知らない間に命を宿していたけれど密やかに愛を育む~転生したらなぜか溺愛されています。あなたに愛されなくてもこちらはいっこうに構わないのですが?嫌だ?はぁ、そうですか。え、お父様まで?~
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
耳元で響く、甲高くもどこか聞き慣れた声に、ゆっくりと瞼を開けた。視界に飛び込んできたのは、見慣れない天蓋付きの豪華なベッド。
ふかふかの羽毛布団に包まれた身体は、まるで夢の中にいるかのよう。だが、夢ではない。つい先ほどまで、地球のどこにでもいる女で、ごく普通に生きていたはず。
残業続きの毎日、推し活に勤しむ休日。それが、一体どうしてこんな場所に?
混乱する脳裏に、怒涛のように流れ込んできたのは、膨大な量の記憶。記憶であると同時に、己ではない誰かの記憶。
「パリウラ・ローズウッド公爵令嬢……?」
口から洩れたのは、聞き慣れない貴族の名前。瞬間、全てを理解。ため息を吐く。前世で読み漁った乙女ゲーム恋する乙女と光の王子様の悪役令嬢、パリウラ・ローズウッドに転生したのだと。やってくれたなと、天に向けて睨みつける。
パリウラ・ローズウッド。ゲームのヒロインを虐げ、最終的には破滅の道を辿る、典型的な悪役令嬢。
近年、悪役令嬢なんて本物の乙女ゲームに出演することは皆無。単に、邪魔な扱いをしたいがためにそういう扱いをするためだけに、精神的な敵扱いをしているだけ。
ゲームでは、婚約者である第一王子ブリュシに執着し、あらゆる手段を使ってヒロインの排除を試みる。結果、王子に愛想を尽かされ、最終的には辺境の修道院送りにされる運命。
バッカみたい。企画倒れしてしまえ。
「嘘でしょ……?」
思わず頭を抱えた。前世からすれば、ゲームの悪役令嬢など、ただのモブキャラクターに過ぎなかったがまさか、自分自身になるなんて。
しかも、破滅ルート確定の悪役令嬢。やることがありすぎる。
「お嬢様、どうかされましたか?」
心配そうに覗き込んできたのは、先ほどの声の主、侍女のミリアン。彼女もゲームに登場するキャラクターで、パリウラに忠実な侍女として描かれる。シゴデキ女性。
「ええ、少しばかり寝ぼけていたみたい」
とっさに貴族らしい優雅な物言いを真似てみたが、慣れない口調に違和感が拭えない。
ミリアンはほっとしたように微笑むと、手際よく身支度を整え始める。その間にも、頭の中では高速で情報が処理されていく。
恋する乙女と光の王子様。このゲームには、攻略対象の王子が複数存在した。
第一王子ブリュシ、第二王子アルトン、第三王子キャイス、辺境伯の嫡男ノーアシュヘル。
ヒロインは、彼らとの交流を通して、最終的に一人の王子と結ばれる。パリウラの破滅のトリガーとなるのは、ヒロインの登場。
ゲーム開始から約半年後、平民から選ばれた特待生として学園に入学するヒロイン。そこからパリウラの嫌がらせが始まり、破滅へのカウントダウンが始まる。してたまるか。
「待って、まだ半年ある……!」
胸に、一筋の希望が灯る。ゲームの知識がある今なら、破滅ルートを回避できるかもしれない。
手出しをせず、王子との婚約も円満に解消し、ひっそりと穏やかな人生を送る。それが今の目標と心に誓った矢先。
「お嬢様、そろそろ朝食でございます」
ミリアンに促され、ダイニングルームに向かう途中、ふと、お腹のあたりに違和感を覚えた。妙な膨らみ。まさか、と恐る恐る手を当ててみる。
「……え?」
そこにあったのは、明らかな膨らみだった。柔らかく、中に何かがあるような感触。
「ミリアン、私、もしかして……」
震える声で尋ねると、ミリアンは困ったような、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「お嬢様、お忘れですか? もうすぐご出産でございますよ」
「……は?」
その言葉は、頭の中で大きく反響し、静かに、全てを破壊した。
出産?私が?
