白刃の嵐
「ケーナ!」
俺は叫び声を上げながらシラハウオに埋まるケーナの元に走った。
「来ないで!」
鋭い制止の声。
同時に何か大きく重いものがシラハウオの大群の中から飛び出した。ドスン! と音を立てて床に転がる。
ケーナの鞄だ。
大群がざあっとそちらに標的を変えた。
俺は悟る。シラハウオは非常に攻撃的らしい、おそらくは動きの素早いものに襲い掛かる性質があるんだ。
「フェル君お願い!」
ケーナの声に合わせて突風が吹いた。足が床から引き剥がされかねないほどの強風。
見るとどうやらフェルがその風の元のようだ。膨らませた体から一気に空気を噴射させて、シラハウオたちを吹き乱した。
「逃げるよ!」
手を取られて俺は必死で走り出す。
だが、まりもの広場に出るまでに、勢いを取り戻したシラハウオたちがすぐ後ろに追いついてきていた。通路から蛆が湧くようにぞわりと這い出して来る。
その瞬間轟音がした。
そちらに目をやると、まりもの透明チューブにひびが入り、砕けるところだった。
ミルだ。頭突きによって一撃で粉砕したらしい。
そして支えを失って落下するまりもを――
「はッ!」
ケーナが全力で蹴り飛ばした。
巨大な豪速球がシラハウオの群れに激突した。それでだいぶ大群の勢いが落ち着く。
「油断しないで!」
敵は後から後から次々這い出してきていた。
ケーナたちの後を追って、俺も再び走り出した。
階段を上がり学校を出て道を走る。
と、そこで俺は気づいた。ケーナの走りが鈍い。
「大丈夫?」
「平気……ちょっと足挫いただけ」
ケーナはそう言うが何やら息が乱れているのが分かる。ひどく汗をかいているのも見て取れた。明らかに不調のようだった。
だがそれを気にしていられるほどの余裕もない。
「来た!」
背後から白く光を反射する大群が押し寄せていた。
「しつこいな……どこまで逃げればいいんだよ!」
「あれだけ攻撃しちゃったから、だいぶ怒ってると思う。暗いとこの生物だから、明るいところまで出れば諦めると思うけど……」
つまり外まで逃げるしかないようだ。
外までの道は意外にもフェルが覚えていた。これも意外に速い足で先導してくれる。
角を曲がり銭湯の前を駆け抜け地下洞窟の出入り口へ。
ドアは開いたままで通るのに不便はなかったが、その代わりに閉めることもできなかった。
「くそ! なんで!」
「早く、こっち!」
呼ばれて走る。
巨大な縦穴。アリスの落ちたウサギ穴。
まずい、と気づいた。
「フェルはどれくらいの速さでここを上れる……?」
俺の声に、ケーナは力なく答えた。
「あまり速くは……無理だと思う」
狭いので、安定しない空気噴射での推進は危ないということらしい。
「じゃあどうすれば……」
「ゆっくりとでも逃げるしかないよ。乗って!」
そう告げて彼女はフェルに飛び乗った。ミルもそれに続く。
俺もよじ登ろうとして、背後に殺気を感じた。
振り向くと、入り口から、白が湧いていた。澄んだ湧き水のように、あるいは白く濁ったヘドロのように。
あれだけダメージを与えたはずなのに、シラハウオたちは全く数を減らしていなかった。
それとも、と思う。ダメージを与えても執念でよみがえってきたとでもいうのだろうか。
「……っ」
追い詰められた。ケーナたちを背に、俺は何か手はないか考えようとした。何でもいい、ここを切り抜けるための手立てを。
が、シラハウオたちは待ってくれるだけの慈悲は持ちあわせていなかった。
ジャッ! と金属がこすれるような音を立てて、大群が高く飛びあがった。そして、尾を引きながらこちらへと降り注いでくる!
