都市機能管理区画②
すさまじい打撃音と吹き飛ばされたドアが倒れる音。順番に響いてから再び静寂が戻ってきた。
ケーナは蹴り足を戻して鞄を背負い直す。俺は思わず感嘆の息を漏らした。
「すごいね……」
「うん……こんな部屋があったなんて」
「いや俺が言ってるのは君の蹴りのことで」
「いったいどういう場所なんだろ」
「……管理区画なんだし都市の管理にかかわる部屋なんだと思うよ」
彼女のマイペースさには慣れた。ああ慣れたとも。イライラなんてしていない。本当だ。イライラはいさかいの元だし。
「都市の管理って?」
「さあ。エネルギー供給とか? 具体的なところは見てみないと何とも」
見回すその部屋は、どうやらすり鉢状の円形ホールになっているようだった。
真ん中には見覚えのある物が置かれている。ケーナがつぶやいた。
「まりもだ」
透明チューブと例の球体。だがどちらも今まで見た中では際立って大きい。その手前に黒い台座のようなものが置かれていた。
近寄ってみるとちょうど腰より少し高いくらいの台だと分かる。立って手がちょうどいい感じに乗る高さ。
ケーナがすぐさまペタペタと触れ始めるが何も起こらなかった。
仕方ないという顔をして肩をすくめた彼女は、次にチューブに腰だめの拳を一撃。悶絶。
さすがにもう慣れて、俺は特に構わずぐるりと部屋を一周した。
天井を照らすとくすんだ灰色が見えた。結構高い。十数メートルは優にあるんじゃないだろうか。
「……ん?」
ふと光の縁に何か動くものが見えた気がした。しかしそちらにライトを向けても何もない。
「気のせいかな……?」
「ケースケぇ……」
ケーナの声に振り向くと、彼女はやはり両手を腫らしてべそをかいていた。
「律儀だね君も」
「えへへ?」
「褒めてないよ」
呆れながらそちらに戻る。
そのとき少し地面につま先を引っかけた。
「っと」
フォン……
柔らかく風が抜けるような音がして、暗闇に光がともった。はっと顔を上げると壁面に四角くモニターが展開していた。
なぜすぐにモニターと分かったかというとそこに文字が表示されていたからだ。『ゲノム認証完了』それから『起動準備中……』。
「何なの?」
「え、いや、何が何だか」
慌てて見下ろすと、俺の手が例の台に触れていた。とっさに支えにしてしまったのだ。
ゲノム認証? よくわからないけど、まさか……
「管理システムを起動しました」
どこからともなく声が響く。無機質無表情な声だ。モニターの表示も変わる。
「動力機構が正常作動していません。起動の許可をいただけますか?」
「え?」
「いただけますか?」
「は、はい」
妙な圧を感じて俺はうなずく。同時に目の前の透明チューブに光がともった。
光の源はまりもだった。最初はうすらぼんやりしている程度の光。それから徐々に光量を増してはっきりした明かりになる。
チューブの上部と下部から細いケーブルが伸びてきてまりもに接続された。胎動のような微振動が一つ、あたりに広がった。
「動力機構、正常に起動しました」
幾筋もの光が壁を走って、俺は何かの気配を感じた。何かが息を吹き返したような気配。
ケーナが呆然と囁く。
「ハナンちゃんが起きた……」
俺は恐る恐る台から手を離した。何が起こったかはいまいちわからないけれど、なぜ起こったかは見当がつく。
「俺が手をついたから……?」
先ほどケーナが触っていた時には何も起こらなかった。ということはヒトに反応するということか? ゲノム認証……ヒトの文明。
「ヒトの街跡はいくつも辿ってきたけど……こんなこと初めて」
言って、ケーナはゆっくり深呼吸した。
「どうしようケースケ。この気持ち、どう表現したらいいかわかんない」
「素直に喜べばいいんじゃないかな。ああいや、俺に飛びつく以外で。歌とか」
慌てて距離を取るのだが、彼女はお構いなしに俺を抱きしめた。
だが以外にもそのやり方は優しい。
「ありがと」
「え……?」
「長年の夢だった」
鼻をすする音が聞こえた。声が震えている。
「ヒト文明について知ろうとずっと頑張ってきたけどさ、もしかしてもうだめなんじゃないかって思ってた。ホントは諦めかけてた。だからうれしくて……」
