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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

<短編ホラーコメディ> 正面霊

掲載日:2026/10/15

 一ノ森ヒバリは悔恨する。


「肝試しになんかに行くんじゃなかった」と。


 それはよくある高校卒業を意識した最後の夏のイベントであり、開催場所も心霊スポットなどではなく、ごく一般的な廃屋のため、結局は儀礼的に『怖い』を連発するくらいのことで何事もなく終えた。

 しかし、後悔とは先に立たないものだ。


「うわぁぁぁ!!!」


 翌朝、カーテン越しの日差しに瞼を開けたヒバリのすぐ目の前に長い髪が揺れていた。

 朝一番の絶叫は家族を起こし、怒られ、そして、非日常の始まりを告げた。


「何がどうなんってんだよ」


 何が目的なのか、後ろ姿のまま自分の正面に居座る女の霊に対して、とりあえず塩を撒いてみたが効果はなく、ネットで調べたお経も空しく響き、やがて『早く学校に向かえ』という、本日二度目の母親からの怒りを買ったところでヒバリは諦めて学生服に着替えた。

 その間も女の霊は約五十センチメートルほどの距離を保ったまま、ただ背中を見せている。

 とにもかくにも、ただひたすら前方が見辛い中、何とか高校へと辿り着いたヒバリは肝試しのメンバーを招集し、事の次第を説明した。

 しかし、当然のことながら友人達の態度は冷ややかだった。


「で、幽霊が見えるようになったってわけ? おめでとー」


 抑揚のない声で軽く拍手したのは二川舞音。


「いや、誰かしらネタを言い出すとは思っていたが。まさかのヒバリとはな。シノヤン、先を越されちまったな」


 苦笑いを浮かべる三田優人。


「そんなこと全然考えていなかったっての……と言えば、嘘になるわな。ちくしょう」


 最後に心から悔しそうに嘆いたのはシノヤン。


「「「あははは!!」」」


 そして、三人は笑う。

 このノリは彼ら四人が小学生の頃から変わらない。


「いや、ネタじゃないんだって! 何かずっと前に立っているんだよ! 一定の距離で張り付いている感じで。とにかく、女の後頭部が邪魔でお前らの顔も見辛いんだよ!」


 ヒバリは信じて貰えないことを承知で訴えかけるが、やはり無駄なようで空気の軽さは変わらない。


「背後霊ならぬ正面霊ってこと?」

「いやいや、それってただの幽霊だろう」

「ボケ役といえば、ずっと俺だったのに。これもある意味では俺の卒業式なのかもしれねぇ」

「「「あははは!!」」」


 ヒバリの感情は揺れに揺れ、彼らに怒鳴っても仕方がないことだと自分に言い聞かせながらも、どこかに助けの船はないものかと願っている。


「クソが!! どうすりゃいいんだよ!! お前ら都合よく霊感のある知り合いとかいないのかよ!!」

「ホラー映画の見過ぎでしょ」

「ネットの掲示板の怪談とかだとテンポを優先したいのは分かるが、コンビニくらい当たり前に出てくるよな。主人公もあまり突っ込まないし」

「いるぞ」

「「あははは!!」」

「お前らいい加減に……えっ、うん? シノヤン、今何て言った?」


 友人たちの反応に対して苛立ちを抑えきれなくなりそうだったヒバリだが、嘲笑の間に挟まった言葉を聞き逃すことは無かった。


「流石にボケっしょ」

「ボケだよな?」


 舞音と優人が視線を送ると、シノヤンは真面目な顔で答える。


「いや、マジ。確か俺の母親の友達の友達の姉の友達の妹の友達の兄がクソやばい幽霊に襲われた時、クソやばい霊能者に助けて貰ったって」

「俺は本気で困ってんだよ!? コンマイの隠しコマンドみたいなこと言ってんじゃねぇぞ!?」

