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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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27.東の番外編 ミカエル(*)

*残酷描写注意




 少し眠りすぐに目覚める。

 目覚めても自分の顔は柔らかいものに囲まれており、あまりの幸福感に眩暈がした。たまらない気持ちで、つい、谷間の柔肉に歯を当てる。


 かぷりと小さく噛むと、「きゃんっ」と可愛く声が上がった。


「……ふふ。ミカエル様、寝ぼけていらっしゃる」


 優しい腕に抱き込まれて頭を撫でられた。


 確かに。

 ここは天国か。







「と、思ったのです。まさに夢が詰まっていますよね。幸福を絵にかいたような、全ての男の夢です。まあ、現実なのはただひとりわたしだけで、他の男はもれなく全員、夢のまた夢なのですが」


 書類や記録書を読みながらのんびり語る。ミカエルは忙しいので、ただ話しているだけでは時間の無駄遣いだ。だから口を動かしながら、指で兄経由の書類をめくり、目で侯爵家各領地の記録を追いかける。


「毎日マリィが可愛くて可愛くて。この前は、にこにこしながら飛び跳ねて来まして」


 ミカエル様!ダマヤ様に新しい技を教わりました!とミカエルの片腕を捕まえて、ぎゅ、と全身でしがみ付く。「さあ、ミカエル様。「当たってますよ」とおっしゃって?」と、あまりにわくわくと期待した目で見上げてくるので、予想はすでについたが「当たってますよ」と言ってあげる。するとひどく嬉しそうに、


「当てているのです!と少しえらそうに言うのです。その胸を張ってツンと鼻を上にして言う顔も可愛いし、でもすぐにおかしくて笑い崩れてしまう顔も可愛い。ええ、まあ、忍耐と強靭な理性が必要でもある日々ですが。幸せが途方もなく大きすぎて、時々どこまでが夢か勘ぐってしまうこともあります。ただ笑ってしまうことに、すべて夢でなく現実なのですよ。わたしは」


 そしてミカエルはちらりと目を上げた。


「殿下と違って」


 硬い椅子に縛り付けられた男は、褪せた金髪を振り乱して怒鳴った。


「おっ……まえ、お前え!ミカエル、お前だけは……っ!絶対に許さない、ブッコロ」


 口に長剣の柄を押し込まれ、金髪男は「ぐぎゃあっ」とこもった悲鳴を上げる。そのまま喉を強く突かれたようで、自分の膝に嘔吐した。


「あーあーあー。きったねえな。あとで清掃係りに詫び入れときますね」


「数日に一度しか入らないと聞いたが。まあ仕方ないだろう、ご自分で吐いたものにまみれて過ごすのも」


 ミカエルが肩をすくめると、カリムも「ま、そうですね」と頷いた。


「お前、俺の私兵だったくせに……っ!裏切り者め、人を殺すことしかできない戦争奴隷め、下賤の人間以下のくせにこんなことして、ゆるさ」


「もう一度喉を突け。二度吐けば、少しは薬物も外に出るのでは?」


「応」

 カリムが男の喉に手刀を入れる。男は椅子ごと後ろに吹っ飛んで、自分の吐しゃ物の中に転がった。


「……その薬物はなかなか体外に排出されず、長いこと体をめぐり続ける粗悪なものです、殿下。無理にでも定期的に出しましょうね。体内に留まれば留まるほど、命を削って行きますので」


「……俺、俺は……早く、はやく死を……賜りた……一刻も早く……死を……。マリースが、手に、入らないのな、ら、ごほっ……生きていて、も、ごほっごほっ」


「では長生きしていただきましょうね。細々と」


 焦がれて焦がれて、狂っても、ずっと生きていてもらおう。

 この、立ち入り厳禁の札のかかる、小さな小さな棟の内側で。出口のない棟の中で。







 ユンゲー第二殿下は未だ廃籍されておらず王族のままだ。王家直系が愚図王太子とこの男しかいないのだから致し方ない部分でもある。


 が、廃籍されていないだけで、すでに存在はほぼ消された。全貴族、そして国民にも浸透している。第二殿下はいなくなった、と。


 実際は消えたわけではなく、「心身を病んだため」療養を理由に王宮の奥深くにある「療養の棟」にひとり入った。療養の棟は療養する本人しかおらず、清掃や食事を運ぶ下働きの者しか立ち入らない。療養の先には毒杯しかなく、「療養」であるが完治の道は無い。毒杯は血筋の継続が確立した後に与えられるため、この「療養の棟」はつまり毒杯を待つだけの牢獄である。鉄格子はないが、出口もない。やはり牢獄だ。