まさか、そんなはずが。はあ?
鏡の前に立たされた映る自分の姿に絶句。豪華なドレスに身を包んだパリウラの姿。お腹は、どう見ても臨月。
りん、げつ!?
ゲーム開始前に、すでにベイビーを妊娠していたのだ。
待って、待って、え、なに??
頭が真っ白になった。ゲームの知識には、こんな情報一切なかったのに。
パリウラは常に王子に恋焦がれ、純潔を保っているとばかり思っていたのに、どういうことだろう。
「え、じゃあ、この子の父親は……だれ?」
ミリアンは少し俯き、困ったように口を開いた。
「それが……お嬢様は、その方のお名前を決して口になさらないよう、ミリアンに固くお命じになりまして」
「な!?」
この令嬢、やらかしすぎでしょ!
相手もわからないまま、身籠る!?
あまりの衝撃に、その場にへたり込んだ。破滅回避どころか、いきなりハードモード突入。
それからの日々は、怒涛の勢いで過ぎていった。思い出したくない。
転生から数週間後。無事に、健康な男の子を出産した。
生まれたばかりの我が子は、小さな手足をばたつかせ、か細い声で泣いていた愛らしい姿に、一瞬にして心を奪わる。
抱き上げた時、決意が生まれた。この子を、決して道連れにして、息子として、世間の冷たい目に晒すわけにはいかない。
宝物。ミリアンに協力を仰ぎ、子供の存在を徹底的に隠すことに。公爵家では、病で臥せっていると偽り、屋敷の奥にある離れで密かに子育てを始めた。
子供は、リトシィと名付けた。全てをひっくり返す切り札になってくれるように、という願いを込めて。すくすくと育つのだ。
小さな手で指を掴み、無邪気に笑う姿を見るたび、心は温かさで満たされて。悪役だとか、破滅ルートだとか、そんなことはどうでもよくなるほどに、赤ん坊の存在はかけがえのないものになっていった。
一方で、パリウラとしての社交も、こなさなければならなかったのは痛い。体調が回復したと称し、定期的に社交界に顔を出す。
そこでは、王子や他の貴族たちとの交流もある。面倒臭い。
「パリウラ、体調はもう良いのかい?」
心配そうに声をかけてくるのは、婚約者である第一王子ブリュシ。ゲームではヒロインに一途な優等生タイプの王子だが、今の自分からすれば、ただの婚約者。
ゆくゆくは婚約を解消する相手である。悪いとは……記憶にないからピンとこない。
「ええ、殿下のお気遣い、痛み入りますわ」
淑女の笑みを貼り付け、当たり障りのない返事をする。彼の隣には、まだヒロインの姿はない。
ゲームの時系列からして、ヒロインは半年後に学園に入学するはずだし。
それまでに、何とか手を打たなければ。本当に、ね。
密かに、婚約解消の準備を進めていた。公爵令嬢として、自立するための資金を確保し、国外に身を置く計画を立てる。
リトシィの将来を考えれば、国に留まることは得策ではない。バレたら色々やばいので。破滅ルートを回避し、静かに暮らすためにも、公爵家から離れる必要があった。
そんなある日、思いがけない人物と再会。
「パリウラ、久しぶりだな」
声をかけてきたのは、第二王子アルトン。ゲームでは、自由奔放で少し意地悪な面もあるが、実は優しい心を持つツンデレ王子として描かれていた人物。
学園でそれなりに交流があったが、卒業してからはあまり会う機会がなかった。いつもからかうようなことを言ってくるので、正直苦手意識があったのだ。その年齢で、人をからかうのは人格を疑う。
「アルトン殿下。お変わりなく」
形式的な挨拶を交わす。しかし、アルトンは顔をじっと見つめると、ふいに真剣な表情になった。
「パリウラ、君は……何か、変わったな」
ドキリとした。まさか、転生者だと感づかれた?
