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限界を超えたスピードを出し続けた馬車は、ガラガラと聞きなれない音を響かせる。それに紛れて門番の、「開門!開門!!」との叫びが聞こえた。
傾いた馬車は開いた門をそのまま走り抜け、急カーブを描いて止まる。遠心力で扉に押し付けられる体をミカエル様が支えてくれて、しかし耐えられなかった扉が壊れて開く。転がり落ちた二人を包んだのは、公爵邸正面玄関の馬車止めを大きく外れた園庭の芝生だった。
「よし!坊ちゃんも令嬢も無事だ!」
おおっと野太い快哉が上がる。「無事じゃない!」「ひどい、なんて乱暴なの」と言い返す高い声もする。
はっとバネのように起き上がった私は、闇の中の人混みに目を向けた。
「お嬢様!」
つまづきながら走って来る相手を抱きしめる。
「け、ケイト、ケイト!ケイト!」
「お嬢様を落とすとは!公爵家とはいえ馬車の造りも知れたもの、やはりこちらとのご縁は考え直してもいいやもしれませんっ」
「ケイト、お顔、お顔が」
湿布でも隠せない、腫れた片頬をそろそろと触る。そんな私を見てケイトはからりと笑った。
「半月もすれば治るそうです」
そして私の後ろから腕を回す形で立っているミカエル様をキッと睨みながら、私の全身を見回す。
「それよりも……お嬢様のお髪が乱れてぼろぼろ、お目目も痛ましく真っ赤でおいたわしい、あっ!お首に擦り傷!しかも……カーテンで包まれて!」
これカーテンだったのね。
「なんということ!許せない!」
ケイトの後ろから怒りの形相でうちのメイドたちも走り寄って……嬉しい、みんないるわ!よかった!
「坊ちゃん、それであの、首尾は……」
「ああ。第二案を馬車の中で了承してもらった」
なぜか胸を張るミカエル様に、おおっ!と公爵家護衛のみなさんがどよめく。
「やりましたね坊ちゃん!」「さすがやる時はやる次男坊」「オレの教えた口説き文句役に立ったでしょ!」「しかし了承……その言い方が坊ちゃんだ」わいわいとお祭り騒ぎになる護衛たちの間で、
「ば、馬車の中で!?」「しかもお衣装がカーテン!?」「うちのお嬢様へのプロポーズが!?」「あり得ないわ!!」とぷりぷり怒るメイドたち。
ケイトはミカエル様へときりっと向き直り、「いつか近いうちに必ず、最高のシュチュエーションで仕切り直しを!」と迫り、「もちろん」とミカエル様は真剣に頷いている。
私はもう堪え切れず、涙腺の崩壊は崩壊を越えて滅亡になる。どばっと流れ落ちるままに泣いた。
「ケイト……みんな……ふえ、ふえええええん」
「……」
「……」
ミカエル様に抱き締められて頭を撫でられながら、何か言おうとするたびに涙が邪魔をする。それでも「しんぱいしてくれてありがとね」と継ぎはぎの発音でようやく絞り出すと、真っ赤になったケイトが「……んごほんっ」と強く咳き込んだ。
見ると、ケイトだけでなくメイドや護衛みんな顔を赤く蒸気させていた。手で顔を覆ったり天を見上げている者もいる。「胸が痛い……」「ひっくひっく言ってる……」「尊すぎだろ」「尊いの上限越えてる……」とざわめく中、ミカエル様が小さくため息を吐いた。
「……このように、王宮からここまで、いろいろな人間を落としてきた」
「目に見えるようでございます」
重々しく頷くケイト。
「おかげで助かった面も大いにあるが、やはり今後の防衛拠点計画は見直さざるを得ない」
「うちのお嬢様の吸引力の怖ろしさを今一度確認されたわけですね。承知いたしました。予算も配備もいちからの練り直しを旦那様にご報告いたします」
なに?軍事協議?
