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「ちょっと、囁いてみたかった」
花恵はこう釈明した。
花恵はちょっと背が低い。だから私の耳元で囁くには、背伸びをしなければならない。背伸びをして一生懸命耳元に囁く花恵を想像すると、ちょっとおかしかった。
花恵は、後部座席に乗っかっている。最近なぜだかヘルメットを持参してきて、私のバイクに乗っかって帰るのだ。手は腰の辺りに回され、前で両の手をギュッと握っている。私はまだまだ運転が下手だから、本当は人を乗せたくないんだけど、免許とって一年経過してしまったし、それに花恵が道路の真ん中でじたばた騒ぐよりはいい。鞄は一番後ろの荷物スペースにくくりつけてある。事故を起こさないようにしっかり気をつけなきゃ。
私のバイクはネイキッドだ。形が好きとか、そういうのは初心者だからあんまりないけど、ちょっと古い感じが渋くて好きだ。でも前からすごく風が当たるのはけっこうきつかったりする。これが好きと言う人もいるみたいで、私も嫌いではないんだけど、小柄で非力な私にはちょっと大変だった。250ccだからそんなに大きくないし、むしろこれより大きかったら大変だ。はじめて教習所でバイクにのったときはものすごく大きくて、重かった風に感じた。
「ねえ」
花恵が話しかける。運転中に会話するの、集中したいしエンジン音とかでちょっときついんだけどなあ。
「なに」
「ちょっと寄り道していこうよ」
「ええ......いいけど、どこに?」
「ドーナツやさん」
「......りょうかい」
わたしはまっすぐ行くはずだった交差点を、右に曲がった。
ドーナツやさんは空いていた。私はオールドファッション、花恵はシナモンのドーナツを頼んで、二人席に座った。紅茶を飲みつつ、花恵が頬張っている姿を観察していた。もごもごと、ほっぺたが動く。大きくなったり、小さくなったりを繰り返して、それからごくんと飲み込むと、満足そうにふにゃあと笑顔になった。
「やっぱこれだわー。美味しすぎてほっぺた落ちちゃうってば」
「じゃあ私が拾ってあげないと」
「うん、頼むわ。ところでさ、詩織って、オールドファッションしか食べないの?」
「別にそういう訳じゃないけど、私はこれが好きなだけ。1個だけ食べるなら、これにしよう、みたいな」
「じゃあ、これ食べる?」
花恵は手でちぎって、私の前に持ってきた。
「あーん」
私は顔を近づけて、一口食べてみた。なるほど、シナモンの香りがして、甘くておいしい。
「どうじゃおいしいであろう」
「うん、なかなかね」
「わたしも、あーん」
花恵が顔を近づける。私はオールドファッションをちぎって、花恵にあげる。
「うん、おいひい」
「それはよかった」
私は紅茶を飲んだ。ほのかに、まだシナモンの香りが残っている。ストレートなのに、ちょっと甘い気がした。
「あのさ、今ちょっと思ったんだけど」
「なに」
「ちょっと詩織、胸おっきくなった?」
「なんで急に」
「さっきくっついてたとき、ちょっと腕に当たってさ。前よりもおっきくなったかなって。わたしほら、ちっちゃいしさ。いいなって」
私が知らないところで私のからだは変化しているようで、花恵にはわかるみたいだ。確かに最近ちょっと運動してるから、筋肉がちょっとついたのかもしれない。筋肉より脂肪が全部、そっちにいってくれればいいのに。
「花恵もそのうちおっきくなるって」
「うう、負けないぞ、身長だってそのうち追い抜いてやるんだから」
花恵は胸を張る。お世辞には大きいとは言えないぺったんこな胸だ。花恵はそういうけれど、私だって大きくはないし、むしろ花恵はかわいいから、今の方がいい。これでおっきいおっぱいとかしてたら、ちょっと違う気がする。こういう、一生懸命な感じがでない気がする。花恵には悪いけれど、花恵は今のままがいい。
「あーおいしかった。ありがと」
「いえいえ。私も来て良かった」
「ごめんね、今日忙しいのに」
「平気。もっと夜だし。花恵には、いつもお世話になってるし」
花恵は背伸びをして、それから残っている紅茶をイッキ飲みして、氷も何個か口にくわえた。
「じゃ、かえろっか」
「そうだね。買い物とか、ある?」
「わたしはない。詩織は?」
「......ごめん、ちょっと塩が買いたい。あと牛乳」
「そっか、牛乳飲めばおっぱいおっきくなるか」
「どっかで聞いたことあるけど、それはよくわからない」
「いいよ。付き合ってあげる。ドーナツやさん連れてきてもらったし」
「ありがとう」
私たちはゴミ箱にカップとナプキンを捨て、お盆を返却して、それからバイクに乗った。