「そうですか? いつも通りでございますわ」
平静を装って答えるが、アルトンは目を見つめ続け、奥底を見透かすかのように微笑んだ。なんだか、近づかない方がいいのか。
「そうか。だが、以前よりもずっと、魅力的に見える」
動揺した。ゲームのアルトンは、パリウラに対してそこまで好意的な感情は抱いていなかったはず。
ヒロインへの嫌がらせを咎める側だった。ストッパー。
「殿下、からかうのはおやめくださいまし」
顔を赤らめ、そっぽを向いた。しかし、アルトンは楽しそうに笑い、さらに追い打ちをかける。
「からかっているわけではないさ。本当にそう思っている」
胸に微かなざわめきが生まれた。アルトンは、知っているゲームのアルトンとは、何かが違う気がする。
我が子が生まれてから半年が経った頃、ついにゲームのヒロイン、チェルシーが学園に入学してきた。
彼女はゲーム通り、可憐で心優しい少女として、あっという間に学園中の人気者になったのは、まあ、想定内。
チェルシーには、一切手出しをしなかった。困っている場面に遭遇すれば、さりげなく助け舟を出すこともあったくらいだ。
「パリウラ様は、お噂とは違って、とても優しい方なのですね」
ある日、チェルシーはそう言って微笑んだ。その言葉に、内心ほっと胸を撫で下ろした。
噂と違って、なんて、正直こめかみがぴくっとなったけど。これで、悪役令嬢としての破滅ルートは回避できるはずだ。
なのに努力も虚しく、公爵家には不穏な空気が流れ始めていた。父であるローズウッド公爵は、こちらが妊娠・出産したことを知ると、激しく罵倒した。
公爵家の名に泥を塗ったと、勘当しようとさえした。好きにすればいい、と呆れる。
「この恥さらしめ! どこの馬の骨とも知れぬ男の子供など、我が公爵家には不要だ!未婚の母などありえない!出ていけ!」
父の怒鳴り声が、離れにまで響いてくる。リトシィを抱きしめ、必死で涙をこらえた。そんな状況の中、助けてくれたのは、意外な人物。
「パリウラ、大丈夫か?」
ある夜、部屋に忍び込んできたのは、アルトン王子だった。なぜ、我が家に?
彼は見つけると、険しい表情で問いかけた。
「殿下……なぜここに?」
「君が公爵家でひどい扱いを受けていると聞いた。君の侍女から」
ミリアンが、心配してアルトンに助けを求めたらしい。勇ましい行動に感謝しつつも、王子の来訪に戸惑いを隠せず。
行動力はすごいものの、親しくもないから、違和感がある。ありすぎるのだが。
「ご心配には及びませんわ。大丈夫です」
強がって見せたが、腕を掴み、真っ直ぐに目を見つめた。
「嘘をつけ。君は怯えている。ほら」
心が揺れたのは、これまで、誰にも弱みを見せようとしなかったから。
前世の記憶があるせいで、パリウラというキャラクターを演じきることに必死だったのだと、思う。
「公爵家から離れたいのだろう? 君と、その子を」
ハッとした。リトシィの存在を知っていたのだ。
「なぜ……?」
「身籠っていたことは、薄々感づいていた。体調が優れないと聞いた時から、もしや、と」
顔を青くした。公爵家でも隠し通すことに苦労していたのに、気づかれていたなんて。
「安心しろ、誰にも言っていない。それに、協力したい」
静かに隣に座った。
「公爵家にはもったいない。もっと自由に、君らしく生きるべきだからな」
弱った気持ちをこれでもかと、深く揺さぶった。望んでいた言葉を、ずっと知りたかった言葉をくれる。
「殿下は……なぜ、そこまでしてくださるのですか?」
震える声で尋ねた。ゲームのアルトンは、ここまで深く関わることはなかったはず。アルトンは、ふっと優しい笑みを浮かべる。
「初めて会った時から、他の誰とも違っていた。瞳の奥に、いつも何かを秘めているような、そんな魅力があった」
顔は熱くなった。まるで、恋する乙女のような反応に、自分でも驚いてしまう。