「やめてくれ、ヒバリ。そのツッコミはゲーマーの私に効く」

「あー、何だっけそれ。昔、一番上の兄貴がやっていたような気がする。俺はあまりゲームとかやらないから知らないが、最近のゲーム機でもあるのか?」

「うるせぇなぁ!? お前らは黙ってろ!」


 憤怒の炎が燃え上がり、いい加減手を出しそうになっているヒバリだが、そんな彼を諫める様にシノヤンは続ける。


「落ち着け、ヒバリ。ボケとかじゃねぇから。帰ったら母親から色々と話を聞いてからレイン送るわ。あっ、どれくらい掛るか分かんねぇけどよ、流れ的に話を聞いてもらえる感じだったら、出来るだけ早くお願いしたいって言っちゃって良いか? 確かあんま覚えてねぇけど、そっちの業界……って言っていいのか知らんが、元々すげぇ有名な人とか聞いたはずだから、うだうだ悩んでいる暇がないかもしれねぇ」


 シノヤンはボケ役だが、気遣いも出来る上、真面目なところはしっかりと真面目であるため、仲間内では『温度差がキモい』と言われている。本人は影で泣いている。


「あぁ、もうその辺りは任せるよ。何とかして貰えるなら明日でも良い。むしろ、今日でも良い。とりあえず、バイト代で何とかするし、足りないなら親に貸して貰うわ。シノヤン、マジでありがとう。助かるわ」


 親しき中にも礼儀ありとヒバリはシノヤンに頭を下げるが、その様子を見ていた舞音と優人もようやく事態が飲み込めたのか、流石に表情が強張った。


「……えっ、ヒバリ。さっきの話はマジのガチだったの? やばっ」

「……ガチのマジだったのか。やばいな」


 ヒバリはさり気なく自分から距離を取った二人に対して口から呪詛が漏れそうになりながらも、女の背中を避けながら睨みつける。


「だからずっと言ってんだろう!? 後ろ姿の女が朝起きた時からずっと目の前にいるって!! 俺の体に固定されているみたいにくっついて全然離れないんだよ!!」

「えっと……その幽霊さんは触れたりしないの?」

「あぁ、無理だった」

「試しはしたのか。無駄に度胸があるな」

「初めは怖かったから何も出来なかったけどな。でも不思議なもんで正面にいて邪魔だし、顔は見えないし、恐怖心より苛立ちの方が勝ち始めて、試しに振り払おうとしたけど駄目だった」


 ヒバリは右腕を動かして霊を振り払おうとするが、やはり何の反応もない。


「それって触れたら触れたでその後が怖いんじゃないの? ホラー映画とかの被害者ってさぁ、死因が曖昧だったり、心筋梗塞とかみたいな現実味のある病名が出てくから脅かすシーン以外の幽霊っていまいち怖さが分からないって感じしない? あんたが触れていたら、普通に物理攻撃の可能性が出てきたかもじゃん」

「……そう言われると確かに触れなくて良かったような気がしてきた」


 舞音の言葉に知らず知らず安堵するヒバリ。

 生きている人間の方が怖いと言うのも納得だが、その辺りの曖昧な部分の影響も大きいのだろう。

 実際にはっきりと見えていて、精神と物理の両方で干渉してくるような状況だったとしたら、その辺りの価値観にも影響は生じるかもしれない。

 その場の全員が多かれ少なかれ似たようなことを思っていると始業のチャイムが鳴ったことで解散となり、ヒバリは黒板が見え辛い状況に四苦八苦しながらも、何とか無事に授業を終えることが出来た。

 そして、数時間後、ヒバリが落ち着かない様子で部屋で待っていると、夕食の直前でシノヤンからレインが来た。


『お待たせ。何か思いの外とんとん拍子で話が進んで、霊能者さんとも連絡が取れたわ。後ろ姿のまま正面にいる霊の話をしたら興味を持ったってことで、とりあえず見るだけ見たいから相談料は無料。お祓いをすることになっても、お前のバイト代で賄えるくらいの金額で依頼を受けてくれるってさ。急ぎでお願いしますって伝えたら明日来てくれって』

