24.東の番外編 マリィ
かすかに、かた、かた……と椅子の鳴る音がする。
「…………も……もうしわけ……ございません、でした……」
小刻みに途切れさせ、ミランダ様が掠れ声を出す。ようやく、自分のしでかした事の大きさに気付いたのか。椅子に伝わるほど震えている。
熱が去り、頭が冷え、現実を見たのだろう。そもそもミランダ様は、内実はかなりの常識人に見える。
伏せてもわかるほどお顔が真っ青だ。
私は息を吸って、肩の力を抜いた。
「ミランダ様。……ミランダ様、あなたは、お悩み事があり、『たまたま』王宮で知り合ったミカエル様のつてでこちらへいらっしゃった。そうですね?」
「……ハーマン侯爵家若奥様、……こ、このたびのことは……すべて……わた、わたくしの」
「ミランダ様、お茶と美味しいお菓子をいただきながらおしゃべりしましょう。少しは気も軽くなりましょう。私のことはマリースと」
「…………深いご恩情に……感謝の言葉もありません……」
消え入りそうにミランダ様が言った。
私が、この場の主である私が名呼びを許可した、つまり不快な侵入者でも拘束対象者でもなくなったのだ。子爵家の当主でもない養子と長女が、侯爵家に立ち入る。両当主の許可も返答もなく。それだけでも十分な罪であるのに、さらに次期当主とその妻への侮辱行為ととられる行動をした。本来ならあり得ない行為だ。
「お茶会を再開いたしましょう」
すべてを無かったことに。そう合図すると、理解したおふたりは再度礼をした。
「さ、どうぞ。お食べになって感想をいただけると嬉しいわ」
私があえて穏やかに、のんびりと勧めると、ダマヤ様が即手を挙げる。
「変わらずじゃりじゃりしてたけどどの部分がセブンよ?」
「ダマヤ様には聞いておりませんわ。いつも同じことおっしゃるもの」
「やだーそうやって差別するんだあ。あたしが男爵令嬢でとびきり可愛くてモテて努力家ででもおっちょこちょいなところも逆にいいよねって誰もがメロメロになるからってそういう差別はよくないと思うわあ」
「確かにとても可愛いです。が、味覚は信用しておりません」
セブンの評価が少し悔しくてぷいっと横を向くと、ダマヤ様が「ぐっ……」と頬を赤らめた。
「……」
「……」
ぽかんとこちらを見ているミランダ様とペリオール様。わかるわ。ダマヤ様、少々変わっておられますよね。
さあさあと手で示すと、おふたりは慌てたように背を伸ばしてスプーンを掴んだ。
「……ええと。と、とても……おいしゅうございます、ま、マリース様。初めて食べましたが、この舌に溶けるひんやり感が暑い時期によさそうでございます、ね」
「ミランダ様……!」
よい意見ですミランダ様!しかし隣のペリオール様は、前髪で表情は見えないものの、ふと首を傾げた。
「お、おいしゅうございます。……が、そちらの……ご令嬢が言われる……舌触りというのも……」
そして隠れた目線をこちらに向ける。
「……使われたブドウは、サブラキナ産ではないでしょうか?……サブラキナは季節によって……皮が硬くなりますので……いまの季節ですともう少し南の……キドニー産などを……」
「……」
「……」
「も、申し訳ございません、マリース様っ。あの、あの、ペリオールは、決して批判をしているわけではないのですっ、この者は当家港事業を学ぶにつれ、輸入品に異様に詳しく……っ」
慌てるミランダ様を制して、「ケイト!」と勢いよく呼ぶ。
「はい。若奥様」
「料理長を!料理長を呼んできて!……天から与えられた黄金の舌を持つ評論家が、真の料理評論家が存在したわ……!」
「ようございました、若奥様」
「ここに舞い降りた天賦の才、黄金の舌のおかげで飛躍的に改良されたお菓子の未来が見えるわ!」
「御意。若奥様」
ケイトの指示でメイドが走って行く。あれよあれよと離れた場所にデスクと椅子が運ばれ、小さな会議室のようになったところで料理長が推参。ペリオール様は何がなんだかわからないと全身で語りながら護衛に連れられ、即席の青空会議室に押し込められた。
「ぜひ、ぜひそちらで今の評価をもっと詳しく!お願いいたしますわ子爵家令息様、他のお菓子もお召し上がりになってすべてに忌憚ないご意見を!」
「……ええ……」
低くこもった声で戸惑う彼を、こちらのテーブルから心配そうに見守るミランダ様。私はにこにこと何度も頷いた。
「美味しいお菓子をたくさん食べていただきましょう、令息様に。さあミランダ様、私たちも食べましょうね」
「ここはいったん引いておいた方がいいですよー。こうなると、どうあがこうがココでは無力ですんで」
ダマヤ様がお茶をおかわりしながら協力?してくれる。ミランダ様はちらちらとあちらを気にしながらも、「はい……」とカップを手にした。
「ところで」
場が落ち着いた、ような気がするわ。ペリオール様も向こうに行って、ここは女性だけ。ミランダ様にダマヤ様、そして給仕のケイト。……そろそろいいのではないかしら?
