極夜の城。
城の主である澪姫に道化が見とれたのも無理はありません。
透き通る様な白い肌は、ただでさえ儚い澪姫の存在感をさらに朧にし、虚な瞳は、夢か現実か分からなくさせます。
茫然自失とはまさにこの事でありました。
我を忘れた道化が、魂を抜かれたように一歩踏み出すと、ピシャリと制する声がとんできました。
わらわの主様が何用かと訊いておるのじゃ!
応えよ!!
どこから現れたのか、気づけば澪姫と道化の間には、一人の少女が立ちはだかっていました。
その声にハッと我を取り戻した道化は、慌てて片膝をつき、頭を垂れました。
傍若無人な振る舞いを御許し下さい月下美人の姫君。
私は旅の道化。故あって各地を彷徨い歩く語り手でございます。
道化の口上を聞いてか聞かずか。
星空を見上げた澪姫の虚ろな翠の瞳には満月が映り込みました。
そして、それが合図であるかの様に立ちはだかっていた少女は煙の様にきえていたのです。
いえ、痕跡が残る分、煙の方がましでしょう。
少女は、影も形も無く消えていたのですから。
道化はそっと、手の甲をつねりました。
これは現実なのか。
夢を見ているのではないか。
それとも気づかぬ間に異界の門をくぐり抜けてしまったのか、と。
痛覚が現実である事を道化に告げますが、現実味は薄れていくばかりです。
御安心下さい。
ここは異界でも無ければ、夢でもありません。
今度は背後から飛んできた声にギクリとします。
まるで心を読まれたかのような。
この様な出来事が、更に現実味を奪って行くのです。
道化は失礼の無いように、しかし警戒心を引き上げ、通路の端に身体を寄せました。
退路は塞がれますが、これならば視界に両方の人物を捉える事が出来ます。
向かって左手に澪姫、そして右手に声の主を確認できました。
道化の警戒を察知し、直ぐに声の主は正体を明かしました。
私は、胡蝶蘭。この城で戒律を維持しています。
まぁ・・・神父の様なものです。
先程の少女は夜来香。澪姫のお付きの者です。
お付き・・・ですか。
得体が知れない、と道化は思いました。
神父を名乗る男は、確かに素性を語っていますが、それが真実である保証はどこにもありません。
今は跡形もない夜来香という少女も、この男が見せた幻覚なのかも知れないのです。
するとまた不思議な事が起こりました。
警戒していた筈の道化の真横に、またもや少女が現れたのです。
現れたのか、最初から其処にいたのか。
道化はそれすら自信を持って言えない始末です。
ふはははは!胡蝶蘭もライシャンもそこまでにしておくのだ。
道化の顔が真っ青になっているのだぞ?
カラコロと、鈴の音のように澪姫の笑い声が響きます。
現実味の無い美しさは相変わらずですが、虚ろな瞳には光が宿り、豊かな表現の変化を見せるのです。
ライシャンは道化の顔を覗き込むと目を細めて微笑みました。
お主、中々見所があるのじゃ。
常人ならとっくに腰を抜かすか、泡を吹いて倒れているところじゃぞ?
道化はそこで初めて気付きました。
ライシャンの頭部にぴんと立つ、三角形の耳を。
まさか、と思い背中側を覗き込むと、やはりあるではありませんか、ふさふさの金色の尾っぽが。
思わず道化は声を漏らします。
じゅ、獣人・・・?は、初めて見ました・・・。
獣人とな?わらわをその様な半端者と一緒にするでない!
わらわは誇り高き・・・・。
そこまで言ってライシャンは言葉を止めます。
口はパクパクと動きますが、肝心の声が出ていません。
続く口上を考えているのでしょうか?
道化殿、ライシャンは半妖なのですよ?
これ!胡蝶蘭!!肝心なところを横取りするでない!!
そんな何処にでもありそうな・・・半妖と神父である事を除けば、ですが・・・二人のやりとりを見て、道化の体からみるみる力が抜けていきます。
どこまでが現実かは後で考えるとしても、襲われる事はなさそうだからです。
澪姫も、胡蝶蘭も、ライシャンも、無邪気に笑い、道化の来訪を歓迎している様に見えたからです。
これは、噂以上に面白そうな城です。
道化は先程までの恐怖などどこ吹く風、気を取り直していつもの笑みを顔に貼り付けると仰々しくお辞儀をしました。
お初にお目にかかります。
澪姫様。ライシャン様。胡蝶蘭様。
どうかこの道化を、この城に置いては貰えぬでしょうか?




