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「……」
再び、沈黙の茶会がスタート。
と、内心うんざりした私を裏切るかのように、甲高い声が響いた。
「れんこう……連行って……まさか、ええ!?ユン様あ、あたしのために!?この人を牢屋に連行しようと……!?そんな……っ」
ピンク令嬢。あなた、ほんとすごいわ。ずっと連行という単語の意味を考えてたのね。一ミリの隙もないほど張り詰めた空気が、一瞬でだらりと緩んだわ。
「そんなあ、もうあたしのために戦うのはやめて。この人は最恐の悪魔だもの、ユン様も無傷じゃいられないわ。ミカ様が体を張って止めてくれている間に、あたしたちは未来に向かって走りだしましょ!?」
あれか、おれに構わずお前たちは前へ進め……!ってやつね。なんとなくわかってきたけど、このピンク令嬢の頭の中は、大作映画レベルのドラマチックな物語が常に次々と生まれているのね。
「ミカ様、あたし、あなたから捧げられた殉愛は忘れないよ」
「そうですか」
ミカエル様の返事がとても薄い。
ピンク令嬢はおもむろに、華奢な体を前傾にして、両肘をぐっと内側に入れ込む。そして顎を出した体勢でテーブルに寄りかかって……
嘘でしょ!?胸が、どう見てもぺたんな胸が、テーブルに乗ってる……!?
「……」
そっと、あくまでそっと……私も前傾姿勢を取ってみ……ミカエル様のテーブルに置かれた小指が、とんっとクロスを叩いたわ。真顔ですっと元の体勢になる。私何もしてませんけど?
「もう戦いも断罪もやめましょ。戦いから愛は生まれないわ。みんなが笑顔で過ごせる世界がいい。あたし、よく聖女のようだって言われるけど、自分ではわかんないけどそうなのかなあ。この人が一言でも謝ってくれたら、今までの多すぎる意地悪も、許そっかな、なんて思っちゃった」
お胸を乗せたまま、てへっと首を傾げる。許す、とは言わないところがピンクさんらしいわ。
私は間髪入れず彼女を見た。
「今までごめんなさいね。ええと、」
なんだっけ。マリースは「錆びてキイキイ音の出るネジの壊れたおもちゃ。蛍光色のピンクが目に痛い。ゴミ捨て場でひたすら動いている玩具」と言っていたわ。いつものことだけど名前が出てこないから……えっと……
「もうっ、わざとらしいっ。ダマヤだよ、ダマヤ・ミミクル。男爵の庶子であるあたしに殿下の寵愛をあっさりと取られ、自分の地位を脅かされたあんたが必死にいじめたけど健気に耐えて野に咲く可憐な花のように周りから慕われて殿下からも愛されて、王宮へ行っても殿下がいるとこはあたしも顔パスなの、殿下がいつでも来いって言ってくれて、やだ愛され自慢になっちゃうけどすごくない?結局あんたは婚約者から外されてざまあだけどあたしはみんなに慕われて将来はもしかして王妃かなあ?っていう、ダマヤだよ!んもう!」
「ダマヤ様。たくさん意地悪してごめんなさいね」
ダマヤ様はぷっと膨れて「それだけ?」と言う。
ほら!ひと言言っても許さない!予想が当たって少し嬉しくなる。
ダマヤ様は行儀悪く肘をついた。
「お詫びの品とかあってもいいんじゃないの?あんなにあたし、集中的にいじめられたんだよ?教科書隠されたり頭から水かけられたり。あたしが憎いからってあたしばっかり」
「それはないです」
小さく、きっぱりと頭を振る。
「マ、私、ありとあらゆるすべての方々を押しなべて平等にいじめていましたから」
教科書はクラス全員のをまとめて雑貨屋で売りました。クラス全員に水をかけて制服を回収してこれも売り払いました。現役学園性の制服だということで飛ぶように売れました、ええ。
「特別はありません」
貴族平民関係なく、みんな隅々まで過不足なくひとりも漏らさずにいじめてました。
「……く、んん、こほっ」
ミカエル様が咳き込んでるわ。珍しくお茶を吹きそうになったらしく、スマートな仕草で胸元からハンカチを出す。
膨れていたダマヤ様は、たまたま見えたそのハンカチが気になったらしい。頬を戻すと身を乗り出して目を眇めた。
「ミカ様その図柄なあに?あ、わかった。噴水ね」
「いえ、ハリネズミです」
クジャクね。
「生き物?生き物で括るの?それを?」
じっとハンカチを見つめながら「誰が刺したの?公爵家のメイド?もしかして既製品?」と可愛いのにどこか凄みのある声で言うと、自分のドレスをごそごそと探り始めた。
いけない、私のおぼつかない針裁きのせいで公爵家のメイドさんに言われなき誤解が……
