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泣き虫の私が泣く人のいない世界に行った話。追加で絶対泣かない女がこっちの世界に来た話。  作者: ヤマト


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10



 私はソファから転がり落ちた。



「泣け」


 ……床に這いつくばって見上げるは、金髪の王子。



 いや、化け物だ。

 


「……泣きません」


「泣け。怒鳴るだけで泣くだろう、お前は。睦み合う前に多少痛めつけた方がいいか?素直に泣くならひどいやり方はしないでやる。さあ泣け」


「泣きません」


「ならばまずは、無理やり裸に剥こう。お前はずいぶんいやらしい体つきだからな、以前は何の興味もなかったが……不思議だ。あの泣き顔を見てからは体も見てみたくて仕方ない」


「気持ち悪い。そんなことしても私は泣きません」


「生意気だな」


 わずかに苛立ちを浮かべた男が私のドレスの襟に手をかける。一気に引き裂くつもりなのだろう。

 それに構わず、私はぎっとにらんだ。



 化け物を、にらみ上げた。




「泣きません。絶対に」





 マリース。


 ……顔が思い出せない、マリース。


 声も、仕草も……もう思い出せないの。あなたを。元の自分のことなんて、もう、霞よりも薄くて欠片も思い出せないの。


 あなたの話してくれた情報はいつの間にか私の記憶となったわ。長い時間語り合い教え合った知識は、いつの間にか自分で学んだものになっているわ。不思議だわ、マリース。


 でもマリース。あなたの存在だけは私覚えているの。

 私に、情報という名の力を、知識という名の財産を、あなたのすべてを私に譲ってくれたその愛を。


 それは覚えているのよ。私。





 あなたは、あの世界から私を逃がしてくれたのね?





「さあ泣け」


 私は舌に力を入れた。この狂人の指が身に纏う布を一ミリでも裂いたその瞬間に、この舌を噛み切ってやろう。負けるものか。必ずやり遂げる。


 マリースはこの世界に抗い、令嬢の地位にも名誉にも無関心だった。たった一度体を結んだだけで自分が男の所有物になってしまうこの世界を憎んでいた。誰かひとりにこの身を、自分だけのものであるこの身を任せてなるものかとずっと戦っていたんだわ。マリースはひたすら自由だもの。



 そんな彼女が守ったこの体、私が守らずしてどうする。こんなクズに好きなようにはさせないわ。


 私は、私の愛する人に、愛を返すの。これからもずっと。




 歯を舌に立てる。まぶたの裏にふと、青く輝く残像が見えた。





「さあ泣けええ!マリース、裸で跪いて俺に







「ユンさまあああああああああ」



 バアアアアアン……!と扉を開けて飛び込んできたのは、ピンクの塊だった。

 弾丸のようなスピードでユンゲー殿下にぶつかる。


「わああああっ」

 そのままごろごろと転がって行った。二人一緒に。



「……」

 え、大丈夫?




「な、なに、おまっ、どうし、おいっ」


 乱れた金髪、着崩れたシャツが半分脱げかかっている殿下が上半身を起こす。腰に巻き付いて離れない塊を引き剝がそうとして、「うわあっ」ともう一度床に沈んだ。ピンクの勢い余った頭突きだ。


