衝撃の一言
「辰之助、あんた勝俊と一緒に伏見城に入って、佐吉と秀家ぶっ飛ばして来なさい。
北政所としての命令よ。」
「寧、ちょっとは落ち着け。秀秋がビックリしてるだろうが。
後、口調が昔に戻ってるぞ」
「そうですよ、北政所様。いくら治部少尉殿と備前宰相殿に対して
怒っておられるとはいえ、「北政所としての命令」は不味いです。
金吾中納言殿にも立場が有られます」
1600年7月18日、京都新城を訪れた小早川秀秋は、
北政所のとんでもない命令を聞くことになった。
「申し訳ないな、金吾中納言殿。
北政所様は、細川家にたいする治部少尉殿の対応に憤慨しておられてな」
秀秋に話しかけている男は、木下肥後守家定。小早川秀秋の実父であり、
北政所こと寧の実兄である。
「いいわよ、兄様。ここには身内しかいないんだから、かしこまらなくっても。
兄様も、さっき私のこと呼び捨てにしたじゃない」
少し興奮が収まったのか、笑顔で家定に話しかけるのは秀秋の元義母である北政所(寧)。
1598年に豊臣秀吉が亡くなった後は、豊臣家の実質的ナンバーワンである。
「そりゃお前がいきなりあんなこと言うから。。。」
物心ついた時から豊臣家の公達としての教育をうけた秀秋と異なり、
下級武士の子供だった家定と寧は、気を抜くと直ぐ言葉遣いが悪くなる。
秀秋は苦笑いしながら、家定に尋ねる。
「孝蔵主はともかく、なぜ父上が京都新城にいるのですか」
孝蔵主は北政所の上臈(高級女官)だが、家定は播磨姫路25000石の大名である。
「儂が京都新城を警護することで、北政所が中立で有ることを示したいと
孝蔵主から頼まれたんだよ。まあ、半分は寧の息抜きのためだけどな」
「北政所は中立。。。じゃあ、なぜあんな命令を」
「佐吉の馬鹿が、球様を自害させちゃったからよ」