「フローラル・ニダウのリコちゃんが見たある日のキケール商店街の人たち」<エンドリア物語外伝27>
エンドリアの王都ニダウ。
小さな国の小さな王都。高い建物は王宮だけ。
穏やかで平和なニダウ。
メインストリートのアロ通りの裏通りにあるキケール商店街。
そこにあたしが働いている花屋、フローラル・ニダウがある。
花は大好き、店長夫妻も優しいから、ニダウで働くのは楽しい。
たったひとつの憂鬱をのぞいて。
「リコちゃん、今日これが入荷したんだけれど、まだ外には出さないでね」
開店の準備をしているあたしに奥さんが言った。
「この花は日光を当てた方がよくありませんでしたか?」
「そうなのだけれど…」
そういって、奥さんは斜め前のお店を見た。
看板には”桃海亭”と書かれている。
古魔法道具店で、あたしの唯一の憂鬱の種。
1年ほど前に店主が変わって、店も問題店へと変わった。
「水曜日だからベケレッチョが来るかもしれないでしょ」
「あ、そうでした。あれ、いつまで続くんでしょう」
1ヶ月ほど前から水曜日の朝8時、黒い包帯を全身に巻いた一団がやってきて『ベケレッチョ、ベケレッチョ』と叫びながら、桃海亭の前でクネクネした踊りを1時間ほど披露している。
桃海亭に張り付くように踊るので、通行人の邪魔にはならないけれど、30人近くいるので、かけ声で耳が痛くなる。
「二ダウ警備隊も注意してくれているのだけれど、1時間だけとなると力ずくで排除するのは難しいみたいなの」
最初に来た時に、ウィルが真ん中で踊っているリーダーらしき人に『なぜ、ここで踊っているのですか?』と聞いた。そうしたら『世界に闇をもたらす者、ムー・ペトリを呪殺する』と答えた。『呪殺はやってくれていいです。ただ、ここでやると商店街にくるお客さんや店の方に迷惑をかけます。他の場所でしてください』と言ったのだけれど『近くでやらないと効かないのだ』と言って、毎週水曜日にやってくる。
本物の呪いなのか、あたしたちにはわからないから、花が枯れないように、ベケレッチョ達が帰るまでは店の外には出さないようにしている。
「やっぱり、来たわ」
ため息混じりで奥さんが言った。
「今日はいつもより数が多いみたいですね」
ざっと数えただけでも50人をこえそうだ。
全員がお揃いの黒い包帯を巻いている。目と口の部分だけでているので、誰なのかわからない。
桃海亭を壁に張り付くように並ぶと「ベケレッチョ」と叫ぶとクネクネ踊り始めた。
「ベケレッチョ、ベケレッチョ」
「耳が痛くなるわ」
隣にいる奥さんの声がかき消されるほどの音量。
「ベケレッチョ、ベケレッチョ」
桃海亭の扉が、バンと開いた。
ウィルだと思ったのに、リーダーらしき人に駆け寄っていたのはシュデルだった。
いつもは襟足で結ばれている長い髪が、バラバラに散って、ローブの袖と裾が破れている。
「本気でやっているんですか!」
ものすごい勢いで怒鳴った。
「全然きいていません。もう1ヶ月ですよ!」
「ベケレッチョ、ベケレッチョ」
「まじめに呪いをかけるつもりがないんですか!」
シュデルの目が据わっている。
温厚で通っているシュデルがあの目をするの理由はひとつしかない。
「ベケレッチョ、ベケレッチョ」
「そっちがその気なら、僕が本物の呪いを見せてあげましょうか!」
踊りが止まった。
リーダーの人が恐る恐るという感じで言った。
「あのですね、呪殺というのは、効く場合と効かない場合がありまして」
「効かないですって!寝言を言っているんですか!効くと思ったから1ヶ月もうるさいのを我慢していたのに!」
「ムー・ペトリを殺して欲しかったので?」
「あの化け物を呪いで殺せるなんて思っていません!せめて、骨折、いやかすり傷でもしてくれて、それで自分の行為を反省してくれれば、こんなことにならなかったのに!」
シュデルがリーダーの人の胸のあたりの包帯を鷲掴みにして、顔を近づけた。
