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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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21.東の番外編 ミカエル



 財務局の長官であり貴族院の財務監査員を兼任するハーマン侯爵の執務室の奥、長官椅子の後方には、現在風変わりな額縁が掛かっている。金のインゴットの刺繍絵図だ。

 入って来る人間全員がまずこれを見上げ、「……」という顔で用を済ませ、出て行くときにもまた「……」と見上げる。王宮にある肖像画の描かれたどの額縁より見られている。非常に見られている。「あの金の部屋に書類届けてくるわ」「あ、金の部屋行くならついでに貴族院事務局にも寄って」などと言われるほど見られていた。



「うん、素晴らしいね。問題ないよ婿殿」

 その見られている額縁の下で笑う、銀の短い髪、眉尻の下がった銀の目。色素の薄い見た目であるハーマン侯爵は、把握しにくい人物、色と同じ薄い存在感の人物などと称されることもある。しかしそれは大間違いだと、ミカエルは知った。


「じゃあこことここ、あとここも。もう任せようかな婿殿に。それぞれの管理人に連絡を取りなさい」


「は。ではそのように」

 ミカエルは礼をする。


 広大で煩雑な領地各所の過去五年の総収入内容と減益理由、天候と人の流入。それらをまとめたミカエル作成の資料を眺めて、ハーマン侯爵はミカエルに頷いた。


「あと十数年は問題なく領地経営ができるよう、僕も盤石の下地は敷いているつもりなんだ。でも気になるところがあればどんどん修正していって」


「修正するべきところが見つかりません。やり方を学び、過不足なく踏襲するのが最善と心得ます。義父上」


「ははは。そうかな。いや、きっといつか見つかるよ。楽しくやればいい、金も人員も好きなだけ使って」


「……は」


 領地の様々な報告書や資料を確認しながら、ここをこうしたら……ここに手を入れたら……等考える。しかしよくよく調べてみると、そう考えたことは数年前にすでに侯爵が試行しているのだ。すべて。


「でも、このままだと我が領地はひたすら人口増加の一途を辿る。だからきっと数年後、今現在では考えられないような問題も起こるだろう。そんな時のためによく学んでおいて、で、実際起きたら。婿殿、頼むよ」


「は。心して」


 マリィは自分を千手先を読むと言ってくれたが、この侯爵は何万手を読んでいるのだろうと思う。おこがましいが、自分との共通点も多い。喜びを感じるほど、彼に学ぶことが多すぎた。


 金を稼ぐのが趣味。でも、貯めることに興味はない。使うことにも。領地は潤い収入は右肩上がり、しかし決して突出しないようわざと発展度を抑えゆるやかなものに調整。飛び出してしまったが最後叩かれ搾取される例は、歴史を見ればわかるからねと言う。その卓越したバランス感。


 そして、愛するものへの愛の、狭さと深さ。









 ……ミカエルがまだ婚約を願って日参している頃、第二王子のせいでマリィが邸で外出禁止になった頃。あと一押しというところで、自分の資産額をすべて見せたことがあった。

 この国の貴族には私有財産の公開の義務はない。ただ、各領地の予算案等は公表されるので、各家だいたいの資産額は想像できる。

 ミカエルの資産はあくまで個人のものであり、所有の商会も人を介し名を変えて運営しているために誰にも知られていない。家族にも資産額を知らせたことはない。


 それを、すべて見せた。国規模で測っても相当な額である、自分の所有財産を余すことなく。


「なるほど。よく稼いでいるね、その年齢で」

 侯爵は、常識ではあり得ないと思われる額の帳簿を見て、あっさりと頷いた。


「じゃあこれを見せようか」

 交換で渡されたのは、ハーマン侯爵個人財産の、その一部の帳簿だった。


「……これは」

 さすがのミカエルも指が震える。そこにあったのは、国家予算数十年分にあたる、天文学的な数字だった。


「これ、は、どこに」

 この国では預かる場所も投資先もない。規模が違い過ぎる。


 思わず声が詰まってしまったミカエルに侯爵は小さく笑う。

「この国では抱えきれないからね。別の国に置いてある」


 国名を聞いて納得する。海を隔ててさらにいくつかの国を経た小国だ。しかしながら資源が豊富で固有の寡占鉱物も多く、世界中の富が集まると言われている国だった。


「マリースの母である我が妻、アメリの出身国だ。これは彼女がここに嫁いできたときの持参金だよ」


 アメリ夫人はほとんど社交界に出たことがなかった。病弱だったこともあるが、あまりに美しくはかなげで、危険が多いからと邸の奥で静かに過ごしていた。口の悪い母親、宰相夫人が、アメリ夫人に関してだけは「我が国にはいないタイプの、本物のお姫様だった」とうっとり言うのを聞いたことがある。

