天空都市散策
ケーナはまず脇にある立札を見たようだった。
金属光沢のある板状のそれにはこう刻まれていた。
『空中隔壁都市ハナン』
次に彼女は駆け出てぐるりと街を見渡した。
秘密基地の部屋――つまり塔の最上階は街の中心に位置していて、小高い丘になっているのだけれど、緑の草木が生い茂るそこからは街が全部見渡せる。
すうぅ……と彼女がゆっくりと大きく息を吸うのが聞こえた。
「……ケースケ」
俺はそっとフェルの後ろに隠れた。少なくともそうしようとはした。
が、フェルがわずかに脇に退いたので体がはみ出る。この腐れきな粉餅め。
「ケースケっ!!」
「ぐふっ!」
飛びつかれて肺から空気が押し出された。
「ケースケケースケ、ケースケ!」
ガクガクと揺さぶられて俺は際限なく骨が砕かれていくような錯覚に陥った。
「な、なに……?」
「ハナン! ハナンだって! ハナンなんだ! ホントにハナン!」
「そ、そうだね」
「ありがと大好き! 愛してる!」
「うぐぅ……!」
強く抱きしめられて苦しい。目の前がゆっくり暗くなっていく。
本気で生命の危機を感じたあたりで、ケーナは何とか解放してくれた。
「さってさっそく準備しないと!」
元気に言って部屋の方に戻っていくケーナに、俺は何とか立ち上がって問いかけた。
「な、なんの準備……?」
彼女はくるりと振り向いて明るい声で一言だけ返してきた。
「探検!」
◆◆◆
朝の陽ざしの中、俺たちは街へと下っていった。
ご機嫌なケーナが先行し、フェルと俺はゆっくりとその後を追っていく。久方ぶりの柔らかい土が靴の裏に心地よい。
「浮遊都市……じゃなかったんだな」
塔を支柱として、キノコのかさのように広がった街がこのハナンということらしい。
「どう考えても馬鹿げた構造だよなー……」
そんな造りでは明らかに強度が足りずに壊れてそうなものなのに、そこはさすが例の本の紙質を実現した異世界の超技術といったところだろうか。
そんなことを考えているうちに先を行くケーナは街の入り口に辿り着いていた。
アーチ形のゲートと下に降りる階段がある。見下ろすと街はある程度進むと少しずつ低くなっていく構造だということが分かった。
これは本格的にキノコっぽい形だ。
「胞子とか出してやしないだろうな……」
「ハナンちゃんが増えるの? いいねそれ!」
あながち冗談でもなさそうな口調でケーナ。
「でもなんかありがたみなくない?」
「ありがたみで研究なんかしてないもん。面白ければ何でも問題ないよ」
なるほど? いや、よくわからないけど。
階段を下りて少し歩くと街の端に着く。四角く黒い建物が道に沿って規則正しく並んでいる。ケーナは早速手近の一つに駆け寄っていった。
「もしもーし。どなたかいらっしゃいますかー?」
返事はない。
彼女はドアに手を触れた。そう簡単には開かない。だが四苦八苦して開け方を見つけると、引き戸のようにスライドさせてケーナは中に入っていった。
中はまるで空き家のような雰囲気だった。家具を取り払って引っ越し前の寂しいあの空気。
あるのは蛇口と流し台のおそらくは水道関係。ガスや電気もあるかと思ったがそれらしきものは見当たらなかった。
あまりめぼしいものはないようだ。隣のケーナはガリガリとレポート作成をしていたが、すぐに終わってしまったようで何かないかとキョロキョロしている。
「……仕方ない、次行こうか」
彼女について次の建物へ。しかし結果は変わらなかった。その次も同じ。
変化があったのはさらに次の建物だ。他と違って白い外壁のものだった。
「なんだこれ?」
部屋の中で、俺は思わず声を漏らした。
目に入ったのは円柱形の大きな透明チューブとその中に浮かぶ球形の構造体だ。
見た目は何だろう、同じようなものを見たことがある。
「まりも?」
「何それ」
「ええと、筒状のガラスの水槽? に浮いてる丸いコケだかの植物っていうか……」
興味深そうに耳をピクピクさせるケーナに説明すると彼女は首を傾げた。
「それってこんなに黒いんだ?」
「いや、植物だし緑だけど……」
俺は声をしぼませた。確かにどう見ても生き物ではなさそうだった。
ケーナが透明チューブを指先でこんこんと叩く。
「うーん……」
「なんか過激なこと考えてないよね?」
俺は念のため釘を刺した。
ケーナが笑ってこちらを振り向く。
「大丈夫。ちょっと試してみるだけ」
「ちょっ……!」
ごいんッ!
透明チューブが振動し、中の球体もわずかにぶれたように見える。
俺は正直ひやりとした。なんか変なことになるんじゃないか?
だが。
「……いったぁ」
ケーナが右手を引き戻した。それだけだった。
「だ、大丈夫?」
「平気」
赤くなった拳を涙目でさする様子はそれなりにつらそうだったが、彼女は意にも介していない風に出口へと向かっていった。
「よし、次行こう」
◆◆◆
ごいんッ!
俺はその様子を眺めがら一応聞いてみた。
「それ、毎回やるの?」
「もしかしたらってこともあるかと思って」
やはり涙目で、今度は左拳を戻しながら彼女は言った。チューブと中の球体はびくともしていない。
先ほどとは違う建物の中にあったものだ。やはり白い外壁のもの。
どうやら数十軒おきに一軒の割合で置かれているらしく、中に入っては一つ一つケーナが打撃を加えていた。
「痛くない?」
「どう思う?」
「痛いと思う」
「さーて次は二連撃いってみよう」
「よしなよ」
律儀にワンツーを入れて悶絶しているケーナをしり目に俺は天井や内壁を観察してみた。
特に他の種類の建物と違いがあるわけでもない。ただ、よく見ればその表面にかすかに縞模様のような筋がはいっているようにも見える。
というより葉脈が近いか。
「……なんだろ」
考えるがわからず振り向くと。
「ケースケぇ……」
「うわっ!」
泣き顔がそこにあった。
赤く腫らした手を垂らして、ケーナはグスグスと鼻を鳴らした。
「どうしても壊せない……悔しい……」
「痛みの方じゃないんだ……っていうか壊すんだ」
よくわからない戦慄を覚えながらもとりあえず手をさすってやった。
ケーナがしみじみと言う。
「……ホント、なんなんだろうねえ」
「確かになんなの君は」
「わたしじゃなくて。そこに答えがあるのに理解できないのってすごくもどかしいよ」
ちらりと見やる先にはやはり例の球体。
「……インテリアとか?」
適当に言った俺の言葉に、ケーナはあっさりとうなずいた。
「あるかも。でも断定できるだけの根拠がないと」
根拠か。
頭を掻きながらつぶやく。
「やっぱりなんか文献やらがあるといいんだろうけどね」
「それだ!」
「え?」
身を乗り出してきたケーナに後ずさる。
「あるんじゃないかな、文献か記録! ハナンにも!」
「……そう上手いことあるもんかなー」
疑わしく振り返る。
そこにはフェルがうずくまって待っている……はずだったのだけれど。
「あれ?」
あの巨大(腐れ)きな粉餅がどこにもいなかった。