10.神保医師も
その翌日、H署の取調室では春田と神保恭平とが向かい合って座っていた。
「神保先生、お忙しい所、申し訳ありません。今回のキノコ中毒の真相がなかなか見えてきませんので、我々も少し困っておりましてね。皆さまに何度もお話をお訊きしている状況です。ご協力の程よろしくお願いします」
「はい、もちろんです。高校からの友達である聡一郎が亡くなったのですから、我々としても一刻も早く今回のことがはっきりすれば良いと思っております」
「それは有難うございます。早速ですが、神保先生は日陰和田病院の後継者候補に挙げられていたそうですね?」
「いや、そんな話、私は全く知りませんでした。あの病院の後継者でしたら、亡くなった聡一郎がいましたし、彼の弟も大変優秀な医者ですから、私などの出る幕はありません」
「おや、そうなんですか? 病院関係者の話では、神保先生が後継者の一番手だということでしたがね」
「ええっ、一体誰がそんなことを言っているのですか?」
「いや、捜査情報ですんでね、お教えするわけにはいきませんけど、複数の方から聞いた情報ですよ。何故、神保先生はご存知ないんでしょうかね……。神保先生は医者になるのに相当苦労されたらしいですね。あの病院の理事長になれたら素晴らしいのではありませんか。理事長から何も言われていないのですか?」
「理事長が私にそんな話をされる訳がないじゃないですか」
神保はやや怒ったような声で応えた。
「まあまあ、怒らないでくださいよ。ところで、あのパーティーの最後に日陰和田先生が、あなたと深町先生との三人だけで食べようとした特別なキノコ汁のことなんですけどね。神保先生はあの料理を食べる前の段階、例えば、調理している段階などでキノコ汁の傍におられたなんてことはないのでしょうかね?」
「あのキノコ汁は皆には内緒で聡一郎が出してきたのです。私が事前に特別なキノコ汁の存在を知ることなんて全く無理な話ですよ。食べる直前に聡一郎が説明してくれるまで、全く知りませんでした」
「そうなんですかね。ところで、あの特別なキノコ汁をあなたは食べられたのですよね?」
「はい、私と聡一郎は大変美味しくいただきました」
「ただし、神保先生が食べたキノコ汁は日陰和田先生が食べたキノコ汁とはお椀の種類が異なっていたんですよね。それはご存知でしたか?」
「私は気付いていなかったんですけど、後から正人に聞きました。私と正人に勧めてくれたキノコ汁が入ったお椀と聡一郎が食べたお椀とは違っていたそうですね。どちらにしても聡一郎が勧めてくれたお椀を受け取って、それを食べただけですよ。私や正人にお椀の選択権はなかったんです」
「そうですか……。神保先生と深町先生は同じタイプのお椀を勧められ、神保先生、あなたは食べられた。ところが、深町先生はお食べにならなかったのですよね?」
「はい。でも正人はいつも変わったキノコは食べないようにしていると言っていましたので、特別おかしなこととは思っていません」
「そうですか……。それから、神保先生は日陰和田先生が発症してからずっと彼を治療したのでしたね」
「はい、あの病院の医師としては当然の成り行きだと思いますけど」
「それで、どの段階でキノコ中毒を疑ったのですか?」
「聡一郎が午前中の診療を終えた後で体調がおかしくなったんです。それで、正人に電話して症状を話すと、彼からキノコ中毒かもしれないとアドバイスがあったのです」
「電話で症状を聞いただけでですか?」
「はい、そうです。正人は前の晩のあのキノコ汁が随分と気になっていたようです。それで、彼が朝のうちに調べておいてくれたニセクロハツ中毒の対処法をメールで送ってくれましたので、それを参考に一所懸命治療したのです」
「深町先生は随分と素早く対応されたのですね。まるで、発症する前からああなることが分かっていたみたいに思えますね」
「正人は本当に頭が良くて、冷静なのです。だから聡一郎の事を心配して予め対応してくれていたのだと思います」
「それなら良いのですがね……。話を変えますが、日陰和田先生と神保先生があの特別なキノコ汁を食べたのですよね、お椀の違いはありましたが。それで、日陰和田先生だけが亡くなった。神保先生には中毒症状は全く現れなかったのですね?」
「はい、食べた翌日も私は快調でした」
「何故、日陰和田先生だけが発症したのでしょうね? 同じようなものを食べたというのに」
「私には分かりません」
「日陰和田先生が食べたキノコ汁だけに特別なことが起こったとかいうことはありませんでしたか?」
「さあ、パーティー会場でのことですので、ずっと聡一郎が食べたキノコ汁だけを観察している訳にはいきませんから……」
「そうですか……」
春田はやや落胆したような声で言った。
神保の取り調べが終わると、再び深町がH署に呼び出され、ほとんど前日と同じ内容の尋問を受けた。ようやく解放された深町は、警察の自分に対する疑いの深さを思い知らされた。