「公爵家のしがらみから解放され、自由に生きる姿を見たい」
手を取り、握りしめた。温かさに、心は溶けていく。
「だから、協力させてほしい。望むなら、国を出る手助けもする」
申し出に、感謝の気持ちでいっぱいになった。優しさに触れ、初めてこの世界で生きていることを実感。
夜から、アルトンは逃亡計画を手伝ってくれるようになった。情報収集に長けており、国外の有力者との繋がりも持つ。
協力のおかげで、着実に逃亡の準備を進めることができた。リトシィを寝かしつけた後、アルトンと今後の計画について話し合う。
「パリウラ、リトシィの父親について、何も話してくれないな」
ふとそう尋ねた。リトシィの父親について、誰にも話したことがなかったかな。
公爵家でひどい扱いを受ける原因になったこと、自身も誰だか思い出せないことが、口を閉ざさせていた。
「申し訳ありません……」
俯いた。
「無理に話せとは言わない。だが、もし、そのような男が君を苦しめているのなら、なんとかする」
顔を上げた。瞳には、真剣な光。
「いいえ、苦しめてなどいません。ただ、私自身も、誰なのか分からなくて……ええまあ」
正直に打ち明けた。前世の知識があるとはいえ、パリウラの記憶は曖昧な部分も多い。
特に、リトシィの父親に関する記憶は、意図的に消されたかのように抜け落ちていた。
言葉を聞くと、驚いたような顔をした。しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開く。
「……もし、父親が、私だったら?」
ビビった。
「えっ?」
全身が凍り付く。
「な、何を……」
「君が私と一夜を共にしたことを、覚えていないのか?」
アルトンはそう言うと、私に近づき、そっと頬に触れた。
「あの夜、君は酔っていた。そして、私に寂しい、と呟いたんだ」
彼の言葉に、脳裏に曖昧な記憶が蘇った。確かに、学園の卒業パーティーで、私が泥酔したことがあった。その時にアルトンが私を部屋まで送ってくれたような……。
「まさか……」
「君が覚えていないのも無理はない。君の記憶を消す魔法を使った」
アルトンは苦しそうに顔を歪めた。
「君を愛していた。だが、君は第一王子と婚約していた。だから、君の記憶を消し、この恋を終わらせようとしたんだ」
彼の告白に、衝撃を受けた。ゲームでは、アルトンはヒロインに惹かれていくキャラクターだったはずだ。まさか、アルトンだったなんて。
「でも、君が身籠っていることを知って、後悔した。君に苦しい思いをさせてしまったと」
アルトンは、手を取り、強く握りしめた。
「パリウラ、私を許してほしい。そして、もう一度、私にチャンスをくれないか? 君と、リトシィと共に生きていきたい」
彼の真剣な眼差しに、言葉を失った。リトシィの父親がアルトン。
そして、彼が愛してくれていたなんて。彼の温かい手の中で、ゆっくりと涙を流した。
後悔の涙でも、悲しみの涙でもない。安堵とかすかな喜びの涙だった。
ずっと、リトシィの父親が誰なのか、そして、公爵家から逃れた後、どうやって生きていけばいいのか、不安でたまらなかったが、アルトンがいてくれるのなら。彼が、受け入れてくれるのなら。
「アルトン殿下……私で、よろしければ……」
満面の笑みを浮かべ強く抱きしめた。協力を得て、周到な計画を立てた。公爵家には、病が悪化したと偽り、静かに息を引き取ったことにする。
密かに国境を越え、アルトンが用意してくれた安全な場所へと向かう。
決行の夜、リトシィを抱きしめ、ミリアンと共に馬車に乗り込んだ。アルトンは、すでに馬車の中で待っていた。
「パリウラ、リトシィ。もう大丈夫だ」
優しい声に安堵に包まれた。馬車は静かに公爵邸を離れていく。後ろを振り返り、豪華な屋敷が闇の中に溶けていくのを見つめた。