「んもう、ユン様ったらあ。こんなとこであたしを押し倒すなんてだいたーんっ」


「バカ、俺が倒されてるんだっ……いや違う!なんだこれは!!」


 殿下は茹るほど真っ赤になって絶叫した。


「おい、俺の命令が無ければ決してこの扉を開けるなと!王子権限だ、厳命しただはずだ!どうしてこんなあ!お前ら全員、全員クビにしてやっ……」


「ええー?ユン様おもしろーい」

 絶叫を間延びした甲高い声が遮る。


 ダマヤ様はこてっと首を傾けて可愛く、とても可愛く言った。


「だって、王宮のどこもあたしは顔パスって。ユン様が言ったじゃん」


「……」


「……」


「……あ、の、で、殿下がダマヤ様は……どこでもお通しして……いいと……」


 開いた扉の向こうで、デキる侍従さんが室内の惨状に目を奪われながらも言う。


「そ、それで……あの、ダマヤ様が……扉に向かって突進して行くのを誰も……止められず……」




 その時、コツっと靴音が響いた。


「……大騒ぎですね」



 はっと瞬く。


 が、一瞬で視界が閉ざされた。


 柔らかい大きな布……カーテン?シーツかしら。体がまるっと包まれて宙に浮く。


 温かな長い腕に赤ん坊のように抱っこされている。と、わかった瞬間に力が抜けた。


「楽しいイベントだそうですが、神聖な王宮内で行うとなると少々騒がしすぎでは」


 穏やかな、耳に優しい声が、頭上から布を通して聞こえる。ついでに扉付近から「イベント……」「イベント……?」とざわめきも聞こえる。


 ああ、開け放たれた扉から覗くたくさんの人たちがいるんだわ。


「えええー、イベントお?ユン様、あたしのために何してくれるのお?」


「お芝居でしょうか。劇団でもお呼びになるのでは?参考にするために、迫真の演技をご自分でも試されていたのかもしれません」


「ユン様ったらあ。さすがあたしの王子様っ」


「な、な、な……何を、ミカエル……!お前……!」


 憤怒にまみれた声がする。

 ガン、ゴン、と何か硬質なものに激しくぶつかる音もする。

 ダマヤ様を巻き付けたまま立ち上がって、ヨロヨロしているのかしら。



「……返せっ!離せ!それは、それは、俺のものだあああ!」



「いいえ?」

 場が一斉に引くほどの怒号に応えたのは、さらりとした温度のない声だった。





「わたしの大事な妻ですので、それは違いますね。殿下」





 殿下が息を飲んだ気配がした。

「お前……何を……はっ、まさか、お前……絶対許さん、斬り捨ててやる、それだけは絶対許さんぞ、そんなこ」


「殿下」

 体が少し傾く。ミカエル様が、一歩殿下に近づいたのだ。


 そして潜めた言葉は低く、聞いたことのないほどの怒りを込めたものだった。



「……貴様にひと言だけ伝えておく。蟄居後も安穏と生きて行けると思うな」





「さあ行きましょう」


 聞こえたと同時に移動する感覚がする。扉付近の人だかりに「下がってください。通ります」と告げて、覆う布ごと「よいしょ」と抱き起された。縦抱っこにされた私の形の布の塊は、どんな風に見えているのかしら。銅像みたいな?


「少し急ぎます」


「ミカエル様」


「はい、マリィ」


「ミカエル様」


「はい。……もう少しだけ、待ってくださいね」


「ううん、ミカエル様。ごめんなさい。もう駄目かもしれません。ミカエル様。ミカエル様」


「……マリィ」


 布を一生懸命たぐって端を見つけようともがく私を、ミカエル様はしばらく見ていて……そして、顔の部分の布だけ、ぱっと払ってくれた。


「ミカエル様」


 顔だけちょこんと布から覗かせた私は、ようやくミカエル様を見る。ミカエル様は青い目をたわませて仕方なさそうに微笑んだ。




「はい。遅くなりました。マリィ」

 



 ぎりぎりで耐えていた決壊が崩れた瞬間、私の喉が引きつる。盛り上がった涙は一気に流れ落ち、そのまま溢れてかつてないほどの激しい雨となって頬を伝った。



「ふえ、ふ、え…………ふえええええん、うええええええん!」


 私は泣いた。


 止まらない涙は号泣になり、嗚咽になり、ミカエル様にぎゅっと抱きしめられて慟哭になる。こんなに泣くのは、私も生まれて初めてだった。


「……捕らえろ。反逆者どもだ。捕らえろ」


 振り向くと、扉に手を付いた金髪の男が、腰の重りを引きずりながらこちらに来ようとしている。「泣いた……やっと泣きやがって……俺から離れた途端に……くそ……」とぶつぶつ呟く様子は幽鬼のようで不気味だ。


 そして、低く低く絡みつくように宣言した。


「不敬罪で拘束命令を出す。王子権限で即時決行だ。こいつは、ドンタルト公爵次男ミカエルは、誰も入ってはならないと命じた部屋に踏み入った。俺とマリース以外……ダマヤは除外で……入室してはならないという厳命を破った。不敬罪に値する」