そこで私は、どうしても聞きたかったことを思い切って聞いてみることにした。
「妾というのは、具体的には何をされる方なの?」
「……」
「……」
「……え?」
質問がわかりにくかったかしら。
「妾を持つ男性は、その妾と、一体何をなさるの?」
「……え」
「えええっ」
ガチャンと食器の音。珍しくケイトがポットをテーブルにぶつけている。
「ちょ、え?え、まさか……ええ?」
ダマヤ様が目を見開いてこちらを凝視している。え?
え、なに?
私はしばらく考えて、……はっと思い当った。
途端、顔がかーっと熱くなる。
「い、いえ!わかっております、それはわかっておりますので!ちゃんと、ちゃんと、女性と男性が、どっ……どういったことをするのかはわかっております!」
必死に手を振って訴えると、テーブルに明らかに大きな「ほっ」というため息が落ちた。
「よ、よかった……わ、わたくし、その、マリース様の浮世離れしたお姿もあいまって……そ、そういう……夫婦の形もあるのかと……」
「あたし頭の中に何度も何度もミカ様が浮かんだわ、いやほんとびっくしりたわ勘弁してよ」
「お嬢様……いえ、若奥様……ケイトは、色々と、そう色々と覚悟をしました……まず真実を問うて、その結果によっては若様と刺し違える覚悟も……」
私は慌てた。
「いえ、違います、私の言葉違いですごめんなさい!えと、そうではなく……あの、妾というのは、実際には妻と何が違うのか、と。もちろん立場や身分は違いますし、家や後継ぎやその他いろいろまったく別物ということも理解しております。そうではなくて、あの」
む、難しいわ……。私はもじもじと指を折り重ねていたけれど、やっぱり思い切って発言する。
「さきほど、ミランダ様が『ミカエル様はわたくしがお慰めします』とおっしゃったでしょう?」
「ま、マリース様。それはわたくしの単なる暴言、不適切な言葉でございまして」
焦るミランダ様に、ううんと首を振る。
「そうではなくて、お慰めするっていうのは、一体どういうことなのかしら?と思うのです。妻がすることと何が違うのでしょうか。お慰めというのは、具体的に何をどうすることなのでしょう」
「……」
呆然と黙り込むミランダ様にぐいっと迫る。
「妻にはできないことなのでしょうか。男の方にとっては、どういう区別なのでしょうか。慰めができないのが妻、慰めができるのが妾。ということでしょうか」
「え、えと、あの、え……ええと……」
ミランダ様、目がうろうろされてる。どんどん頬が赤くなって、湯気が出るほどの顔色になった。ちら、ちらとダマヤ様とケイトを見ている。が、私は負けじとミランダ様をじっと見つめた。
「……ええと。ですね。こほん。ぐ、具体的と申しましても、いろいろありますが……」
「いろいろ?たくさんあるのですか?」
「……うっ」
たじろいだミランダ様は、しかし諦めたように声を落とした。
「妾という存在にも、もちろん色々な方がいらっしゃいます。……と、思います。わたくしが申し上げていたのは、じょ、女性優位でコトを運ぶ、という形のことでございますね。あくまでも、わたくしの意見でございますよ?……基本、女性はう、受け身ですが。特に貴族の女性ですもの、正妻はもちろん教育を施された品位ある女性ですものね。受け身であれと教えられますから。……め、妾というのは、それとは逆で、色気で……こう、なんて表現したらよいのか……男性の喜ぶ手練手管を身に付けて、男性はされるがまま、女性が男性を……襲う側と言いましょうか……」
「なんてこと!」
私は口を押えて仰け反る。「マリース様に非常に不適切なことを申し上げてしまった!」と大慌てなミランダ様を制し、その手をぎゅっと握り返した。
「え」
「ミランダ様!やはり、やはりそうなのですね……!ダマヤ様に聞いておりましたの、世の中には女性優位で頑張る方々もおられると!その魅力ひとつで男の方をぐにゃぐにゃにしてしまうような技術があると!私、ひとつだけ教えてもらっておりますの!」
「いや、あんたに教えたのはそんなすごいもんじゃないわよ?技術で括るなら、初歩も初歩、幼児だって身に付けている初期の技術だけど?」
「でも、もっと知りたいのです!なのに、ダマヤ様はにやにやするだけで教えてくださらないし……ケイトはすぐ割って入ってくるし……」
「あたしも駄目なことの限界ラインくらい区別つくわよ」
「ケイトは若奥様をお守りしつつ、ダマヤ様のお命も守っておるのです。とある方から」
横からやいやい言うのを無視してミランダ様にせがむ。
「具体的にはどんな技術がありますの?難しいのでしょうか」
ミランダ様は私の勢いに流されるように宙を睨んだ。
「あ、えっと、えっと……そうですね、まず男性を座らせます。女性はその前に跪いて、乳房で男性の、あの、その、それを……挟んで」
「いやそれ無理でしょ」
「え?」
「ええっ?」
ダマヤ様の鋭い否定に驚いて声を上げる。ミランダ様も一緒に驚いてる。え?