「呪えないなら、あなた達に価値はない!」
ウィルが扉から飛び出してきた。
「すみません。ちょっと、気が立っていて。どうぞ、遠慮なくやっていください」
後ろからシュデルを羽交い締めにして、リーダーの人から引き離した。
「放してください、店長!」
「この人達には関係ないだろう。遠慮なく呪ってもらえばいい。もしかしたら、一億分の一以下かもしれないが、ムーに何か起こる可能性もあるだろう」
「ないに決まっています」
「とにかく、店に戻って」
店の前にいるウィルの頭の上を真っ赤なものが飛び越した。
「お散歩、行ってくるしゅ」
直径1メートルほどの巨大な真っ赤な花の上にムーが座っていた。
花には下から百本をこえる細い足が出ていて、ゴソゴソとうごめていた。
「待て、話が途中だ!」
「逃げるんですか!」
「逃げるしゅ!」
真っ赤な花が走り始めた。結構早い。
「来い、アニエス」
シュデルが右手を挙げた。
一斉に通りから人が逃げ出した。
残っているのはウィルとシュデルとベケレッチョの人達と通りを逃げているムーだけ。
銀の指輪がシュデルの指にはまった。
「やめるんだ!」
「やれ!」
銀の指輪から銀の光がムーに向かって走った。
閃光で一瞬何も見えなくなった。
「ムー!」
赤い花は止まっていた。
花弁が一枚だけ巨大化して、ムーを包み込むように守っていた。
「ゾンビ使い、ボクしゃんを殺す気しゅ」
赤い花が動き出した。向きを変え、桃海亭に高速で走ってくる。
「誰か、手伝え!」
ウィルが店の中に声を掛けると、細い鎖が飛び出してきて、暴れるシュデルを巻き上げた。
「モルデ、僕を放せ!」
「頭を冷やせ」
鎖に巻かれたシュデルを引きずって、ウィルが店の中に入った。ムーが到着する寸前に扉が閉まった。
「ちぃ、逃げられたしゅ」
店の前に戻ってきたムーが、不満そうに店を見た。
そして、残っているベケレッチョの人たちを見つけた。
「いいことを考えたしゅ。シュデルを呪殺するしゅ」
そういうと、何かを唱えると片手をベケレッチョの人たちに振り下ろした。
「ケベレッチョ、ケベレッチョ」
2時間経っても踊り続けている人達を見に、観光客だけでなく、キケール商店街の店の人も集まっている。
「なかなか終わりませんね」
「あの人達、泣いていない?」
奥さんが指摘したように、ベケレッチョの人たちは涙を流している。
「そりゃ、泣くだろう」
肉屋のモールさんが腕組みをしている。
「強制的に踊らせているんだろうからな」
その魔法をかけたムーは『間違ったしゅ~』と言い残して、花に乗ってどこかに行ってしまった。
「あの呪文、効くのかしら」
奥さんが首をかしげている。
「ベケレッチョ、ケベレッチョ。最初の2文字が入れ替わっているだけだから、なんとかなるんじゃないか」
そう答えたのは靴屋のデメドさん。
「もしかして、ムーはベケレッチョ、シュデルはケベレッチョで効くのかも」
パン屋のソルファさんが言った。
「最初のベケレッチョも効いたようには見えなかったがなあ」
「毎日元気にペロペロキャンディを食べながら、歩いていたからなあ」
顔を見合わせたデメドさんとモールさんが笑った。
「そんなこと言ったら可哀想です。毎週、一生懸命踊っていたのに」
そう言っていた奥さんも笑いをかみ殺している。
桃海亭の扉が開いて、ウィルが何か言っている。
でも「ケベレッチョ」がうるさくて聞こえない。
デメドさんが手で招くと、あたしたちのところまでやってきた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「シュデルくん、大丈夫?」
奥さんが聞いた。
「ようやく落ち着きました。いま、部屋で道具達に見張らせています」
「何があったんだい」と、肉屋のモールさん。
「ムーが『ベケレッチョがうるさいしゅ、お散歩に行くしゅ』と赤い花の異次元召喚獣を呼んだんです」
「さっきのあれかい?」と、靴屋のデメドさん。
