潜入 2
2
ヨーロッパ某ホテルの一室。
無事に博物館を脱出した俺達はそこで作戦会議を開いていた。
辺りを見回せば豪華絢爛、彫刻やらジャグジーつきのバスルームやらが広い部屋の中にどどん! ででん! とセットされている。
いわゆるVIPルームというヤツだ。
どうせ会長の金だしこれくらいしないともったいないだろ。
俺はというと、ベッドの上に腰掛けつつ、持ってきたネットブックのキーボードをリズムよく叩いていた。
正面ではソファにドカッと腰掛けた吸血鬼がトマトジュースをガブ飲みながら、嘘がどうだの、卑怯がどうだのとさっきからブツブツと言っているが、そんなものはどこ吹く風だ。
ロカさんに報告書を兼ねたメールを作成し終え、追伸で『吸血鬼がうざいです。弾き飛ばしていいですか? 』と付け加えておく。
メール送信をクリックして三秒。
ピロリンという電子音とともに知らないアドレスから一通のメールが届いた。
誰だこんな時間に……、なんて疑問は今更愚問だろう。
届いたメールをクリックする。
『送信者 ロカ』
『報告了解いたしました。 追伸 二,三人吸わせとけば大人しくなりますわ』
少し苦笑してパタンとネットブックを閉じる。
それが出来ればどんなに楽か。
今回の仕事は宝剣アセンブル・ハート、別名『悪魔殺し』の奪取。
となれば一番手っ取り早い真贋の見極めは目の前の吸血鬼を斬ってみる事だ。いや、『斬る』とまではいかなくても触れさせる程度でも効果はあるはずだ。
もっとも、それはもしもの時の手段だが、そのときになってこいつが手元にいなかった場合、俺は無駄に時間を消費してしまう事になる。
そして、その時間は確実に俺の命取りになるだろう。
「なぁヴィネッサ」
そんな事を考えながら俺は彼女の名前を呼んだ。
「謝罪の言葉なら智久の百万語を尽くしたところこで足りないわよ!! それよりも生贄を十人ほど持ってきなさい! 」
よくみると顔がほのかに赤く、目が据わっている。
どうやらジュースで酔っているようだった。
「どこの暴君だよ。董卓もびっくりだわ」
「智久に言われたくないわよ……。てかトータクって誰? 」
「三国時代に酒池肉林の限りを尽くしたオッサン」
「オッサン!? こんな美少女相手に酷くない!? 」
「……自分で言うなよ……」
と、俺は大きく息を吐き出す。
「ため息を吐きたいのはこっちなんだけど……」
ヴィネッサもため息を吐き出して片手で前髪を掻き揚げると、先ほどアセンブル・ハートの偽者につつかれた跡を軽くなでた。
「んで、アレが本物じゃないってことは本物はどこにあるってのよ」
「さてね。空の上か、海の底か、山の中か」
要するに皆目見当もつかないということだ。
首を振って、両手を挙げる。
お手上げだ。
どうやらその返答はヴィネッサもわかっていたことらしく、彼女はもう一度ため息を吐いたのだった。
「……、」
命の危険があるにもかかわらず俺についてきたのは、恐らく彼女なりの理由があるはずだ。
俺達の仕事は強制的ではなくあくまでも任意だ。
博物館での怯えようから言っても、彼女が無理についてくる必要はなかったはずだ。
ということはだ。
彼女は知っておきたかったんじゃないのか? その昔に自分の同胞を殺した『悪魔殺し』を。
それがどれほどのものなのか。
……邪推だな。
不干渉があの生徒会の暗黙の掟だ。
互いの事を知れば確かに絆や信頼にはつながるだろう。だがそれは、同時に危うさも多分に含んでいる行為だ。
例えばの話だ。
そいつが敵になった場合、そしてその事情が分かっている場合。はたしてためらい無く引き金を引くことができるか?
