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帰ろう

 張り巡らされた木の枝を器用に避けて、ケーナが俺を引っ張ってくれていた。

 あの流れからして本当は俺が先導するのが筋なんだろうけれど、まあ夜目がきかないので仕方がない。

 降り積もった柔らかい葉の層を踏み散らしてどこまでも走り続ける。


「ケースケ、フェル君はどこに?」

「……わからない。どっか行っちゃった」

「えー! 何それ!?」

「ごめん」

「ホントだよもー。後でマッサージお願いね」


 あくまで明るく彼女は言った。

 逃げ切る覚悟は固まっているようだ。

 だが、その時何かが聞こえた。


「……来た」


 後ろから数人の声と気配が近づいていた。

 ケーナが立ち止まった。


「ケーナ?」

「ケースケは先に行ってて。ここはわたしが引きつける」


 当然俺はためらった。相手は一人や二人ではない。いくらケーナがすごくたって、同じくらい強い相手が複数人いたら勝ち目はないのだ。


「だーいじょうぶ。わたしは絶対ケースケと一緒にまた調査の旅がしたいもん。そのためだったら何でもするって」

「でも……」

「あーもーしつこいなー。そんなに渋ってるとあとでちゅーしてあげないよ?」


 ああ、なんていうか、いつものケーナだ。安心した。

 俺はケーナに近づいた。


「分かった、俺は先に行くよ。でも絶対に追いついてくること。それから」

「それから?」

「自分で照れるくらいなら最初からちゅーとか言わない方が」

「……うるさいなー」


 もごもごとケーナ。

 俺はちらりと笑ってそちらに背を向けて走り出そうとした。


 ……けれどもやっぱり物事って、そうそううまくは回らないものだ。

 ケーナの悲鳴が聞こえた。


「ケーナ!?」


 俺は慌てて振り返る。

 その視線の先で、彼女は地面に押さえつけられていた。

 彼女の腕を極めているその人影には見覚えがある。


「タルガ……」


 こちらに向けられたその眼が、敵意を帯びて鋭く光った。


「この!」


 走り寄ろうとするが、向こうからも獣人たちが姿を現す。こちらを見つけゆっくりと輪を狭めてきていた。

 これでは負ける。俺は必死で見回した。

 何か手はないか? 見落としている攻め手は。


「ケースケ……!」


 タルガの下でケーナがもがいた。

 じりじりとした焦りが俺の身を焦がす。ちくしょう、起死回生の手が何もない。

 獣人の一人がこちらに近づいてくる。

 これで終わりか。落胆が頭を支配していった。まだまだこれからだと思っていたのに……


 腕をつかまれた。

 その時だった。たんっ、と何かを蹴るような音。

 そして目の前の獣人が吹き飛んだ。


「……え?」


 ぽかんと口を開ける。状況をつかみ損ねた。

 そのため俺はここからワンテンポ以上おいて行かれることになる。


 何かが視界を横切って、向こうの男を打ち倒した。その隣も、さらにその隣も。

 見えない何かは次々と正確に、かつ素早く獣人たちを無力化していく。

 罵声らしき声が飛んだ。それでも嵐のようなその何かは止まらない。むしろ加速していよいよ止めようがなくなっていく。


 タルガの方にもそれは飛んだ。彼は素早く身をひるがえしてそれを避けたが、代わりにケーナを放すことになった。

 そして俺はようやく何が飛び交っているのか理解した。


「ダンガンウサギ……?」


 高速のその影には、まぎれもなく長い耳が生えていた。


「なんでこんなところに……」


 呆然としていると、急に腕を引っ張られた。

 ケーナが木々の向こうを指して早口に告げる。


「今のうちに行こう」


 うなずいて、走り出した。






 森を出ると満月の光が荒野を冴え冴えと照らしていた。


「このまま逃げ切ろ」


 そう言ってケーナは駆け出したが、俺は振り返って、立ち止まった。


「どうしたの?」


 答えずに森を凝視していると、木々の間から獣人の少年が姿を現した。

 早足でこちらに向かってくる。

 その眼を見て、俺は拳を握った。


「タルガ……」


 ケーナの怯えるような囁きが聞こえた。

 俺は近づいてくる彼に向って足を踏み出した。


「ケースケ? 何を……」


 タルガが地面を蹴って跳びかかってきた。俺も合わせて飛び出す。

 正面からぶつかり――俺は勢いよくはじき出された。


「が……っ!」

「ケースケ!」


 ケーナが駆け寄ってきて俺を抱き起した。


「一体何やってるの!?」

「必要なことなんだ。多分……」


 ケーナの手を握り返して俺は立ち上がった。タルガはゆっくりとこちらに歩いてきている。

 その眼にあるのは怒りだ。

 だから分かった。こいつは心からケーナのことが好きなんだな。