『本当に何から何まで助かるわ。マジでありがとう。今度何か奢らせてくれ』

『肉でよろ。んじゃ住所を送るわ。健闘を祈る』


 


「まさか、地元にいるとは……」


 翌日、ヒバリが向かったのは小奇麗なアパートの一室だった。

 彼がどこか緊張した面持ちでノックをすると、扉を開けたのは二十代半ばほどに見える、品のある中性的な顔立ちの好青年だった。


「こ、こんにちは。あの、一ノ森ヒバリです。いきなりの連絡だったのに……その、本当にありがとうございます」

「こんにちは。宮瀬ベニマです。こちらこそ……不謹慎ながら興味が勝ってしまいましてね。とにかく中へ入ってください」


 ヒバリの中にある霊能者のイメージは、感じの悪い陰気なおじさんや着物を着た怪し気なおばさんだったため、一瞬弟子のような存在かとも思ったが、何となく彼の持つ独特の雰囲気が漠然と本物を感じさせた。

 どちらにしても、二人の間にいる霊を避けるようにして顔を動かしながら挨拶をした時点で、宮瀬という男が偽物であるという懸念は消えていた。


「さてと、コーヒーよりもジュースの方が良いでしょうかね」

「いえ、お構いなく……」


 ヒバリは白い壁と落ち着いた雰囲気の家具に視線を移していくが、特に謎の人形やお札のようなものもなく、これといって興味を引くものはなかった。


「驚くほど普通でしょう」


 そんなヒバリの心中を察したかのようにテーブルにグラスを置きながらベニマは微笑む。


「すみません。ジロジロ見てしまって」


 カランという氷の音すら幻想的な響きに感じるのは、ベニマの雰囲気がそうさせるのだろうかとヒバリはそんなことを考えながら、ヒバリはそう返した。


「ふふ、お気になさらず。世間の方の思う霊能者というイメージではないことは承知していますからね。さてと……では早速ですが、少し失礼しますね」


 ベニマは少しだけ真剣な表情を浮かべると、その頼りなさげな細い腕を伸ばし、女の霊に触れた。

 そして、それから一分ほどして小さく頷いた。


「全て分かりました」

「えっ、全て? もう全部分かったんですか?」


 まだ一分しか経過していないにも関わらず、まるで解決したかのように微笑むベニマに対して、戸惑う以外の選択肢がないヒバリ。


「はい。配信者時代とは違いますからね」

「配信者?」

「あっ、そこまでは聞いてませんよね。引退したのは五、六年前となりますが、中学から高校の終わりまで狐の仮面を被ってアトリという名前で動画配信をしていたんですよ」

「うぇ!? マジっすか!? あの霊能相談チャンネルのアトリ!? 小学生の時、ボンビリアバーの心霊コーナー見てました! やらせ暴露病院送り事件もリアルタイムで見ていましたよ!」


 やらせ暴露病院送り事件。

 それは心霊特番の『心霊スポットから実況生中継のコーナー』において、現役高校生の天才霊能者という肩書きで呼ばれたベニマが、撮影現場の廃墟で起こることをやらせだと暴露し、慌てて止めに入るスタッフに対して『本物』を見せてあげると言い、近くの何の変哲もない空き地に移動し、その後、しばらくしてスタッフの絶叫が響き、カメラマンも含めて複数人が失神してしまったことで中継が終了した事件だ。

 それを含めて番組の演出なのではないかと思われたが、やはり生放送ということもあり、少なくはない近隣の視聴者が現場へ集まり、当然のことながらSNS上には数台の救急車とパトカーがやって来た状況を捉えた複数の映像が拡散し、やらせ疑惑は消えることとなった。

 ちなみにスタッフ達は何を見たのか、その後誰一人として何も語らなかったことで話題作りのやらせではないという信憑性が増した。

 