 誰も何も言わない。不自然なほどの静寂が落ちる中、私の泣き声だけ響く。


「罪人が王宮から出奔しようとしている。拘束を断行する!」


表情も髪も元の形がわからないほど乱れたユンゲー殿下は、口の端からよだれが落ちるのもかまわず喚いた。


「捕らえろ、捕らえろおお!絶対に行かせるな!ミカエルとマリース、関係者も全員!ドンタルト公爵家もハーマン侯爵家も全員、全員だ!」


 殿下の狂気に満ちた声が廊下に反響する。


「あいつは、ミカエルは、絶対に斬り捨てる、絶対に逃がさない!聞いているのかおい、第二王子の命だぞ!誰でもいいから早くあの反逆者を捕らえろおおお!!」


「ふええええん、うっ、くっ、うえ、うえええええん」


「……」


「……」


「何してる使えない下賤のものどもめ、早くしろ!」


「……」


「……」


「誰か動け、動けよおおおお!」


 足を踏み鳴らして怒鳴る姿は、王族の品格の欠片もなかった。ただ癇癪を起こすどこかの子どものようで、しかし言っている内容と表情は欲にまみれた大人で、そのアンバランスさが奇妙な劇を見ている気にさせた。


 無視して歩き出すミカエル様に、「ひっく、ひ、ひっく」と言葉にならずしゃくり上げるまま壁際を指さして見せる。


「ひっく、うっく、う、うえっ」


 扉付近にも、廊下にも、その先の通路にも溢れるほどの人がいるのに、しいんと静まり返った不可思議な空間を、ミカエル様はすたすたと歩いた。


 少し離れた壁にもたれて腕を組んでいる男の前に、ミカエル様が立つ。私はその腕に抱っこされたまま顔をぐしぐしと両手で擦った。


「ふえ、ひっく、ひっく、け、ケイトの短剣、か、返して……っ」


「……」


 私兵の……第二王子付き私兵の男は胸元から短剣を出し、皮布で刃先を包んだそれを渡してくる。受け取ってまた目を擦りながら、私は懸命に言った。


「ゆ、ゆ、許さないからね……っ、ケイトも、護衛も、みんなにあんなこと、ひいっく、う、く、でもっ…………結局、あの時も、そして今も、だ、誰も斬らないでいてくれてありがとうううふええええん」


「…………」


 男はだらりと壁に寄りかかったまま、「……はああああ」と大きなため息を吐いた。

 頭をがりがりとかく。それから、数秒後、ひゅっと息を吸って顔を上げた。


「……ついてこい。裏口でいいな」


 短く告げると、私兵の男はその大きな体でミカエル様の前に陣取り、「下がれ!全員下がれ!」と発した。腹の底から出すそのかけ声は決して大きくないのに、驚くほど遠くまで響いた。


 時が静止したままだった人々がわずかに動く。

 綺麗に割れた人垣の真ん中を、ミカエル様は私を抱いたまま男の先導で走り出した。


 背後で「逃がすな!裏切者だ、全員王家に歯向かう重罪人だ。不法侵入と不敬罪に問う!」と怒鳴る声がする。一拍置いて、「お、お、お待ちください、ドンタルト公爵令息様!」との侍従の慌てた声が聞こえた。


 いま目が覚めた人のようにしきりに瞬きしながら、真っ赤な顔をした侍従が追いかけてくる。

 が、すぐに、立ち尽くしている人々の壁に阻まれた。みんな呆けていて動かない。


「こ、公爵令息お待ちを、お待ちを!我が主の命でもありますが、このように王宮内混乱してますゆえ、とりあえず全員ここに留まっていただき事後処理と事情説明、をっ、お願い申し上げます、ど、どなたかご一緒に!あの方々を止めていただけませんか、誰かっ」


