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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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8(追加あり)



 まもなく片付くと伝えられて、確かに気が緩んでいたのかもしれない。私も含め全員だ。もしかしたら、王宮のお父様もミカエル様もそうだったのかもしれない。


 その日は晴れていた。


 両陛下と王太子様は現在外遊中で、そのためお父様も王宮に詰め通しで多忙を極めているが、「明日、急遽王太子様が帰国される」との一報が早朝にあった。


 お父様もこれで邸に帰ることができる。そして近いうちに「私の身の危険」も片付く。ミカエル様とのお茶会も再開される。一気に問題が解決される。


 気が緩んでいた。


「王太子様は明日ご帰還ということだから、お父様の帰宅は明後日かしら」


「そうだといいですねえ」


 本日の当番、公爵家護衛を待ちながら中庭に出る。

 その時、さくさく歩く足音に、突然激しい声が重なった。



「下がって!令嬢、おさがりください!」



 怒鳴り声だ。見ると、門の方から公爵家家紋入りの胸当て姿の男の人が、血まみれで走ってくる。頭から首まで真っ赤に染まり、髪がどす黒い血の固まりで顔に垂れかかって片側を隠している。彼はぶんと腕を横に振った。


「下がって!暴漢です、剣を取られました!」

 帯剣ホルダーに剣がない。彼は口から血の混ざる唾を飛ばして、胸当てを押さえてすごい速さで近づいてきた。


 その後ろから、同じく真っ赤に染まった別の人が、同じくこちらに走ってくるのが見えた。「待て、待てえええええ!」と絶叫しながら胸当ての人を追っている。顔のすべてが血で潰れていて肌の色さえ見えない。胸当てどころか一切の防具のない姿で手に握るは、公爵家護衛用の剣だ。


「お嬢様!」

 ケイトが私の前に立つ。素早く取り出して構えたのは腰の短剣だった。


「守れ!囲め!……剣を捨てろ、切るぞ!」

 前後と両側にいたうちの護衛たちが一斉に飛び出して、後ろから追ってくる、剣を持つ人に向かって、抜刀して……



 みんな、追ってくる後ろの人を見ている。

 私はなぜか、前を走る、胸当ての人を見ていた。

 胸当ての人が至近距離にきた。目が合う。



「……え」


 ……私。こんな人、知らないわ。




「っっケイトッッ!!!」


 ケイトが一瞬で横に吹っ飛んだ。同時に短剣が宙に跳ね、掴んだのは胸当てをつけた血まみれの男だった。



「動くな。わずかでも動けばこの女の胸を刺す」



 ぐっと回された腕が喉を潰す。男は私を抱え短剣を突きつけたまま、ゆっくりと移動した。


 芝生に横たわるケイトが動かない。うちの護衛たちが剣を構えたまま必死に目だけ動かして隙を狙っている。後から追って来た血まみれの、そう、本物の公爵家護衛……胸当てを剥がされた護衛が、剣を震わせて怒鳴る。


「なにが目的だ!どこへ連れて行くつもりだ!!」


 それらをすべて無視して、胸当ての男はそのまま私を引きずって門を出る。門の周りには門前護衛や公爵家護衛のもうひとりがいた。みんな、血の滲む地面に倒れていた。


「……なんてことを」


 絞り出すのがやっとの声がかすれて消えてしまった。喉を押される苦しさと胸を切り裂く苦しさに耐え切れずに涙がこぼれる。


「おっと」


 胸当ての男は呟き、ぱちぱちっと瞬きをする。わずかに眉を下げ、しかし一瞬で私の頭をすっぽりと麻袋で覆った。手品のようだった。


「悪いな、オレは私兵なんだ。その中でも特殊な任のみ下される、密なる私兵中の私兵。守る訓練がメインの護衛にゃ重荷だったろうな」


「ケイトを、みんなを……よくも」


「大丈夫だ、見た目は派手だが行動不能にしてるだけだ。主の命は、『無理にでも連れてこい、そして完遂するためなら邪魔者は排除しても良い』。逆らうことはできないが……だが、さすがに排除はなあ。そこまではしないさ」


 呟いて、男は私を抱え上げて走り出す。馬のいななきが遠くで聞こえる。麻袋の内側になんらかの薬が塗られているらしく、意識が少しずつ薄れて行く。




 貴族の家が持つのはあくまでも護衛。兵ではない。

 国の管轄である国軍正規兵士や自薦公募民兵隊とはまた別に、個人専属の兵、殺傷能力を有する私兵を持つことを許されるのはたった四人、陛下と王妃、王太子。そして、第二王子だけだ。



 化け物はいたのだ。

 











……………追加……………



 全員が固唾を飲んでこちらを見ている。その緊迫した沈黙を破ったのは、やはり目の前の男だった。


「……お、お、おまえ、浜口、おまえ……急に反抗しやがって、わけのわからん虚偽の話など……室長のオレになんの恨みがあるのか知らんが、こ、これ以上くだらん妄想発言をするなら」


「するなら?」


 一歩踏み出して、すくうように下からにらみつける。


「するならなに。虚偽だと思うならその記録映像をみんなで鑑賞しましょう。……マリを追い詰め、罵り、いたぶり、サンドバッグにして思考を麻痺させ、周囲から孤立させて、そして辞表を出させて……それから。それから?どうしようとしたんだっけ?「お前がここから逃げても、オレが地の果てまで追いかけるぞ。それが嫌ならオレの家に来い」だっけ。襲って精神を破壊するまで嬲って無理やり結婚にでも持ち込もうとでも?永遠に奴隷にして?きさまの歪みきった性癖には反吐が出るわ」


 さらに周囲が揺れる。後ろの青木も息を飲む。


「な、な、な……なにを……」


 男の顔は真っ白から真っ赤になり、そして無色になった。濁った白目だけが必死でこちらを見ている。窓にくっついて離れない虫けらのようだわ。



 汚い。

 思わず膝を振り上げて、その醜い腹に思い切り埋めた。




 マリ。


 毎晩泣いていたマリ。


 食べられないって痩せた手首を見せて笑ってたけど、わたくしはわかっていた。

 マリの命は、もう長くないと。

 綺麗なマリが、もうすぐ、終わってしまうと。



 マリは、この男の本心を知らない。腐った心の奥の奥にぎらぎらと光る汚い欲望には気づいていなかった。ただ、仕事のできない自分をひたすら怒鳴りつける上司だと恐れていただけだった。



 わたくしは気づいていたのよ。この男の隠した本心。言わなかったけど。


 そして、大事な大事なあなたの命が、弱り摩耗し削り取られ、もう消える直前の蝋燭のようになっていたのも。




 わたくしは許さないわ。




「きさまごときのものになると?わたくしが?」


 青木が、わたくしの後ろで喉をごくりと鳴らす。呻いて床にうずくまるクズ。胸をそらし、背を伸ばし、わたくしは顎をくっと上げる。




「気持ち悪い。無様な生き物が」




 マリ。

 もうあなたの顔を思い出せないわ。










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