奈落
ウサギ穴の入り口をくぐると、思った以上に中は広かった。
余裕で立って歩けるだけの高さがある。
「え、なにこれ……」
ライトを渡されて立ち上がりながら、思わず声が漏れた。
「すごいよね。豪邸じゃないのミルちゃん」
俺たちの反応にミルも得意げだ。
奥の方に光を向けると、遠く暗闇が広がっている。
「……なんだろ?」
ウサギが掘ったにしては大きすぎるし、何やらきっちりと測ったような人工的なにおいを感じる。
視線を下ろすと、穴の奥の方へと跳ねていくところだった。
「あ。待ってよー!」
ケーナがそれを追っていく。
俺も続いて走り出そうとして、そこで気づいた。
「……あれ、フェルは?」
入口はそんなに大きくない。つまり通れていないはずだった。
振り返るとライトの光の中、入り口からきな粉餅がはみ出しているのが見えた。
「……」
じっと眺めているときな粉餅の表面がプルプルと震え出す。
「……どうするの?」
俺の問いに黙考するような間を挟んだ後、プシュー、と空気が抜けるような音がした。それに合わせてフェルが少しずつしぼんでいく。
俺は半ば感心したような呆れたような心地で顔をしかめた。
「なるほど。やるじゃん」
フェルと連れ立って歩いていくと、ほどなくしてケーナたちに追いついた。
「どうかした?」
立ち止まって何やら覗き込んでいる彼女らの背中に訊ねる。ケーナはこちらを振り向いてから、ライトで先を示した。
「なんかまたすごいよこれ」
「?」
訝しく思って同じく覗き込むと、そこには奈落が口を開けていた。
「え……」
ライトでざっと周りを照らす。おおよそ直径三十メートルかそこらだろうか。真下に落ちる大穴があるのだ。
「な、んだこれ……」
「ミルちゃんが掘ったわけじゃ……ないよね?」
ウサギは首を振っていた。
ということはだ。
「もしかしてミルちゃんはこれをわたしたちに見せるために?」
こくこくとうなずくミル。
「ありがとうミルちゃん! お手柄だよ!」
ミルを抱きしめてケーナが快哉を叫ぶ。ミルも満足そうな表情だ。
「まあこれがヒト文明に関するものだったらね」
俺がそっけなくつぶやくと、ウサギは険悪な目をこちらに向けた。でもまあ大丈夫。ケーナの腕のぬくもりを捨ててまでかかってくることはないだろう。
ケーナはそんな俺たちに構うことなく機嫌よく穴を示した。
「下りてみれば分かるよ。さっそく行こう!」
膨らんだフェルに乗って下り始めること数分。
「かなーり深いな……」
俺は一種息苦しさのようなものを感じてうめいた。
「そうだねえ。ヒトに関係している可能性がその分高まってきてるね」
「……うん」
相変わらずペースを崩さないケーナに少しの感心を覚えながらうなずく。
暗闇は気のせいかどんどん濃くなっていく気がする。冷たい空気。そして静寂。
「……ん?」
いや違った。何かが聞こえた気がした。
笛の音のような少し高く細い音。単調で、呼吸に似た強弱の付け方。穴の中で小さく響いて木霊する。いくつも、いくつも。
……鳴き声?