「いやいや、冷静に考えてみて。まず、ミランダ様のお胸じゃそもそもボリューム足りなくない?男にギリギリまで前に出てもらって、自分は力いっぱい肉を寄せて、何とか形は整っても微妙……言いたくないけどあたしは絶対無理、この中でぎりできるのはこの人だけじゃない?」
私を指さして呆れるダマヤ様。「そんな……」としょんぼりするミランダ様。
「じゃ、じゃあ。あの、素足でですね、男性の膝に乗りまして、太腿で……あの、挟んで、それで動かして」
「え、それも無理じゃん?」
「え」「ええっ」
……何これ。ミランダ様驚きっぱなし。……あと、私、流れで驚いているけれど……あまりよく意味が分かっていないわ……。
ちらりとケイトを見ると、「それでよいのです」と頷かれた。いいのかしら。
「太腿閉じて動かす?どうやってよ。どんなバランス感覚よ。重くて痛いだろうね、女の体重すべて乗せられる男も」
「……なるほど……」
ミランダ様、落ち込んでおられるわ。
私は励ますべく、力強く手を握り直した。
「物知りなミランダ様、そういうことは学園で学びますの?私、恥ずかしながら学園にほとんど通っておりませんで無知なのです。ミランダ様の解説はまとまっていて聞きやすくございますね。もっと教えてくださいな」
「……いや、あの……」
「こんなこと学園で教えてたら大問題よね?」
「……もう少し……もう少し若奥様に世をお教えしてから婿様を迎えた方が良かったと、ケイトは無念の極みでございます……」
真っ赤なミランダ様の隣から、まだやいやい来るわ。無視してせかすと、ミランダ様は思い余ったように勢いよく告げた。
「いえ、あの!違うのですマリース様!わ、わたくしも、あの、ほ……本で。本で読んだだけの、知識とも言えない知識で好き勝手にお話しているだけでございます。申し訳ございません、賢しらにこのようなっ」
「本?まあ。そんなご本がありますの?」
ケイトを向くと、ゆっくり目を閉じて首を振る。
「当家にはございませんね。今のところ。建設中の図書館にも入る予定はございません」
「ミカ様の蔵書にあるんじゃないのお?」
「なるほど!読書家のミカエル様ならお持ちではないかということですね!」
「あっ……いや、ごめん、ごめんね。失言ね今の、冗談を混ぜただけなのに!まだあたしも境界線を掴み切れてなかった!いまの無しで!」
珍しく顔色の悪いダマヤ様に首を傾げつつ、ミランダ様に「そのようなご本は、普通に売ってるものなのですか」と尋ねる。
ミランダ様は、握った私の指を、遠慮がちにきゅっと握って……そして、ゆっくり離した。どこか、諦観を浮かべたお顔で。
「……いいえ。おそらく、まともな書店にはないでしょう。わたくしは、わたくしの読んだ本は……父より与えられたものです」
一瞬落ちた沈黙に、ダマヤ様の「……本を読ませてまで、妾になるように仕掛ける父親?さいってー」という呟きが消える。
「……ミランダ様。失礼ですが、そのドレスは」
私の質問に、ミランダ様はふっと笑った。何もかもを、手放したような表情だった。
「……サイズが合っておりませんでしょう?お恥ずかしい。幼いころに亡くなった母のものです。わたくしは役立たずの負債でござます。令嬢ではありません。もうずっと、別邸に隠れております。……おわかりですよね?そういうことでございます。なので、新しいドレスなどとても買ってはもらえないのです。大変なお目汚しを申し訳ございません」
「……母親のドレス着せて妾活動させんの?どんな父親よ」
お母様を大事にしているダマヤ様がぺっと吐くように言う。そんなダマヤ様に、ミランダ様は小さく笑った。
「もう、小さい頃からずっと、ずっと絶え間なく言われ続けておりました。お前は、資産家の家へ嫁ぐのだ。絶対にそうしなければならない、と。資産家の家へ入り込み、実家のカニバル子爵家へ金を引っ張って来る。それだけのための娘だ、と」
だからそのために、学園でも必死に勉強し、教養を磨きましたと俯く。
「……学友も作らずひたすら勉学、そして「条件のよい」男の方を物色。……考えてみれば、そんな女によい殿方など見つけられるわけはございませんね。でも当時は、そんなことすらわからず、ただ父に追い立てられるまま過ごしておりました。結局父が見つけて来た婚約者は、十も上の、初婚ではないお方でした。前妻が急死されたとかで……その、急死の原因も不明の、怪しい……でも、資産家の方でした」
「そんな」
思わず口に出すと、少し嬉しそうにミランダ様ははにかんだ。
「でも、わたくしはひとりではありませんでした。幼いころから。遠い分家からもらった、ペリオールがいましたから」
そう言うと、大きく息を吐いた。数秒何かを考えて……また深呼吸する。吐き出すことで、なぜかお顔がすっきりと明るくなった。
「妾講義は付け焼刃の本の知識しかないわたくしには無理でございましたね。では、少しだけ、歴史あるカニバル子爵家の恥を語らせていただきましょうか」
私が頷くと、ミランダ様はまた嬉しそうに笑った。