「ケイト、ケイト、私取り戻してきたわ。あなたの短剣」
大事に持っていた短剣を渡すと、ケイトは「まあお嬢様」とにっこりした。
「ありがとうございます」
「わ、私、ちゃんと謝るように言ってあるからね、ひっく。うちに来るから」
「…………なるほど」
ちらりとミカエル様を見たケイトは、「なるほどなるほど。そこも落としてきたと」と小刻みに頷いた。
「では、おあいこで許しましょう。私が同じように殴り返しても力不足ですので、この取り返していただいた短剣の柄で一発入れましょう。思い切り」
「ついでに目と喉も柄で突きましょう、女性のお顔に手を上げたのですもの」とメイドが加えたので、私も頷いた。ケイトが笑う。
「お嬢様も同意されたので、足を開かせて真ん中も柄で突きましょう」「突いた後ぐりぐりすればよろしいわ、足で踏みながら」「ええ、ええ。それから尻の穴にも柄を」
「お尻の?穴に?」
私がびっくりして聞き返した瞬間、ミカエル様が私を抱き上げた。
「マリィ。残念ですがあまりゆっくりできません」
なぜかしいんと静まり返った護衛たちの間を歩き出す。
「……んん、よし!さあ!時間がない、みな急ごう!」
大柄な男の人が、ぱんっと手を叩いた。目が覚めたように護衛みんなが一斉に動く。彼に「こちらです」と先導されたミカエル様は、私を抱っこしたまま「疲れましたね。でもまた少し移動です」と言った。
笑いかけてくる青い目に頷いてから、私は前を歩く大柄の公爵家護衛に声をかける。
「あ、あの、ぐすっ、あなた、大丈夫だった?痛く、なかった?」
大柄の彼はくるりと振り向き、額に巻かれた包帯を隠してにこっと笑った。
「おや、顔を覚えていただけているなんて光栄です」
私兵に胸当てを奪われ血まみれになってもなお、剣を構えて必死に追いかけて来た護衛の彼だ。
「昼間は大ポカやらかしました。だから今からは獅子奮迅の活躍をお見せしますよ、ここで奮起しなけりゃ婿入り先に連れて行ってもらえませんので」
そして庭先の小門にひっそりと待機していた幌馬車に合図する。
「邸門で倒れていたもうひとりの護衛も今度こそと張り切ってますよ。ついでに、侯爵家護衛たちもみな無事です。今頃、侯爵家門前で大集合して侯爵様を先頭に鬨の声を上げていますよきっと」
ミカエル様とともに荷台に乗せられて幌を低く降ろされる。そこへ「お嬢様!」とケイトが息を切らせて走ってきた。
「お嬢様。ケイトが一緒にいられなくて申し訳ありません」
荷台に腕を伸ばし、私の手を取る。そのまま麻の小袋を渡されてそれごとぎゅっと握られた。
「お嬢様のいるところがケイトのいるところ、だから今はケイトは離れなければなりません。お嬢様、中に薬も入っておりますのでお首の傷を労わり下さいませ」
ケイトの後ろを見ると、メイドのひとりが私のドレスを着ている。私と背格好がよく似た女性だ。
「公爵令息様に似せた者もおりますよ。なんと、侯爵邸にも同じ影武者セットが待機しております。あちらはケイトの分もおりますので、三人です」
おかしそうに笑う。私は笑おうとして笑えなくて、ただ泣きながらケイトの手を握った。
幌馬車に御者が乗り込み、馬が土を蹴る。小門が音もなく開く。
そして、正門の方から、「開門願い!開門願い!」と怒号に似た咆哮が聞こえた。
「ハーマン侯爵令嬢とドンタルト公爵令息の在所確認で王宮より参った!剣を引いて開門願う!」
「そちらこそ剣を引け!剣を構え公爵家の門へ侍るとはなにゆえの狼藉か!先触れなしの帯剣訪問なぞ我が公爵家が許した歴史はない!」
正門のあちらとこちらで、大勢の人間がにらみ合っている。一触即発の空気が松明に焼かれてぱちっと弾けた。
「……侯爵家もいま、ほぼ同じ状況でしょう。これで王宮護衛と国軍兵士が公爵家と侯爵家に二分したことになります、片方だけなら我が公爵家にとって児戯のようなもの。急いでください。お気をつけて」
大柄の護衛に急かされて幌馬車が動いた。「ケイト」ともう一度呼ぶと、ケイトは手を離して鋭くささやいた。
「いいですかお嬢様、いくら好きな殿方とはいえ、無茶なことをされたら蹴ってしまえばよいのです。お嬢様は至高の存在ですので」
「蹴るの?」
「はいお嬢様。嫌だと思った瞬間にかかとを持ち上げ、下腹の少し下、中心をねらって蹴り上げてください」
「中心?」
「はいお嬢様」
にっこり笑って手をふるケイトの姿は、暗闇に松明の灯りが反射してすぐに見えなくなった。