あの場所に、もう居場所はない。だが、過去の令嬢として生きる必要もない。
用意してくれた隠れ家で、しばらくの間身を潜めた。小さな温かい家。王子の身分を捨て、一介の冒険家として生きていくことを選ぶ。
母子を誰にも知られずに守るため、あらゆる手段を尽くしてくれた。リトシィは、アルトンにすぐに懐く。
優しく抱き上げると、きゃっきゃと笑い声をあげる光景を見るたび、胸は温かさで満たされた。
リトシィが昼寝をしている間、アルトンと庭で過ごす。
「アルトン、本当にいいのですか? 王子の身分を捨ててまで、私たちと」
心配そうに尋ねたら、アルトンは手を取り口付けた。
「パリウラ、君とリトシィこそが、全てだ。過ごす毎日が、何よりも価値がある」
目から涙がこぼれ落ちた。こんなにも深く愛される日が来るなんて、夢にも思っていなかったから。
「ありがとう、アルトン」
胸に顔を埋め、温かい腕の中で、新たな人生を歩み始めたことを実感。
数年後、海の見える小さな村にたどり着き、穏やかな風が吹き、人々が笑顔で暮らす場所。新しい生活を始めた。
アルトンは釣りをして獲物を採り、村人たちに簡単な料理を教えたり、ハーブを育てたり。リトシィは、村の子供たちと一緒に駆け回り、すくすくと成長していった。
リトシィが初めて「パパ」とアルトンを呼んだ日、アルトンは涙を流して喜んだ。その姿を見て、心の底から幸せを感じた。
破滅ルートを回避し、最愛の家族と共に、穏やかで幸せな日々を手に入れたのだ。過去記憶は、遠い昔の夢のよう。
目の前には、愛しい夫と、可愛い息子。それが、全て。
夜、アルトンの腕の中で、リトシィの寝顔を見つめた。
「アルトン、ありがとう」
「どういたしまして、パリウラ。君と出会えて、本当に幸せだ」
そっと唇を重ねた。
公爵令嬢パリウラが病死したと世間に公表されてから、五年という歳月が流れた。ローズウッド公爵家は華やかさを失い、静寂に包まれている。
当主である公爵は、日に日に老いこんでいく自分を感じながら、書斎で一人、酒を煽る日々を送っていた。
脳裏には、常にパリウラの顔が。あの時、あの子を突き放さなければ。あの子の言葉に、耳を傾けていれば。後悔の念が、公爵の心を蝕んでいた。
パリウラの死は、公爵家にとって大きな痛手。社交界では噂の的となり、公爵家の権威は失墜。
それ以上に公爵を苦しめたのは、唯一の娘を失ったという事実だ。
パリウラを厳しく育ててきたが、それは公爵家のため。パリウラ自身の幸せのためだと信じていたが、結果として娘を追い詰めてしまった。
「パリウラ……愚かな娘よ……」
公爵は、酒瓶を握りしめ、嗚咽を漏らした。あの時、パリウラが妊娠していると知った時の激しい怒り。公爵家の名誉を汚されたという思い。
今となっては、その怒りも虚しく、ただただ後悔だけが残るばかり。パリウラがどこかの男と関係を持ち、子供を身籠ったとしか思っていなかった。
その男が誰なのか、パリウラは頑として口を割らなかった。それがまた、公爵の怒りを増幅させ。
パリウラが連れてくるはずだった、第一王子との縁談が破談になったことも、娘の不貞のせいだと信じて疑わず。
そんなある日、公爵は一通の手紙を受け取ったが差出人は不明。筆跡に見覚えがあった。
侍女であったミリアンのもの。半信半疑で封を切った中には、数枚の紙切れと、一枚の写真が同封。
手紙には、パリウラが生きており、異国で暮らしていること。パリウラの子供、リトシィの父親が、他ならぬ第二王子アルトンであること。
さらに、パリウラが第一王子ブリュシとの婚約を解消するに至った経緯。公爵家を去らなければならなかった理由が、詳細に綴られていた。
公爵の手から、手紙が滑り落ちた。震える手で、彼は同封されていた写真を拾い上げる。海の見える場所で、アルトン王子と、成長したパリウラ。間に立つ、見慣れない少年が写っていた。
