花の上
壊れたコンソールを前にいろいろあがいてみたものの、ハナンは沈黙したまま復帰しなかった。
「あーもーハナンちゃん返事してー! 死んじゃやだあ!」
ケーナの懇願にも反応なしだ。モニターはとうに消え、非正規ユーザーが云々とすら答えない。
まりもの光だけが無情にあたりを照らしていた。
「もう駄目じゃないかな。残念だけど……」
俺が声をかけてもケーナはへたり込んだまま動かなかった。
頭を掻いて言葉を探す。
「えっと、なんていうかさ……」
でもあまりいいのは浮かばない。もともと口は達者な方じゃないから。悩んだ末にこれだけを言う。
「また、探そうよ。俺も手伝うからさ」
ケーナはそれでも何も答えなかった。もう何を言っても無駄な気がした。
彼女の痛みは彼女のものだ。俺が理解することはできないし理解したつもりになることも許されない。俺には何もできない。
急にケーナが立ち上がった。あまりに唐突な動きに俺とフェルは思わず後ずさった。唐突なだけじゃなくその背中から妙な迫力がにじみ出ていた気がしたのだ。
立ち上がった彼女の足は部屋の隅に向かった。そこにはダンガンウサギがいまだ気を失って転がっている。
「ちょっと……」
俺は慌てた。彼女の足取りは怒りに満ちていて、そのままウサギを踏みつけるか蹴とばすかしてしまいそうに見えたのだ。
いくら襲ってきたからといってもそれは、むごい。
しかしケーナはそのどちらもせずにウサギを床から抱き上げた。
「行こう」
振り返った彼女は静かに告げた。
◆◆◆
二人と一頭で、言葉もなく歩いていた。
暗いトンネル、ライトの明かり。
ケーナは両手がふさがっているので足下を照らすのは俺の役割だ。
「……」
俺はちらりとケーナの横顔に目をやった。何を考えているんだろう。いつも必要以上に元気な彼女には珍しい静かな表情だ。こうしているとその細い顎や整った頬の輪郭がよくわかる。ほのかに冷たい目の光も。
人にはいろいろな顔がある。そんなことを思う。
「ダンガンウサギはね、本当は群れで生きる動物なの」
不意にケーナが口を開いた。
「夜目も利くけど、主に日中に活動して夜眠る。眠るときは巣穴の中で仲間とひとかたまりになって眠る。恋の季節には雄が頭を打ちつけ合って雌を取り合うけど、それでも寝るときには一緒なんだ」
俺は黙って聞いていた。
「この子はなんであの部屋にいたんだろうね。でも寂しくて怖かったのは確かだと思う。だからね」
ケーナはこちらを向いて笑った。
「地上に帰してあげないと」
「そうだね」
俺はうなずいた。
うん。きっとそれがいい。
外に出ると赤い夕日が目に眩しかった。
「もう夕方かあ……」
俺は伸びをして、肩を回す。今日はいろいろあったなあ……
その袖をケーナが引っ張った。
「ねえ……!」
「?」
彼女は手を伸ばして向こうの方を指さしている。しかしそこには特に何もない。色とりどりの建物が立ち並ぶ通り以外は。
「え?」
思わず声が漏れた。
目にも鮮やかな色彩の通りがそこにあったのだ。
慌てて最初の丘の上まで引き返す。
そこから見える景色は――
「わあ……!」
ケーナが感嘆のため息をついた。
花のようだった。花の上に立っている。そう思った。まるで親指姫になったような気分だ。丘を中心に淡い黄色や赤や青の花弁が折り重なって広がっていた。
形はタンポポに似ている。キノコではなくタンポポだった。
夕日の赤い光の中、それは幻想的に浮かび上がって見えた。
「……すごいね」
来た時にはただの黒い建物の群れだった。それがなぜこうなったのか。俺はハナンの言葉を思い出す。動力機構の正常起動を確認。
「研究はこれだからやめられないよ」
ケーナが腕の中で目を覚ましたウサギを撫でながら、しみじみとつぶやく。
「さっきまで見えてた景色がまた全然違って見えてくるの。たまらないよね」
「ちょっとわかるかもな」
「ねえケースケ」
「ん?」
ケーナはこちらを向いてニッと笑った。
「これからもよろしくね」
その夜はケーナの隣で寝た。
と言っても寝具マットはケーナと、彼女の腕の中で寝ることを譲らなかったウサギでいっぱいだったので、その隣までフェルに移動してもらって、ちょっと離れた隣同士だけど。
それでもいい気持ちだった。大きな花のベッドに横になっているような、そんな心地よさ。
また明日からの調査が楽しみだった。