28 高槻市摂津峡
翌朝、洋介は六時過ぎに万博記念公園駅から、TXに乗った。洋介の要請に梶原は気持ち良く了解してくれ、洋介が直ぐに大阪に来ても良いし、夜久野の連絡先も調べておくと言ってくれたのであった。スケジュール表がほぼ真っ白な洋介が断るはずはなかった。
秋葉原から山手線で東京駅まで行き、七時台の新大阪行の新幹線のぞみに乗り、京都駅で在来線の京都線に乗り換え、十時半頃に高槻駅に着いた。梶原とは駅の北口で会うことにしていた。
北口に降り立った洋介は周りを一通り見回した。少し離れた所に、いかにも山歩きをするぞという格好の初老の男がいた。洋介が間違いないと感じたのと同時に向うも手を振ってきた。洋介の身長や着ていく服装などを予め電話で伝えておいた効果があったようだ。
「失礼ですが、梶原輝樹さんですか?」
小走りで男に近づいた洋介が訊いた。
「ああ、やっぱり神尾洋介さんですね。私が梶原です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します。お忙しい所、突然押し掛けて来まして本当に申し訳ありません。これ、ほんの少しですが、茨城の干し芋です」
「これ、丸干し芋ですね。平干しも美味いですが、丸干しは一段と美味しいですよね。女房が大喜びします。有難うございました。ただ、あまりお気を使わないでください。つくばの篠崎さんには昔から大変お世話になっています。今回、私がお手伝いして採取したキノコで篠崎さんがピンチになっていると聞きまして、とても心配しているのです。私ができることでしたら何でもしようと思っていたところです。どうか篠崎さんを助けてあげてください。本当によろしくお願い致します」
梶原は若くはないが動作が軽快であり、服の下には山歩きに必要な筋肉がしっかりと付いているのが洋介には感じ取れた。
「それで、神尾さんは先ず何をされたいのでしょうか?」
「先ずは、先日篠崎さんを案内されてニセクロハツを採取した場所に連れて行っていただきたいのですが」
「はい、そう致しましょう。近くのデパートの駐車場に私の軽トラが止めてあります。先ず、駐車場に行きましょう」
「申し訳ありません。よろしくお願い致します」
「篠崎さんと一緒にニセクロハツを採取した場所は摂津峡という所なんです。少し前にあそこでクロハツだと思って採取したキノコで中毒事故が発生しました」
「そうだったんですか」
間もなくデパートの駐車場に着いた。
「狭くてちょっと汚いですけど、それほど時間はかかりません。我慢して乗ってください」
「はい、お願い致します」
二人が乗った軽トラは十五分程山道を走り、山の中腹の少し開けた場所に止まった。
「神尾さん、ここからは歩いていきますが、大丈夫ですか?」
「はい、つくばも山が近いので、慣れていますから大丈夫です」
歩き出して十五分もすると、常緑樹の下の所々にドングリが落ちている場所に出た。そこで梶原の足が止まった。
「この辺でした、篠崎さんと一緒にニセクロハツを採取したのは。今はちょっと時期遅れなので、出ていませんが、真夏の一番暑い頃からこの辺りで見かけることが多いのです。ニセクロハツはシイやカシの林の地上に発生すると言われているのです」
「そうですか、この辺だったのですか……。ニセクロハツの鑑定は篠崎さんとお二人でされたのですか?」
「ええ、そうです。先ず外見から見て私は間違いないと思いました。篠崎さんも同じ意見でした。念のため、キノコを割いて三十分くらい放置して色の変化を観察しました。あの時採取したキノコは、世間でよく言われているように、傷をつけてしばらくすると赤くなりましたが、それ以上の色の変化はありませんでした。クロハツなら赤くなった後、さらに黒くなっていきますので、判別が可能だとされています。でも、私の経験からすると、見分けはそう簡単ではありません。ただ、あの時のキノコの色の変化は明確で判断し易かったので、間違いないと確信しました」
「そうでしたか……」
洋介はニセクロハツの採取地をしっかりと記憶に焼き付けるように何度も見まわした。スマホで写真を何枚か撮影しておけば良さそうなものではあるが、洋介は自分の感覚としてその場の風景と匂いと皮膚での感触とを記憶しておきたくなったのだ。数分間そうしていたが、十分に記憶に留めたと思えたので梶原に別の質問をした。
「ところで、昨日お願いしました『KTキノコ』というブログを書いている夜久野英輝さんの連絡先はお分かりになりましたでしょうか?」
「はい、連絡先はメモしておきました。これがそうです。そこに住所と電話番号が書いてあります。あのー……、神尾さんはあの男に何をお訊きになるのでしょうか?」
「はい、キノコ中毒で亡くなった日陰和田さんが京都でニセクロハツを採取した形跡があるのです。その際、誰かに案内してもらったようなのですが、もしかしたら、夜久野さんかもしれないと思いまして、お会いして訊いてみようと思っています」
「そうですか……。こんなことを言って申し訳ありませんが、あの男の評判は私たちキノコ業者の間ではあまり芳しくないのです。インターネットにはいろいろと写真入りで投稿していますが、実際のキノコのことはよく知らないと思います。投稿した写真が間違ったキノコの名前だったことが何回もあるのです。私たちのように山でキノコを見ながら知識を身に付けたのではなく、本や写真やインターネットからの知識でモノを言っているように思います。
この辺りのキノコ業者は普段インターネットで他人のブログを読んだりはしません。でも、若手のキノコ業者の一人がそのブログを見つけ、掲載内容の酷さに驚き、仲間に話したことから皆が知るようになったのです。初めのうちはあのブログを書いている人物が誰だか分らなかったのですが、キノコに強い興味を持っている人の数は知れています。しばらくすると、夜久野だということが分かってきました」
「なるほど、夜久野さんってそういうタイプの人だったのですか。まあ、とにかくお会いして話を訊かないと判断がつきませんが、梶原さんが今言われたことは頭に入れておきます。有難うございました」
二人は軽トラを駐車しておいた所まで歩いて戻り、洋介は梶原に高槻駅まで送ってもらい、心からお礼を言った後で電車に乗り込んだ。夜久野に電話してみてから動いた方が良いかとも思ったが、日陰和田を案内したキノコ業者がまだ夜久野かどうかはっきりとしたわけではなかったので、とりあえず京都に行ってみようと思ったのであった。