「懐かしいですね。自分が詐欺に加担しているような感覚が嫌であんなことをしてしまったわけですが、無関係なスタッフさん達には申し訳ないことをしてしまいました」


 しかし、皮肉にもベニマには数多くの取材や仕事が来るようになり、チャンネルの登録者も鰻上りとなった。

 ちなみに顔立ちも良かったため、テレビ局の人間からは狐の面を取ることを推奨されたという裏話もあるのだが、それについては断っている。


「……あれ、でもいつの間にかチャンネルもなくなっちゃっていましたよね……あっ、すみません、何か触れちゃまずい感じ話題ですかね」

「うん? あぁ、いえ、全然。そもそも姉に推されて中学の頃に配信者を始めたら人気が出てしまっただけですからね。高校は卒業しましたが、普通に大学に行って就職するつもりだったのです。しかし、想像以上に稼げしまってこの先どうしようかなと思っていた時、本職の人達からお声が掛かって本名で霊能者をやることになったんです」


 自分をスカウトしに来た霊能者達との間にも信じられない物語が存在するのだが、ベニマは敢えて興味を持たれるような言い方はしなかった。

 元来話好きのため、彼としても語りたくないわけではないが、語ると数時間は掛ってしまうからだ。


「なるほど。そういうことだったんですね」

「で、話を戻しますと、配信にしてもテレビにしても尺が必要となりますので、敢えて時間を掛けていたんですよ」

「めっちゃリアルですね。じゃあ、他の霊能者もそんな感じなんですか?」

「いえ、個人差がありますね。分かりやすく例えるなら野球選手のようなものです。同じプロでも二軍や三軍から昇格出来ずに引退する人もいれば、一軍で活躍する人もいるといったところです」


 ベニマは一軍で好成績を取り続けるレベルなのだろうなと、ヒバリは漠然とそんなことを思っていたが、それでも過小評価であることを知る由もない。


 宮瀬ベニマ。

 彼は霊能者の業界において、日本では五本指に数えられる立場であり、国外からも救援要請が来るほどの存在となっている。


「どこの世界もそんな感じなんですね。あっ、すみません。何か色々と話を聞いちゃって。でも、マジでそこらのタレントとかに遭遇するよりずっと嬉しいっす」


 テレビにしろ、ネットにしろ、子供の頃の方が真剣に向き合っている分、ヒバリの言葉はお世辞の類ではなく、むしろ感動さえ覚えていた。


「あはは、それは光栄ですね。こちらこそお喋りが好きなので止まらなくてすみません。さてと、ではそろそろ本題に入りましょうかね」

「よろしくお願いします。それで、この幽霊ってどういう経緯で俺に憑いたんですかね?」


 ヒバリがそう尋ねると、ベニマは少しの間を置いた後、先ほどまでとは打って変わり、どこか薄暗くも真剣な眼差しで見つめながら答える。


「そうですね……一応確認させて頂きますが、本当に真実を知りたいですか? 心霊番組のみならず、ホラー映画やドラマもそうですが、大体この手の霊能者とのやり取りって相談者を怖がらせるだけですから、その場で解決できるなら、本人には適当なことを言って除霊を済ませてあげれば良いのにと思ってしまう人も多いでしょう。しかし、僕自身はあまり嘘を吐きたくない人間でして。お世辞や社交辞令とかを含めて嘘というものが好きではありません。そのため、真実を話すことは出来ますが、同時に知らない方が良いこともあるとも言っておかなければなりません。そして、あなたは好奇心を抱いて後悔すると思います」


 ベニマは配信者時代のみならず、幼少期から数多の相談を受けてきたため、おおよそ人間の本質を知っている。いや、そこまで言うと大袈裟かもしれないが、多くの人間が同じ行動を取ることを知っている。

 怖いもの見たさや好奇心には抗えない。

 ホラー映画の登場人物の馬鹿な行動を見た時は苦笑するだろうが、実際に未知の何かを経験すると、そこから生まれた興奮と好奇心が理性を押し倒してしまうことはままあるのだ。

 だからこそ、そう宣告した。

 

