修道院への旅 二日目
「見たところ、我が妹殿は、恋愛沙汰に疎いようだ。リディア、ユーリ殿下は君に愛の言葉なんかを、囁いてくれなかったのかな」
「そういえば、会うときはいつも優しくて礼儀正しいけど、甘い言葉なんかはなかったわ。恋人だと思っていたのは、私だけだったのね」
「うん、そうだね。優しくて礼儀正しいかどうかも、俺から見たら怪しかったけどね。でもそんな感じなら求婚は早いか。トーマス、ゆっくり口説いてくれ」
トーマス様はがっかりしている。しかも、ものすごく分かりやすい。
今までの寡黙で謎に包まれた人物像が、サラッと書き換えられてしまった。
「それはそうと、シリカ修道院のことを、君はどのくらい知っている?」
ロイが急に話題を変えたので、さっきまでの甘いドキドキが一気に消え去った。
「監獄みたいな修道院だって聞いているわ」
「そう。そう言われている。理由は非常に厳しいのと、修道院に入ったら、1年間は絶対に出られないからなんだ」
「1年間も?」
今までニコニコしていたマリーが、真っ青になってリディアの腕を掴んだ。
「お嬢様、逃げましょう。伯爵様が事態を収めてくださるまで、何処かに隠れましょう」
私も逃げたくなった。正直、修道院に入っても、父が帰国すれば、すぐに出してもらえると思っていたのだ。1年間!
「それ、お父様の権力を使っても無理なのかしら」
期待した私の問い掛けに、ロイは首を振った。
「王族でも、その規則は曲げられないそうだ。元々は代々王族の女性が院長を務める修道院だったそうで、治外法権を持っているようなものなんだ。今でも、王家でさえ手出しできないのはそのまま。それで内部事情は謎だし、出て来た女性達は何も語らない、謎の多い修道院なんだ」
だから、その修道院を選んだのかと、突然に気が付いた。
「ユーリ様は、そこまで私を嫌っていたのね。そこに入れたら、1年は顔を見ないで済むから」
マリーが手を握ってくれた。心配そうに私を見あげている。
あら、もうあまり辛くないわ。不思議ね、さっきはあんなにショックだったのに。
それより、そこまで嫌われていたのに、全然気付かないでいた自分に呆れる。
「皆さんから見て、私とユーリ様の仲ってどう見えていたの?」
「君は一生懸命なのに、ユーリ殿下は無関心だった。他の令嬢に接するのとほとんど同じで、リディア嬢を特別扱いしていたようには見えなかったかな」
トーマス様が答えてくれた。
「リディアは一人で、恋愛ごっこに舞い上がっていただろ。全然相手を見ていないから、ユーリ殿下がどんな表情をしていたかも、分かっていないようだったね」
そうロイが答えた。
「気配りもない、プレゼントもない、あからさまにお嬢様を軽んじる馬鹿王子なんて、見る度にムカつきました。誕生日もプレゼントを送り付けるだけなんて。私達みんな悔しくて、腹が立って、むしゃくしゃして、ユーリ殿下の似顔絵を踏んで憂さ晴らししたんです」
マリーが叫んだ。
大分、不満を溜め込ませてしまったようだ。ごめんなさい。私はマリーの手を握りかえした。
「私が馬鹿だったのね。反省するわ。でも吹っ切れたので、もう大丈夫」
ロイがまた、えらいぞ、と褒めてくれた。
「これから、どうする? 逃げるなら手を貸すよ」
「いいえ、逃げたら面倒なことになるわ。修道院に入るのを遅らせましょう。馬車の故障で、日数を稼ぐことにするわ」
ロイがニッと笑って、手を出してきた。その手をパチンと弾いて、2人で笑い合った。これは昔から、いたずらの相談をするときの儀式のようなものだ。
それを見て、トーマス様が、私はのけ者か? と拗ねた。何だかトーマス様がかわいらしい。
「おい、隊長。ちょっと来てくれないか」
ロイの呼びかけで、隊長はすぐにやってきた。やっぱりタヌキだった。
「聞いての通りだ。残念ながら、森の湿地帯で馬車が脱輪して、壊れてしまうんだ。それで仕方なしに次の街、メルべで馬車の修理に当たる。2日くらい掛かるかもな」
そう言って、金貨をいくつか握らせた。
レグルス家も、我がハント家には劣るが、かなりの資産家なのだ。その嫡男のロイは、商才があり、前途が楽しみだと言われている。
隊長は金貨を握りしめ、黙って頷いた。
「じゃあ、これで戻るよ。明日の朝までには屋敷に着くから、俺たちが会いに来たのは秘密にしておける。そうだよな。隊長と、その部下達」
向こうの方から、ハイというくぐもった声が、いくつか上がった。
「今朝明るくなってすぐに、伯爵様あてにクックを送ってある。昨夜のうちに、ハント家からクックを借りて来ておいたんだ。だから今日の夕方には手紙が届いていると思うよ。それを見たら、伯爵様はすぐに帰国するはずだ。ちょっと情報が古くて、君が王宮に拘束されていると書いて送ったから、伯爵が戻ったら、すぐに会いに行くよ」
私とロイは、もう一度パンと手のひらを叩き合わせてから握手した。
商才があって、小さい頃から商売に関わっているロイは、商人や、船乗りの流儀を取り入れている。私もそれに慣れていて、淑女にあるまじき、と叱られることがよくあった。
ユーリ様と婚約してから、そういう事は一切していなかった。
久しぶりの儀式は新鮮で、何か解放されたような気分だ。
「金はあるのか?」
「一万ミル程あるから大丈夫よ。ありがとう。後のこと、頼んだわ」
「さすがリディアだ。ユーリ様に目がくらんでいなけりゃ、怖いもの無しだな」
嬉しそうに笑うロイを押しのけて、トーマス様が私の前に立った。そして、もう一枚ハンカチを手渡してくれた。
「絶対に助けます。待っていてください」
トーマス様と見つめ合っていると、心が暖まっていくような気がする。トーマス様の目が、君が大切だと語り掛けて来る。私はもしかしたら、男性からこんな風に大切にされるのは初めてなのかもしれない。
お父様やロイ、友人や使用人たちの好意とは違う。脈拍が上がっていく。トクトクと音がするような気がする。
比べてみて初めて、ユーリ様のにこやかに上滑りする目を理解できた。私は全く大切にされていなかったのだ。それがわかって、今までの自分を叱りつけたいような、笑いたいような気分になった。
ロイが、早く帰らなければ、と言ってトーマス様を引っ張った。
2人が去ってしまうと、辺りは静かになった。森の中の虫の音や、風にそよぐ葉音だけが耳について、やたらと寂しい。
私はハンカチを握って、この2日間のことを考えながら、眠った。
次の日の午後、メルべの街に入った辺りで、上手に馬車が壊れた。
この隊長、なかなかやるわ。
「まあ、大変だわ。馬車を直していただかないと、身動きできませんわ」
私は、周囲にチラホラといる平民たちに聞こえるよう、高めのよく通る声でセリフを言った。
「これは大変だ。なんていうことだろう。こんな所で馬車が故障するなんて。昨日の脱輪がやっぱりまずかったのだ。幸い、メルべの街に入るところだし、修理をお願いしなければいけないなあ」
隊長のセリフは、ひどい棒読みだった。違和感がすごかったせいか、声が大きかったからか、たくさんの人がこちらを振り返った。
これで、アリバイ作りは完璧。