ロイとトーマス、再び
私とマリーは、馬の後ろに乗せてもらい、メルべの中心街に到着すると、すぐに宿を探した。
一番高そうで立派な宿を選び、付けで宿めてもらえるよう交渉した。
請求先はハント伯爵家で、隊長が身元を保証すると、簡単に承諾してくれた。
私はお金を持っていないことになっている。少し面倒だけど仕方がない。
馬車の修理は、部材はこれでないとだめだとか、塗装は同じ物を取り寄せろとか、難しい事を沢山言って、時間がかかるようにしている。ユーリ様には、馬車の故障で2日程足止めされると、手紙を送ったそうだ。
宿が決まって、少し落ち着いたので、次はドレスを注文しに、街の仕立て屋に出掛けた。
1日で仕立て上がるよう、仕立て屋の主人と相談し、簡素な素材と一番簡単なデザインを選んだ。ほとんどシュミーズと同じような簡単なデザインだ。
今着ているドレスは夜会用のものなので、重くてかさばり、邪魔な装飾がいっぱい付いている。
このドレスは、仕立て屋が結構な値段で引き取ると言うので、新しいドレスと、その他諸々と交換してもらった。ヒールの低い履きやすい靴と、帽子と、シュミーズとドロワース、それにレースの靴下と手袋も必要だ。
それと、ハンカチも二枚付けてもらった。トーマス様から頂いたハンカチは、使わずにしまっておきたいもの。
それでやっと、重たくて豪華なドレスを、脱ぐことができた。コルセットとパニエを取ると、身が軽くなり、同時に心も軽くなった。とても晴れ晴れとした気分だった。
この街では、マリーと二人でゆったりと過ごした。まるで普通の旅行に来たような気分だった。護送車の兵たちも、同じ宿に泊まってもらっている。
二日目の夜、ゆっくりと夕食を食べて、食後のお茶を自分の部屋で飲みながら、今お父様はどこに居るのかしら、と考えていた。
お父様は国境に近い、大きな貿易港のある都市で、会議に参加している。
クックなら一日あれば行ける距離だった。クックはとても早く飛べる。
そうすると父は、私が出発した日の夜にはこの情報を受け取っているはず。すぐに向こうを発ったとしても、屋敷に戻るには二日以上かかるから、到着は明日の早朝になる。今は屋敷に向かっている最中だろう。
屋敷がある王都から修道院までは、馬を飛ばせば二日程度。明日の内には、お父様が馬車に追いついてくるはずだ。
それまでゆっくり進めばいいのだ。
多分まだ修道院送りの事までは、伝わっていないだろう。それを知った父が何て言うか想像してみた。不敬罪どころではない事を叫び出しそうだ。
次の日、綺麗に修理された馬車に乗り込み、ゆっくりと街を発った。もちろん食料や灯油、毛布などもしっかり積み込んだ。
それからの旅は楽しかった。お金もあるし、食料もふんだんにあって、護衛は四人も付いている。マリーと目新しい景色を楽しみながら、くつろいで過ごすことができた。
街を発った次の日の夕方、なぜかロイとトーマス様が再び現れた。
「あら、お嬢様。ロイ様がこちらに向かって来られています。良い知らせを伝えにいらっしゃったのかもしれませんね」
私は馬車の窓から身を乗り出して、後方に向かって大きく手を振った。
その私の顔を見るや、ロイが叫んだのだ。
「まずいことになった。人目につかないところで、少し話したい。脇道に入ってくれ」
今や忠実な護衛となった隊長が、こちらへ、と進路を示し、馬車は、獣道じみた細い脇道へと踏み入っていった。
馬車を停められる程度の空き地を探し、馬車から降りると、二人も馬から降り、手綱を引いて寄ってきた。なぜかロイは片手に、クックの入った籠を下げている。
「何? どうしたの?」
「王が今回の事を、揉み消そうとしているんだ。君が修道院に入る前に連れ戻して、何事もなかった事にしようとしている」
あら。それはありがたいことだわ。
つまりお父様が暴れなくても、穏便に事が収まるってことよね。
私は首を傾げて二人を見た。
「それは好都合じゃないの。何をそんなに慌てているの?」
「拙いんだよ。君はこの五日間、全く姿を見せていない。ハント伯爵家からの問い合わせにも、ユーリ殿下はまともに返答していない。その間を殿下と君が2人で、離宮に籠もっていたことにするつもりなんだ」
え、どういう事?
他人事みたいな話なので、他人事として考えてみた。
二人で離宮にって、ロマンティックだわ。しかもユーリ様の卒業祝いに続く、秘密の数日間。
うわー、激熱で過激ね。
かなり甘くて濃厚な事を想像してから、自分がそう噂されると気付いて青くなった。
「冗談じゃないわ」
「だから慌てて知らせに来たんだ」
「でも、衛兵に捕まって修道院に送られたのは、皆知っているでしょう?」
「いいや、ほんの数人しか知らない。君が連れ出されたのは、夜会の翌朝早くだっただろ。世間的には、君は消息不明になっている。だから、夜会で口喧嘩をした後、仲直りしてそのまま一緒に過ごしていた、という話に持って行けるんだ」
なんでそんなことになったの?
追い詰められたような気分になって、あたりを見回したら、トーマス様と目が合った。
「夜会の三日後、王一家が内輪で卒業祝の食事会をしたそうなんだ。王女殿下や王太子様夫妻も同席している。その席に君も招待するよう言っていたらしい。当日君が来ていないので、王がユーリ殿下に尋ねて、初めてこの状況が発覚したようだ」
うーん、そうね。王は家族を大切にするタイプだものね。お祝いとか絶対しそうだわ。
「そして、激怒した。当たり前だ。ハント伯爵家を、完全に敵に回す所業だからね。王太子殿下もかなり怒って、それから家族会議になったらしい。そこに俺たち側近も呼び出されて、事情を聴かれたんだ」
「でも、連れ戻すだけでいいじゃない。なぜそんなことを」
ロイが口を挟んできた。
「世間には、特にハント伯爵には、このことを知られたくないのさ。あまりに幼稚で残酷な行いで、言い訳のしようもないから。リディアはユーリ様にぞっこん惚れていただろ。だから、リディアを言いくるめれば、なかった事に出来ると判断したのだろうな。少し前の君なら、あれはちょっとした気の迷い、とか言われたら、納得していたと思わないか」
私はぐっと唇をかんだ。
「とことん舐められているってことね」
数日前までの私の馬鹿。
今となっては、そんなことありえない。ユーリ様の顔も見たくないのに、婚前交渉疑惑を、大々的に広められるなんて、鳥肌が立つわ。
しかも、もうユーリ様以外に嫁げなくなってしまう。あれだけ嫌われていて、今では私自身も大嫌いだという、お互いに最悪な結婚相手だ。
もし結婚を拒否したら、王子と婚前交渉のあった女性として、未婚の淑女としての尊厳は地に落ちる。
どちらを取っても、私に明るい未来は無い。
私は唇を、血が出るくらい噛んだ。
舌先に血の味を感じたとき、私はどちらも選ばない、そう決めた。
「嫌だわ。ユーリ様に嫁ぐくらいなら、修道院に入る」