「そうですか。えっと、いや、でもやっぱり気になりますので教えて欲しいです」

「分かりました。では、初めに……霊自体は肝試しとは無関係です。ただ、霊が見えるようになった切欠は肝試しの影響でしょう。本来は見えないはずの世界を見ようと意識してしまったこと、たったそれだけのことが大きく影響する世界なのです。例えるなら一般的な宝くじのようなもので、数字が一つ違うだけで数億円にもなれば紙屑にもなる。今回は意識したことで下一桁の数字がずれたために紙屑が一等になってしまった形です」


 ここでベニマが一例として挙げたのは、百均こと百円均一ショップの商品の話。

 とある女性が百均で購入したプラスチックケースが、様々な条件が重なったことによって呪物となり、周囲の負の念を閉じ込め、やがて家族に不幸を呼び寄せる存在となった。その解決策は、箱にサインペンで落書きをした。それだけ。たったそれだけでのことで、呪物は百均の量産品に戻ったのだ。しかし、それは同時にたったそれだけの誤差でも、オカルトの世界に触れてしまう可能性があると、ベニマはそう語ってみせた。


「なるほど……うん? あれ、じゃあこいつはどこにいたんですか? その後はコンビニと……あっ、お墓の前も通った気がします」

「いえ、そもそも三年前ですから、その辺りも関係ありません」

「はい?」

「彼女の記憶を見た限り、あなたに憑いたのは三年前です。場所もとあるマンションの前です」

「えっ、いやいや……マジですか? ということはつまりは……ずっと……目の前にいたみたいな、そういうことですか?」

「そういうことになりますね」

「ちょっと待ってください! 鳥肌がやばいっす!」


 見えないだけで三年間、目の前に霊がいた。

 その事実が随分と気の早い冬の寒さを引き連れて、ヒバリの全身を這いずり回る。


「そろそろやめておきますか?」

「……いや、全部聞いておきます」


 ヒバリの言葉に頷いたベニマは、説明や霊のイラストなどが描かれたスケッチブックを広げながら説明を始める。


「では、まずは一口に霊といっても色々と種類はありますが、今回は三つの分類を説明します」

 ベニマはこう説明した。

 一つ目は最も多い残留思念型。自我などはなく、強い意思が写真のように残っているもの。この手のは放っておいても、やがて薄れて消えてゆく。

 二つ目は意志型。残留思念型の意思と違い、彼らの行動原理となるため、志と書く方の意志。特定の意志を持っている霊。例えば愛する子供を残し、早くに亡くなった母親の霊がいたとして、彼女の意志は子への愛情となる。それだけなら良いものだと思えるが、現世に留まっている時間が長ければ長い程、擦り減り、狂ってゆく。つまり、子供を守りたいという気持ち、幸せになって欲しいという願いが失われてゆき、愛という名の執着、人というよりも概念のような存在となり、最終的には愛ゆえに自身の元へと引きずり込もうとしてしまう。この辺りまで来ると、世間でいうところの悪霊という存在になる。

 三つ目は自由型。人間の意識や思考を保ったまま霊になってしまったため、最も不憫な状態。開き直って自由気ままに放浪している霊も存在するが、大半はどうしたら良いのか分からずに途方に暮れている。


「三つ目って未練があるから幽霊になるんじゃないんですか? 創作物だとそれを解決して成仏させてますよね」

「いえ、先ほども言いましたが、結局は宝くじのようなものですから。よく聞く話だと自分が死んだことに気付かないとか、強い未練が云々というものはありますが、条件の一つにしか過ぎないと思います。後者に関してはお金に困っておらず、人生においての大半の目的はやり終えて、百歳近くまで生きて大往生とでもならない限り、そもそも未練のない人間なんて少ないでしょうからね。むしろ人間は欲深いので、それでもまだ未練があるなんて人もいるでしょう」

「なるほど。じゃあ、本当に運要素が強いんですね」

「えぇ、もちろん欠片も影響がないわけではないとは思いますが、例えば誰かに復讐したいなどという強い思いだけで霊が生まれるのならば、この世は彼らで溢れ返ってしまうでしょう。世界を見渡せば、そこらのホラー映画に出てくる怨霊の生前の人生よりも、ずっと酷い人生を送っている人なんてたくさんいます。特に憎悪などが優先されるのであれば、憎まれっ子が世に憚ることはありません」