「はい、その時に道具を3つほど壊してしまって」
あたしの口から「ひぇ!」と変な声が出た。他の人達もすごく驚いたみたいで、あたしの変な悲鳴なんか気にもとめなかった。
ムーが道具に何かしたのは予想がついていたけれど、3つも壊したというのは予想をこえた惨状だ。
「そりゃ、ひどい」
「シュデルくん、怒ったでしょう」
「よく店が壊れなかったな」
ウィルが困ったような顔をした。
「怒ったシュデルがムーにつかみかかったんですが、さっきの赤い花の召喚獣が足でシュデルを引っかいて」
「それで、ローブが破けていたんだ」
デメドさんがうんうんとうなずいている。
「騒がせて申し訳ありません」
深々と頭を下げたウィルの肩をたたいた男の人がいた。
ニダウ警備隊隊長のアーロンさん。
「うるさいと苦情が入った。予定より1時間も過ぎている。何があったんだ」
そこでウィルは後ろを振り向いた。まだ、ケベレッチョが踊っていることに気がついたようだ。
「あれ、なんでいるんだろう?」
アーロンさんが踊っている群のリーダーの人に近づいた。
「踊りをやめたまえ。商店街が店を開けなくて困っている」
「ケベレッチョ、ケベレッチョ」
「話は後で聞く。とにかく、踊りをやめなさい」
「ケベレッチョ、ケベレッチョ」
「君たちは…」
そこで、デメドさんがアーロンさんの肩をたたいた。
「踊りをやめられないんだよ、この人たちは」
「やめられない?なぜだ」
「さっき、ムーが魔法をかけて」
「ムー・ペトリが魔法をかける理由がないだろう」
「『間違ったしゅ~』と言って逃げていった」
「……あのくそガキ」
ウィルがあわてて頭を下げた。
「すみません」
「目を離すなと言っているだろうが!」
「すみません」
「今回、ウィルくんは悪くないのよ」
奥さんがウィルをかばった。
「ムーが道具を3つも壊して、シュデルが錯乱していたんだ。それをとめていたんだよ」
デメドさんもかばった。
「3つ!」
アーロンさんも驚いた。
「なるほど、そういうことか。先ほど、観光客から桃海亭から白い光線が放たれたという目撃証言があった。あれはアニエスの指輪だな?」
言われてあたしは思い出した。
シュデルの影響下にある道具のほとんどは桃海亭から出すのが禁止されている。でも、キケール商店街の通りは桃海亭の店の中と同じ扱いで、使用することが認められている。だから、ムーと通りで喧嘩する時に使っている。
キケール商店街の通りの外に持ち出すことは、魔法協会の許可を取らないといけないみたい。
でも、キケール商店街の通りでも使っていけない道具がいくつかある。
そのひとつが【アニエスの指輪】
強力な破壊光線はキケール商店街から外にでて、町や王宮を壊すおそれがあるから。
さっきはムーの花びらが止めたから被害がでなかった。ムーがシュデルの為にとめてくれた……ってことはないと思う。だって、ムーだもの。
「シュデルがアニエスの指輪を使ったんだな?」
アーロンさんが、あたし達を見回した。
「オレはシュデルを止めるのに必死で気がつきませんでした」
「3つも壊されたからなあ。ありゃ、本気で怒っていたな」
「シュデルくんがすごく暴れて、ウィルくんが羽交い締めにしていたのよ」
「ウィルの上をムーが飛んで出て…」
「そうだ、大変なの。ムーが召喚獣に乗って町に出て行ってしまったよ」
「なに!」
ソルファさんの言葉に、アーロンさんの顔色が変わった。
「どんな召喚獣だ!」
「ありゃ、異次元召喚獣だ!」
「見たこともない奇怪な形状をしていたよ」
「足は百本以上あったな」
「血のように真っ赤だったわ」
デメドさんと奥さんとモールさんとソルファの絶妙なチームワークにあたしは感心した。
嘘は言っていないけれど、アーロンさんの頭の中の召喚獣は、かなり怖いイメージになっていると思う。
ムーの乗っていた赤い花は、足が多くて、ちょっと気持ち悪かったけれど怖くなんてなかった。