 ハーマン侯爵の最愛だった。


「……」

 促されて帳簿をめくる。そして数ページめくったところで、ミカエルは重大なことに気付いた。


「侯爵。あの、これは……」


 アメリ夫人は十六でハーマン侯爵へ嫁いだ。数年後マリースを生み、病気を患って儚くなった。その間十年。


 莫大な持参金は、銅一枚も減っていなかった。


「アメリが儚くなって、僕はアメリのご実家に行ってね。すべてをお返ししますと伝えたんだ、持参金すべて。一枚も使わなかったからと。すべて、彼女を飾り彼女を喜ばせ彼女を笑わせるすべてのものは、僕が稼いだ金でまかなった。だから返すと言ったら、義理のご家族が言ったんだ。「アメリは幸せに過ごせたようだ、ああよかった」と。僕は今でもそれが誇りなんだよ」


 そして侯爵はミカエルを見た。


「この金は結局先方には受け取ってもらえずそのままだ。しかも置いてあることで複利もつき、帳簿外でさらに膨れ上がっている。マリースと結婚したら君のものだ、自由に使いなさい」


「いいえ」

 ミカエルは間髪入れず答えた。


 ここで一瞬でも間を開ければ、もう永遠に欲しいものは手に入らないだろうと思った。


「いいえ。わたしはわたしが老衰で息を引き取るまで、この帳簿は一枚も、一欄も、一線も、書き換えないことを誓いましょう」


「ははは」

 侯爵は笑った。


 そして、婚約を了承した。




 ミカエルが第二案を決行したことで義父との仲がこじれるのは覚悟していたが、ひと段落して邸に帰ったマリィの、「お父様!国一番の婿を捕まえてまいりました!褒めてくださる?」という、にこにこの一言ですべては決着した。可愛い。


 ミカエルは、自分の親よりも兄よりも何よりも、ハーマン侯爵を助け侯爵領を支えようと決意している。










「マリースの姿絵を描いた奴と描かせた奴かい?」


「はい。どう処分していいのか迷っておりまして」

 領地経営の学びと相談が終わり、しばしの雑談にミカエルはため息をついた。


「罪状がないので捕縛するわけにもいかず」


「じゃあ、適当に借金背負わせてしまえばいいよ。僕の商会がいいかい?婿殿の商会でやる?で、僕が個人で持ってる隣国の鉱山に送ろう。なに、先輩がいるから寂しくないさ、彼らも」


「先輩?」


「うん。邸に忍び込んでアメリの姿絵を描いて、流通させた奴がね。もう二十年くらいいるよ。頼れるいい先輩になってくれるよ、ベテランだから」


「義父上。勉強になります」


 胸に手を当てて頭を下げる。……とにかく共通点が多い。血の繋がりはないのに同種の匂いがする。

未来永劫、ハーマン侯爵領のため粉骨砕身しよう。ミカエルは誓った。


「婿殿、今日もこのあとあそこへ行くのかい?」


「は。それが終わり次第、侯爵邸へ伺いたく思います」


「マリースやみんなが、婿殿たちが引っ越してくるのを楽しみにしているよ」


「ありがたき幸せ。……どこぞの愚図が婚約式を延期していなければ」


「ははは。宰相夫人に似てるなあ」


「おやめください」


 苦笑いで退出の礼をする。手を振るハーマン侯爵の執務室を名残惜しくも出ると、待機していたカリムが肩をすくめた。


「また来ていましたよ、港の子爵家の一行が。執務中だと帰っていただきましたが、まだそこらへんうろついてるかも」


「……はあ」

 ため息が深くなる。


 執務室に入る前に声をかけてきた中年侯爵のように、嫉妬丸出しで絡んで来る者は多い。しかし最近はさらに、別の目的で絡んでくる者も増えているのだ。


 ミカエルをやっかんで突撃する貴族が増える中、公爵家としての立場も……ということで、ミカエルの個人資産である商会を一部のみ公開した。資産額でいうとハーマン侯爵に見せたものの十分の一分にも満たないごくわずか。


