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ハナンちゃんはいずこに

 あれからいくら探しても天空都市は見つからなかった。


 塔に戻るとケーナはマットにぐったりと伏せった。


「駄目だった……それもこれもわたしが馬鹿で愚図なヘボ学者だから……」

「そこまで落ち込まなくても」


 言いながら俺は例の地図のページを開いた。


「確かにあのあたりなんだけどなあ……手がかりもないなんて」


 飛び回ったあたりを思い出すが多分間違いない。


「それとも浮遊都市だから移動してるのかな?」

「ふふふ……わたしみたいなみそっかす学者にはハナンちゃんも会いたくないんだね……」

「いい加減立ち直りなよ」


 正直そろそろ面倒くさいし。と、これは胸の内にとどめながら。


 ちらりと脇に目をやる。興味なさそうに隅の方に這っていくフェルの向こうに山積みの本が見えた。

 まああれだけ残ってるんだしまだまだチャンスはあるだろう。


「ほら、起きなって。もっと文献漁ろうよ」

「ふぁーい……」


 よろよろと起き上がってケーナ。ゾンビのような足取りで本山の前まで行くとへろりと座る。本を開いてどんよりの目でぶつぶつ音読する姿はさながら井戸の底の幽霊といったところだ。


 だからへこみすぎだよ。呆れながら俺も近くで一冊開く。


 小一時間ほど文字を目で追った後、肩の凝りを感じた俺は首を回した。上を向いたまま深呼吸する。

 天井が低いな。ふとそう思った。ちょっとした体育館ぐらいの広さがあるこの空間は、それ相応の高さもあるのだけれど、それでもまだ足りないと俺は感じた。


 だって当然だ。ここは塔なのだ。見上げて首が痛くなるほど高い塔。天井もそれに応じて高いとか吹き抜けとかでもおかしくはない気がするのにせいぜい二階建ての建物と同じくらいの高さ。


「この塔って上に行く階段とかあるの?」


 ふと気になってケーナに呼びかける。

 が。


「ハナンちゃんはわたしのこと好き……嫌い……好き……嫌い……」


 膝を抱えてレポート用紙をちぎっては後ろに放っている彼女は、こちらの声に気づきもしなかった。あーあ大事な研究成果だろうに。


 まあいいか。俺は頭をよぎった違和感を捨てて本に戻った。

 寝息のようなものが聞こえて目をやると、睡眠中のフェルが寝返りをうっているところだった。



◆◆◆



 その夜、夢を見た。


 夢の中では俺はまだ学校にいて、誰かに怒鳴られているところだった。


「あんたのせいで負けたじゃない! あそこであんたがしっかりやれば勝ててたのに!」


 多分……同じ教室の誰かなのだろう。どこかぼんやりと遠くて名前は全く思い出せないけれど。


 確かあの日は全クラス対抗の球技大会があったはずだった。バスケとバレーボールとソフトボールだったっけ。

 そこでの負けについて、俺は責められていたのだった。


 初めは別に俺のクラスもそれほど勝ちに執着してはいなかった。とはいえもちろん真剣ではあった。上手いこと運が回ってバスケとバレーボールで八クラスの頂点に立ってしまったのだった。


 そこから皆の目つきが変わった。絶対三冠を達成してやるという空気になった。俺だけがそこから取り残されていた。


 そして球技大会の最終日。俺はその時三塁ベースに立っていた。間の悪いことにだ。

 日差しは強め、風はない。クラスの奴らが固唾をのんでいるのがはっきりと分かる。


 ピッチャーが構えた。

 抜けるような気持ちのいい打球音。歓声が上がると同時、俺はホームベースに向かって駆け出した。


 その時の俺はクラスの皆と心を共にはしていなかった。正直なところ試合場の熱気に辟易としていたし、早く終わってくれと願っていた。別にスカしてたわけではない。ただただこの空気が嫌だったのだ。


 人は刺激によって簡単に冷静さを失ってしまう。それが嫌いだった。


 と、悲鳴のような声が上がった。見ると外野手がボールをホームに投げ返すところだった。


 急げ、とクラスの奴らが声を張り上げる。俺は走る足に力をこめる。

 走り抜けろ、誰かが叫んだ。俺はその声に従ってホームベースを力強く――


「……!」


 その時目に入ったのは、俺の踏み場をふさぐように置かれたキャッチャーの足だった。


 別に悪気はなかったのだろう。ただ焦って通せんぼの形になってしまっただけだ。だが何にしろそれは危険だった。


 だめだ、どうやってもぶつかってしまう、どうやっても相手の怪我は免れない!