「どっちに行った」
「あっちよ」
「あっちだ」
4人ともムーが走っていった逆方向を指した。
「ムーと召喚獣の確保が先にする」
アーロンさんは部下に命令して、キケール商店街の外に向かって走っていった。
「ありがとうございます」
ウィルが4人に深々と頭を下げた。
「今回はやっちまったからしょうがないが、気をつけるように言っておけよ」
「シュデルくんも危険だし」
「指輪は光線が外に出るからなあ」
「シュデルくんのことだから、正気に戻ったら落ち込むと思うから、ちゃんとフォローしてあげてね」
「ご迷惑ばかりおかけして……」
そこでウィルがハッとした。
「あのムーは?」
「召喚獣に乗ってあっちに走っていったわ」
奥さんも今度は正しい方向を指した。
「ムーのやつ、2時間もどこにいっているんだ」
ウィルの眉間に縦シワがよっている。
不幸を呼ぶウィルには関わりたくないのだけれど、「ケベレッチョ、ケベレッチョ」がうるさすぎて耳が痛い。このままお店を開いても、お客が来てくれない。
あたしは〔奥さん〕に、ここ大事、ウィルではなく〔奥さん〕に言った。
「あの今日から城門の外の広場で手作りお菓子フェスティバルが開かれています」
「それで召喚獣を呼んだのか!」
ウィルが反応したけれど聞こえなかった振りをした。
関係ない、関係ない。いまの言葉は、あたしとは全然関係ない。
「城門まで歩きたくなかったのね」
奥さんがあきれている。
たしかに城門までは少し歩くし、ムーの短い足だとちょっと大変かも。
「ちょっと、連れ戻してきます」
ウィルが駆けだした。
ものすごい勢いでキケール商店街を飛び出していった。
「そろそろ店を開けるか」
デメドさんが戻っていった。
「そうするか」
「あ、大変、お客さんが待っている」
「リコちゃん、私達も戻りましょう」
奥さんについて店に戻った。
「ケベレッチョ、ケベレッチョ」
ウィルが早く戻ってくるといいなと思った。
「あら、戻ってきたみたいね」
30分ほどでウィルがムーを連れて戻ってきた。
真っ赤な花が桃海亭の前にとまり、花から2人が降りた。ムーを抱えて走るより早いかもしれないけど、普通は乗って帰ってこないと思う。
ウィルに言われてムーは花をすぐに消すと、ケベレッチョの人達に魔法をかけ直した。
「レレベッチョ、レレベッチョ」
ちょっと違っていた。
「困ったしゅ、うまくいかないしゅ」
真剣な表情をしているけれど、上着のポケットからはお菓子が溢れていた。ウィルに捕まるまで、お菓子フェスティバルにいたのはバレバレ。
「早く止めろ!」
ウィルに怒鳴られて、再び魔法をかけ直した。
「リロベッチャ、リロベッチャ」
「グフッ!」
血が飛び散った。
隣に立っていたウィルが、血を吐いて倒れた。
「ウィルくん!」
奥さんが飛び出した。
「しっかりしろ」
「呪文をやめさせろ!」
周りは大騒ぎになったのに、ムーは「よいしょ」とポシェットからメモと鉛筆を出すとメモに何かを書き始めた。
「何でもいい、叫んでいる言葉を変えるんだ!」
デメドさんが怒鳴っているのに、まるで聞こえてないかのように、一生懸命メモを書いている。
「一度、天国に行ってみるか?」
アーロンさんがムーの首に大剣を突きつけた。
召喚獣の赤い花を追いかけてきたみたい。
肩で息をしている。
「呪いは構成が難しいしゅ!いま書いておかないと、あとで忘れるしゅ!」
「それはウィルを呪い殺すためか?」
「ええと、しゅ…」
「やれ!」
渋々メモと鉛筆をポシェットにしまうと、何やらつぶやいて手を振った。
「エロベッチャ、エロベッチャ」
なんか、どんどんひどくなる。
でも、ウィルの血はとまったみたいで、デメドさんが抱え起こすと薄目を開けた。
「大丈夫か!」
かすかにうなずいた。
「待っていろ!」
肉屋のモールさんが走り出した。
パン屋のソフィアさんも隣にある自分の店に飛び込んだ。
「たいへん、たいへん」
