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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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20.東の番外編 ミカエル


 カリムは元王族所有の元私兵で、元の職場を辞めて……元が多いが、辞めて侯爵家へ来ようとして、それが出来なかった。元と言えど王族の近くにいたわけで、簡単にはいかない。情報漏洩、戦力の減益、所有物としての権利譲渡の有無。さらにはあの脱出騒動で王宮護衛を何人も倒している。その罪状の洗い出しや武力行使の正否に対する意見調書、貴族院の裁定……さてどうするかな、どの手段を使ってうまく波風立てずに引き抜いてマリィのところへ連れて行こうかな、などと考えていたのだが、一瞬で横取りされた。


 自分の母親、宰相夫人。オーブリーに。


「すごく迷惑かけられましたわ、おたくの次男に。我が公爵家が、ええ。我が公爵家が。慰謝料代わりにいただきますわね?」

 陛下に直訴で勅令の断行だった。ミカエルは手も足も出せず、母親はカリムを連れ出してそのまま公爵家所属の護衛としてしまった。


 そしてマリースへ「警護要員です」と貸し出している。「マリースに害を為そうとする者」からの警護と「マリースに手を出そうとする息子」からの警護両方だ。

 もうわたしたちは夫婦です、新婚の仲を邪魔しないでくださいと訴えてみてもあの母には無駄。もとよりマリースは宰相夫人に逆らうなんて考え自体がない。そして暗躍する義姉ヴェロニカ嬢。




「……ヴェロニカ嬢はただ楽しんでいるだけだな」


「マリース様の刺繍を独り占めなんてさせませんことよって呟いてましたよ。このあいだ」

 半歩後ろのカリムが教えてくれる。

 王宮国務棟の磨かれた廊下に、自分のため息が落ちて反響した。


「まさか本気で邪魔しに来てるのか」


「ご長男、婚約者でしょ。お願いしてみたらどうですか」


「兄上はもうすでに……ヴェロニカ嬢に逆らえなくなっている……」


「尻に敷かれるの早いな」


 カリムの言葉遣いは現在公爵家で教育中なのだが、なかなか直らない。戦場暮らしが長いからと本人は言うが単に直す気がないのだろう。


「……兄上も婚姻式が延びに延びて、ヴェロニカ嬢とともにいる時間が長くなればなるほど、じりじりとふたりの力関係が決まりかけている、とおっしゃってた。……すべて、王太子の婚約式のせいだ」


「婚約式、延期ですもんねえ」


 どこぞの王族の大失態で、後始末に追われた王家。賠償金や兵への補償、とにかく金銭的にもメンツ的にも大変だった。らしい。どうでもいい。


 が、婚約式まで延期になるのは予想していなかった。王太子の婚約式、自分たちの結婚披露会、兄の婚姻式の順だ。婚約式が延びれば自動的にその後ろも延びる。


 愚図と称されるに理由はあるのだな、とミカエルは思う。常に後手後手、慎重とは言わば考え無し。完全巻き添え状態の哀れな王太子も、ミカエルにとっては腹立たしいことこの上ないただの愚図だ。


 引っ越しは披露会のあと。


 自分の!マリィとあれこれいろいろする日々が!遠くなるだろうが……!


「欲望だだ漏れですね」


「漏れるだけで我慢してやっているんだ、ありがたく思ってほしい」


 ミカエルは現在、王宮に日参している。

 日々の出仕時には公爵家護衛が付くのだが、二週に一度だけ、決まった日時のみカリムが付く。今日はその日だ。


 ミカエルの現在の業務は、宰相である父の小間使いと王太子側近の兄ハルバードの資料作成手伝い、およびハーマン侯爵の執務室でのハーマン領についての学びと補助。前ふたつは前回の騒動での借りを返すためだが、最後のひとつは今後自分の仕事となるのでぜひ邁進したい。でも父兄関連の仕事もかなりの量である。


 実は未だ学園に籍があり、最終学年の学生でもある。しかし卒業単位は十分、さらに王宮文官試験にも合格済、もっと言えばこの国の貴族子女は学園の一年時にもう成人と見なされる。通学するしないは自由であるし、何より妻帯者。そう、自分は妻帯者だ。行く必要もない。妻と離れる時間をこれ以上作りたくない。ただでさえ忙しくて、ハーマン侯爵家になかなか行けないのに!


 ……一緒に……住むことができていたら……いろいろ、いろいろあんなこともこんなことも……したりする時間も取れるのに…………!


 ミカエルはここずっと内心で歯噛みばかりだ。いかんともしがたいことが多すぎる。


 しかしそんな多忙な合間を縫って、

「おやドンタルト公爵令息……いえ、ハーマン侯爵家若君ではないですか。偶然ですな」


 にこにこと口角だけ上げた中年がわざとらしいタイミングで現れた。


「……ご無沙汰しております」

 ため息を隠して軽く礼をする。最近やたらと絡んでくるこの中年の侯爵は、うんうんとやたらと親し気に寄って来ると、どこの親戚かと言いたくなるほどの馴れ馴れしさでミカエルの肩を叩いた。血縁でも何でもない。