 しかし、出口はなくとも……入り口はある。

 姑息なネズミどもがうろつく入り口が。



「逃げ切れると思っておられましたか、殿下。……わたし、お伝えしましたよね?あの時に。安穏と生きて行けると思うな、と」


「……ミカエルう……お前だけは……ごほっ」


 濁った金の目はすでに黄土色に近く、黒いクマが常にある。色褪せた金髪は異様にパサついている。やせ細った頬に、描いたように何本も縦に入る不可思議な赤い線が、薬物摂取の常習である証拠だった。








 最初に、誰かがコップ一杯の酒を差し入れた。

 渡されて運び込んだ下働きの者は金を掴まされていた。さらには、「たった一杯の酒でも殿下のせめてものお慰めになる」などと善意をくすぐるような言葉で訴えられ、逆らえずに運んだと言う。ちなみに、そう言って下働きに金と酒を渡してきた人物はその後も見つかっていない。

 日々同じ質素な食事と水しかもらえないユンゲー殿下にとっては、その一杯は至福の味であっただろう。そのころは禁止されていなかった手紙(検閲あり)を、どこの誰かもわからない人物へと宛てた。貴殿の真心に感謝する、と。





「……その手紙は、もちろん宛先不明のものなのでどこにも届かないはずですが……おかしいですね。とある貴族が入手して、開いた自邸の夜会の隅で……物好きで悪趣味で暇に飽かした馬鹿なごく一部の貴族どもへの見世物とした」


「あの」第二殿下の、獄中の筆ですよ。さあ、ご覧あれ。


「見世物は大成功した。みなが珍しがって入手した貴族を褒め、様々なうわさ話を楽しみながらその手紙を見た。……大盛り上がりの一部貴族たちに、主催者であるその貴族は味を占めたでしょうね。夜会が大成功したと」


 その貴族はすぐさま酒を手配した。


 療養の棟へばれずに運び込むには、大量は無理だ。ならば少量。しかし満足感が得られなければ手紙も書かないだろうから、少量でも十分酔えるような度数の高い濃密な成分のもの。そうだ、南の国に異様に甘く、舐めるだけで全身がカッと熱くなる酒があった。よし、それを樽で取り寄せよう。


「……初めの頃は美味しく飲めて少量で酔えて、気分も高揚して……次を催促する手紙も書けましたよね、殿下。毎回夜会での見世物を提供しているとも知らず。案外筆まめなのですね、殿下は」


 ミカエルが来る時だけ運ばれるデスクに、書類を広げて揃える。本日の書類も記録書もだいたい把握した。殿下の縛られた椅子とは真逆の、柔らかい豪奢なソファで足を組みかえてミカエルは宙を睨んだ。


「しかし酒は依存する。そしてどんどん物足りなくなり酒量が増える。南国の貴重な酒を無尽蔵に輸入できるほど、その貴族は裕福ではない。ただでさえ、夜会開催続きで苦しいのに……そこで大盛況の夜会を取り止めるという判断は出来ないのですね。人間というものは本当に愚かだ」



 だから与える酒を、薬物に変えた。



 薬物なら、酒よりもさらに少量で、すぐに中毒にできる。……渇望する。書けと言われれば夜通し手紙を書き続けるほど、次の薬物を渇望する。



「殿下は実に滑稽ですね。あれほど王族の誇りを謳っておいて、バカな一貴族にいいように操られて。……ああ。欲望に溺れてしまうのは殿下の得意分野でしたね。失礼」


「ミカエルっっ!不敬にも、がはっ、ほどがあるぞクソがあっ!」


 床に椅子ごと寝転がってがなり立てる金髪を冷めた目で見下ろす。


「薬物なら皿や水差しに隠すこともできる。さらにその貴族の息のかかった下働きを棟専属にすれば安全に運び放題。……どこかの愚図の愚図ゆえの間抜けさのおかげで、知らないうちにここは薬物に汚染された化け物のねぐらになってしまいました」