奥さんも店に戻ってきた。奥にあるキッチンに行くとカップにお湯を注いで、そのカップを持って戻っていった。
「これを飲んで。血を増やす効果のあるハーブティ」
そのまえに。
「これを。チーズを練りこんである白パン。柔らかいから食べやすいと思うの」
大切なことが。
「ほら、お前の好きなボイルソーセージだ。たくさん食え」
あると思うんだけれど。
「早くウィルを見てあげてくれ」
ハアハア言いながら、診療所のコンティ医師を引っ張ってきたのは商店会会長のワゴナーさん。
周りから一斉の拍手がおこった。
あたしも思わず拍手した。
いつも商店街の為に頑張ってくれて、緊急時には頼りになる。
会長、ブラボー!!って、感じ。
感動の瞬間だったのに。
それなのに。
「もごもご」
ウィルはソーセージとパンを食べていた。手にはハーブティ。
そして、食べ終わるとまた地面に倒れた。
意識を失ったウィルをコンティ医師が診てくれた。
「出血は肺から。すでに血が止まっているの治療の必要なし。完治まで約1ヶ月。貧血があるから、肉と牛乳でも与えておけ」
「ケドヅリュ、ケドヅリュ」
「どんどん、ひどくなるな」
デメドさんが言った。
ムーが帰ってきてから1時間が経とうとしているのに、踊りもかけ声もとまらない。かけ声なんて最初の「ベケレッチョ」と合っているのが1字だけになってしまった。
「おかしいしゅ」
ムーはメモ帳に何かを書きながら、試している。
踊り始めて4時間弱。
すでに8人が力つきて倒れた。
倒れてもなお「ケドヅリュ」とつぶやきながら、手足をヒクヒクと動かしている。
「他の患者が待っているのだが」
コンティ医師が倒れた人達に水分を与えたり、倒れたときに怪我したところを手当したりしている。
「もう少しだけ待ってください。今いなくなられると緊急事態に対処できません」
アーロンさんが、渋い顔をしているコンティ医師に頼んだ。
「しかし、この様子ではいつ終わるのか」
「もう少しすれば、ウィルの目が覚めると思います」
気絶中のウィルは桃海亭の店内にいれた。
2階の寝室に移すとシュデルに気づかれるからと、店内の床に横たえてワグナーさんがついている。
「ウィルの目が覚めても事態が変わるわけではないだろう。あれは一般人だ」
「そうですが…」
ムーがまた何かをつぶやいて手を振った。
「ゲドパリュ、ゲドパリュ」
「また、間違えたしゅ」
メモに一生懸命書いている。
「ほら、ダメそうだ。見習いをひとり、こちらに来るように手配するから」
バンと音がして、桃海亭の扉が開いた。
飛び出してきたウィルは、メモを書いているムーを蹴っ飛ばした。
半円を描いて、宙を飛んだムーは、背中から地面に激突した。
そこに大股で歩み寄り、ムーの手からメモ帳をとりあげた。
「返してしゅ、返してしゅ」
ものすごく焦っている。
「アーロンさん、マッチ持っていませんか?」
「ほらよ」
いつもの調子に戻ったアーロンさんがマッチをウィルに投げた。
「やめてしゅ、お願いしゅ」
ムーが泣き出した。
「すぐに踊りをやめさせろ」
「わかったしゅ。だから、燃やさないでしゅ」
「やめさせろと言っているんだ!」
ムーが何かをつぶやいて手を振ると、踊っていた人が一斉に崩れ落ちた。体力の限界だったみたい。
ハアハアと苦しそうに息をしている。
ウィルはマッチとメモ帳をアーロンさんに投げた。
「魔法協会本部に持って行けば、金一封もらえますよ」
「呪いの呪文か?」
「今回の呪いの実験メモです。失敗したのは最初の一回だけで、オレに呪いをかけたときには解析は終わっていたはずです。そのあとは、研究を進めるためにいろいろな構造パターンを、ベケレッチョ達を使って実験していたんですよ。呪いの人体実験は基本的には認められていないので」
「このメモ帳は貴重な実験結果ということだな」
「呪いによる暗殺を請け負っている集団には、魔法協会本部より高く売れますよ」
「返してっしゅ、お願いしゅ」