「はい、これ、あたしの心をこめた刺繍入りハンカチ。ほんとはユン様にあげる予定だったけど」
ちら、と流し目で殿下を見るその仕草も可愛い。殿下は黙ったままお茶を飲んでるだけだけど。ダマヤ様は殿下に明らかに聞こえるレベルの小声で、困り顔を作った。
「でも、そのハンカチはさすがにかわいそうだからミカ様にあげるね。内緒だよ?あたしからの贈り物なんて、ユン様やきもち焼いちゃうから」
ぱっと目の前に差し出されたハンカチに、私は思わず息を飲んだ。
「わあっ」
令嬢にあるまじき歓声を上げて、ミカエル様へ向いていたそれを自分が取る。取られたダマヤ様は両手を顎の前で握って上目遣いになった。
「ちょ、やだあ、また意地悪されてるよお!男爵庶子ごときが公爵令息へ手縫いのハンカチ渡すなんておこがましい、わきまえなさいこのドブネズミが!って言われてるよおミカ様あ、ひどい、でもあたし負けないもん可憐な野の花のように毎日がんば」
「素晴らしいわ!」
ダマヤ様を遮る。手の中の布を表から裏から、穴が空くほど見つめてしまう。
心が震えるわ。なんて美しいの……
「ダマヤ様」
「は」
とっさに素が出たのか低めの声を出したダマヤ様に、真剣な声を返す。
「天才でしたのね。このような場所で、刺繍の賢者に出会ってしまいました」
「……はあ?」
指で複雑かつ精緻な糸の重なりを撫でる。意匠は蔓に巻かれた城壁、そしてそこに咲く一輪のバラ。色味を抑えた背景に、真っ赤な糸のバラがくっきりと映えて煌めいている。
すごい、すごすぎる。美しすぎるわ。私が教えを乞うた我が家のメイドたちも、これほど細かく立体的に刺せる者はいなかった。
私は裁縫編み物等すべてのハンドメイドが苦手だが、それらを鑑賞するのは大好きだった。あっちの世界では休日……動けず外出すらままならなくなる前までの休日は、世界のキルトやパッチワーク展、ドールの衣装展覧会、もちろん刺繍作品展示会にも通った。見るだけで癒されるのよね、匠の技。
興奮した私はつい状況を忘れ、ぐっと胸の前で両手を組んだ。
「ダマヤ様は芸術的才能が突出しておられます。これは大事に守らなければならない国の財産、いえ世界の宝です。こんな刺繍の腕前をハンカチだけに振るうなんてもったいないです、すでに完成された至極の存在感。唯一の芸術作品ですもの」
ねっと横のミカエル様に勢いのまま言う。それから正面の、あっけに取られたように口を開けたままのピンク令嬢に迫った。
「私感動しました。ぜひ先生の他の作品も見せていただけませんか」
「せ、先生ってちょ、ちょっと待って、あんた何、いやそれ、あたしがやったんじゃなくてお母さんに頼んで……あっ」
しまった!と口を塞ぐダマヤ様に、私は深く頷いた。
「……なるほど。ダマヤ様のお母様が真の天才ということですか」
「いやあんた何言ってんの……」
「お母様は普段から作品をどのような頻度で?材料の仕入れはやはり王都でも有名な店ですか。お道具はどちらのものをお使いに?」
ダマヤ様はぱかりと開いていた口を閉じた。そしてピンクの眉を寄せて険しい表情になる。
「いやほんと何言ってんの。あたしのお母さんは下町で暮らす職人よ。貴族のドレスの刺繍を請け負って期日までに図案を作って刺繍する。それで賃金を稼ぐ下請け職人なの、あたしが男爵に引き取られてもお母さんはずっとそこで働いているの」
「なるほど」
頷く。「ケイト!」と呼ぶと、背後で「はい」と無感情な返事がある。でもわかるわ、抑えきれない感情が乗っているの。ずっと我慢してくれてるの、私知ってるわ。
私が元気に名を呼んだから、とても嬉しそうだもの。
「天才をまた見つけてしまったわ」
「はいお嬢様。よろしゅうございました」
「大きな布に、テーマだけ決めて、あとは神技術のまま自由に刺繍してもらいましょう。ドレスの端の模様だけなんて才能の無駄遣い、神への冒涜だわ。完成した暁にはそれを立派な額縁に入れて絵画のように飾るの。どうかしら」
「はいお嬢様。斬新ですね」
この世界には刺繍絵図はないのよね。
刺繍は刺繍職人がいて、ハンカチやドレスの裾に植物や動物の意匠がパターン。あとは直線や曲線の幾何学模様の繰り返しとか。それ以外はそもそも注文がない。
というか、絵画そのものがかなり未開拓分野だ。貴族の邸、王宮ですらも、飾られている絵画と言えば専門画家の描いたどなたかの肖像画のみ。風景画も抽象画もほとんど出回っていない。
「最初の一枚は侯爵家が買い取りましょう。天才がこの世に生み出す出世作よ、こちらから伺いましょう」
