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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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25.東の番外編 マリィ



「カニバル子爵家は東の港を管理する昔ながらの交易事業主。いわゆる、大昔の貿易商人が爵位を得て港ともに発展してきた家でございます。しかしこの長い不況のおり、船便が減り燃料も高騰、港事業に翳りが見え始めております。いえ、もう、限界に近い状態なのです、実情は。……養子のペリオールは、わたくしとはまた別の苦行を日々強いられておりました。昼も夜もなくただ使用人のように父に遣われ、港を行ったり来たり。そのおかげで船の積み荷の産地や輸入輸出品の課税、船の構造にまで詳しくなったと本人は笑っておりますが……それゆえに気付いた港事業の今後の展望、先細りの収入、不況のあおり……歴史だけあっても駄目なのだと、港だけに頼っていてはいけないのだと、父に何度も進言しても一切聞き入れられないのです。お前は次期当主になって、儂の言う通り、儂の操り人形として生きろと。お前などに意思は必要ない、と」


 ミランダ様は、向こうで次々とお菓子を食べさせられているペリオール様をじっと眺めた。


「……時は流れ、時代は変わり、気付けばほら。ペリオールの言った通り、カニバル子爵家は青息吐息。もう破産寸前です。船のない港はただの海の端、荷の上げ下ろしのない港はただの地の端。ダメ押しに別の新進の商会が躍進し、ただのみじめな古い家となり果てました。肝心の娘は……金を引っ張ってこいと厳命されていた娘は、婚約破棄をされてただの負債。その娘に妾になれと言い、金を求めて彷徨う父のような人間は、もうこの世を渡って行けないのです。」


 ミランダ様はまた一瞬ペリオール様を見、そしてこちらを見た。


「マリース様……侯爵家若様、侯爵家の皆様、すべての方々に大変ご迷惑をおかけしてまいりました。……ただ、わたくしが言うのもおかしいですが、歴史だけ古いカニバル子爵の終焉が、いまをときめく新進気鋭の次代当主を擁する、この威厳と風格と規律に満ちたハーマン侯爵家によってもたらされるのもよいと思いました。時代は変わる、変わらなければならないのだと、国に行くべき未来を示すことができますもの」


 磨き上げられた知識のきらめきを垣間見せるような、ミランダ様の言葉だった。


「……そのような都合のよいわたくしの愚策で、こちらに押し掛けました。ペリオールにはやはり、本家の娘を止めることはできませんでした。わたくしは父を必ず道連れにいたします。必ずや道連れに、爵位を返上し、ご迷惑をおかけした皆様のお心を晴らす最期の姿をお見せしましょう。ペリオールだけは見逃がしていただけませんか。カニバル子爵直系、最後の娘のお願いでございます」


「ミランダ様」

 私は離された手を握り直す。ここで離してはなるものかと力を入れた。


「なぜ我が邸に突撃されたのですか。どう考えてもおかしいでしょう、これほどの頭脳をお持ちになるミランダ様が。どうにもならないとわかっていても、でもそうしなければならない事情がおありだったのでしょう」


「……」

 ミランダ様は、少し黙って、それからふふっと笑った。


「マリース様。もう二度と呼ぶことは許されないでしょうから、今日は何度も呼ばせていただきますわ。マリース様。人の賢さや知識、習熟度、生きて行く力、騙されない知恵に助けを与えられる才覚。そういったものは、決して学園だけで培われるものではございません。あなた様はよい学びをし、よい鍛錬をなさってここまでこられておられますね。学園に通うことがいかほどのものぞ。……さきほど、このような……夢のような庭で、邸で、ずっとお過ごしになればいいわなどと申しました。天上人に嫉妬した醜いわたくしの、拙い言葉をお許しくださいませね」


 妹を見るような、生徒を見るような、優し気な目で言う。


「……妾になれる可能性がないなら、ペリオールを養子から外し、平民へ落とすと父から言われました。ペリオールは幼い頃引き取られ、苦労しながらも貴族の生活しか知りません。それが嫌なら、娘よ、お前は侯爵家へ飛び込んでゆけと。哀れな娼婦崩れのように泣き叫び、若奥様を……マリース様を巻き込めと命じられたのです」


 ダマヤ様もケイトも、私も黙りこくる中、ミランダ様はまたペリオール様の方をちらりと見遣った。


「……侯爵家若様、ミカエル様をどうにかできるなんてとんでもないと、王宮であしらわれてすぐにわかりました。そうしたら父は言いました、では、若奥様だと。学園にも通っていない、若く、金に飽かして苦労も知らず、邸で守られ世間も知らず。そんな女は妾の話をすればすぐ動揺するし、哀れみを誘って泣きつけばすぐ落ちると。唾棄すべき愚考にございます。しかしまもなく手形の落ちる日で、当然不渡りになる。それまでにわずかでも金策できれば、ペリオールはまだ貴族籍にいさせてやろう、できなければ明日にでもお前を娼館に売ろうと愚父は言いました。焦り何も見えなくなっておるのです。だから、わたくしの判断で、ここまで来たのです。…………手中の珠と言われる若奥様、マリース様を巻き込めばきっと、ミカエル様は怒り狂うでしょう。間違いなく子爵家はあっという間に潰される。不渡りも、ペリオールの平民落ちも、わたくしの娼館落ちも、すべてまとめて潰される。……わたくしは卑怯にもマリース様を利用しようとしたのです。ペリオールはそれを止められなかっただけでございます。どうか、どうか、ペリオールだけは見逃してください」