ムーがアーロンさんにしがみついた。
「大事しゅ、返してしゅ」
「ウィル、やけにしつこいな」
「一応、天才ですからね、1時間も人体実験すれば相当なデータを蓄積したはずです。そいつがあれば、色んな呪いが作れるんじゃないんですか」
「大量殺戮も可能というわけか。そんな危ないデータなら、燃やすのが一番だな」
「イヤしゅ、返してしゅ」
涙をボロボロこぼしている。
「これは警備隊で処理する」
「アーロンさん、待ってくれ」
間に入ったのはワゴナーさん。
「ムーくんのやったことは悪いことだと思う。でも、先に呪いをかけたのはベケレッチョ達だ。そのメモ帳はムーくんにとっては大切なものだと思う。返してやってはくれないか?」
「しかし」
「ムーくんは頭のいい子だ。何をすればいいのか、ちゃんとわかっている」
ムーが必死にうなずいた。
「ボクしゃん、ベケレッチョにゴメンナサイいうしゅ、ゾンビ使いにもゴメンナサイいうしゅ」
「ほら、ムーくんも反省している。今回は返してやってくれないか」
「ボクしゃん、悪いことに使わないしゅ。約束するしゅ」
アーロンさんはウィルを見た。
「アーロンさんにお任せします」
しかたなさそうに、メモ帳をムーに差し出した。
「ありがとうしゅ」
うれしそうに受け取ってポシェットにしまった。そして、地面に横になって、ゼイゼイ、ハアハア言っている、ベケレッチョ達に頭を下げた。
「実験に使ってごめんなさいしゅ」
ワゴナーさんが、うんうんとうなずいている。観光客の人達も優しいまなざして、謝ったムーを見ている。
でも、ほのぼのとしているのはワゴナーさんと観光客で、アーロンさんもウィルもキケール商店街のみんなは、懐疑的な目でムーを見ている。
あたしも同じ。
ムーが良い子すぎる。
いつもだったら、ベケレッチョ達が苦しんでいるのを見て、ケケケッと笑いながら逃げていく。
「よかった、よかった」
ワゴナーさんの声に重なるように、正午を告げる鐘が鳴り響いた。
「アニエスの指輪を使ってしまい、すみませんでした」
2時過ぎにシュデルが店に謝りにきた。
「わかっているから。もう使わなければいいから、ね」
一軒一軒回って謝っている。
事情はもう知れ渡っているから、みんな、怒っていないと思う。どっちかというと、使ったシュデルの方が自己嫌悪で、どっぷり落ち込んでいる感じ。
「それから、壊れた道具はムーさんが治してくれました。傷は残りそうですが、命だけはなんとかとりとめました」
「よかったわね」
「本当にすみませんでした」
暗い顔をして、どんよりと隣の店に向かって歩いていく。
「シュデルくんも被害者なのにね」
奥さんがシュデルの背中を見送っている。
「あの」
「リコちゃん、どうかしたの?」
「おかしいと思いませんか?」
「思っていますよ。ムーくんが素直に謝る良い子のはずありません。シュデルくんの道具を治すなんて、空からスプーンが降って来ちゃいます」
「ですよね」
絶対におかしい。
「そうだ。リコちゃん」
「はい」
「手作りお菓子のフェスティバルがやっているなら、美味しそうなお菓子を何か買ってきてくれないかしら。それでお茶にしましょう」
「いいですね」
気分が一気に明るくなった。
あたしがエプロンを外すと、奥さんが銀貨1枚をくれた。
「こんなにいいんですか?」
「せっかくだもの。美味しそうなお菓子、いっぱい買ってきてね」
「はい!」
お菓子を壊さないようにバスケットを片手にもって、フェスティバル会場に行った。
ぎっしりと並んだ露天には、美味しそうなお菓子が並んでいる。どれにしようか目移りをしながら、人混みを歩いた。
「あ、ない」
声の方をみると、ぎっしり並んでいる店の一画が空いていた。地面がそこだけむき出しになっている。
隣の区画に店を開いているクッキー屋のおばさんに、声を出したらしい女の子が聞いた。
「あの、ここキャンディー・ボンですよね」
ええっーー!