 しかし、その結果、別の突撃が急増した。


「あ、ミカエルさまあ!」


「ほら来た。うろついてたな、ごく近くを」

 カリムがささやいて一歩前に出る。


 しかし声の主は構わずにミカエルに最接近し、その後ろからは男二人がゆっくりと歩いて来る。ここ毎日頻繁に見る顔ぶれ、子爵家の三人組だ。


「ミカエルさまあ。やっと会えましたわ。ミカエル様のことを考えるとわたくし、胸がうずいて……夜も眠れませんの、罪なお方」

 夜会でも着ないだろう胸元がぱっくり開いたドレスで、さらにぎゅっと胸を押し上げて見つめてくる女性。子爵家長女ミランダ。


「……」

 マリィがもし見ていたら……え、お胸が、お胸が出ちゃいます、どうしましょうミカエル様、大変、教えて差し上げた方がいいでしょうか、飛び出してしまいます……とか言ってオロオロこちらを見上げてくるのだろう。可愛い。


 想像してかすかに笑ってしまう。と、後ろの男ひとりが野太い声を上げる。


「おやおや、噂のミカエル殿も娘の色香には耐えられないようだ!仕方ないですな!お若いですから!」


「いやですわお父様。……でもわたくし、ミカエル様にご満足いただける自信はありますわ。お任せください。わたくし尽くします、ミカエル様。……いまはきっと、ご満足できてないでしょう。奥様もお若いですし」


「……」


 ぴきっとミカエルの額に青筋が走ったのにも気づかず、当主カニバル子爵はかかと笑った。


「ぜひ今夜はうちでワインでもどうですかな、ミカエル殿!いや遠慮なさらず。そのまま泊まっていただける別邸もありますぞ!」


「……結構です」


「いやいや。ミカエル殿はお若いからおわかりにならないだろうが。男は、別の花を囲って一人前ですぞ。その点、うちのミランダは花としては逸品だと自負しております。年上、美人、豊満。だけでなく、読書家で学園でも優秀な成績を修めました。昼は機知に富み、夜の技巧もあるなど男の夢ではないですか!きっとミカエル様にもご満足いただけるかと。……失礼ながら、奥様は……学園にも通っておられないとお聞きしますぞ。秀才と名高いあなたには、少々……物足りないところもおありでは?途方もない美しさだとはうかがいますが、美しさだけでは。ねえ」


