8.きっとこのまま。
次の日は、とても天気の良い日になった。
「芦口。」
内心びくびくしながら教室へ入ると、案の定原田が声を掛けてきた。
なんとも気まずい。
しかし私は、逃げる訳には行かなかった。
「な、なに?」
恐る恐る尋ねる。
「……ごめん。」
彼は小さく、そう言うと低く頭を下げた。
「え?」
思いもよらない事態に、私は拍子抜けする。
最悪、殴られるのも覚悟していたのだから尚更だった。
そればかりに、少々焦る。
「あの、いや私。その………ごめん。」
私も言ってから頭を下げる。
謝らなくてはいけないのは私の方だ。
しかし出てくるのは陳腐な言葉ばかりで、嫌になる。
「謝んなよ。芦口だって色々あんだよな。何も考えてなかったわ。俺。悪い。」
原田は、視線を足元の方に向けている。
だから顔はよく分からない。
けれど、その言葉に嘘は感じられなかった。
「私だって、ひどい事言ったよ。」
「いいんだ。あれくらいやってくれなきゃ、俺は分からんかった。」
私は、昨日の事を思い出す。
原田には悪いことをした。と思うと同時に、私は何だかとても素直になれた気がした。
「あの、それで江美利なんだけどさ。アイツ、西に言われたんだ。芦口と付き合うなって。」
「え………?」
私は、耳を疑った。
西が?
まさかそんな……
「な、なんで?!」
「江美利と一緒にいるから、芦口の成績が下がるんだって。最低な教師だよ。だから芦口は悪くないんだ。俺が、勇気なくてさ。芦口に八つ当たりした。」
ごめん。
と原田は力なく言った。
目頭が熱くなる。
私は、信じられなかった。
西は、何を考えているのだろう。
疑問と西に対する激しい憎悪が込み上げてくる。
どこまで汚い人間なのだアイツは。
怒りを通り越したそれは、胸を締め付け口が利けない程に私を縛り付けた。
「江美利……。」
江美利。
江美利は西から言われた時、どんな気持ちになっただろう。
少なくとも彼女は西を慕っていたし、たがらそれだけに幻滅したかもしれない。
私を嫌悪してたかもしれない。
私は、そんな事が起きていたなんて少しも考えようとしなかった。
その時点で私は、既に彼女から身を退いていたのだ。
信じていなかったと言われても反論は出来ない。
それなのに、私は自分の事ばかり考えて、面倒だと逃げていた。
最低だ、私は。
でも、今の私なら言える。
彼女に伝えたい事を。
今まで言えなかった沢山の事を。
伝えたい事は口に出さなければ伝わらないのだ。
「原田君。江美利の居場所分かる?」
私が、聞くと原田は少し驚いた顔したが、それでもしっかりと答えた。
「多分、職員室。アイツ週番だから。」
「そうか。分かった。」
「どうするの?」
「今まで言えなかった事、言ってくる。昨日みたいに。」
嘘じゃない。
今、言わなくてはいけない気がしたのだ。
「そっか。…なんか初めてだわ。芦口のキレてんのみたの。だってお前、普段他人に無関心そうじゃん。話した事も無かったし。」
他人に無関心か。
私は、そんな風に思われていたんだ。
「…だから、私、江美利にも言わなくちゃ。」
自分の声が力になっていく気がした。
それは、とても強くて確かな感覚だった。
「うん。頑張ってな。」
原田が笑う。
「ありがとう。」
自然に笑顔が零れる。
久々に自分のために笑ったと私は思った。
私は、荷物を持ったまま教室を飛び出した。
騒がしい廊下を歩き、職員室へ向かう。
階段を降り、渡り廊下を駆け足に渡って、図書室の前を通り過ぎる。
前から誰かが歩いて来ていた。
聞き慣れた声で彼は私を呼ぶ。
「おい。芦口。」
「先生!」
「どこ行くんだ?」
「伝えたい事を伝えてくるんです。」
「そっか。」
先生は、笑っていた。
「先生。」
「ん?」
「ありがとう。」
私は、その一言に様々な意味を込めた。
こればかりは言えないけれど、それでもいいのだ。
きっとこのままで。
私は、先生の肩をポンと軽く叩いた。
「行ってきます。」
先生があの、柔らかい笑みで私の頭を撫でる。
「行ってらっしゃい。」
甘く低い声は、私の背中を押した。
私は、再び歩き出す。
窓から流れ込む優しい光を辿って空を見上げた。
今日、母さんの所へ行こう。
そして言うのだ。
ごめんね、と。
私は、これまでよりもずっと前向きな気持ちで、江美利いる職員室を目指した。
必ず上手く行く。
そんな不確かな確信が、今の私には満ち溢れていたのだった。