 俺は瞬時に判断することができず――つんのめるようにして転んだ。ホームベースを踏むことはできなかった。

 顔を上げるとクラスの皆が呆然と俺を見下ろしていた。


「どうしてあそこで転べるの! みんな頑張ってたのに、台無しにして!」

「……」


 俺はヒステリックにまくしたてるそいつに説明はしなかった。

 しても言い訳にしか聞こえないことは分かっていたし、まあまあととりなしに入った奴の目にも俺へのかすかな非難が混じっていたのもある。


 もっといえば俺を糾弾したその子の目に涙が浮かんでいたのが大きいか。いや。やっぱりこれが一番しっくりくる。


 俺はみっともなく言い争うのが嫌だったのだ。


 ただ一言、ごめん、とだけ謝って教室を出た。


 屋上から見上げる空はこんな時にもかかわらず澄んでいて高かった。

 フェンス際に座り込んで寄りかかる。


 人は争わずにいられるほど賢くない。


 俺はそのことを痛いほど噛みしめながら目を閉じたのだった。



◆◆◆



 天空都市探しは思うように進まなかった。

 連日空に繰り出しているにも関わらず手がかりにすらかすらない。


「ハナンちゃーん……」


 空を行くフェルの背中で溶けているケーナを見ながら、俺は持ってきた本を開いた。あの地図の本だ。

 空振り続きの探索だけれどそれでも分かったこともある。


「絶対この辺にあるはずなんだけどな」


 塔のそば、荒野の一角だ。見上げても雲しか見えないが、きっとその向こうにあるはずなのだ。

 ふと雲を突き抜けている塔を見て思った。


「塔の頂上まで上がれば見えるんじゃないかな」

「あの塔は一階部分しかないの……」


 うつぶせのまま肩越しにケーナが言う。


「階段も梯子もない……」

「え、そうなの?」

「うん」

「なのにあんなに高いんだ……変なの」


 手詰まりになった。


 実は文献の方もこの数日間でほぼ消化しきってしまった。それでも位置特定の情報はほぼ何も来ていない。

 それでも探しに出ているのは単なる意地でしかなかった。


 失意でぐったりとしているケーナから目を離して俺は地平を見やった。雲に遮られた、ぼんやりの日暮れの光が見えた。


「もうそろそろ帰らない、ケーナ?」


 声をかけるが返事はない。すねてるのかなと思ったが、すぐに彼女が寝息をたてていることに気づいた。

 思わずため息が出た。



◆◆◆



 塔に戻ってケーナをマットに寝かせた。

 それから一人で食事をとり、毛布を借りてフェルの背中に上った。


 暗闇に目を閉じる。なぜか浮かんでくるのは学校のことだった。

 俺はだいぶ気にしているらしい。些細なことなんだけれど。でもやっぱりそんなことからでも人の性質を感じずにはいられなかったのだろう。


 まあ、もう気にする必要もないかもしれないけれど。

 だってこの世界にはもう人間はいないようなのだから。


 ここまで考えて。

 俺は眠りに落ちた。


 それから目が覚めたのは、多分明け方だ。

 その時俺は寝ぼけていた。


「トイレ……」


 部屋のベッドにいるものだと勘違いしていたのだ。モフモフの何かから下りて薄暗闇の中を手探りで進む。

 俺の部屋ってこんなに広かったっけ。


 そんな疑問を抱きながらもなんとか壁際までたどり着いた。

 と。その手が何かに触れ――カチッと。そんな音がした。


 同時に秘密基地全体が大きく揺れた。


「なんだ……?」


 ようやくここが自分の部屋でないことに気づいた俺は慌ててあたりを見回した。


 化け物のうめき声のような音がする。次第に甲高くなるそれに合わせて、秘密基地が微振動する。

 再びの大きな揺れの後、嘘のように音がなくなった。


 とはいえ異変が終わったわけではない。俺は違和感を覚えた。何かがおかしい。それは体感的なものだった。


 似たようなものに覚えはあった。スムーズにスライドしていく何か。あれは何だったか……

 しばらくしてまたガクンと衝撃が襲った時、俺はようやく気付いた。多分だけれど――


「エレベーター……?」


 ふと見やると入り口から薄明かりが差し込んでいる。

 俺は恐る恐る外へと足を踏み出した。


 広い地平が目に入った。広く、白い地平。そして青い空。青い空?


 少し考えてようやく気付く。ああそうか、ここは雲の上なのか。


「……え?」


 理性に感覚が置いてけぼりにされたような気分だった。

 視線を少し下ろすと夜明けの光の下に黒々と広がる建物の群れ。


 もしかして……ここが天空都市なのか?


 後ろを振り返る。秘密基地の部屋がそこにある。

 ケーナがまだ気持ちよさそうな顔で眠っているのが見えた。


 彼女はどんな反応を見せるだろうか。それはまだわからないけれど。

 でも予想とそう大きく違うことはないだろうな。そう思った。

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