異変と試練。
異変は何時から起きたのでしょう?
全てが違和感だらけで、
誰もその綻びに気づきませんでした。
異変に気付いたのは、その綻びが表面化してからでした。
魔王様が、ハルノクニと断絶なさる事を表明したのです。
織姫に仇なす者は何人たりとも許さぬ。
それが、魔王様が最期に残した正式な言葉です。
そう、ハルノクニ大臣、ルイ・カサノヴァが好きになれないと言っていた女性は、何を隠そう魔王様の愛しの君、織姫様だったのです!
二人にどの様な確執があったか、それは分かり兼ねます。
しかし魔王様には、愛しの君に敵意を持っている者がいる、その事実が重要だったのです。
こうして、魔王様はハルノクニを去りました。
ハルノクニは一段と冷え込み、花吹雪の代わりに雪が降るようになりました。
時同じくして、ルイ・カサノヴァは邪神の下に着くことになります。
道化の館では、メイドのラトリーが旅支度をしておりました。
ナギナークがその様子を見ていれば、手を叩いて喜んだ事でしょう。
ラトリーはメイドを辞め、館を出て行くと涙目で道化に告げました。
しかし、道化はラトリーを引き止めはしませんでした。
ラトリーの求める幸せを、道化は与えることが出来ないと思ったからです。
年が、時間が、価値観が。
ラトリーを愛しの君に出来ない理由を幾らでもあります。
問題は、その理由を覆すだけの覚悟がない事なのです。
近くでパンドラやラトリーを見ていた分、半端な覚悟を持って接する事を道化は良しとしませんでした。
振り向こうとしないラトリーの背中に、道化は語りかけます。
雛はいつか巣立つものです。ですが、いつでも戻ってきなさいラトリー。その時は、紅茶でも飲んでゆっくりお話ししましょう。
その言葉が届いたかどうかはわかりませんが。
ラトリーは振り向く事なく館を後にしました。
貴女はいいのですか?パンドラ。
道化はパンドラに尋ねます。
パンドラは赤い目を擦りながら、涙を溜めて道化を見上げます。
・・・応援するって、いったもん。
ーーー貴女は本当にめげませんねぇ・・・。
水の女王は、窓辺に腰掛け、白と灰色に姿を変えた街を見下ろしていました。
背後に立つ道化の気配に気付き、振り向きもせず、言葉を漏らす。
妾は、冷酷なのかも知れん・・。
ーーと言いますと?
妾は簡単に絆を切れるような人間なのじゃ。
妾と意見が合わぬ。それだけの理由で、絶縁を言い渡すような冷酷な人間なのじゃ。
スパイダーとの事を言っているのでしょうか。
何があったのか、今では知る術がありません。
邪神ナギナークの力を持ってすれば、或いは分かるかもしれませんが、今は到底不可能に思えます。
道化は言葉を選びながら、返しました。
冷静な者なら必要性を訴え、冷酷な者なら正当性を訴えるものです。
相手を想い、自分の選択を悔いるなど、甘いと思いますよ、水の女王。
水の女王は、どこか納得いかない顔付きで立ち上がると、気を紛らわすために街を散歩することにしました。
道化はこの国に来てからそうしてるように、水の女王の少し後ろをついて歩くのでした。
剣士スパイダーは一人街の酒場で、花の女王の・・・いえ、水の女王の身を案じていました。
女王の身を案じて、スパイダーは身を引いたつもりでした。
しかしそれは、水の女王を一層孤立に追い詰めただけなのではないだろうか・・・と。
街を棄て、立入禁止区域にしようとする程、水の女王は精神的に追い詰められていました。
そこまで内情を知っていながら、側にいる事を何故選べなかったか・・・と。
こんなお互い、悔いの残る終わり方で良かったのか・・・。
スパイダーが呟くとゆらりと影が揺れました。
影からニュルリと這い出てきたのは、やはり邪神ナギナークです。
良かったんだよ。お互い悪かったんだから。
過去を見とおす事が出来るナギナークならば、何があったのか言葉通りお見通しなのでしょう。
しかし、過去を見る事が出来ても、未来を見る事は出来ません。
まさか、街の酒場で剣士スパイダーと水の女王がバッタリ出くわすなど流石の邪神にも予想外の事が起きたのです。
何を言っているスパイダー。妾が悪い。それで全て解決じゃ。
いや、女王は全てを一人で背負いすぎる。たまには甘えろよ。
それでも妾が悪い事には変わりない。
それを言うなら、俺だって悪い。最後まで愛を貫けなかった・・・。
二人のやりとりに、誰も口を挟めません。
事情を知らない道化も
事情をしる筈の邪神も。
もう一度付き合ったらどうじゃ?
口を挟んだのは、いつの間にかスパイダーの横に座っていた、黒いローブを羽織った、恐らくは男。
その声は少年のようにも、青年のようにも聞こえ、酒場の灯りが照らしているはずなのに、顔には陰が差していました。
ーーー風・・・。
誰かが呟きます。
或いは全員が、呟いていたのかもしれません。
誰じゃ、それは。
儂の名はヴァニタス。
ただの呑んだくれじゃよ。
愛が最大値で無ければ恋人になれないなど誰が決めたんじゃ?
思っていたのと違うから別れる、では、いつまで経っても愛など育たぬぞ?
その言葉に、道化は深く頷き、スパイダーは決意を固めたようでした。
水の女王が、どれほど俺を傷つけても構わない。愛してるんだ。
ーーもう一度、オレを信じて、交際してくれないか?
その言葉を皮切りに、酒場を光が包みました。
余りの眩さに誰も目を開けていられません。
数秒の後、恐る恐る目を開けると、
そこは真っ白な空間でした。
どこまでも続く白い大地、白い空・・・。
先程まであった喧騒は消え失せ、変わりに静寂が辺りを支配します。
その場に立っていたのは五人だけ。
道化。
ヴァニタス。
水の女王。
スパイダー。
そしてナギナークの姿は完全になくなり、魔王様が代わりに立っていたのです。
喜べ。女王。スパイダー。
試練はまだ、終わっておらん。