 内情にようやく気付き愕然とした王太子はどうでもいいが、ミカエルにはどうしても許されない報告がひとつだけあった。


「……薬物にまみれ、殿下はすでに目はうつろ。まともな思考も発声もなく、昼も夜もなくただ惰眠をむさぼる。覚醒している間はずっと薬をよこせと叫ぶのみ。獣より酷いですね、獣だって体を丸くして寝るというのに」








 中毒者となったユンゲー殿下は、口からよだれを垂れ流し、白目をむいて大の字になって常に床で寝ていた。寝たまま粗相もしていた。そしてほとんど裸だった。……眠る間は常時、勃起していた。という。



「……マリース……泣いたお前は……」

 愛おしい。

 と、夢うつつに呟いた。という。









「……夢ですら見るな」

 ガンッッとデスクの脚を蹴る。革のブーツのかかとが木の表面にめり込む。


 ミカエルの凄まじい怒りを宥めるように、カリムは足を大きく振り上げてユンゲーの頭を踏んだ。「があああっ」と呻いたまま気を失ったらしい金髪を、髪を掴んで引き上げる。椅子の重さで髪がぶちぶちと千切れた。


「はーい。お薬でーす」


 だらんと舌の出た口内に、カリムが無表情で錠剤を突っ込む。もちろんこちらは本物の薬で、鎮静作用と気付けの効果もあるらしい。そして、薬物を抜くための別の薬も放り込み、口を閉じさせて鼻を塞いだ。ユンゲーは体中を痙攣させ、無理やり飲み込まされた後はひたすら喘いだ。


「酒や薬物で夢の世界に逃げ切るつもりだったか。朝も夜もなく酩酊し、意識を飛ばし、現実から離れて妄想の世界のみに自分の精神を持ち込んで……マリィを手に入れた世界で、その中だけで生きようとしたか」


 ミカエルはゆっくり立ち上がる。


 カリムが片手で持ち上げている椅子付きのユンゲーは、息も絶え絶えにミカエルを見返す。近付き、血走った濁る白目に青い目をぶつけたミカエルは、「でも残念」と口角だけ上げた。


「他の男どもが勝手に夢を見るのは構わないが、貴様だけは許さない。夢すら見させない。死も与えない。何年もかけて薬物を抜きながら、常に現実に震えて苦しみに狂え。その薬は、薬物を抜くためだけの調剤……死がマシだと思うほどの苦痛、恐ろしい幻覚に睡眠阻害。夢に逃げるのは不可能。……長い年数を苦しみ続け、ようやく薬物が抜けた先は、男の機能がすべてなくなり情念も執着も消えた、置物のような人間が出来上がるそうだ。楽しみだな。その薬は非常に貴重だから、これからもわたしがカリムとともにここに届けてやろう。定期的に」