「……あ?」


「ですから、知と体すべてを満足させてくれる相手は」


「ああ?」


 切れて思わず不穏な声を上げかける。が、その瞬間、残りのひとり……黙ってうっそりと後ろに立っていた黒髪の男が、そっと割って入った。


「……申し訳ありません。……お急ぎのようです、ここまでにしましょう。子爵」


「なんだお前、いつも邪魔しおって!」


「ペリオール!あなたまたわたくしの邪魔をしますの!?」


 カニバル子爵とミランダふたりににらまれ、しかしペリオールと呼ばれた暗い風貌の青年はふいっと首を振った。顔半分を隠す前髪が重く揺れ、低くこもるような声で言う。


「……ここまでです。これ以上となると……子爵家が危機にさらされるでしょう……」


「なにをわけわからんことをぶつぶつと!陰気な男め!」


「ペリオールったら!ミカエル様あ、お気になさらず。ねえミカエル様、わたくしのここ、少しだけなら触ってもよろしくてよ?」


 胸を鳩のように反らしてぐいっと踏み込むミランダを、カリムの柄と、そしてペリオールの腕が止めた。


「そこまで。公爵家令息であり侯爵家若君に対し無礼千万。これ以上は排除してもさしつかえないと判断する」


 カリムの宣言に、子爵と娘は悔しそうに顔をゆがめる。一歩下がったその隙に、ミカエルは冷たく目を細めた。


「……失礼だが、わたしの妻と比べることすら不快です。妻が女神ならご息女は羽虫、そも立つ舞台が違う。……その汚物を今後目にしたくもない。鎖にでも繋いでおけ」


「なっ」


 真っ赤になって怒りを浮かべる親子と、こちらをなぜか睨んでくるペリオールを無視して、ミカエルは歩き出した。カリムが背後を守りながらついて来る。


「……今日はいつにもましてぐいぐい来ましたね」


「焦ってるんだろう。順調だった港事業に陰りが出ている」


 港のある領地を持つカニバル子爵は、子爵家の中では抜群に潤沢な収入源に頼りきりだ。がここ数年、不況が続き、さらにはライバルの台頭で港事業の独占が難しくなっている。


 まあそのライバルというのが最近ミカエルが作った新しい商会なのだが、そこは置いておいて。


「闇雲に金銭の蔓を探している。金を引き出せるような人、もの、事象に飛び付き過ぎだ」


 カニバル子爵の長女ミランダは二十を超えて独身。別邸で隠れるように過ごし、社交界にも出てこない。

 つまりわけあり。……結婚対象にならない女性だ。


「子爵家についての報告。数年前、突然ミランダ嬢が告白。処女を失ったと。血液のついたシーツの証拠も出してきた。父親が激怒してさんざん問い詰めるも、決して相手の名を言わず。おそらく街の破落戸かなにかに襲われたか……結果、当時の婚約者から破棄の申し込みがあり、子爵は受諾」


 カリムが後ろから調査書を読み上げる。


「ミランダは別邸にて隠れ住んでいる現況。ペリオールは幼い頃に分家から迎えた養子で子爵家を継ぐ予定。資産もあることから、このままペリオールの代になっても、ミランダは修道院や自害は避け、別邸にて隠居させるつもりだった。……しかし」


 事業の不況からそれが難しくなってきた。

 嫁ぐことも不可、社交もできない娘など、ただの負債。


 この国の貴族の世界には、くだらないがこういう慣習が当たり前にあるのだ。ミカエルはふっと息を吐いた。


「それで金の有り余ってる若に飛び付いたんですねえ。焚きつける親もどうかと思うが、娘本人もすごいですね。必死だ」


「飛び付く先を間違えすぎだろう。あんな何も見えていない目の子爵だ、不況関係なく遠くない未来に家

業は詰んでいたはずだ」


「確かに」


 ミカエルを狙うなどあり得ない。攻めればなびくと思っている、その根本からおかしい。既婚で資金力のある貴族男が妾を持つことは確かにあるが、ミカエルは必要性すら一切感じない。


「……ちなみに、マリィの知識は厚い。特に計算力が恐ろしく高い。この国の学園で教える計算の仕方や基礎を無視して、見たこともない方式や算式を使いこなして会計作業を手伝ってくれる。しかもそれが理にかなっている」


「へえ」


 以前、どこでそんな計算式を?と聞いたら、きょとんとしていた。

 本で読んだ……のでしょうか?と逆に問われて笑ってしまった。


「マリィも、そして御母堂のアメリ様も。学園に通っていない、ではない。通わなくてもいい、通う必要もない。そういう人だ。美しく魅力がありすぎて、通うことで起こる危険性をかんがみれば通わないのが正しい、となる」


「まったく。手中の珠の度合がすごいな。二代にわたって」


「……話していたら会いたくて仕方なくなる。さっさとあそこへ行って終わらせて、侯爵家へ行こう」


「同意です。あそこでちょっとストレス発散して、侯爵家へ直行しましょ」


「ああ、そうだ、先ほどあまりに頭に血が上って酷い言葉を使ってしまった。仮にも令嬢に羽虫などと。床の染みくらいにしておくべきだった。マリィに言わないように」


「はいはい」


 カリムとともに国務棟を出て王宮の裏に回る。許可証を護衛に示し、ミカエルたちはひとつだけの入り口に「立入厳禁」の札のかかる、小さな棟へと入って行った。








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