人間の本質
「指示を」
ウリンの声に俺ははっとした。
まとわりついてくる視線の違和感が強すぎて、気が散ってしまっていた。
「大丈夫?」
「ああ……」
同じく落ち着かなげなケーナに答えて、それからモニターに向き直る。
もう一度ウリンの声。
「指示をどうぞ」
俺は少しだけ考えてから口を開いた。
「人類滅亡の理由を」
「データベースにアクセス中……」
ウリンは情報の検索にそう時間をかけなかった。
「人類がその種を途絶えさせた理由そのものは入力されていませんでした。そのためデータからの推測結果となりますがよろしいですか?」
「ああ」
「人類が滅びた理由は、端的に言えば、争うことをやめたからだと思われます」
「え……」
あまりにするりと告げられた内容に、俺は言葉を失った。
意味が分からなかった。そう、全く意味が分からなかった。
人間が争いによって滅びるなら分かる。戦争による殺し合いで数を減らすなんて、その手の読み物じゃ定番中の定番だ。争い以外の要因、例えば地球環境の悪化なんかもこれも定番。
だが、争うことをやめたから滅びたなんて、聞いたことがない。
「なんで……争うことをやめると人間が滅びるんだ。争わない方が栄えそうじゃないか」
声がかすれた。
「分かりません」
「分からない、だって……?」
「ですが、人間がその個体数を減らし始めた時期が、争いを抑制する手段を得た時期とほぼ重なります」
俺はかぶりを振った。
そんなんじゃデータとして不完全だ。断定するには足りなさすぎる。
俺の心を読んだかのようにウリンは先を続けた。
「人間が人間自身を知るための研究を行っていたことはご存知ですか」
「知ってる」
「人間は自身らの心と呼ばれる領域を探っていき、様々な知見とそれによる副産物を得ました。人工知能のハナンや私もその中に含まれます」
「……ああ」
「そして、心と呼ばれる領域の制御や加工の手段にもその手を及ばせていくことになります」
心の制御や、加工……
不気味な響きだ、と俺は思った。制御はまだわかる。思い通りにならないものをなんとかなだめていうことを聞いてもらう方法。だが加工は……それは――
「要するにその延長線上にあるのが、争いの根絶なのです」
ウリンの声が冷たく響いた。
「初期の段階には調整ヒトクローン、合成人間。そして後期には脳の該当部位への干渉によって。当初争いの根絶は人間研究を促進させるための、いわば補助的な目的にすぎませんでしたが、時が経つにつれてそれが中心的な研究対象に替わっていきました」
「争うことが……人間の本質ということか?」
「可能性としてあり得ます」
ウリンはそう言って、モニターに映像を映し出した。
おそらくはこの世界の古今東西の、様々な争いの資料だ。
「人間の歴史です。それはいつの時代においても争い抜きには語れません。戦争、紛争、政争、あるいは街角の痴話喧嘩まで。人間は争わずにいられない」
俺は今まで、それは人間が愚かだからだと思っていた。賢ければ争わずに、もっといい方向へ行けると思っていた。でも……
「……争わないと滅びる?」
「ええ。致命的な争いをせずにいられるのは私たち人工知能、植物、動物のみ。もちろん例外もありますが」
そして次に映し出されたのは一人の少年だった。
頭に獣の耳が生えた少年……
「そのため、争いを根絶するための最初の試みも、動物の性質を取り込むという方向性になりました」
動物の性質を取り込む?
俺は思い出す。ウリンはこう言っていた。初期には調整ヒトクローン、それから合成人間。
人間と動物の中間者……合成体……
「まさか……」
俺は喉がひりつくのを感じた。
ゆっくりと横に目をやる。
『森に棲む者』ケーナは、呆然とした表情でモニターの光を受けていた。
「そして彼らは森に移住させられ――」
ウリンが何か言っているがもう聞こえない。俺はケーナだけを見ていた。
何を言ったらいいか分からない。そもそも彼女は何を思っているだろう。
いや……彼女も何を思えばいいのかわからないんじゃないか?
「ケーナ……」
彼女の虚ろな視線が俺の目を見た。そしてゆっくりと色を取り戻していく。
「ケースケ」
しかしケーナが何か言う前にウリンの鋭い声が飛んだ。
「緊急事態」
「……え」
「危険が迫っています。警戒してください」
「危険……って、なんだ?」
「不明」
不明で警戒しろもなにもないだろう。俺はやりどころのないイライラを覚えながら見回した。
そして気づいた。さっき感じていた視線が、より濃密に、より緊張感を増して部屋を満たしている。
「なんだ……?」
身構えて後ずさる。
薄暗闇のなか何も見えない。あるのはモニターとコンソールと壁と、壁からはがれているゴミか何か。
ん?
俺は気づく。そのゴミに、目のような染みがあることを。
「……シラハウオ?」
――ぞるり。
つぶやいたと同時、空気が動いた。
壁一面が変形する。半球の壁がすべて崩れる。いや、はがれ落ちる。
「まさか……」
ここの壁全部にシラハウオがはりついていたっていうのか?
紙吹雪のようなシラハウオの大群が、集まって台風のように渦巻いた。
そしてその勢いのまま、一気にこちらになだれ込んでくる!
「ケーナ!」
白銀の猛吹雪の中に、それに比べてあまりに小さすぎる背中が呑み込まれて消えた。
「ケーナッ!」
烈風に向かって、俺は必死に駆け出した。