ケーナが隣でつぶやいた。
「コナキフクロウだ」
「コナキフクロウ?」
訊き返すと、彼女は小さくうなずく。
「こういう暗くて深い洞窟に住むフクロウで、鳴き声で複雑なコミュニケーションを取る生き物なの」
「ふうん?」
「それだけでもとても珍しいことなんだけど、もっと珍しいのは、とても狭い範囲にたくさん集まって住んでいることね」
「それがどう珍しいの?」
「なかなかあることじゃないよ、フクロウには。縄張り意識が強いから、普通だったら喧嘩になっちゃうのにこのフクロウだけは争わないの」
争わない……か。
「コミュニケーションをとってるから喧嘩しないのかな」
「そこまではまだ分かってない。でもコミュニケーションをしっかりとれば喧嘩しないってものでもなくない? たくさん会話する間柄だから起きるいさかいっていうのも、多分あるよ」
確かにその通りかもしれない。
もし、と考える。もしヒトがコナキフクロウと同じ能力を持っていたら、滅びずに済んだだろうか。もし、俺がコナキフクロウ並みに賢かったら、幼馴染を喧嘩によって怪我させずに済んだだろうか。球技大会であんなことにならずに済んだのだろうか。
考えても、わかりそうにはなかった。
そして、考えているうちに俺たちは穴の底に到達した。
鉄の床。だと思う。
俺たちが降り立ったのはそんな感触の平らな地面だった。
「なんだろ……?」
ケーナがかがんでペタペタと探る。俺は何となく格納庫的なものを連想した。
周りの壁もよく見ると機械的にいろいろな部品が組み合わさってできているようだ。
それにしても、とライトを上に向ける。
「結構降りたよな……」
地底も地底のこの深度、なにやら押しつぶされるような息苦しさが重くのしかかってくる。
寒気が体を走って、俺は小さく身震いした。
「よし、じゃあ行こうか!」
だがケーナは元気に言い切って、壁の一つに向かっていった。
この子って、本当すごいというかなんというか。
俺は苦笑しながらその背中を追った。
ケーナが向かった先にはドアがあった。壁とほぼ一体型の目立たないドアだ。よく一目で見つけられたもんだと思う。
「……ダメだ」
だが開かなかったらしい。ケーナは首を傾げてから――鋭い蹴りを放った。
鈍い音。
やはり開かない。
「ほっ!」
二段蹴り。三段蹴り。跳び離れてのドロップキック。
「……駄目みたいだな」
跳ね返されてコロコロと転がったケーナを横目に俺はつぶやいた。
「ケーナの暴力でも開かないとなるとお手上げか……」
「そこは知恵と勇気って言おうよ」
「言わないでしょ」
言葉を返しながら、俺はドアに近づいた。
ドアが開いた。
「……ん?」
白い通路が奥に続いているのが見えた。
「……ずるくない?」
ふりむくと、ケーナが口をとがらせていた。
「もうやだ。ケースケばっかり贔屓されてる」
「いや、知らないよ」
「恵まれてる人は自覚がない。ふんだ」
「機嫌直しなって」
ふて腐れ顔のケーナをなだめながら通路を進んでいた。ウサギがその頭の上でポンポンと慰めるように撫でてやっている(もちろん俺にはメンチを切りながら)。フェルはいつも通り我関せず。
どうしようこの空気。なんかすごく居心地悪い。ていうかなんだろう、俺が悪いのか? いやそんなわけないだろ。あるもんか。
仕方ないから俺は心の耳に蓋をした。
そのせいでケーナの声への反応が遅れて、余計に機嫌を損ねるわけだけども。
「ケースケ。ケースケ!」
「え?」
むすっとした顔がそこにある。
「ドア。お願いね」
その指さす先に、先ほどと全く同じドアがあった。
「……」
ケーナのジトっとした視線を背にドアを開ける。なんだかなあ、この状態。ちょっともう勘弁って感じだ。
だが、ここでようやく彼女の注意が他に向いた。
「わあ……!」
俺の横を通り過ぎてドアの向こうへと走っていく。
俺も後に続いて、息をのんだ。
夜の住宅街がそこにあった。
住宅街だ。民家があり電柱がありコンクリート塀やら道路にはマンホールなどもある。俺がいた世界と、ほとんど同じ光景だった。
「ここって、地下だよな……? しかも高度な文明の……」
見上げる夜空に星はない。明かりは道沿いに立っている街灯だ。
「何なんだここ……地下都市? 地底住宅街?」
と、頭に閃くものがあって提げていた鞄を探る。取り出した本のページをめくると、あった。今日、流し読んでいた中に、その単語があったのだ。
「地下融解街……ウリン」
顔を上げると、夜の住宅街にケーナが躍っていた。
俺は呆然と立ち尽くした。