「何か世知辛いですね」


 身も蓋もない話だが、きっとそれが世界の真理なのだろうとヒバリは溜息をつく。


「はは、そうですね。哀しいですが、それが現実です。話を続けますが、今ヒバリさんに憑いている霊は二つ目の意志型です。彼女は恋に囚われています。ちなみに十五歳の時に自殺したようです。場所は……羽野駅の傍にあるマンションから飛び降りたようです」

「あっ、ちょっと待ってください。三年前にマンションから飛び降り自殺した中学生の子……あっ、あれ、何か聞いたことがある様な……あぁ、あった! そうだ! あの駅の裏手の……」


 ヒバリは記憶を探ってゆくと、どこかの中学校の女子生徒が自殺したという話を思い出した。

 しかし、当時はいつも通る場所での自殺ということで、随分と印象深い出来事のように思えたことが、恐らく一年も経たない内に自身の記憶から風化していたことに何となく罪悪感を覚えた。


「もしかして、俺とその子が実は知り合いだったり……」

「いえ、確かに生きていれば同じ年齢かもしれませんし、映画などではありがちな流れですが、初対面の可能性が高いです。もしかしたら幼い頃に遊んだことがあったり、道端で擦れ違っている可能性はあるでしょうが、少なくとも彼女の記憶の中に強い思いはありませんのでご安心ください」

「じゃあ、猶更なんで俺に……」

「初恋です」

「はい?」

「彼女……五島青葉さんは早くに父を亡くし、少々問題のある……俗に言う毒親たる母親に育てられ、私生活も学業も将来も全てを縛られ、最終的に追い込まれた末に命を絶ったのですが……ずっと憧れていたのです。母親に隠れて読んでいた少女漫画の主人公に」

「すみません。すらすらと衝撃的な事実が明かされて反応しづらいです」

 ヒバリは怪訝な表情で首を傾げる。

 芸能人などならともかく、全く面識のない人間に初恋を捧げられているというのは、良くも悪くも奇妙な心地だった。


「あぁ、申し訳ありません。ずっとこうやって生きてきたせいなのか、他人事として淡々と話してしまうところがありましてね」


 ベニマは何てことないかのように微笑むが、ヒバリはその表情に少しの歪みを感じていた。

 それが人の悲劇に対する慣れからくるものなのか、きりがないと目を背ける様に割り切ったものなのか、それを問えないまま話は続く。


「そして、彼女は意志型の霊になった。あの場所で、ずっと待っていた。生前には出会えなかった誰かを……初恋を」

「……それが俺だと?」

「えぇ、あなたです。波長が合ったのか、他の理由なのか、そこまでは分かりません。既に彼女は概念に近い霊になっていますからね。もう少し正常な状態ならば読み取れたかもしれませんが、この状態での記憶はノイズが掛かっているかのようになっていまして、上手く読み取れません」

「そうですか。あっ、そういえば何で後ろ姿なんですか? もしかして、生前は内気な人だったり?」

「良い読みですね。確かに上半身や下半身だけの霊、はたまた人とはかけ離れた異形となった霊などは、生前の性格や思想も影響していると考えられているのですが、それだけではなく、コンプレックスや逆にポジティブな一面……つまりは自信のある場所を強調している場合もあるのです。今回は完全に後者です」

「えっと、つまりは後ろ姿……あっ、もしかして髪ですか?」

「ご名答。母親に人形のように扱われた結果、消極で自己評価の低い性格になってしまった青葉さんの唯一の自慢が、その綺麗な黒髪でした。だからあなたに見て欲しかったのです。生前の身長も今よりは随分と低かったようですし、これはあなたに憑いた瞬間、見やすい身長に変化したようですね」