 ケーナを取られたくないから必死で、余裕もないんだ。

 つまり俺と同じというわけだ。

 彼は退くつもりはないだろう。俺もだ。だから、これは必要なことなんだ。


「ケーナ、手は出さないでくれよ?」

「え?」

「頼んだから」

「ちょっと! 敵うわけないじゃん……やめてよ!」


 確かに元から勝ち目のない勝負ではある。でもそれがやめる理由にはならない。

 俺は地を蹴って突進した。拳を振り上げて――そしてやはり殴り飛ばされる。

 起き上がったところをさらに一撃、倒れて蹴りを一発。次々と殴られ蹴られ、次第に体で痛くない場所がなくなっていった。


「ケースケ!」


 遠くから声がする。

 顔を上げると、ケーナの泣きそうな顔が見えた。


「……」


 もうちょっと顔を上げると、タルガの苦しそうな顔も見えた。

 俺は苦笑した。そう、これは彼にとって元から勝ち目のない勝負なのだ。どうやったってケーナの心は取り戻せない。

 だからせめて、その怒りには真正面から応えたかった。


「ぶッ……!」


 顔を蹴りあげられて転がった。空が見えた。ぼんやりとした雲と、その切れ間から見える満月。その光をさえぎる丸い影。


 シャリリ……と静かな音がした。腫れた目でそちらを見ると、鋭い銀の輝きがそこにあった。

 タルガはナイフを構えると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 計算外というわけでもないけれど、それでもちょっとまずかった。死んでしまっては意味がない。

 だけど体が動かなかった。


 と。俺とタルガの間に、小さな影が立ちふさがった。ケーナだ。

 タルガが何かを言う。ケーナは首を振る。タルガは声を荒げて同じ言葉を繰り返した。しかしやはりケーナは首を振り、それから何かを言った。

 一瞬タルガの顔に怒りとは違う何かがよぎった。驚きと放心。しかし再び怒りが戻る。


 怒声を上げながらタルガはケーナを突き飛ばした。そのまま構えたナイフを俺に向けて――

 でも、あまりの怒りに我を忘れていたのだろう。彼は俺の反撃にすら反応しきれなかったようだった。


 起き上がった俺の渾身の拳が、タルガの顔面の真ん中を打ち抜いた。


 タルガが尻餅をついた。

 たったそれだけの一撃だ。たったそれだけだけれど、意味はあった。


「ケーナ! 上だ!」

「うん!」


 ケーナが俺の手を取って跳びあがる。そして、真上に来ていたフェルの足につかまった。


「フェル君お願い!」


 フウセンモグラはその性能を生かして瞬時にトップスピードに入った。

 遠ざかる人影。

 その悲しそうな表情が脳裏に焼き付いた。






「ミルちゃんのお友達はフェル君が呼んでくれたんだよね。ありがとーフェル君」


 俺の顔の傷を手当てしながら、ケーナは足元に笑いかけた。


「おかげで助かっちゃった。またこういうことがあったらよろしくね」

「あまりない方がいいと思うけど……」


 一応言ってはみたものの、そう簡単に聞き入れてもらえないことはもう十分分かっている。

 夜の空はやっぱり寒い。一度川で服が濡らしてしまってたのでなおさらだ。

 くしゃみをする俺を見て、ケーナは上着をかけてくれた。


「ケースケもありがとね。本当にありがとう」


 上着からは、ほんのりケーナの匂いがした。

 俺はふと気になって口を開いた。


「彼には、なんて?」

「ん?」

「最後にタルガに何か言ってなかった?」

「ああ……」


 曖昧に彼女はうなずいた。


「さようなら、かわいそうな人。そう言ったの」


 俺は沈黙した。


「わたし、酷いこと言っちゃった。でも、ケースケが殺されちゃうなんて絶対許せなかったから……」

「うん……」


 俺はぼうっと月を見上げた。

 ままならないことはこの世にいくらでもある。それに対して戦うか、賢くやり過ごすか。選択肢もまたいくらでもあるだろうけれど、納得のいく答えを見つけ出せる保証なんてどこにもないのだ。


 だから、『かわいそう』だ。

 なんだか妙に切なくなった。


「ケースケ?」


 俺は答えずにうつむいた。なんだかやりきれない気分だ。

 と……ふと頬に何かが触れた。


「……?」


 手をやるがもうその時には何もない。

 優しい感触と吐息の気配だけが残っている。


「ちゅーなんて初めてしたよ」


 ケーナの方を見ると、彼女は自分の唇をつついているところだった。

 俺の視線に気づくとニッと笑う。


「元気出た?」

「……もう一回してくれれば出るかも」

「もーわがままだなあ」

 そう言いつつもあまり悪い気はしない顔で彼女は言った。


 夜の空をフウセンモグラは飛んでいく。

 俺たちの秘密基地に帰るために。

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