出会いは廃墟の街中で②
コンクリが降り注ぎ轟音が鳴り響く中で。俺は悲鳴を上げて逃げ惑った。耳のすぐそばを重い気配がいくつも切り裂いて地面に弾ける。
体内に流れる血のごうごういう音が聞こえた。多分死にかけると聞こえてくる類の音だ。すくむ足をなんとか動かし続ける。立ち止まったら潰される!
倒壊の音も血流の音も置き去りにして、それでも俺は走り続けていた。手を引っ張られていたのだ。
「こっち!」
ぎゅん! と引きずられるように角を曲がる。すさまじく速い。大荷物を背負っているとは思えないスピードだ。その頭に何かが揺れていた。
一対のそれは、耳のように見えた。人間のではなく獣の。猫?
後ろから地響きがしてはっと振り向いた。後方には先ほどの芋虫が見える。
それなりに離れたはずなのに見上げるほど大きい。その横のビルとほぼ同じ大きさ。その眼は燃えるように赤い。
「なん……なんなんだあれ!」
「オオニシキアカマナコ!」
ケーナが走りながら何かを叫んだ。
「なんだって?」
「オオニシキアカマナコっていう蟲なの、あれは!」
「オオニシキ……?」
「他に呼ぶ人いないけどね! わたしが名付けたから!」
再び振り向くと芋虫はこちらを追うように動き出していた。牙がびっしり生えた丸い口を開けてものすごい勢いで迫ってくる。
見る間に追いつかれて後ろから影が差した。駄目だ逃げきれない。そう思ったとき体がぐん、と引っ張られて横の道に転がった。轟音がすぐ脇を駆け抜けていった。
「起きて! あともう少し!」
引っ張り起こされてやはり引きずられるように走り出す。
「あともう少しって……?」
俺は息も絶え絶えに訊いた。なんだかさっきからひたすらもみくちゃにされている気分だ。
「もう少しで大丈夫ってこと!」
「安全なの?」
「そう!」
次に角を曲がると広い道に出た。
「あれ? この辺のはずなんだけど……」
キョロキョロし出すケーナに胸がざわつく。
「な、何か予定外?」
「いや、だーいじょうぶだいじょうぶ、ちょっと相棒が見つからないだけだから」
相棒? 何のことだろうと思ったが、それよりも大事なことが頭をよぎる。その相棒が見つからないって結構大変なことなんじゃないか?
そんな俺の不安をよそに彼女はビルの中や瓦礫の隙間をのぞき込んだりした。
「フェル君どこー?」
「……相棒ってそんなところにいる人なの?」
「んーまあ大抵隅の方でじっとしてる子だよね」
「へ、へえ、そう……」
曖昧な返事をして来た道を振り返る。何の気配もなくなっている。何も聞こえてこない。芋虫が這いずる音も地響きも。完全な静寂だ……
さすがに不審に思ってケーナのそばに寄る。
「ねえ……なにかおかしくない?」
だが彼女は別のことに気を取られていたようだ。
「いたー!」
ケーナがビニールシートのようなものをはがすとそれは姿を現した。
「……?」
一見したところ巨大なきな粉餅に見えた。それこそ横倒しになった冷蔵庫くらいの大きさはある。じっとしているが、どうやら生き物のようだ。
「まったく! こんなところに隠れて何してたの!」
「なに。これ」
俺は慎重に訊いた。訊き方を間違えると、マズいことになる気がしたのだ。
ケーナはふふんと笑って胸を張った。きな粉餅を示しながら言う。
「この子はね、何を隠そうわたしの相棒! フウセンモグラのフェル君だよ!」
「……」
とりあえず分かったのは。あまり深く考えない方がよさそうということだ。
「で、こいつがいるとどう大丈夫なの?」
「へへーん。まあ見てなって」
言うなりケーナはきな粉餅もといフウセンモグラのフェル君とやらに飛び乗った。
「こうしてだね――」
ふとその時。俺の背筋を寒気が駆け上がるのを感じた。
「――!?」
振り返った先には、赤い目があった。
三つほど先のビルとビルの隙間からそれはこちらをのぞいていた。ぎょっとするほど近い。しかも注意が全く及んでいなかった方向だった。
回り込まれていた。頭が真っ白になる。今度こそ殺される……
「だーいじょうぶだって。そう言ったでしょ」
制服の襟首がつかまれた。ぐいっと引っ張り上げられ。同時に芋虫がビルをなぎ倒して突進してきた。
もうだめだ。目をつぶってその瞬間を待ち受ける。轟音が通り過ぎたとき、幸いなことに痛みはなかった。あったのはふわりとした一瞬の浮遊感とそれから急激な加速感。死ぬってこういうことなのかもしれない。目を開いたときに見えた光景も、その確信を後押しした。
俺は空にいた。綺麗な空だ。ぼんやりと曇ってはいたけれど、遠くから差す日の光に雲がきらきらと輝いて美しかった。フワフワとした弾力のある感触に体がつつまれて天国にいるような気分だ。というか天国じゃないかなこれ。
「ほら大丈夫だったじゃーん」
ケーナの声にはっとして起き上がる。死んではいなかった。
「ここは……」
「フェル君の背中。あと空。どう、気持ちいい?」
モフモフのきな粉餅の背中に乗って飛んでいた。ビルよりも高い上空だ。見下ろすとビルが整然と立ち並んでいる広大な街が一望できる。思った通り墓石立ち並ぶ墓場の趣だった。
目を凝らすとその間にうごめく先ほどの芋虫も見えた。
「あの子は肉食でね。この時期は特に栄養を必要としてるんだ」
にこにこと言ってのける彼女を俺は呆然と見やった。俺は食われそうになったのか。しかもそれを平然と言うのか。にわかにはその神経が信じられなかった。なんなんだこの子。
「まあ何にしろ生き延びられてよかったよ。改めてよろしくね、ケースケ」
「……よろしく」
「さーてとりあえずここから離れようか。訊きたいことや見てもらいたいもの、いーっぱいあるしね」
「何それ?」
「まーそれはあとあと。今はとりあえずしっかりつかまってて」
そう言って彼女は取り出したゴーグルを身につけた。
俺は言われた通りふかふかの毛布のような毛を握る。するとフェルの体が風船のように膨らんで――次の瞬間ガクンという強烈な衝撃に振り落とされそうになった。
俺は無言の悲鳴を上げながら、つかまる手に必死に力を集めた。
確か彼女はこの生き物をフウセンモグラと呼んでいた。なるほど確かにため込んだ空気を噴出させる風船のごとく、俺たちは猛スピードで空をすっ飛んでいった。