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7.破裂


江美利の無視が終わる事は無かった。

それどころか彼女は本格的な完全無視を決め込むようになったのだ。

あれから一週間が経ち、私はとうとうクラスの皆からも孤立する様になった。

まぁ、端から友達など江美利以外にはいなかったも同然なのだが。


ただ私はそこにいない物とされていた。


私は、疲れているのかもしれなかった

もう、どうでもいいのだ。

江美利の行動が意味する事が、私には分からない。


しかし、それが分からなければ江美利は一生、私と口を聞いてくれない気がした。

そして私は、それを知る術など何も持ち合わせていないのだ。







「芦口。」


その日の昼休み、私は意外な人物に声をかけられた。

江美利の彼氏である原田である。

教室には江美利本人の姿はない。

心臓が一瞬、停止するかと思った。


「な、なに?」


半ば久々に出したであろう私の声は、少し震えていた。何故だ?

私は、自分が傷付く事を恐れているのかもしれなかった。


「江美利の事。」


原田が素っ気なく言う。

逃げ出したくなる衝動をどうにか押し止めて、私は辛うじて頷いた。


「このままでいいと思ってんのか?」


どしりとした声色で原田は、私を責め立てるように問いただす。

チクリと針で胸を刺された気分になった。


「思ってないよ。」


言ってみたものの、私は本当に?と自分自身に問いただす。

もういいじゃないか。と自棄になる私がいる。

疲れているのだ、と。

それは、私の本音なのだろうか。

分からない。

私は、自分にまで嘘を付こうとしている。

何だか心が枯れていくような気がした。

訳の分からない焦燥が私を襲う。


「んじゃ、どうにかしろよ。お前、ふざけてんの?」


原田の口調が次第に強くなる。

クラスの何人かの人間が不穏な空気を察知して、それとなくこちらに視線を向けているのが分かる。

だけど私は、その一言にとてつもない嫌悪抱いた。

原田が江美利を大切にする気持ちら出た言葉と言う事は言われなくても分かっている。

しかし、彼の一言は私に黒い点を落とす。

それがじわじわと拡大して、私を包み込むのだ。


ふざけてる?