 王都から離れた西にある領地の観光地化を目指し、観光開発事業に投資して大きくつまづいたと聞いている。

 まあ、その投資先の株価を誘導して落としたのはミカエルの商会であるが、それは置いておいて。


 挽回の手段を探りとにかく人を寄せたいのだろう。つまり客寄せにしたいと。自分たちを。人を集めて出資者を募りたいのだ。


「今度うちで夜会を開く予定でね。多才な君をぜひお招きしてお話しを聞きたいと妻も息子娘も言っているんだ。もちろん、ご夫婦そろって」


 最後にさらりと一番言いたいことを加える侯爵に、こちらも口角だけ上げて返す。


「ありがとうございます。しかしなにせ、未だ勉強中の身でして。父と義父に相談させていただきますね」


「そんなわざわざ宰相殿の手間を取らせずとも。ご夫婦で決めてくれればいいのだよ」


「そうですね。では招待状が届きましたら改めて返事をさせていただきます」


 今ここで返事をしろとの圧を交わして「では」と早足を装う。背後でもう一度声をかけようとした侯爵はカリムにさりげなく遮られて、「ちっ。うまくやりやがって」との聞こえよがしの舌打ちをした。


「……いや、人気ですねえ。若もお嬢様も」

 歩きながら、カリムにからかうように言われる。


「毎日どこぞの夜会に招待される。おかしいな、我が国の貴族家はそんなに夜会が好きだったか」


 この国で、頻繁に夜会を開いても無理のない経営状態の貴族家はごく一部のみ。万年金欠の王家に引きずられるように、各家金銭事情は満帆ではなく意味のない夜会など開く余裕はないはずだ。


 開いても問題ないのはヴェロニカ嬢のミズリー公爵家とうち、つまりドンタルト公爵家。あとは商家を分家に持ついくつかの伯爵家や、港のある子爵家。


 あとひとつ……幾千の夜を連ねて夜会を開催しても、屋台骨はぴくりとも動かないと言われるハーマン侯爵家。これは別格だが。


「みんな、お近づきになりたいんですねえ。話題の夫婦ですもんね」


「有象無象がマリィを見たくて仕方ないってだけだ。腹立たしい」


「闇で姿絵が出回ってましたもんね。即回収されましたけど」


「描いた奴と描かせた奴を見つけるのに半日もかかってしまった。わたしの落ち度だ」


 ……な、な、泣いたお姿は描けませんでした、尊過ぎて。と尋問に答えていた男たちの赤い顔を思い出し、苛立ちを抑える。そんなミカエルにカリムは笑った。



「いや怖い怖い」









 ……ある日、王都に激震が走った。


 王宮に騒乱あり。兵と護衛が公爵家次男と侯爵家長女を追い出陣。第二王子発の拘束令。後、第二王子本人が拘束。……怒涛の情報の中にもひときわ輝く、「王宮で泣いた尊い姿のマリース嬢」の噂。多くの貴族と下働きが目にしたそれは、瞬く間に伝播した。


 後日、激震の第二波で、そのマリース・ハーマンが結婚した話も王都を駆け巡った。相手はともに出奔した公爵家次男。


 あの大金持ちのハーマン家と、あの……あのマリースと。ふたつを手にした男の名は、ミカエル・ドンタルト。公爵家とはいえ次男、誰もが羨む地位をあっさりと手に入れた男にあらゆる嫉妬が集中した。マリースの過去を補って余りあるほど、それは魅力的な地位だったから。


「ちっ。うまくやりやがって」との評は、ミカエル自身間違っていないと思うので訂正はしない。現にうまくやった。みなが言っている意味とは少し違うが。


 唯一を手に入れるために策を張り巡らし、「急遽の別案をとる」「第二案しか手はないのだ」と周りにも本人にも示し、言いくるめ、ことを終わらせた。




 実際は、その「別案」が「本案」だった。それだけ。

 

 そういう意味でうまくやったのだ。










「……お前にさえ気づかれなければ、完璧だったのに」


 横目でにらんだカリムは肩をすくめた。


「単なる勘です。普通、本命の作戦を捨てて急ごしらえの代案を行使する場合、決行中も常に不安や疑心が付き纏うもんです。なのに若は異様なまでに冷静で先々への目線がぶれていなかった。こりゃ役者だなあと」


 逃走劇を共にした元兵士の目はごまかせなかったようだ。

 他は誰も知らない。気づいてすらない。ミカエルの腹の奥の、どろどろとした欲で形成されたものを。

母親である宰相夫人、オーブリーに私室に呼ばれ、床に跪かされ、詰められた時も……うなだれたふりをしつつ内心ではバレていないことを安心していたのだ。……マリィが飛び込んできたその後は、ひたすら計算外だったが。


 そう、ミカエルの唯一はいつもいつも予想を超えてくる。

 ミカエルのどろどろを軽やかに飛び越えて、思ってもみなかったところからちょこんと出てくる。どうなさったの、ミカエル様。

 銀の糸に光を纏わせ、名を呼んでくれる。ミカエル様、と。

 


「……あー……。早く帰りたい。もちろん侯爵家に」


「じゃあ早く済ませましょ。オレも早く侯爵邸に行きたいです。あそこなんでも旨いし。それに」


 カリムの言葉は途切れた。ハーマン侯爵の執務室に着いたのだ。


 ミカエルは背を正し、ノックをした。








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