少年の顔は、幼い日のパリウラにそっくりで。瞳は、アルトンの瞳の色と同じ、深い青色。
「馬鹿な……アルトン王子が……リトシィの父親だと……!?」
公爵は絶句。パリウラが身籠っていたのが王子の子供であるという事実。相手が自由奔放で役に立たない、と軽んじていた第二王子だったという事実。
公爵は愕然とする。もし、この事実を早く知っていれば。もし、あの時、パリウラを問い詰めるのではなく、真実を聞いていれば。
公爵家は、王家と血縁関係を結び、さらに盤石な地位を築くことができたはず。
パリウラが生きているという事実は公爵の胸に、激しい後悔の念が押し寄せた。
あまりにも多くのものを、自らの手で破壊していたのだ。ミリアンの手紙を何度も読み返し、パリウラがどれほど苦しんでいたか。どれほど、リトシィを守ろうとしていたかが綴られていた。
自分の愚かさを、心から恥じる。ミリアンは手紙の最後に、パリウラとリトシィが暮らす場所は明かさなかった。
ただ、公爵様が心から悔い改め、真にパリウラ様とリトシィ様の幸せを願う日が来れば、いつかお会いできるでしょう、とだけ書かれているのみ。
すぐさまミリアンの捜索を命じた。その本人も、パリウラと共に姿を消していたのだ。
自らの過ちを償うため、パリウラとリトシィに会うため、決意を固めた。
公爵家を執事と家臣たちに任せ、彼は一人、旅に出る。公爵は、身分を隠し、粗末な旅装を身につけた。
手には、ミリアンの手紙と、リトシィとパリウラ、アルトンの写った写真だけを持つ。手紙に書かれていた、いくつかの地名を辿り、パリウラたちの痕跡を探す。
「はあ、ここまで体力が続かないとは」
旅の途中、公爵は様々な人々に出会った。農夫、商人、旅芸人。交流を通して、これまで自分がどれほど傲慢で、世間知らずだったかを痛感。
公爵家の権威に胡坐をかき、自らの正義を振りかざしてきた愚かな自分。数ヶ月の旅の末。
彼はとある港町にたどり着いた。そこで、思いがけない光景を目にする。
港の片隅で、漁師たちに交じって、一人の男が楽しそうに釣りをしているではないか。男の顔に、公爵は見覚えがあった。
「アルトン殿下……は?」
公爵は思わず呟いた。まさか、こんな場所で王子に出会うとは。
隣には、彼のことを「パパ」と呼んで駆け寄る、幼い少年。その少年こそが、写真に写っていたリトシィ。
公爵は、隠れて二人の様子を伺った。アルトンは、リトシィを優しく抱き上げ、満面の笑みを浮かべる。
笑顔は宮殿で見ていた、冷たく、どこか挑戦的な王子の顔とは全く違う。そこには、ただ一人の父親としての、愛情が溢れている。
夕暮れ時。公爵は、アルトンが住む家へと向かう二人の後ろ姿を見た。家の扉が開いた時、中にいた女性の姿に、公爵は息を呑む。
「パリウラ……っ」
そこには、公爵が探し求めていた娘、パリウラが。
彼女は、以前よりも柔らかな表情で、アルトンとリトシィを迎え入れていた。腕には、さらに幼い子供が抱かれて。
どうやら、リトシィの下にもう一人、子供が生まれているようだった。光景に立ち尽くす。
パリウラは、自分の知る令嬢ではなく、一人の妻として、母親として、幸せな家庭を築いていた。
彼女に与えることができなかった、真の幸せそのもの。
幸せそうな姿に、声をかけることができなかった。自らの罪深さを改めて痛感。自分が、どれほどこの家族を傷つけ、どれほど彼らの幸せを妨げようとしていたのか、と。
その日から、密かにパリウラたちの暮らす村に滞在し始めた。遠くから様子を見守る。
アルトンは、真剣に漁師として働き、パリウラは村人たちと笑顔で交流している。
リトシィは、無邪気に村中を駆け回り、弟か妹である幼い子供(後にラライラと名付けられた)の面倒もよく見ていた。
村に溶け込み、誰からも愛されていることを知る。互いに深く愛し合っていることを。
