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24 混迷

 春田は困っていた。振り上げた手を下す所が見つからないのだ。プライドが邪魔していてH署の同僚刑事に相談することには躊躇いがあった。夜遅くになってデスクの受話器を取り上げた。

「ああ、鹿子木さん。今、時間、何とかなりますか?」

「春田さんか。今なら仕事が一段落したところだから大丈夫ですよ」

「実は、キノコ中毒事件でちょいと手詰まりになってきたので、鹿子木さんに相談に乗ってもらいたいんですよ」

「これまでの経過から考えると、事件という線が濃くなってきたわけですよね?」

「そういうことですね。それで、明日私は非番なんで、そっちに行って相談したいんですけど、鹿子木さんはどうにかなりますか?」

「ええ、お世話になっている春田さんからの頼みとあれば、時間くらい都合付けますよ。それとですね……、ちょっと言い出し難いんですけど、神尾さんにも入ってもらうわけにはいきませんかね?」

「名探偵さんか……。こっちから正式にお願いするっていうことになると、世間体もあるからな……。今回は止めておきましょう」


 翌日の午後一時過ぎ、春田はつくば東署にやってきた。小さな会議室に鹿子木と二人で籠り、出てきたのは四時近くになっていた。春田は疲れたような表情をして東京に帰っていった。

 鹿子木はしばらくの間じっと考えていたが、やはり神尾に相談しなければ埒が明かないと思い、電話に手を伸ばした。


「はい、何だ、鹿子木さんか。一体どうされたのですか?」

「いやね、この間のキノコ中毒の件で、ちょっと困っているんですよ。午後H署の春田さんがうちの署に来ましてね。いろいろと検討してみたんですけどね……、捜査の方向性が見えてこないのです。」

「そうですか。なかなか糸口が見つけられない状況ではありますからね」

「それで、やはり神尾さんに頼るしかないかなと思って電話した次第です」

「そうですか、今夜ならそれ程忙しくありませんから、こちらに来られませんか?」

「有難うございます。それでは今夜よろしくお願い致します」


 その晩、九時過ぎに鹿子木が筑波ホビークラブにやってきた。いつものように愛は濃いめのコーヒーを淹れて鹿子木に勧めた。

 鹿子木は愛にお礼を言って一口飲むと直ぐに状況説明を始めた。

「それでは今回のキノコ中毒事件、いや、まだ事件と完全に決まったわけではないですが、事故の可能性は著しく低いと考えているので、ここでは事件、つまり殺人だと仮定して考えてみたいのです。先ず動機から考えて犯人の可能性が否定できない人物を挙げてみたいと思います。誰が一番怪しいかという観点ではなく、キノコに触れることができた人物を時系列的に挙げてみます」

 最初にクロハツ、あるいはニセクロハツに触ったと考えられる、キノコ業者の篠崎隆文については簡単に確認し合った後、パーティーの調理をいつも担当させられていた野田慎一の話に移った。


「野田は聡催パーティーのための調理に必要な材料費は実費だけ聡一郎から出してもらえたんですが、調理人としての労賃はパーティー1回につき五千円だけしか貰えなかったそうです。業務とは関係ないパーティーですから残業代も付かないので、病院の調理室の人間に手伝ってもらうわけにもいかず、仕方なく日陰和田から貰った金でアルバイトの大学院生、杉本(すぎもと)大夢(だいむ)を雇っていたのだそうです。野田が言うには、確かに日陰和田のやり方には怒りを覚えていたが、日陰和田は将来あの病院の院長か理事長になるのは間違いないので、我慢するしかないと思っていたのだそうです」

「パーティーに出されたキノコ汁とキノコのバター炒めは残っていないのですか?」

「残念ながら、パーティーがお開きになった直後は日陰和田もすこぶる元気だったし、他の人たちも特別変わったこともなかったので、さっさと会場を片付け、食器や調理器具全てを綺麗に洗ってから帰宅したと言っていました」

「そうですか。どこに毒キノコが入っていたかはもう分からないということですね」

「まあ、そういうことですね」

「本当に手掛りが残っていないのですねー」

 神尾は大きく溜息をついた。


 続いてあの病院で働く同僚でもある深町正人と神保恭平の二人について検討したが、新たな方向性は出て来なかった。

「その他に、キノコに触れることができた人物はいたのでしょうかね?」

「キノコに触れたかどうかは別にすると、あの病院の元患者と元患者の家族にも動機があったと考えられます。ただし、どちらも既に捜査済で、二人のアリバイは成立しているんです」

 鹿子木は掻い摘んで合崎敏夫と三田村清孝の捜査結果を洋介に話した。

「そうだったんですか。その他の容疑者はもういないのですか?」

「今の所、リストアップされているのは今お話した人物だけです。ただし、日陰和田のやり方を快く思っていなかった人間は相当大勢いるようですから、まだ候補者が出てくるかもしれませんけどね」


「つまり、沢山の人たちから悪い印象を持たれていたんでしたよね、日陰和田さんは……。私なら、そんな自分に嫌気が差してきそうですけどね。そう考えると、日陰和田が自殺したということもあり得るかもしれませんね」

 洋介が思いついたことを口に出した。

「あの男が自殺するなんてちょっと考えられませんけどね」

 鹿子木は苦笑いしながらそう応えた。

「でもですね、一か八かで自分も含めた同級生医師三人のうちの誰が死んでもいいや、というような考え方で、日陰和田がキノコ汁にニセクロハツを入れたという線もないとは言えないような気がしますけれどね……」

「いや、そんなこともあり得ないと思っていますよ」

 洋介の疑念も頭から否定した鹿子木であった。


 しばらく沈黙が続いた後、鹿子木が口を開いた。

「やはり、捜査は手詰まり状態に陥ってきているということになりますね、何か良い手は打てないですかね?」

「日陰和田さんの自宅の捜査で、今話に出たこと以外に何か見つからなかったのですか?」

「うーん、これと言って手掛かりになりそうなことは見つかっていません。あっ、そうだ。未解決のことがあったんだ。日陰和田のパソコンの捜査で、ほとんどの文書は開いて読むことができたんですが、いろいろとパスワードを変えて開こうとしたものの、どうしても開けなかった文書がまだあったんです。警視庁のIT専門部署に依頼すれば簡単に解読してくれるのでしょうが、まだ事件にもなっていないので頼むことが(はばか)られるのです」

「それは、日陰和田さんにとって、最も秘密にしておきたい内容が書かれているということかもしれないわけですよね」

「まあ、そうでしょうね。H署でも鋭意パスワードを探しているんですが、まだ見つけられないのです」


「パスワード探しをされておられる方は、ITに詳しい刑事さんなのでしたよね。もしかしたら、知識のある人の盲点になるような簡単な文字が用いられているかもしれませんね。私がいくつかの候補の文字を考えたら、春田さんのところで試していただけますでしょうか?」

「もちろん、試すくらいは簡単ですが、正解を見つけるのは簡単じゃないと思いますけど」

「そうかもしれませんが、一度やらせていただきたいのです」

「分かりました。神尾さんから候補文字列を提案していただいたら、春田さんの所で試してもらえるようにお願いしておきます」

「有難うございます。よろしくお願いします」

 結局、ほとんど進展も見られずに鹿子木は静かに帰っていった。


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