者を決めることが先決事項で、それが決まったとしても、その人に承継するまでが三年から六年くらい、承継した後でも同じくらいの期間は、考えておいたほうが良いというのです」

「そんなに長い期間が必要なのですか?」

「継承するまでには、この病院の基本的な考え方を理解してもらい、治療方針や経営方針をしっかりと伝えておかなければならないのです。めでたく継承が行われた後は、診療や病院の経営が軌道に乗るよういろいろなアドバイスをしていくのだそうです。まあ、人間と人間の間で行うことですから、そのくらいの時間が必要なのかもしれません」

「そうなんですか……、診療ばかりでなく病院経営も本当に大変なことなのですね」

「あははは、本当にそうなのです。私もできれば一人の臨床医に戻りたいなんて思うことが結構ありますよ」

 理事長は大声で笑った後、少しの間黙った。その短い時間はそれまでの世間話からこの日の本題である重要な事項への区切りとなった。


「率直にお訊きします。深町先生はこの病院を継ぐという選択肢はお持ちではないでしょうか?」

 深町はあまりにも突拍子もない質問に、いつもの沈着冷静さを若干失った。

「ええっ……、この私が、ですか? 全く考えてもいなかったことですので、本当に驚いてしまいました」

 深町は深呼吸を数回行って気持ちを落ち着かせてから言葉を続けた。

「私はまだまだ大学病院で新しい医療技術を身に着けようと思っています。従いまして、あそこの病院以外の所に移る気持ちは持っておりません。それに、理事長には立派な医師に育ったご子息がお二人いらっしゃるではありませんか」

「深町先生はそのようにお答えになると予想してはおりましたが、実際にそのように言われてしまうと少々がっかりするものですな……。私が考える最も望ましい後継者は深町先生だったものですから、一応確認させていただいたのです。どうか、もうお忘れください」

「はあ、そうですか……」


「深町先生を除外して考えた場合の話ですが、この病院の後継者として先生は誰を最初に推薦できますかね?」

「普通に考えれば、この病院の後継者は私と高校同期で理事長のご長男である聡一郎君か、次男の謙次郎さんを挙げることになると思いますが」

「謙次郎は全く継ぐ気持ちはないようです。現在アメリカに行っていましてね、向うでもそれなりの評価を得ているようですので、日本に帰る気持ちはこれっぽっちもないと言っています。例え帰国したとしても大学病院以外のところには行かないのだそうです。だから、謙次郎のことはずっと前から諦めています」

「それでしたら、聡一郎君が良いのではないですか? 彼もその気持ちでいるようですし、この病院の職員の人たちの掌握に務めています。この間も聡催パーティーを開いていたくらいですから」

「確かに職員の方々の掌握には非常に熱心でありますけれど、深町先生は本当に聡一郎がこの病院の後継者として最適任だと思われますか? あの子がこの病院の理念を理解し納得しているとは私には思えないのですがね」


「そう言われますと、聡一郎君の考え方は現理事長のものとは異なっていることは確かではあります。彼は医者というよりこの病院の経営に多くの興味を持っているように見えますね。それは病院の理事長を務めようとする人間にとっては、ある意味で重要な資質ではないのですか?」

「うーん、やはり深町先生は聡一郎のことを冷静に客観的に観察されておられるようですね。私にも今先生がおっしゃったように映るのです。ここが普通の会社であれば、聡一郎みたいな考え方は必要なものかもしれません。もしかしたら最適と言える場合もあるかもしれない。しかし、ここは病院です。この地域の人たちにとって欠くことのできない存在、困ったときに頼りになる存在でなければならないというのが、この病院の設立時からの理念で、私もそれを継承してきたつもりです。病院が存続していくためにはしっかりとした経営は不可欠です。そのための種々の努力は精一杯やってきました。地域の人たちにとってさらに役に立つ病院にしていくためには、リーズナブルな利益を上げなくてはその原資ができないからです。ただし、金儲けが第一義の目的ではないのです。私が聡一郎のことを不安視しているのは、この根本的なところの理解なのです」

 深町は返事をすることができなくなった。理事長の言っていることは、深町の考え方とほぼ同じであり、この点に関する聡一郎の考え方も指摘された通りであると思われたからであった。


「どうやら深町先生も私と同意見のようですね。聡一郎のことをこれ以上お訊きしても深町先生を困らせるだけのようですから、質問を変えましょう。深町先生や聡一郎と高校が同期の新保恭平先生はこの病院の後継者としていかがなものでしょうね?」

「恭平ですか……。彼の事をそのような観点から観察したことはこれまで一度もありませんでしたが、少なくとも先ほど理事長がおっしゃった病院の理念というか存在意義というか、その辺のところの理解に関しては彼を信頼して良いのではないかと私には思えます」

「そうですよね。いやね、私も聡一郎の親です。あの子の将来の幸せを願わなくはないのです。ただ、それがこの病院を継がせることかどうかというところに迷いが生じているのです。聡一郎を後継者に選んだとします。そうすると、今から五年後くらいには経営を彼にバトンタッチすることになります。実権を握ったあの子は私の支配から完全に独立したような気持になって、勝手に動き出すことでしょう。その時、この地域の人たちへの貢献が最も重要なことであるとの理念も継承されているという状況が私には見えてこないのです。

 はっきり申し上げて、深町先生がここの経営者になることはまず無理だとは思っていました。お訊きしたのは、私が最適だと思っている人から順次確認を取るべきだからです。深町先生の次にこの病院の後継者として適していると私が考えているのが新保先生だったので、それを深町先生にぶっつけてみたのです」


 理事長はそう言うとしばらくの間目を閉じた。静かに目を開けるとこの日の結論を淡々とした口調で述べた。

「深町先生、お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。先生もほぼ私と同じようにこの病院の医師たちを見ていることが分かり、自分の考え方に若干の自信が持てました。どうも有難うございました。先生なら十分ご理解いただけていることとは思いますが、念のため申し上げておきます。今の話は他言無用でお願いします」

「はい、もちろんです。あまりお役に立てずに申し訳ありませんでした」

 深町は深々と頭を下げてから理事長室を離れた。


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