あたしは内心で叫んだ。
キャンディー・ボン。シェフォビス共和国にある超有名店。
飴菓子が得意で、綺麗で美味しいキャンディを作ると本で読んだことがあった。遠い国の話だから、あたしは食べられないと諦めていたのに。
「そうだよ。ちゃんと店を出していたんだけどね」
「何かあったんですか?」
「8時の開店と同時に来た子がね、全部買い占めていったんだよ」
「全部、ひとりで買っちゃったんですか!」
女の子が泣きそうだ。
あたしも泣きたい。
キャンディー・ボンがでていると知っていたら、奥さんに言って早くに買いに来ていたのに。
「あー、もっと早くに来るんだった」
女の子があたしの気持ちを代弁した。
「来ても買えなかったって」
「えっ?」
「キャンディー・ボンだからね、開店時間には行列ができていたんだよ。そこに、足がたくさん生えた真っ赤な花に乗ってやってきたんだよ。並んでいた人は、怖がって逃げてしまったんだよ」
「それって、ピンクのチビ?」
おばさんがうなずいた。
足の生えた赤い花に乗っていたと言えば、ニダウ住人なら誰なのかわかる。
「全部買うって、言ってね。金貨を3枚出したんだよ」
「全部って、すごい量ですよね」
「それがね、ポシェットからメモ帳をとりだして、こう開いて」
おばさんがメモ帳を開くしぐさをした。
「何か呪文を唱えたんだよ。そうしたら、飴が全部そこに吸い込まれたんだよ。あれにはびっくりしたねえ」
「もう、ないんだ」
女の子がしょんぼりして帰って行く。
あたしも悲しい。
でも、ようやくムーの行動が納得できた。
推理小説なら、名探偵がこういっている。
謎は解けた。
「うひっく、どう、ぞ、好きなのを、とって、ひっく、ください」
大きな籠いっぱいに入った色とりどりのキャンディ。
超有名店、キャンディー・ボンの飴菓子。
迷惑をかけたお詫びにと、ムーが商店街に配って歩いている。
「どれにしようかな」と、奥さん。
「あたしは、この花のデザインの赤いのにします」
キャンディをあたしが取ると、ムーの目から涙がこぼれた。
「そうね、これにしようかな」
奥さんが取ったのは、大きなペロペロキャンディ。
「うぅぅーーー」
ムーの食いしばった歯から、変な声が漏れた。
もちろん、ムーは喜んで配っているわけじゃない。ムーの数歩後ろにはウィルがにらみをきかせている。
「ほら、次に行くぞ」
キャンディを一個たりとも失いたくないムーが、亀より遅い歩みでとぼとぼと歩いていく。
「色々とご迷惑をかけて、本当にすみませんでした」
謝ったウィルが、ムーの後について行く。
「まさか、メモ帳を死守していた理由が、キャンディが詰まっていたからとは思わなかったわ」
奥さんがペロペロキャンディの包みを器用に外した。
「食べるんですか!」
てっきり、ムーへの嫌がらせだと思っていた。
「もちろん、食べるわよ」
ペロリと上品になめた。
「美味しいわね、さすがキャンディー・ボン」
あたしも花形のキャンディを口に入れた。
バラの香りが微かにして、淡い甘さが口に広がっていく。
「美味しいですね」
「商店街を一周すると、ムーくんはいくつ飴を失うのかしら」
フフッと奥さんが微笑む。
「少しは反省してくれるかな」
「まさか、ムーくんだもの。でも、これでシュデルくんも少しは気持ちが楽になるかしら」
「あの」
「ベケレッチョ達のことが心配?リコちゃんがお菓子を買いに行ってくれている間に、アーロンさんがベケレッチョ達は脱水症状と擦り傷ですんだと教えてくれたわ。もう水曜日にもこないそうよ。これでもうこの件は終わったわね」
奥さんが笑顔で言った。
「その」
「ムーくんがベケレッチョにかけた呪いも、データ用の実験だからキケール商店街には影響を及ぼさないみたい。安心して大丈夫よ」
「はい、でも」
「ベケレッチョ達も被害者よね。4時間も強制的に踊らされて。でも、ベケレッチョ達のせいで、キケール商店街も騒音で商売をじゃまされから、私たちも被害者よね。でも、一番の被害者は道具を3個壊されたシュデルくんかしら」
「ですから」
「無事に解決したようで、良かったわ。あら、お客さんが来たみたい」
なめかけのキャンディを花瓶に刺すと、店頭に出ていってしまった。
キャンディー・ボンのキャンディは、色鮮やかでとってもきれい。光を受けてキラキラ輝いている。
話し相手を失ったあたしは、キャンディに向かってつぶやいた。
「今回の一番の被害者は、呪いをかけられて血を吐いたウィルだと思うんだけど」
キャンディがキラリと光った気がした。