公爵は意を決して、パリウラたちの家の前に立った。声をかける前に、アルトンが公爵に気付く。
「もしや、ローズウッド公爵閣下では?」
アルトンの声に、パリウラが家の中から顔を出す。公爵の姿を認めると、彼女の顔から笑顔が消え、警戒するような表情に変わった。
「はい?父上……が、なぜここに?」
公爵は、震える声で、その場でひざまずいた。
「パリウラ……アルトン殿下……どうか、許してほしい」
公爵は、これまでの自らの行いを、全て告白し。パリウラを信じなかったこと、リトシィの存在を否定したこと。彼女を、死んだことにしたことなど。
言葉は、悔恨と自責の念に満ちる。
「愚かでした。自分の名誉と体面ばかりを気にし、傷つけてしまった」
公爵の目からは、涙がとめどなく流れ、公爵としてではなく、一人の父親として、心から懺悔していることが、パリウラにも伝わる。
アルトンは、静かに公爵の言葉を聞き、パリウラは、ゆっくりと公爵に近づく。
「父上……」
己の声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
受けた仕打ちを思い出し、胸が締め付けられると同時に、目の前で涙を流す父の姿に揺れる。
「父上を恨んでいました。でも、今、父上が、こうして真実を受け止め、後悔してくださっていることが」
パリウラは言葉を詰まらせた。リトシィが、公爵の後ろに隠れるように立っていることに気づく。
知らない男を警戒しているみたい。パリウラは手を取り、優しく語りかけた。
「ふふ。リトシィ、この方は、あなたのおじい様よ」
きょとんとした表情で公爵を見つめ、公爵は、リトシィの顔を見ると、再び涙があふれ出した。
アルトンは、肩にそっと手を置いた。
「公爵閣下、お願いがあります。パリウラとリトシィ、生まれたばかりのラライラは、大切な家族です。どうか、彼らを傷つけないでほしい。二度と」
アルトンの言葉に、公爵は深く頭を下げた。
「もちろんです。二度と、彼らを傷つけるような真似はいたしません。この身に代えても、彼らを守り抜くと誓います」
パリウラは、これまで張り詰めていた心が、ゆっくりと解けていくのを感じた。
父の懺悔を受け入れ、許すことができるかもしれない。この日を境に、公爵は村に留まり、家族との交流を始めた。
リトシィやラライラと遊び、彼らの成長を見守って、パリウラやアルトンと、他愛もない会話を交わすように。
彼らに公爵家に戻るよう促したりはしなかった。ただ、彼らの幸せを願う、一人の祖父として、父親として、彼らを見守り続けると望む。
公爵はリトシィとラライラを連れて、海岸を散歩していた。リトシィは、公爵の手を握り、嬉しそうに駆け回っている。
ラライラは、公爵の膝の上で、気持ちよさそうに眠っていた。その光景を、パリウラとアルトンは、遠くから見つめる。
「父上も、変わりましたね」
パリウラは、呟いた。
「ああ。君のおかげだ」
アルトンは、パリウラの肩を抱き寄せた。公爵は、砂浜に座り込み、孫のリトシィと共に貝殻を拾っていた。
孫が拾った小さな貝殻を、公爵は大切そうに掌に乗せ、優しい眼差しで見つめる顔には、以前の傲慢さはなく、穏やかな祖父の顔をしている。
未婚の子供なんて、公爵家にとっては不名誉な存在だったはずだ。存在が、公爵を変え、家族の絆を再び結び直すきっかけとなったのも事実。
「おじいちゃま」
過去のしがらみから解放され、真の幸せを見つけたことは、自由になれた証なのかとも、思う。
「これ、あげる」
「ありがとう、リトシィ」
幸せは父の心にも、新たな光を灯し、後悔の念から、温かい愛情へと変わっていたのだ。
密やかに、穏やかに続いていくことを願って、手を振る家族達に、手を振りかえした。
⭐︎の評価をしていただければ幸いです。