そんな訳あるものか。

私は、私は………。


その時、私の中に渦巻いていた感情は、確かに怒りの他の何物でもなかった。

眩暈がするくらいに燃え上がる炎を、私は無視する事が出来なかった。

沸々と込み上げるそれは、私がこれまで抱いて来た、どの感情よりも強く、そして確信を得ていた。

叫んでしまえば、楽になる気がした。

でもそうしてしまえば、確実に何かが崩壊する。


しかし、何が分かるというのだ。


「お前に何が分かるんだよ!!」


思うより先に、私の口から発せられた声は、昼休みの穏やかで騒々しい空気をピタリと止めた。

教室に反響する私の叫び声。

初めて、こんな声を出した、と頭の隅の方で考える。

私は思ったよりも冷静であった。


原田の困惑した顔と、白けたような驚いた様な生徒達の視線を私は、受けとめた。

心臓が狂ったように脈を打っている。


けれど燃え上がった炎は、行き場を無くし、後は萎んでいく一方だった。


「お前に、お前に何がわかんだよ。もう知らない。面倒だ。」


打って変わって力を無くした私の声は消え入りそうな小さな物だった。

私の口は、炎が完全に消えてしまう前に、断片的な感情をポロリとこぼす。


「もう、分からないんだ。」


近くにあった机を蹴ってみる。

ガタンと大きな音を立てて倒れた。

教室には、いつの間にか沈黙が満ち、クラス全員が私を凝視していた。


「ふざけんな。」


そう言葉に出すと、視界が暗んだ。

私は、もう私であって私ではない様な気がした。

意味もなく私は、すぐ傍にあった椅子を持ち上げる。

教室が再び騒めいた。

原田が唖然としている。

私は、そこにある何かを壊すように、椅子を投げ付けた。


それは原田の右側の床に落ち、小さな傷を作った。


「おい、何してんだ!!」


凍り付いた教室に、声が響く。

ひどく落ち着く声に、私はドキリとした。

今、自分がしようとした行動を思い返し、喪失に似た悲しみ襲われる。

息が出来なかった。


「……先生!」


周囲から声が上がる。

私の目線の先に河神がいた。


「芦口。」


彼は、私が車に引かれそうになった時のそれと同じ、険しい表情をしていた。


「お前。何してんだよ。」

先生が私に言う。

その声に顔が熱くなる。


私は、居たたまれなくなり思わず、教室を飛び出した。


「おい、芦口!」


先生の呼び止める声とほぼ同時に、クラス中が一斉に騒がしくなった。

でも、それらはどこか遠くのようで、私にはあまり現実味がない。


芦口!と先生が呼んでいる。

私は、速くなる歩調に任せて走りだした。


「待てって。」


しかしそれより速く、先生は私の腕を掴んだ。

私の視界が揺らぐ。

静寂が広がった。


もう何が何だか分からない。

夢を見ている気分だった。


「芦口。」


先生が再び私を呼ぶ。

見るとそこは、職員室の前だった。


昼休みの終わりを知らせるチャイムがなる。

それは、ひどく長く感じられた。


「怒らないから、逃げるなよ。」


チャイムが鳴り終わると同時に先生が口を開いた。


「理由なんて下らない事も聞かないから。」


そう言う先生は、私が今まで聞いたことが無いような優しい声をしていた。


私の中に罪悪感の3文字が浮上する。

私は、先生から視線を外した。


「腹が立ったんです。だから、私…。」


いい訳を考えている小学生みたいだ。

情けなくて恥ずかしかった。


「そうか。」


先生は、だけど優しく私は余計に喪失を覚える。

今では、炎も消え、虚無感だけがそこにあった。


「もう、分かんないんです。上手くいかない。」


私はその虚無と罪悪感を振り払おうとして、首を振る。

しかし分からない、なんて言葉ではもう何も誤魔化せはしないのだ。

随分前から、分かっていた事じゃないか。


「誤魔化す事は何も変わっちゃいないのと同じだ。」


先生が静かに言った。


「分かってますよ。そんな事、言われなくても分かってます。」


速くなる口調を無理矢理、抑える。


「嫌なら嫌といえば良い。苦しいなら苦しいと、助けて欲しいなら助けてって言えば良いじゃないか。」


先生はあくまでも静かな口調であった。

ゆっくりと私に言い聞かせるように。


「言えないよ。怖い。」


「怖くても、言わなきゃ伝わらない。でも、お前はさっき言えただろ?」


原口に出た言葉は、少なくとも私の発した感情だった。

始めてだ。

しかし、私が言いたかった相手は原口じゃない。


「本当に言いたい人には言えない。」


「何も出来なくなっちまうぞ?」


「……ねぇ、先生。私は何んで此処にいるの。」


また浮かび上がる疑問。

存在意義、理由。

馬鹿らしい。

でも私もそんな馬鹿らしい物がほしいのだ。


「理由なんか無いさ。だけどお前は、此処にいる。」


私は、先生を見た。

彼が、少しだけ表情を緩めた気がした。


「あのね、先生。」


「ん?」


「私ね昔、猫を見殺しにしたんだ。」


先生は静かに聞いている。


「私は、嘘ばかり吐いてた。先生に、いつか本当のことが言えなくなるって言われて、怖かった。」


何の脈がらのない話が断片的に口からこぼれる。

もう歯止めなど忘れてしまった。

止まらない。


「母さんに、言いたいこと沢山ある。父さんにも江美利にも。でも私は言えなかった。嘘ばっか吐いてたから。」


「うん。」


「私が悪いのは分かってるよ。」


そうだ。

分かってる。

分かってるけど。


先生を見た。

視線が交わる。


「だけど…………」


真実を口に出せば楽になる。

そう信じたかった。


「だけど、私を必要として欲しかった。」


言葉に出してしまえば脆く、私の真実は薄くなって消えてしまう。


「最初からそう言えば良い。」


私は、泣いていていた。

胸が押し潰されそうで、だから私は崩れるように泣いた。


「芦口、ごめんな。」


先生が小さく呟いて、私を抱き締めた。

ほんの少しタバコの匂いがして、だけど今はそれが優しく感じられた。

胸が震える。

涙が止まらなかった。


「ごめん。」


静かな廊下に、先生の謝る声と私の泣き声だけが残っていた。


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