 デキる侍従さんの後ろでは、


「ええー?無理だと思うよ?ほらだって、見ちゃったみんなぼんやりして誰も動いてないじゃん?」

 と可愛らしくあざとい甲高い声。


「みんな眉たらしてデレっとしてるー。そこのおっさん、きらきら目を輝かせてうっとりしてるんじゃないわよ、まあ気持ちわかるけどお。あ、あたしは尊いなんて思わないからね?あたしのがかわいいもん。きゃは」


「ちょ、みなさま、お気持ち重々わかりますが、いまはとにかく!動いて足止めを!ええ、ええ!わかります、儚くて美しくて切なくて胸がぎゅっとなりますよねわかります!言葉で表せないこれが尊さですよね!でも今は!明日王太子が帰国したらこの惨状……!!どう処理すれば!!」


「だから無理だってばー」


「……どけえええええ!俺が捕まえる、クズども全員縛り首だそこをどけええ!あいつらの足を斬れ、斬

れえええ!」


「股間ふくらましてなに言ってんのこいつキモ…………んんっ、じゃなくてえ。えへ、やだー、んもうっ。ユン様ったらお芝居上手う」


「みなさま動いて!……動けないならとりあえずそこどいてっ前開けてっお願いっ!公爵令息さまあ!い、一応、殿下から拘束命令が出ているのです、一応!だからわたくしめ、緊急笛を持たされている責任者のわたくしめが、吹く義務がありまして!こんな、わけわからない大騒動の中で笛を吹くなんてわたくしめそんな責任取れない……っ!誰か動いて助けてえ!」


「無理むりーあははははは!やば、おもろっ。笛とかあるんだあ……んんっ。あーお腹すいちゃった、あいつん家に行ってじゃりじゃりした氷菓子食べよっかな」


「公爵令息さまあああ!止まっていただけないと、わたくしめが笛を吹かなければなりません!お待ちくださあああい!」


「無理だって」


「逃がすな!斬れええええ!動け護衛、下働きども!待てええええ」


「自分は股間がコレで動けないんだ、笑える。……んんっ」



 だんだん声が遠くなる。

 だんだん私兵とミカエル様のスピードが上がって行く。


 そして、後ろの方で、笛の音が高く細く響いた。


「……とうとう緊急招集発令したな、あの侍従。あの笛が吹かれたら問答無用で警備体制が一段階強化される。護衛が各所集まり王宮への出入りがすべて封鎖だ、急げ」


「想定内だ」


「ミカエル様、ぐす、ひっく」


「はい。マリィ。もうちょっとですからね。あと、じゃりじゃりではないと思います、わたしは。やはりざりざりです」


「どちらも歯ごたえ、ひっく、的な、ふえ」

 ほんとはしゃりしゃりなのに。


「ミカエル様が来ないから。開発が進まないのでしゅ、うっく」


 泣きながら頑張って言うと、ミカエル様は本当に嬉しそうににっこりした。


「ではこれからは、思う存分まい進できて料理長も喜ぶでしょう」


「……オレはさ」

 前を走る私兵の男が、不思議なタイミングで話に入ってきた。


「元は他国の国軍所属でずっと戦場にいたんだが」


 通路の脇から飛び出した護衛をぶんっと腕の一振りで薙ぎ払う。わけもわからず笛に呼ばれ、わけもわからず昏倒した哀れな護衛から剣を拾うと、男はまた前を走り出した。


「戦場で暮らしていると、普通の暮らしよりも多くの妊婦を見るんだ。その理由は、まあ、令嬢には酷だから言わないが。で、赤子も見る。たぶん、普通の民が見る数倍の数の赤子を見たな。産まれたばかりの泣く赤子を」


 この世界は、『泣くのは産まれたばかりの赤子だけ』だ。


「……力が抜けるんだよなあ、あれ。なんでオレ戦ってんだろなんて思っちまう。で、わけわからんことに、その直後に逆に力が湧いて溢れてくるんだ。これを守らなきゃいかん、絶対に守らないとって」


 今度は縦に、ぶんっと腕が振られた。逆さにした剣の柄に押されて立ち塞がった護衛が倒れる。なぜか後ろに続く三人も一緒にパタリと沈んだ。


「オレだけじゃない、赤ん坊の泣く光景を見たみんながそう思うんだ。……でもなあ、たまーにいるんだ。本当にごくわずかなんだが。泣き声を聞いて、どこかへ捨ててこようと言い出す奴が」


