祭りの前
「少し教育してもらったほうがいいかも」
そうボソッと呟く殿下に、ロイが不機嫌な顔で、誰にですか、と聞き返した。
「勿論、婚約者の僕が」
「トーマス、かわいい妹を毒牙に掛けたら、婚約は破棄だからな」
またもやロイは、お父様が乗り移ったようになっている。ロイがこんなに過保護だったとは。
「ベラさんに教わるから、ご心配なく」
「無理だよ。この間ファーストキスの話をしていたじゃないか。君の周囲にいるのは全員修道女だろ。一番色っぽいダリア嬢だって、実はキチンとした女性で、男をかわす方法はベテランだけど実体験無しだ。教えられる人材は皆無だろ」
「いや、いるぞ。私の妃だ。彼女に教育してもらおうか」
そんなとんでもないことを、と抗議する私を無視して、話が勝手に進められた。現在王都に戻っている妃殿下が、もうすぐこちらにやってくるので、その時に機会を設けようということになった。
ハント邸で、私と二人きりでの授業になる。ロイは心配そうで、くれぐれも少しずつ、ゆっくりのペースでお願いしますと、殿下に念を押していた。
それから、興味津々で聞き耳を立てているホープに向かって、言った。
「お前の教育は俺がする。人間の姿だと言葉が通じるから。まずは裸で人前に出ないこと。着るもの一式見繕ってやるから来い」
そう言って人間の姿のホープを別室に引っ張って行く。その後ろ姿を殿下はニヤニヤしながら見送った。
「彼はリディアの保護者だね。ハント伯爵と印象が被るな」
「父が王都に行っているので、その間は余計に過保護になるみたいです。何か父と約束しているのかもしれません」
殿下は笑いながらトーマス様の肩をバンバン叩いた。
「まあ、頑張れ。今のところリディアも神獣殿も無垢だ。神獣殿が十五歳になるまでに、ロイが正しく教育してくれるのを願おう」
「今まで馬の姿でも、リディアにくっつきすぎて目障りだったのに、人間の姿であれをやられたら、剣を抜きそうです」
「神殺しはやめてくれ。神罰が下りそうだ。いいや、今までのことを考えたら、神罰は確実さ。これは命令だからね」
じゃあ、殴るだけにしておきますと悔しそうにしている。
「私が言い聞かせます。とてもいい子なので、嫌わないでやって」
殿下がちょっと真面目な顔になった。そして変なことを聞いてきた。
「君、乙女の意味は知っているよね」
「もちろん知っています。純粋無垢な若い女性です」
「男性と関係を持ったら、ユニコーンは近寄らなくなる。そういうことも知っているよね。ところで人間に変化出来るペガサスは、人間と交わることも出来たはずだよ。つまり私たちが心配しているのは、そういうこと。后が来るまでさえ、危ない気がするから、言っておく」
それはありえないでしょ。あのかわいい子が。
そう言おうと思ったけど、二人とも真剣な目でこちらを見ている。
「あれは馬だし神だし、人間と感覚が違うだろう。くっついて甘えているうちに、人間に変身したらとんでもないことになるかもしれない。お願いだから、少し考えてみてくれないか」
トーマス様が必死だ。
ホープは可愛いから、よく撫で回しているし、突然人間になっても、すごく可愛いし。そのまま撫で回してしまいそう。
もしかしたら、カミラの場合もこんなふうな流れなのかしら、と思いドキッとした。そのおかげで、とても素直に言葉が出てきた。
「気をつけます」
修道院の皆に、人間の姿のホープを紹介できたのは、その1週間後だった。服を用意する時間と、自分で着るのに慣れる時間、それと服を着て動くのに慣れる時間が必要だった。
昔は首のところが空いた、筒のような服を着て腰で縛り、上に布を羽織るだけだったと言う。それに比べると、今の服は面倒なのだ。
結局、人間になると面倒だと思ったらしく、ホープはもっぱら馬のままでいる。これには全員がほっとした。
次の日の朝食の場で、人の姿に変身したホープを紹介すると、見習い修道女たちは、少年のホープに群がった。
その大騒ぎが一段落したところで、私は催し物に彼にはこの姿と、ユニコーンの姿で登場してもらうと告げると、大歓声が上がった。
準備に追い立てられるようにして、日々は忙しくも楽しく過ぎていく。
催しの名称は ”シリカ修道院祭” となった。副題で、神獣様お披露目会と、王太子殿下快気祝が添えられる。
そう言った色々な事が追加され、否応なく催し物は大掛かりになっていく。
一年を過ぎて、修道院から出ていく予定だった者も、シリカ修道院祭までは残りたいと言い出した。
今や修道院は噂の的なので、親たちもそれを勧めるそうだ。親族はもれなく招待状を貰えるため、招待状狙いでもある。
事件以降は、新しい見習い修道女を受け入れて居ないので、ずっと修道院のメンバーは変わらない。
しかもほとんど見習い修道女たちの自治に近い状態なので、四十五名の修道女の結束は、固くなっている。
そんな雰囲気の中、カミラは自分の事情を皆に話して協力を求めた。私は反応が不安で気を揉んだけど、全員が憤慨して協力を誓ってくれたので、ホッとした。
それ以降、自分の境遇を聞いてほしい人が続出し、ここに送られるまでの経緯が披露され始めた。家の事情、生まれの事情、家族間での意見の食い違いなど、本当に色々あるなあ、と驚く。
ここに居る全員が理不尽なことや、ひどい扱いを受けている。おかげで仲間意識が芽生え、そしてとても解放されたような、さっぱりした気分になれた。
そういった話の中でも、カミラの話がダントツで酷いと意見が一致。その怒りは、準備に向けて発揮されていく。
王太子殿下と妃殿下は、今までに四回も修道院を訪れていた。
修道院でのほうが、ホープの力が強く発揮されることが、わかったせいだ。
修道院祭の手伝いにも、参加してくれている。見習い修道女たちの境遇を、周辺から聞いたらしく、特に妃殿下はたいそう憤慨している。
「華やかで目を瞠るほど立派な祭りを行って、周囲の目を変えさせてやろうではありませんか」
勢い込んでスピーチした妃殿下に、盛大な拍手が鳴り響き、王太子殿下はその様子を見て苦笑している。
妃殿下の計らいで、王宮にしか咲いていない、外国から献上されたバラを数株、中庭に移植した。周囲を大理石と彫刻とで囲み、更にはホープの神力を思いっきり注いでもらった。
お陰でバラは大きく育ち、存在感を増している。花が大きくなり、花弁は倍に増えているので、すでに別種かもしれない。
そしてシリカ修道院祭が数日後に迫った。
数日前から周辺には露店が立ち、この一帯が祭りのようだ。
人々が集まり、周辺の貴族の家は客で満員になっている。
ロイとトーマス様の家族は、ハント家に宿泊して貰っている。
思いがけないことに、王の代理としてユーリ殿下までもがやって来ていた。
ハント家への逗留を打診されたが、お父様は部屋が空いていないと言って、断った。王族は多数の従者を伴うので、実際に無理なのだ。
それでユーリ殿下は、少し離れた街にある、貴族の邸宅に投宿することになった。
「リディア、すべすべになった手を見せびらかすのよ」
ケイトが興奮して叫んだ。