実を言うと、ケーナのその言葉はほとんど頭に入ってこなかった。それよりもケーナが泣いているのが俺には不思議だった。
元気で明るくて、深く物事を考えたりなんてしない、そんな子だと思っていた。
少なくとも俺の認識の中では、こんな風に泣く子じゃなかったのだ。
「ありがとね、ケースケ」
至近距離で見上げられて、俺は硬直した。彼女の潤んだ瞳を意識する。もしかしたら吐息も感じ取れていたかもしれない。
「き、記録」
俺はようやくのことで声を絞り出した。
「もしかしたらここに記録が残ってるかも。探ってみた方が」
ケーナは一瞬きょとんとしたがすぐにはっと表情を変えた。
「そうだった。さっそくハナンちゃんに訊いてみよう!」
調子を取り戻したその背中を見て、俺はそっと安堵の息をついた。
「ハナンちゃん、ヒト文明はなんで滅びたの? 教えて!」
「非正規のユーザーはデータベースにアクセスできません」
「なにそれひどいよハナンちゃん!」
すげなく要求を弾かれたケーナが非難の声を上げる。
俺はその横からそっと台(というよりコンソール?)に手を触れた。
「人間がいなくなった理由は、やっぱり戦争?」
「正規のユーザーを認識。データベースにアクセス中……」
俺の質問は問題なく受け入れたハナンにケーナが口を尖らせた。
「ケースケの言うことだけ聞くなんてずるい。わたしにも構ってよー」
「非正規のユーザーはデータベースにアクセスできません」
「ずーるーいー!」
駄々っ子をあくまで無視してハナンがモニターの表示を切り変えた。円形ホールの壁半分をいっぱいに使って画像や文章を映し出す。
銀河とおそらくは海底と、それからよくわからないなにか。
「人類は知識と技術の際限ない向上によって繁栄の極致に至りました。遠い空の向こうや海の底、果ては時空の壁の外にもその知の手を伸ばしていました」
「時空の壁の、外?」
「なんかすごいね」
始まった説明のスケールの大きさに若干引く。なんだ時空の壁の外って。
「外へ外へ、遠くへ遠くへと広がった知識と技術の網は、しかし一旦の終息を見ます」
「なんで?」
「非正規のユーザーにはアクセス権はありません」
「ムキー!」
「落ち着いてって」
暴れ出すケーナをなだめて俺が代わりに訊ねた。
「どうして終息したの?」
「解決していない大きな謎が宇宙よりも時空の向こうよりも身近にあったからです」
「それは?」
「人間自身です」
さらりと平坦な声でハナンは言った。しかし意味が分からない。
どういうことか聞く前に彼女はモニターに映像を映し出した。
「人間は、ゼロから人間を作り出すという目標をいまだ達成できていません。なぜなら人間の解析が不完全だからです」
それは少し意外な気がした。この空中都市を作るだけでも途方もなく高い技術力が必要なはずだ。これを達成できる文明が、例えば人工知能やそれを搭載したアンドロイドを作れないはずがない。
そう告げるとハナンはこう答えた。
「確かに人間らしいものはできました。しかしそれらは厳密には人間ではありませんでした」
ケーナと顔を見合わせる。
「それら疑似人間は本当の意味で笑いません。泣きません。争うことをしません。端的に言えば心や、それに相当する精神活動がないのです」
「ふうむ……」
「人間は改めて自分自身を研究の対象として見つめ直すことになりました。研究で分かったことは多かった。その副産物として、人間は争いを根絶する方法を得たのです」
争いを根絶する方法を得たのです。
「……え?」
俺は思わず声を漏らした。
「戦争や紛争による研究リソースへの影響は当時から問題視されていました。それを解決することでさらに研究は加速することとなりました」
「ちょ……ちょっと待った」
説明の声が止まる。
俺は慎重に口を開いた。
「一つ訊きたい。人は、戦争によって滅びたんだよな?」
「いいえ」
即答だった。あまりに早かったので、俺は戸惑った。
「いや、でも、それじゃあなんで人間がいないんだ……?」
「該当する情報はありません。しかし、入力された情報から推測するに――」
その先を聞くことはできなかった。
その前に俺はコンソールの前からはじき出されて転がっていたからだ。
直後に轟音が響いて、ようやく俺は悲鳴を上げた。