答えはノーだ。
情は引き金を鈍らせ、一瞬の思考のラグを生じさせる。
そしてその一瞬は、俺の額に穴が開くには十分な時間だ。
「……、それでもわかったこともある」
俺は考えを振り払うように、話を戻した。
「わかったこと? 」と、不機嫌そうに返事を返して来たヴィネッサに一つ頷いて、
「あの美術館。あそこにあったモノの殆どは恐らく本物だ」
「確証は? 」
「八十パーセント以上ってところかな。ようやくコイツが役に立ったよ」
そう言って俺は横に置いてあった鞄の中からソレを取り出した。
「暗視スコープ? 」
俺は口端を吊り上げてヴィネッサに頷く。
「アセンブル・ハート以外の展示品にはきちんと赤外線が張り巡らされてあった。それも床から天井までびっしりとな」
その光景を思い出しながら思わず笑みがこぼれる。
あの赤外線の数じゃあ猫どころかカマキリ一匹通れやしないはずだ。
クソみたいな仕事かと思ったが、会長もたまには面白い仕事を回してくれるものだ。
俺はようやく楽しくなってきた仕事に、一人でふむふむと頷きながら頭の中で作戦を構築していく。
「ねぇ智久。アンタ今ものっそいキモい顔してるわよ? 」
いつの間にか近距離まで接近してきたヴィネッサの顔を押しのける。
てか近い。
どれほどかというと生暖かい息が顔面にかかるくらいだ。正直、うざい。
「えぇいトマト臭い! お前はそっちでトマトジュースでも飲んでろ! 」
「だぁってぇ、智久が構ってくれないんだもん! ヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマヒマァ! 」
「そんな無駄無駄無駄無駄ァ! みたいに言われても俺としても対応に困るが。とりあえず今は忙しい。後で人生ゲームでもしてやるからその辺でのたれ死んでろ」
「さっきより酷い扱いになってる!? 」
「あぁやっぱ死ぬな」
「だよねぇ~。智久ってば何だかんだで私のこと大切に」
「アセンブル・ハートが本物かどうか試すのに生きていてもらわないと困る」
「鬼畜!? 」
「鬼はお前だろ。吸血鬼」
「ぐぬぬぬぬ……」
極貧な語彙のボキャブラリーが尽きたらしい。ようやく黙ってくれた。
全くああ言えばこう言うやつだ。
近頃の調子に乗ったクソガキの相手にしているようでイライラしてきた。
――まぁいいさ。とりあえずシカトだ、シカト。
だいたいの作戦はまとまった。
俺は閉じてしまったネットブックをもう一度開くと、予めインストールしてあった独自のプログラムを呼び出す。
すこしのロード時間の後、フローチャートのようなプログラムが立ち上がった。
後はこれに大まかな流れを入力して、細かいところを詰めていけば……。
と。
そこで。
視界が反転した。
ボスンと一瞬遅れてベッドの柔らかい衝撃が後頭部を叩いた。
そして、
「おい」
と。
俺は僅かに怒気をはらんだ声で、俺を押し倒した吸血鬼を睨み上げた。
「どういうつむりだ」
「もう、がまんできないのら」
言って、彼女の唇が近づいてくる。
のらって、こいつトマトジュースで酔っ払ってあがるのか……。
ぼぉっと蕩けた瞳で俺を見つめてくるその視線は、いっそ扇情的でさえある。
こんな美少女にそんな目で押し倒された日には、恐らく百人中九十九人は理性が月まで吹っ飛んでいくことだろう。
……、どうやら俺は残った一人のようだ。もしかしたら彼女の性質を知っているからかもしれないが。
口の端で犬歯よりもひときわ大きな鋭い牙が顔を覗かせている。
吐息が首筋にかかった。
甘い吐息だった。
思わず意識が薄れていくほどの甘い吐息。
吸血鬼の特性の一つだったか?
確か『魅了』とかなんとか……。
体の内部から痺れてくるような感覚。
てかおい、体に力が入らねえぞ。
「クソっ、たれ……」
その唇が首筋にそっと触れる。
柔らかい感触。背筋にゾクゾクとした痺れが走り抜ける。
その牙が俺の首筋に噛み付こうとした、その瞬間だった。
間一髪、思うように動かない手でなんとかこめかみにベレッタの銃口を突きつける。
こういう場合に備えての銀の弾丸だ。
震える手で安全装置を引き上げ、俺は躊躇せずに引き金を引いた。
だが。
その銃口が火を噴くことはなく、ただ虚しくカチンと空砲が響いただけだった。
「なっ……!? 」
勝利を確信していた俺の顔が驚愕に歪む。
くそ、道理で違和感があると思ったら……、コイツどうやったのか知らないがいつの間にかベレッタの弾を全て抜き取ってやがった。
「どう、やって……ッ」
純銀でできている以上、こいつはどうやっても弾丸には触れないはずだ。
ニヤリとヴィネッサが不適に微笑む。
「別にぃ~。ただ空の弾装と入れ替えただけなのら~」
「なん……だと……」
あまりにもシンプル、且つ大胆な作戦だった。
完全に予想外だ。
「くっ……」と、悔しげに呻く俺に、もう一度勝ち誇ったように笑うと、彼女はそのまま俺の首にかぶりつこうと、
ゴン!! と部屋の中に鈍い音が響いた。
「だが、俺に勝つには一万年と二千年はやい」
ベレッタのブリップ部分で全力で頭を強打してやった。
腕が痺れてたので手加減ができなかったが、それはこいつの自業自得だろう。
ぐらりと、彼女の口は俺の首筋を噛むことなくその横をすりぬけて崩れ落ちた。
しばらく起きることはないだろう。
「やれやれ」
そう言って、何度目かのため息を吐くと、ベレッタの弾装を元に戻てし、もう一度キーボードに向かって指を躍らせるのだった。




