13
午前中は至って平和に終了した。
2限を終えた俺は蹴手繰とサークルの活動場所に向かっていた。
蹴手繰は速い。
俺もしっかり自分の足で歩いているつもりだ。ただこいつはストライドが大きいので俺の体重はほとんど爪先に乗ったまま、ずっと競歩をしている。
コンクリートうちっぱなしの建物の壁を3割ほど植物が覆っている。蔓を沿わせて、一面を青でうめつくすつもり。ことしこそ5割まで成功するだろうか。成長が早いのはうらやましい。
中に入った。
ここは窓が少ない。閉鎖的で空気が濁っている。酸えた汗のにおいに誰かが使った有機溶剤がかぶさり、それと化粧品の尖った甘さが複雑に絡んでいる。決してよい環境とは言えない。
階段を上って左奥の部屋に向かう。錆びてくすんだ色のドアがぶち開けられると、湿った熱風が呼吸器に染み渡った。
「げほっ、なにこれ、窓空いてないじゃん」
蹴手繰は咳き込みながら窓の方に向かう。
光の微かな部屋は埃の海だった。
ここは腐海か。それか体育館の掃除用具入れ。そのまま転移してきたような空間だった。しかし埃さえなければ、俺はこの湿ったかび臭さは嫌いではない。むしろこの湿気が多いのは呼吸がしやすくて好きだ。
これで氷室のようであればさらに素晴らしい。洞窟のような環境、冬に加湿器だけつけて生活するのとは違う。雑木林もよい。ああいう良さだ。
まぁここは、ただの蒸し器だった。
「ちょっと、起きなさいよ、アンタ死んじゃうって」
蹴手繰がカーテンに止められたガムテーブを破り捨て窓をこじ開ける。外の熱気で部屋が清清しくなるなんて、何て楽しい現象だろう。
外に吸い出された埃が羽虫のように光って舞った。
「ほら、おきなって」
ソファーにちょこんと。幼女。アイマスクをしてイヤホンをつけている。呼び掛けには応じない。
「おきなってば!」
蹴手繰がイヤホンを耳から抜き取ってアイマスクをはがした。
「わうぇぇぇええ」
起動音らしきものを発しながらソファーから飛び上がる。それから肩がひきつる。くちがホの字形になって目が開かれた。右、左、上......それから俺を捉える。
「おまんじゅう!」
「は?」
幼女は目から溢れんばかりの光線を発して、それから上を見上げる。
口元から顎にかけて反射した光が延びている。俺はハンカチを取り出して幼女の口元を拭った。
「おまんじゅう?」
目の焦点があっていない。俺を見透かして空の向こうを見ている。それとも天井のシミだろうか。
ツナギの腕を腰のところで縛り、上半身はタンクトップのみだ。さゆりのファッションも目をそらしたくなるが、こいつの場合は今すぐ肩がずり落ちそうで何倍も危うい。
蹴手繰を見る。
表情が消えてしまっている。目がじろりと俺を捉えて説明を求めた。どうも期待に応えられそうにないので、申し訳ないが首を横に振らせてもらう。
「おまんじゅう、おまんじゅう......」
人形は顔を伏せ首をかしげる。
俺を見上げて、一度頷いた。
「おまんじゅう!」
目を輝かせて右手をつきだし手のひらを見せる。
「持ってないぞ」
沈黙。
下を向いて肩を落として、ソファーにへたりこんだ。
「おまんじゅう......」
「パンならあるぞ」
「たべる!」
彼女の目からまた光が出た。
と思った瞬間白目を剥いた。
前に倒れる。受け止めた。
「だ、だいじょうぶっ?」
蹴手繰が走って近づいてきた。
遅くなりました。
これからまたかいていきますので、よろしくお願いします。