「はいお嬢様。かしこまりました」
「食堂に飾る、パンの絵なんてテーマはどうかしら。ワインとか。ああ、ダマヤ様のお母様いえ大先生に直接相談させていただくわ」
ミカエル様がそっと、殿下やダマヤ様からは見えない角度で優しく私の背を叩く。
「落ち着いてください、マリース嬢。パンの刺繍は非常に気になりますがまずは話の順番を整えましょう、男爵令嬢が呆然としてついて来られていません」
「え、パンはおかしいかしら?ミカエル様はお肉の方がいいと思いますか?」
「肉ですか。それならまだパンの方が」
「ぱ、パン……に、肉って、どっちも見たことないわよそんな刺繍……刺繍で?植物や動物以外を?え?なにそれ……じゃなくてえっ!」
ダマヤ様は立ち上がった。椅子が倒れる。髪の毛よりももっとピンクになった頬で、私を指さした。
「何言ってんの、ミカ様も侍女もおかしいわよ、あんたたちも止めなさいよこの変な女を!あたしのお母さんはただの下請け職人!必死に小銭を稼いで、あた、あたしがいつか万一男爵家を追い出されても大丈夫なように、ちまちま貯めて自分は一食抜くような、下町の貧乏な職人なの!」
そして止まらない口が自分でもどうにもならないと思ったのか、ぷるりとした唇を雑に擦った。
「平民もどきの下賤な生まれだもの。知ってるわ、みんなみんな、あんたも、あたしのこと馬鹿にしてるんでしょ。でもいいの、あたしのこの魅力と可愛さでどうとでもなるもの、あんたよりずっとずっと上まで昇りつめて宝石も金貨もすべてあたしが手に入れるんだもの。そうしたらお母さんに、夢だった自分の店を持たせてあげられる。三つも四つも持たせてやるんだから!馬鹿にしてる奴ら、みんな見返してやる、ざまあよ!」
はあはあと肩で息をするダマヤ様を見つめる。
「……なるほど。わかります。天才はどの世でも往々にして、報われず気づかれないということがありますね。死去して後に作品の価値が認められるとか。でも私は、そういうのが許せないのです。認められるべき才能は広く世間に知らしめるべきです」
「だから!言ってることがズレてんの、あたしの言うこと聞いてんの!?芸術とか作品とかじゃなくて、お母さんは日々の稼ぎのためにやってるって言ってんでしょーが!あんたほんとに、ほ……………………へ」
もう駄目だった。
どうにか自分の感情をコントロールするために、不世出の天才を語ったりしてみたけど、やっぱり駄目だった。
ぽろりと一粒こぼれ落ちる。そうなるともう止まらない。私は堪え切れずにしゃくり上げた。
「……ふえ」
ぼろぼろぼろっと次々に落ちる涙がクロスに滲む。とっさに手元のハンカチで目を覆おうとして、しかしこれは芸術作品だったと思い直して膝に置く。
遮るもののない涙は、目から溢れて流れ落ち続けた。
「……」
「……」
しんと静まり返った場に、ぐすぐすと鼻をすする音だけが響く。まずいまずいと思いながらしかし、私の口からは感情だけがほとばしる。
「ダマヤ様は……ひくっ、お優しい……お優しく健気でお母様思いの、なんて素敵な女性なのでしょうか……」
「え」
「あなた様の清らかな心意気に感動して、もう、ご、ごめんなさい私、ひくっ、こんなみっともない、ぐすっ……お母様はお幸せでしょうね、こんな素敵な娘がいつもいつも自分を気にかけてくれて……そんな親子愛を語られたら私もうううううう」
「……」
「……」
その時、背後の気配が動いた。
かちゃりと微かに金属の擦れる音がする。ケイトが、護衛たちが、動こうとしてる。半ばパニックになって唇を強く噛んだ。いけないわ、早く、早く泣くのを止めなければ、早く……
バアンッ!!!
「!」
激しい衝撃音とともに、テーブルが揺れた。
すべての食器が倒れる。茶がこぼれ、フルーツが飛び散った。
「帰る」
びっくりして涙が止まる。息まで止まって見上げると、ユンゲー殿下が背中を向けて立っていた。
「俺は帰る。行くぞ」
侍従があたふたして「は、え、殿下、」と困惑している。それを置き去りにするような速さで殿下は歩き出した。
「ダマヤ、お前は勝手に帰れ。馬車は適当にしろ」
「……ええっ、ちょ、ユン様あ!なになに、どうしたの、ユン様あ!」
一瞬で甲高い間延びした声に戻って、ダマヤ様が慌てて追いかける。「待ってユン様あ」と伸ばした語尾だけが中庭に残る。
殿下と侍従、ダマヤ様は大きな足音を立てて去って行った。
「……え」
そして残ったのは、乱れたテーブルに傾いたパラソル。
座ったまま呆けた私。
一瞬で巻き起こり一瞬で消えた竜巻のようだった。




