30.西の番外編 俯瞰
が、海外逃亡の手配はうまくいかなかった。
執務室を訪ねて来た行商の若者は暗い顔で首を振る。人を介して他国へ打診しても、亡命の理由を詳細にできないため断られてしまうと言う。
がむしゃらに逃亡先を探している最中に建設現場を眺めるなんて余裕はとてもじゃないが生まれず、怯えと焦りで邸を出られない。工事は施工主抜きで進められているが、いたるところでストップがかかっていた。
「……もうだめだ……」
メリー侯爵は絶望した。妻と息子娘には話してある。三人とも恐怖に心が折れて、邸内に引きこもっている。
……その邸内に……ここに、わしの邸に……もうすぐ火が放たれるのか……。
そして自分は連れ去られて口を封じられる。
恐怖でしかなかった。
おりしも、最大口数の巨額出資者、最大手の債権者であるハーマン侯爵から、「貸し出している土木工事用の大型機器の様子を見に行ってもいいかい?」と手紙が来たところだ。
この状態で相手ができるとも思えない。
ハーマン侯爵当主が来るなら、帯同の侯爵家護衛が大挙して押し寄せる。すぐにこの領内の不穏な空気に気付かれる。
「……もう終わりだ、わしは」
「いいえ」
どこか諦めの境地で呟いた言葉は、意外にも強い声で遮られた。
「すべてを投げ出してもよいなら。……亡命なら財産はいくらか持っていけましたが、それが無理だとしたら……財産も、資金も地位も、すべて無くなりますが、命だけ助かる方法があります。ひとつだけ」
メリー侯爵は、はっと行商人を見た。茶髪の若者は、細い目に力強さを纏わせて言った。
「わたくしめにお任せください、閣下。尊敬する閣下のお命だけは、守って見せましょう」
思わず抱きついて、侯爵はひたすら感謝の言葉を繰り返し繰り返し、行商人に浴びせかけた。行商人はただ静かに笑っていた。その瞬間、メリー侯爵家の運命は決まった。
西の領地にリゾート地を造る一大計画は、思わぬ形で中止となりかける。
メリー侯爵家当主が、不治の病に侵されたからだ。
が、出資者や協力者、働く者たち、領地の民……すべての人々を思い浮かべ、「慙愧の念に堪えない。このままでは死んでも死にきれない。なんとか、できる限りのお詫びを」と侯爵本人は考えた。そして苦しい病床の淵で最期の力を振り絞り、事業の継続を受けてくれる貴族家や商会を広く探した。
あり得ない額の債務に誰もが二の足を踏む中、唯一名乗り上げたのは、とある小さな小さな商会。
……かつてメリー侯爵が投資し、株価を大きく下げてしまった商会。侯爵は多額の負債を抱え、またこの商会も規模を削り縮小した、かつての因縁ともいうべき仲。
その商会の商会長代理という男が、メリー侯爵が息も絶え絶えに眠る寝室へとやって来て、手を握って言ったそうだ。
「あなたの遺志は我々が継ぎましょう。我が友」
メリー侯爵は静かに目を閉じて笑った。
……と、後に、誰かの口から語られた。それが誰かはわからない。
メリー侯爵はそのまま西の砂漠を越え、辺境の療養地でひっそりと最期を迎えることとなった。健気にも家族全員でついて行ったという。
爵位は返上され、領地は隣接する伯爵家に吸収された。
西に壮大な夢を描いたメリー侯爵家は、病魔に敗れ積年の思いを友に託し、断絶したのであった。
事業を引き継いだ小さな商会は、まず並み居る出資債権者に対して説明を行った。
メリー侯爵が約束していた額の配当は払えないこと。しかし、その半分、約五割は保証すること。運ばれた木資材は放置すれば傷むので、工事は急ピッチで進めること。工事従事者や使用機材はすべてそのまま使うこと。
出来上がっている基礎部分は生かし可能な限りメリー侯爵の描いた形を引き継ぐが、こちら側のデザイン、工事手法、そして「完成後の用途」は変えさせてもらうこと。
配当額を減らす代わりに、完成後のリゾート地への招待を、出資債権者へ優先的に行うこと。
半額になった配当に怒り狂う人々も多かったが、そこで怒鳴ってももうどうにもならない。メリー侯爵本人はいないのだ。しかも本来はゼロになってもおかしくないのに、事業継続のおかげで半分は出る。
さらには……初めて見る商会長代理というのは、なんという特徴もない、茶髪で細目の若者なのだが、その後ろにずらりと並ぶ商会従業員たちが……全員、筋骨隆々で強面の男たち。顔や体に傷を負う者も多くいて、まるでどこぞの戦場からそのまま抜け出してきたような、「戦争兵士をスカウトしてごっそり連れて来たような」……面々だったのだ。正直彼らに向かって、大きな声で異を唱えられる人間はその場にはいなかった。
そして駄目押しに。
最大債権者であるハーマン侯爵が、「仕方ないね。そういうことなら」と言った。
……もう誰も、何も言えない。
かくして、西のリゾート地計画はその形を変え、順調に再開された。順調すぎてかつての工期が大幅に縮小されるほど。
はたから見ていた人々は、「まるでずいぶん前から準備していたような順調さだ」と引き継いだ商会の手腕を褒めた。
国土の西に大規模リゾート施設が完成。
会員制の最高級メインホテルを中心に、ひとつの街、いやもう、ひとつの小さな国と言っていいほどの機能が揃う、贅の極みを越えた贅尽くしの地。
メインホテルの周りには小規模だがこれまた贅沢なホテル群が立ち並び、公園には緑が溢れ、王都にも負けない高級店が軒を連ねる商店街もある。小さな川や山もあり、花畑がいたるところで咲き乱れる。立ち入る人々すべての度肝を抜き、誰をも魅了した。
一流の景観に溢れる一流の施設、一流の品々に囲まれ一流の時間を過ごす。
人が考え得るすべての一流を集めたような場所だった。
このあと最終話更新です。
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