22.東の番外編 ミカエル
今日も今日とて、王宮に出仕する。本日も護衛はカリム、あそこへ寄る日だからだ。
ミカエルは本日、かなり眠かった。
昨日は兄の依頼の資料原本が見つからず、父から回された条文写しには訂正箇所が見つかり、時間に追われて過ごした。多忙だったミカエルを慰めるように、侯爵は領地の歴史記録書を「気分転換にいいよ」と貸してくれた。深夜に公爵家自室へ戻り、マリィに会えなかった苛立ちを抑えて記録書をなんとなく開き……あまりにも面白くて読みふけってしまった。結局一睡もできていない。
「領地の歴史記録は実際のところ、侯爵のドタバタ嫁とり記録だった。面白すぎた。特に他商会を潰しつつ、焦る貴族家に救いの手を伸べる態で最終的にはすべてを乗っ取り、気づけば領地に莫大な蓄財を形成して行くところが」
「それ嫁とり記録ですか?悪の成り上がり一代記とかでなく?」
「最愛で最富豪の嫁をとるための、壮大な準備記録だな」
あくびを噛み殺して書類をカリムから受け取る。ああ、マリィをぎゅっとして眠りたい。
カリムを残して兄の執務室へ入り、昨日原本が無かったことをチクリとやり、多少すっきりとして本日分の仕事を終えて退室する。
と、常に鷹揚な態度のカリムが珍しく険しい顔で寄ってきて、短くささやいた。
「侯爵邸に侵入者です。カニバル子爵の娘、そして養子のペリオール」
「……なんだと?」
カリムがさっと小さなメモを渡す。見ると、侯爵家執事の名入りの走り書きだった。
「で、現在、子爵長女ミランダ、ペリオール、……それからお嬢様とお茶会している、と」
「どうしてそうなる……」
あ、男爵令嬢ダマヤもいるそうですと言われ、それはどうでもいいと切る。
が、切った瞬間、すぐ思い当った。
「今日は確か、男爵令嬢の実母が刺繍店の報告があると」
マリィが先生と呼んでいる刺繍職人が、このたび三店舗目を開くことになったのだ。律儀に毎回報告にくる先生となぜかいつもついてくる娘を、マリィはとても楽しみにしていた。
「それでしょう。お嬢様は毎回、先生を門までお送りするそうで、今回も話を終えてたまたま外門近くまで連れ立って出たところ……ミランダとペリオールが門外護衛と揉み合いしていて」
ミランダはマリィを見ると、大声で叫んだ。
「マリース様!マリース・ハーマン様!わたくし、ミカエル様の妾候補、お手付きになる予定のミランダ・カニバルでございます!」
そして護衛に押し出されながらも、胸を強調したドレスで堂々と礼をした。
「ミカエル様には、いつも大変お世話になっておりますの」
「……」
侯爵家門周辺は、一時無音になった。
「……」
顔を覆うことしばし。
ミカエルはすぐ背筋を伸ばし、細かく短く指示を飛ばした。侯爵のところへ本日は伺えない詫びと今回の説明。カニバル子爵当主の捜索と確保。子爵家への罰と圧を父宰相へ打診。そして、あそこへ……小さな棟へ今日は行けないと連絡、最後に最速の馬車の用意。
「あとで馬で追いつけ」
「応。お気をつけて若」
カリムは軽く会釈すると素早く走り去る。ミカエルも反対側へ全速力で向かった。
一瞬でも、マリィがミカエルに嫌悪感を覚えたら。
子爵家を滅する。残滅だ。塵すら残さない。必ずやる。
寝不足のせいではない頭痛に歯を食いしばる。ミカエルは国務棟の床に足音を響かせて走った。
世の中はこんなにつまらないものなのだな、とミカエルは思っていた。ずっとだ。
次男だから後々は自分で身を立てなければならないと言われ、勉学に励んで最高難度の資格をとった。でも公爵家次男なのだから後々は父か兄の補佐だろうと言われ、文官吏の試験も受けて合格した。さらには公爵家であっても政治力の他に資産は必要だろうと言われ、商会を作って投資も試みた。
誰もかれもが「これやあれをしなければならない」などと、いろいろ好き勝手言ってくる。それに対しひとつひとつ課題をこなして到達し、はい全部できましたと示したことろで、最終的には「何も言わなくても、あなたという人間は大丈夫だね」とまた勝手に結論づけられた。何も言わなくても?さんざん好き放題言って来ただろう?と文句を言いたかったが黙った。
ミカエルはとてもつまらなかったのだ。
身近にいたのは第二王子で、生まれだけ高貴な凡人。
他も似たり寄ったり。ただひとり、アクの強い、強烈な印象を残す幼馴染がいたが……彼女はほとんど姿を見せず、何をしているのかもよくわからない。