「ミランダ様」

 私は息継ぎをせずに言った。


「逃げればよろしいわ」



「……は?」


 ぽかんとするお口に何も言わせず続ける。


「逃げましょう。苦しいことから逃げてはいけないなんて、誰が決めたのでしょう。背負わなくともいいと思います、覚悟があるならなんでもできますもの。逃げましょう。愛するペリオール様と一緒に」



 私は、逃げてもいいと知っている。

 どうしてかしら。知っているわ。


 ……誰かに、逃がしてもらったのだもの。



 逃げてはだめなことなんて、突き詰めれば、この世にはきっとない。逃げた先で新たにやり直せば、逃げてきたものは追いかけては来ないのよ。ねえ。




「逃げればよろしいわ。知恵を絞りましょう。とどまっていれば、父親という形をしたただの化け物があなた様を食らい尽くすでしょう。その前にさっさと逃げましょう。きっと、子爵令息様も、」


 私はミランダ様の後ろを見上げる。


 お腹がいっぱいすぎて苦しいのか、胸を擦って顔をしかめる……前髪で見えないが、ペリオール様が立っていた。


「……そうですね……まあ、俺は……最初からそのつもりでしたが……」


 声が低くこもっていて、非常に聞き取りにくい。しかしミランダ様はぶんっと振り返り、一気に顔を白くさせた。


「な、な、なななな……なにを、ペリオール、あなた何を……!」


 しかし、ペリオール様はミランダ様の髪に軽く触れて、私に向かって続けた。


「ミランダが……こちらで玉砕して、家が取り潰されても潰されなくても……俺は放逐されて平民になる。そうしたらミランダをさらって……罪人となっても、どこぞへ行こうかと思っておりました。……子爵を止めもせず、ミランダを止めもせず……虎視眈々と侯爵家からの天の裁きが下りるのを今か今かと待っておりました。……大変、申し訳ありませんでした」


「ペリオール!な、なぜそんな……平民の暮らしなんてしたこともないのにっ」


 立ち上がり、ペリオール様の肩を掴み揺らすミランダ様に、されるがままのペリオール様。


 私はおふたりを見てからずっと問いたかったことをやっと口にした。

「それで、ミランダ様と子爵令息様は、いつからお付き合いされてますの?」


「は?」

 ミランダ様が信じられないという風にこちらを見下ろす。私は不謹慎にもおかしくて吹き出してしまった。


「だって。子爵令息様に、お菓子を運ぶメイドが近づくたびに……そちらをちらちら心配そうに見ていらしたから。そもそも最初から、子爵令息様はミランダ様しか見ておられませんし。いつからお好き同士になられたの?」


「なっ、なっ」


「五歳くらいです、侯爵家若奥様」


「ぺ、ペリオール!」


 白から真っ赤になったミランダ様。「やだ、早熟!」「初恋がそのまま実る典型ですね」「ロマンね……!」やいのやいの私たちの交わす会話に、これ以上ないほど熟れた頬になる。ダマヤ様が行儀悪くテーブルに肘をついた。

「じゃあミランダ様のお相手というのは、子爵令息様なんだ」


「うっ……」


「そうでございます」


「ペリオール!」


 叫ぶミランダ様にまあまあと手を振り、おふたりを改めて座らせる。ペリオール様は運ばれたお茶を断った。ですよね。


「では空気が変わったところで、私、あこがれのコイバナというものを聞きたく思います」


「え、あたしのコイバナいっぱいしたよね?」


「ダマヤ様のは何か違う気がするのです……」


 ダマヤ様を振り切り、名司会のようにペリオール様に話を振った。


「おふたりは相談して、夫婦になられたわけですね?」


「ええ」


 ペリオール様を止めんとするミランダ様を無視して、彼に続きを促す。


「……義父は……子爵家当主は、俺とミランダの結婚など許すはずもないのはわかっておりました。ミランダは他家に嫁ぎ金を引っ張る。俺は資産家の嫁を迎えて金を引っ張る。そして操り人形となる。……それだけの存在でしたから」


 だから、とペリオール様は少し前髪をかきあげる。意外なほど大きな黄色の目がこちらを見ていた。


「だから……ふたりで、話し合い、ずっと模索してきました。何年も。しかし、ミランダに酷い婚約者があてがわれ……学園卒業と同時に婚姻と言われ、もう駄目だと思いました。……俺とミランダは結ばれ、ミランダは婚約破棄。別邸に住まわせ……このまま、俺が次代当主になっても、ずっとそこで暮らしともに生きて行こうと決めました」