 マリィを欠片も見ることは許さない。夢でも許さない。


「次も続きを楽しみにしていてくれ。また語ってやろう、夢のような現実を」


 マリィとの日々をミカエルが語り教えることで、焦がれ、身を焼かれるほどの悔いと醜い嫉妬に心を壊される。でも手は届かない。苦痛が心身を襲い、妄想にも逃げられない。


 もっとも残酷な罰に、ユンゲーは震えて何かを言おうとした。


 が、カリムが床に椅子ごと放り、ミカエルはブーツの先をユンゲーの首に埋める。


「貴様はマリィに首輪をつけて髪を掴んだ。ソファから引きずり落とした。その二点だけでも何倍にもして返してやる、何年もずっと」


「いやー。もうすでに何万倍も返してると思いますが」


「は?まだ百分の一も返していないが」


「若の計算式はちょっと違いますよね、普通と」


 楽し気にカリムが言い、持っていた布でブーツを拭いてくれる。そして自分の手も綺麗に拭うと、その布を丸めてユンゲーの口に押し込んだ。


「舌噛まないように。まあ噛む力もないだろうが」


 鎮静効果のある薬は脱力の副作用が酷いらしい。カリムはかなり詳しい。


「あー、すっきりしました。さ、若、侯爵家へ帰りましょ」


「そうだな。……ああ、忘れていた。カリム、新しく増築する棟内にお前の個室も作るそうだ。いつでも飲めるバーの近くがいいかと、護衛たちが」


「やった。オレ、披露会後に夫人から若に払い下げられるって聞いてほんと浮かれてます、ずっと。はよ披露会終わらないかなー」


「では愚図を急かしに行ってくるか?忍び込んで、喉元に剣でも突きつければ少しは焦るだろう」


「いやいや、半分本気の顔やめてくださいよ」


 書類と記録書を揃えて腕に抱えるカリムの背後の、椅子に縛られたまま無様にあえぐユンゲーを見つめる。馬鹿だな、としか感想が浮かばない。


「本当に馬鹿だ。あのまま黙って……別に何をするわけでもなく、ただ黙って時を過ごしているだけで、この夢の詰まった日々が手に入ったのに」



 特別仲良くしなくても、例えわかりあえずとも、ただ卒業しその時を待つだけでよかったのだ。この男は王族だから。王族だから婚約できて、王族だから結婚できたはずだった。


 美しい妻と、そして全額とは言わないまでも……信じがたいほどの巨額の持参金。第二王子の後ろ盾には最適過ぎる侯爵家。



「黙っていれば全部手に入ったのに。そして金欠の王家にとって貴様は何にも代え難い存在となり、地位を築き、もしかしたら……スペアでない者として取って代われた可能性もあったのに」


 ミカエルも次男だからわかる。ほんのわずかだが。

 対照も対称もいない、唯一の存在を見上げて生きる、その気持ちを。


 


 でもミカエルは見つけたのだ。ミカエルの唯一を。そしてそれがミカエルのことを唯一としてくれるように策を張り巡らした。




「手放してくれて助かった」




 素直に言って踵を返すと、不明瞭なうめき声が聞こえた。


 薬物を抜く薬は非常に強いため、二週に一度の投与となる。効果はすぐに現れて地獄の苦しみが続き、それが治まるのは二週間後。ミカエルとカリムの定期訪問は続く。


「いや、オレも殿下に感謝ですね。おかげで私兵抜けられて最高の職場に転職できて。おまけに好きな女もできた」


 カリムが付いて歩きながら笑うが、すぐに慌てて手を振った。


「いや、お嬢様じゃないですよ?オレはもう二度と戦場には出たくないです」


 そしてカリムの口から出た人物は、有能で小回りの利く侍女だった。


「初っ端で短剣で殴られて股間潰されて、すごく興奮しました」


「……世の中には、いろいろな性癖があるのだな……。まだまだ学びが足りないな、わたしは」


 泣き顔ひとつで人生を狂わせたユンゲーにしろ、カリムにしろ、千差万別人それぞれだ。


 しかしミカエルは思う。


 マリィの泣き顔は確かに可愛いが。とても可愛いが。


 でも、嬉しそうににこっとするそれは、まさに天に昇るほどの可愛さなのだ。


 その笑顔を見るためならば、どんな害も永久に排除できると確信しているほどだ。ミカエルは、マリィが笑顔で生きるためになんでもする。


 それが自分の性癖なのであろう。きっと。





「あ、若。西の領地を観光地化しようとして投資に失敗した侯爵家。あそこ、もう駄目そうです」


「そうか」


 王宮で、親せきのように馴れ馴れしく夜会へ誘って来た中年の侯爵だ。「うまくやりやがって」とミカエルに舌打ちした人物でもある。


「脅えまくって、早々に自分と家族の逃亡先を国外に打診しているそうです」


「追い込め」


「応」


 頷いて、そしてカリムはちらりとミカエルの横顔を見た。


「……ユンゲー殿下に、一番最初にコップ酒を差し入れた正体不明の人物は……若の指示を受けた者ですか」


 ミカエルは「ははっ」と声に出して笑った。


「そんなわけないだろう」


 カリムは肩をすくめ、「怖い怖い」と呟く。


 小さな棟を出ると、ミカエルの好きな夕暮れの朱色が迫っていた。







ユン様→元婚約者

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