とにかく日々つまらないから、ミカエルは身を潜めることにした。海に深く潜るように、砂に埋まって隠れるように、表には出ずにひっそりと世の中から距離を取った。
第二王子が我が物顔で自分を側近のように使い倒しても、どうでもいい。別に負担もそれほどでもないし。学園でも親しく付き合う女性もいない。それほど興味もないし。兄を羨むでもなし。放任主義の両親を恨むでもなし。ミカエルの感情は常に「それほどでもないし」ばかりで、上下することも、満たされることも、欠けることもなかった。
静寂の海の砂の下に横たわり、ただじっと、時間が過ぎるのを待つだけなのだな。人生とは。と思っていた。あの夜会までは。
「ちゃんと寝てくださいね。成長期の子は寝なきゃだめです」
朱色の目の周りが赤い。白い透き通るような頬に涙の跡。銀の髪に月明かりが反射していた。馬車に乗り込む華奢な背中、小窓から見た顔は……ミカエルを見て、笑っていた。ミカエルのハンカチを握りしめて。
幼馴染の彼女だった。
大勢の前で吊るし上げられ、恥をかかされ、自分の今後の立場が一瞬で不明になり、普通なら混乱に陥りミカエルを糾弾してもおかしくないほどの危機を迎えていた女性は、なぜかミカエルのことを心配した。
なぜそこでわたしのことを言うのだろう。いや自分の方が大変だろう。
寝なきゃだめ、だと。
だめ。だめって……いや可愛いな。
可愛いだろう。
心臓が脈打つ。感情が激しく波立った。
ミカエルはなぜか走り出し、夜会会場を抜け、王宮へと向かい、宰相である父のいる執務室を叩いた。侯爵家へ先触れを願うために。
何も言わなくてもあなたは大丈夫だと言われ続けた青年は、結局その後、侯爵家に通い詰めて人生が一変する。
つまるところ、積んだ経験も価値観もすべて覆して恋に落ちた。
泣き顔に驚いたが、それ以上に、小窓から見た笑顔に貫かれた。深海から急上昇してぶくっと海面に出た。
恋に落ちた。
それだけの話だ。
馬車止めで急停止した馬車を降りると、ずらりと護衛が囲む。しかしすぐにそれが崩れ、前方から早足でふたり組が来るのが見えた。
「……」
ミランダとペリオールだ。
「お」
おい、と怒りのまま厳しい叱責を与えようとして、ミカエルは黙った。
ミランダがミカエルを見た途端、ぴたりと止まったからだ。
王宮での態度からは考えられないほど距離を開け、さらに最上級の礼をする。肩には男物のジャケット。
「……ハーマン侯爵家若様。……ご無礼つかまつりました」
「重ね重ねのご無礼、誠にお詫びのしようもございません。ハーマン侯爵家若様」
ペリオールが、黒の長い髪を揺らしてミランダの言葉に言葉を重ねる。そしてミランダをかばう形で前に立つ。前髪の隙間からわずかに黄色の目が見えた。
「咎は覚悟しております……カニバル子爵当主にそそのかされたとはいえ、こちらへ来たのは俺の不甲斐なさと無力さのせいでございます。罪は次期当主の俺のものでございます、どうぞミランダには寛大な処置を」
「……」
この男、こんなしゃべり方だっただろうか。もっと陰気でもごもごしていなかったか?
「……」
護衛がミカエルの視線を受けてふたりを取り囲む。背後から、わずかに息を弾ませてカリムが来た。「宰相からです」耳に小さく伝えられる。
……子爵への処罰はしばし待て。港の権益が欲しいと王家より内々打診。
「……そんなもの、総取りだ。わたしの商会が」
同じくごく小さく呟き返すと、カリムは「応」と声なく瞬きをした。
「今はおとなしく帰邸し沙汰を待て」
ミカエルの思惑を汲んだだろう護衛がふたりに告げる。ふたりは深く深く礼をした。ミランダの飛びだしそうな胸は羽織るジャケットがさりげなく隠した。
そのまま囲まれ促され、罪人のようにふたりは去って行く。わずかに、寄り添うように。
それを秒も見ることはなく、ミカエルは中庭へと向かい……
「若様。少々お待ちを。お話が」
さっとそれを遮ったのは、有能で小回りの利くマリィの侍女ケイトだった。ミカエルの横に立つと速度を緩めるよう促す。歩きながら話したいようだ。
「いまお嬢、いえ若奥様はダマヤ様とお茶の続きをしておられます。特に心身とも問題なく」
「何があった」
「は。ご報告いたします」
ケイトは微かに笑ったように見えた。話は、中庭へと続く小道に続いた。