 資産があると仮定していた頃の話です、と呟く。


 が、蓋を開けてみれば、長引く不況に脅すだけで能力のない現当主の愚行が重なり、子爵家の財産は底をつきかけてしまう。ふたりの誤算だった。


「ずっと一緒にいたいから、子爵子息様に女性が言い寄らないよう、婚約者などできないよう、わざと前髪でお顔を隠しておられるのね?声も変えて、陰気を印象付けるように話し方まで」


「……な、なんでおわかりに」

 赤い頬のままミランダ様が私を見る。私は首を縮めた。


「だって、ミカエル様がたまにやりますもの。ふざけて、わざと声を低くして。可愛い犯人め、自白しなさいなんておっしゃるのよ」


 頬を両手で押さえると、隣でダマヤ様が舌を出して「げえっ」とはしたない声を上げた。


「芯のあるお声の男性が声をわざと低めると、こもった感じになりますのね。前髪もそんなに伸ばして。大きく明るく綺麗な瞳を、ミランダ様のためにすっかり隠されて」


「もう……慣れ過ぎて、すっかり自前のものになりましたが……」

 肩をすくめて答えるペリオール様。


 考えてみればこの方は、最初から、ずっと落ち着いている。ミランダ様を止める……と思いきや、ただ焦り震えるミランダ様を心配して見守っているだけだった。


 そうなのだ、ペリオール様は何もしていない。


「ずっとずっと、連れてお逃げになる機会をうかがってましたのね?」


「……はい。俺は、貴族籍とか平民とか……申し訳ないことに、子爵家も港事業も、本当にどうでもいいのです。ミランダがいればもういい」


「ぺ、ペリオール……」


 ただ、とペリオール様は間を開け、静かに首を振った。


「別邸でともに朽ち果てるか、娼館落ちを防いで平民になり街の片隅でともに朽ち果てるか、罪人となり逃亡先で朽ち果てるか……あるいは、怒り狂う子爵に捕まり、やはりふたりともに朽ち果てるか。……様々企てておりましたが……ここに至り、甘いとも思っております。何ももたない人形ふたりが、子爵から逃れるなど。例え家が潰れたとしても、子爵は許さないのではと思います。地の果てまで俺たちを追い詰め、命をとるでしょう。……俺は、給金など一切受け取っておりません。常に朝から晩まで働いてはおりますが、ただの一度も金銭を与えられたことがないのです。つまり攫って逃げた先も知れている。……それに」


 ミランダの肩をそっと抱く。いつもそうしているのか、ふたりは自然に頭を寄せ合った。


「それに……逃げよう逃げようとずっと思っておりましたのに……街で支えてくれた者たちが、荷下ろししながら声をかけてくる者たちが、船を操り手を振って来る者たちが……俺の頭から離れないのです。引き取られて二十年以上。……ミランダを連れて逃げるには、長いこととどまり過ぎました」


「……」


 長く時を重ねた、老いた夫婦のようなふたりだった。


 ペリオール様が小さく呟く。


「……俺は、俺たちは少々……疲れました」


 静まる中、ミランダ様がぽつりと、子どものように言った。

「……そうね」


 一度目を閉じ……開く。


「そうね」


 そして、私に向かってにっこりした。


「逃げよとおっしゃっていただきありがとうございます。マリース様。罰はいかようにも、カニバル子爵家一同心身賭してお受けいたします」


「……逃げませんの?」


「ええ」


 ペリオール様が手を取り、ミランダ様とともに立つ。ペリオール様がジャケットを脱ぎ、ミランダ様の肩にかける。ふたりは長年連れ添った夫婦のごとくぴたりと寄り添い、美しい礼をした。


「ミランダ様」


「……このような騒動を起こしましたこと、お詫びのしようもございません。ですが、ですがマリース様」


 背の伸びた貴族女性の品格が、中庭の芝生に影となって映った。


「……勉学に追われ、のちは別邸に隠れ。自分で選んだこととはいえ、ずいぶん寂しゅう人生でございました。……考えてみれば、このようなお茶会に招かれたのも初めてでございます。なんとも、真になんとも楽しい時間でした。女性同士おしゃべりして、きゃあきゃあ言い合うのは、嬉しく恥ずかしく心が躍るものでございますね。……まことに身勝手ながら、それを知れたことを我が人生のご褒美だと思いこれからを迎えようと思います。マリース様。皆様。……ありがとう存じます」


 ありがとう存じます、とペリオール様も同時に言った。

「港は、町は、町の人々は、子爵家とは別物。高名な次代当主様ならわかっていただけると信じております。……侯爵家のますますのご繁栄を心より祈り申し上げ、われらの辞句といたします。……では、これにて」

 ペリオール様は声を変えていた。彼本来の声音には、闊達な響きがあった。



「ミランダ様」


「お暇致します」


「ミランダ様」


 おふたりはテーブルから離れた。

 もう振り向いてもくれない。


 拒む真っ直ぐな背中に、私はぐっと唇を噛んだ。……今しかないわ。今しかないもの。そう。



「……ふえ」



 今だ。


 思って気合を入れた瞬間に、じわっと眼球が濡れた。








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