「くぅっ……!」
俺はたまらず手で顔をかばい目を閉じた。
死ぬのか、俺は。
皮膚に激しく何かがぶつかる。シラハウオの白刃だろう。死に至らしめる群毒。
耳元では嵐が吹き荒れるのが聞こえた。細いが、高く鋭い笛のような音も。
何の音だろう、と熱に浮かされたような頭で考えた。聞き覚えのある音だ。確か二度聞いた。あれは……そうだ。
コナキフクロウの鳴き声だ。
俺は目を開けた。
ピィーッ、ピィーッ、と連続して音が響いている。音に合わせて鋭い爪がシラハウオの群れを切り裂いている。コナキフクロウたちの鋭い爪が。
こちらもすごい数だった。シラハウオと同じ白だが、光を放つのではなく吸い込むような色合いのその体。それが一斉にシラハウオの大群に襲い掛かっているのだ。
どこにこれだけ隠れていたんだろう、とぼんやり考える。大きな縦穴ではあったけど、そこまで棲み処があったとは知らなかった。
そしてまたぼんやりと思う。もしかして、助かった?
くいくい、と袖を服の肘を引っ張られた。
振り向いた先のケーナが囁く。
「逃げよ?」
ウサギ穴を出ると日が暮れた直後のようだった。地平の向こうがまだ少しだけ明るかった。
「助かったぁ……」
地面に座り込んでケーナが息をつく。
俺もその隣にしゃがみ込んでぐったりとうなだれた。
「疲れたね……」
「ホントだよー。まりもを壊しちゃったからウリン君も止まっちゃっただろうし、あーあ残念」
明るく言ってはいるが、その顔色はあまり良くない。
初めは本当に残念に思っているからそれが顔に表れているのだと思った。だけど、それにしてはなんだか本当に体調が悪そうだった。
それについて問いただそうとしたが、その前に目の端に何かがぴょんと跳ねるのが見えた。
そちらに目をやると、
「ダンガンウサギ……?」
ミルとは別のウサギが鼻をひくひくさせていた。
ウサギは俺たちを見ると、警戒したように身構えた。が、ミルが飛び出していくと、安心したように緊張を解いた。そして二匹、仲睦まじい様子で体をなめ合い始める。
「もしかして」
ケーナが手を打ちあわせた。
「ミルちゃんの旦那さん!?」
「え」
ミルが照れたように前足で頬を押さえた。
「すごーい、やるじゃないミルちゃん!」
雄の方のウサギはケーナの声に構わずさっさとウサギ穴に入っていった。ミルもそれを追ったが、途中でこちらを振り返った。
「ううん、こっちは気にしないで。お幸せにね、ミルちゃん」
ミルはそれにうなずくと、満足そうに巣穴に入っていった。
「よかったなーミルちゃん。ホントよかったー」
帰りの空でもケーナはしきりにそう繰り返した。
何度も何度も言うので、俺も何度も何度も相槌を打つことになった。
「よかったぁ……ホントに……」
最後の方はほとんどうわごとのようだった。
塔の前に着いて、俺はフェルから下りた。
荷物を背に歩きながら振り返る。
「ケーナ、着いたよ。起きなよ」
「……」
……どさり。
「……え?」
視線の先、薄暗がりの中で、ケーナが地面に倒れていた。
「ケーナ……?」
荷物を放り出して慌てて駆け寄る。
抱え起こして顔を覗き込むが、目を閉じて意識がない。
「ケーナ。ケーナ!」
俺は嫌な味が舌に広がるのを感じた。
そして、頭に閃くものがあって彼女の腕を見る。
まくれ上がった袖からは、切り傷だらけで、みみず腫れのようになった肌がのぞいていた。
『傷口が痒くなるくらいの弱い毒だけど』
『それでもたくさん切りつけられると危ないよ』
ケーナの言葉が頭にこだまして、俺は自分がめまいを起こし始めているのを感じた。
「ケースケ……」
弱々しいうめき声が彼女の口からこぼれ……それきり完全に意識を失ったようだった。