 ベニマは微笑むと、ヒバリを称賛するように軽く手を叩いた。


「何か……上手く言葉に出来ないのですが、悲しいというか、切なくなってきました」


 心霊や悲劇を語っているとは思えない、ベニマの容姿も相まって、たおやかとも評せるほどの空気間だったため、ヒバリとしても芽生えそうになる感情を押し流せるかと思っていたようだが、彼の持つ生来の優しい気性と想像力が災いして知りもしない少女の人生を思い描いてしまった。


「気持ちは分かりますが、このまま放っておくのは色々と問題がありますので。前が見辛い以前に悪霊に近い状態ですから」


 ベニマはどこか懐かしむかのような瞳でヒバリを見ながら、優しく諭すようにそう言った。


「そうなんですね。てっきり悪霊になるってもっと見た目も怖くなるのかと思っていました」

「その辺りも個人差がありますね。しかし、不謹慎ですが、僕としても後学のためになります。身長の件はともかく、前後が半分に分かれている状態なんて初めて見ましたし」


 ヒバリが冗談めかして言ったが、ベニマは真剣な表情を浮かべている。


「はい? 何すか、前後が半分て」


 ヒバリはここにきてようやく何かがおかしいと感じた。

 そう、わざわざ『好奇心は身を滅ぼすぞ』と言わんばかりの前置きをされた意味を理解できずにいたが、その時が近づいてきていることを確かに感じた。


「あぁ、あなたのご友人は正面霊と呼んでいるそうですが、それは文字通りに半分正解です。私の視点から見ると正面霊の断面は影のようにしか見えません。そして……」


 ベニマはそっと首を傾けるようにして、ヒバリの背後を覗き込む。


「前額面の腹側、つまり顔を含めた前側はあなたの真後ろにあります」


 ヒバリの口から呼吸とも吃逆ともつかないヒュッという高い音が漏れる。

 今朝、当然のことながら彼は寝起きに鏡を見たが、そこには何も映っていなかった。

 そして、何よりも意識はずっと正面の黒髪に向けられていたため、その他の可能性など考慮する余裕はなかった。


「やめておいた方が良いですよ。彼女の人生は母親の人生。自分のものと思えるものなど、その綺麗な黒髪しかなかった。顔という部位に対して、微塵も思い入れがありません。それどころか母親に似た顔に憎悪すら抱いていました。だからこそ最期まで恐怖から目を逸らすこともなく……その顔をコンクリートに叩きつけた」


 ヒバリの行動を予測したベニマが初めて見せる真剣な表情で口にするが、人間とは愚かな生き物であり、好奇心の怪物だ。

 振り返れば、そこに何があるのか見当はついている。

 恋に恋した乙女の悲しくも悍ましい程の高揚。

 初恋に取り憑かれた者が、死後に夢を叶えられたが故の歓喜。

 黒髪の後ろ姿だけが生前の美しさに揺れ、唯一の誇り。

 そして、母親に似た自身の顔に憎悪すら抱いていたのであれば……


「…………」


 ヒバリはベニマに何も答えないまま、そして、恐らく背後にある顔がどういうものなのかを想像した上で、ゆっくりと上半身を捻るように後ろを向いた。




 数日後、ヒバリは五島青葉が飛び降りたマンションの前に立っていた。

 流石に花束を手向けるわけにもいかず、ただ両手を合わせながら、心の中で語りかける。


(青葉さん、あなたがどんな人だったかのは知りません。どれだけ辛い日々を過ごしたのかも想像しか出来ません。でも、もしも本当に生まれ変わりがあるのなら、どうか次こそは幸せになってください。きっと、いや、絶対に俺なんかより良い男なんて腐る程いますから……だから、あなたの初恋はこれで終わりです)


 今のご時世、部外者があまり長く留まっていると不審者として注意されてしまうかもしれないと思い、ヒバリは足早に敷地から出てゆく。

 その途中で何となく後ろ髪を引かれるような心地で振り返り、無意識の内にマンションの屋上を見あげた。

 しかし、そこには青空に一つ、退屈そうな雲が浮かんでいるばかりだった。



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