 ミカエル様が、そっと私の頭に布をかけ直そうとする。嫌な話を聞かせないようにしようと思っているみたい。でも私は鼻をすすりながら首を横に振った。


「敵に見つかる、足手まとい、排除すべき。そう声高に言い出す人間がいるんだ。少ないが現実にいる。……オレはそういう奴を、人間の形をした石炭と心の中で呼んでいる」


「人間の形をした、石炭」


「見た目は人間だが内側は真っ黒なんだ。同じ人間のはずなのに、見えない目、聞こえない耳、感触も感情もない。でも、内側の一番奥だけはグラグラ煮えたぎる灼熱だ。おのれの欲望という名の」


「……」


 私兵は脇に逸れ、厨房の人たちが使う搬入通路に入る。ミカエル様が蹴って倒した台車が、私たちの来た道を綺麗に塞いだ。出口を目指す歩みに、私兵の静かな声が反響した。


「第二王子……殿下は、オレも初めて見るタイプだが、あれも……あれも、別の種類の人間の形をした石炭だと思ったよ。目も耳もあるのに、令嬢。あんたが話している言葉や表情が見聞きできていない。あんたの感情がまったく伝わらない。……それなのに、石炭本人の感情は、灼熱の欲望として爆発している。それをあんたに傲慢にも押し付けて、それでいいと思っている」

 


 この世界に「泣く人」はいなかった。存在しなかった。

 でも、私が来た。

 だから、同時に存在していなかったはずの……化け物が目を覚ましたのだ。



 そんな奴はごくごく少ないだろうが、と男は続けた。

「令嬢の、な……泣き顔や泣き声を見聞きして……ああいう、特異な欲望を発現してしまう輩も現実にいるってことだな。令息、あんた気を付けてやれ。ずっと」


「言われなくとも」


 ミカエル様の腕が私を抱き直す。私兵は付け加えた。


「と、いうことで。アレはごく特殊な、常識外の存在ってこった。だから令嬢、あんたはもう忘れな。あんたのせいじゃないし、あんたが悪いわけでもない。当たり前だ、悪いのはあっち」


「…………」

 泣きっぱなしの目の淵に、また涙が盛り上がる。あり得ないほどの量のそれは次々と溢れて私の顎を伝った。





 馬鹿ね。

 あなたが悪いわけないでしょう。

 自分が悪い?自分が失敗ばかりしてるから?自分が駄目な人間?

ほほほほ、あなたのせいなんて、これっぽっちもないわよ。あり得ないわ。

理不尽に怒鳴られ続けて感覚がおかしくなってるわよ?ほほほ、ああおかしい。わたくしがそばにいて、正しい感覚を取り戻してあげる。

そしてクズの外道はわたくしがいつか、成敗してあげましょうねえ。ほほほほほ。

 ねえ。わたくしの唯一。

 マ





「マリィ。大丈夫ですか」


「……はい、ふえええええん」


「わ、悪い、オレまずいこと言ったか?参ったなこれ……」


 両手で覆ったままの目が、光を捉えた。王宮の裏口のひとつ、搬入口だ。

 後ろからバタバタとたくさんの足音が追って来ている……と思った途端、再び細く高い笛の音が微かに聞こえた。


「第二段階に引き上げられた、封鎖に加えて出入りした人間の捕縛だ。国軍兵士が出てくる」


 舌打ちした私兵が開いた扉を蹴り上げて剥がす。ミカエル様と抱えられた私を外に出して、その大きな扉を横にして出入口を塞いだ。自分は内側に入り「行け、北通用門が近い」とささやく私兵の腕を、私はよいしょと掴んだ。


「終わったら、ぐしゅ、転職して、う、うちに来て」


「は?」


「でも、ひっく、うっく、ケイトとみんなに、謝ってからね、ぐすっ」


「ああ?」


 口を開けて間が抜けた顔をする私兵を横目に、ミカエル様はまた走り出す。


 背の高い私兵の男の顔は、闇の下り始めた裏庭に出るとすぐに見えなくなった。






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