王都にて4
「病気を治すことが出来るのかは、わからないよ。でも、体力を回復させることは出来ると思う。それでいい?」
私がその言葉を、周囲の人たちに伝えると、王妃様は縋るように手を握って、お願いと言う。その時私の手に目をやり、はっとしたようにたじろいだ。貴族の令嬢として手が荒れているなど、ありえない事なのだ。私はすっと手をスカートに隠した。
「では、皆様少しおさがりください。トーマス様はこちらに」
トーマス様と二人でホープの横に立った。トーマス様が私の片手を握ると、私はクロスを持つ手をホープにかざした。
「神獣様、どうかこの方に、力をお貸しください」
そう唱えると、クロスが青白い光に包まれた。本当は玉から光が出ているのだが、手のひらで握り込んでいるので、あたかもクロスから出ているように見えるはずだ。
その青い光がホープを経由して王太子殿下に移り、そのまま全身を包み込んだ。
ハッと息をのむ声がしたが、そのまま誰も声を出さずに見守った。神官は近寄って来て青い光の端に指を触れて、温かいとつぶやいた。
光が消えると、ホープがフウッと息を吐き、消えた。医師がすぐに王太子殿下に駆け寄り、脈を取った。
「ご無事です。脈拍も正常です」
その時王太子殿下が目をうっすらと開けた。
「リディア? 久しぶりだね。どうしてここに居るの?」
ぼんやりとした様子ながら、頬には血の気が戻り、だいぶ元気を取り戻したように見える。そして、ふと気が付いたように、お腹が減ったなあと言い出した。
王妃様が慌てて、何か食べる物をと侍女を厨房に遣いに出している。医師がその背中に向かって、栄養のあるポタージュスープとポリッジを用意してくれ、と声を掛けた。
王妃様は涙ぐんだまま、私の手を握り締めた。
「リディア、なんてお礼を言ったらいいか。神獣様はどこに行ったの?」
「力を遣い切ったので、お戻りになったのだと思います。神獣様の力が戻ったら、また試してみましょう」
医師は、体の状態を調べていたが、すごく状態が良くなっていると報告した。
「内臓の動きが活発になって、脈拍もしっかりしています。状態が良くなっている内にしっかり食べて、体力が戻れば、肺病を追いやれるかもしれません」
久しぶりに聞いたうれしい知らせだと言って、王妃様が涙ぐんだ。王は後ろの方でこの様子を見ていたが、効果に納得したようだ。
ジェフリー殿下はベッドに起き上がって、ゆっくりとスープを飲み、パンも食べることが出来た。呼ばれてやってきた王太子妃殿下は、その様子を見て、泣きながらジェフリー殿下に抱き付いた。
「今は苦しくありませんか? これは一体、どうしたことでしょう」
「僕にもよくわからないけど、急に体の中が暖かくなって、力がいきわたった感触があった。そうしたら意識がはっきりして、お腹が空いてきた。何が起こったのだろう」
私が説明すると、二人はとても驚いた。思いも寄らない話だろうから、驚くのも当たり前だ。
ところが二人が驚いたのは、神獣の不思議にだけではなかった。
「弟があんなにひどい事をしたのに、私のために尽力してくれるなんて。何とお礼とお詫びを言ったらいいかわからない。申し訳ない」
「王太子殿下のせいではありませんから、気になさらないでください。お体の回復に差し支えます」
だが、と言って申し訳なさそうな顔をする。
「今は幸せなので、ご心配なく。私にはトーマス様がいますので」
気に病む王太子殿下をなだめようとそう言ったのだが、トーマス様はすっと私の肩を抱き寄せた。
うわ、皆様の前では辞めてください、と目で抗議したけれど、甘々な目つきで私を見つめるのを止めてくれない。
王太子妃殿下が私とトーマス様をまじまじと見ている。
「二人の婚約の話を聞きました。私が知るぎり、二人の間に交流は無かったと思うのですが、いつの間にそういう関係になったのですか」
「今回の修道院での事件で、私とロイ殿が、ハント伯爵をお手伝いしたのです。その間に、リディア嬢と話す機会があり、次第に惹かれていったのです」
トーマス様がすかさず、そう説明した。
王太子妃殿下は、まあ、と言って目元を和らげた。ジェフリー殿下も、ほっとしたように体の力を抜き、枕にボスっと埋もれ込んだ。
「幸せそうで良かった。私の心の憂いも晴れたようだ。私も妃も、リディア嬢には幸せになって欲しいと思っていたから、本当に喜ばしい事だよ」
多分、目が曇っていた婚約者時代にも、私を心配してくださっていたのだろう。私は、神獣様のご様子を伺いながら、後何回かお伺いしますとお伝えして、部屋から退出した。
王妃様も、医師も喜んでいる様子だし、神官は歓喜している。
この奇跡が今この場で起こり、自分が立ち会えたことを神に感謝しますと、泣きださんばかりだ。
そんな中、一人苦い顔をしているのは王だった。
私の様子が思い通りでなかったので、不満なのだろう。トーマス様は、あの後、私の手を離さない。きっとトーマス様の様子も、全く考えていたものと違うのだろう。私だってあの頃には、今のトーマス様を想像することもできなかった。王の戸惑いには同情してしまう。
場所を変えて、これからの事を相談し、二日に一度、この施術を繰り返すことになった。それは神獣様の回復を見ながらの事になる。クロスに込められた神力がいつまで持つかは不明だが、トーマス様と力を合わせると、力が補充されることを伝えた。
トーマス様はぬけぬけと、愛の力が、神獣の力の回復に役立つのだと説明する。
「それは、本当なの、リディア?」
王妃様に聞かれて、多分ですがと前置きをして、私は答えた。
「何らかの愛の力が、神獣様の力になるようです。それは友情でも、親子の愛でも、感動でも反応するようです」
「私がリディア嬢に愛の力を補充しているのです」
すかさず、トーマス様が追加した。
王妃様はまじまじとトーマス様を見て、性格が変わったわね、と言う。
私は、うんうんと頷いて同意を示した。
その日から三回の施術を経て、ジェフリー殿下の病状は、劇的に回復に向かった。
食事がしっかりとれるようになり、もりもり食べることが出来るまで、体調が戻っている。そして、このまま私達と同行して、修道院に近いハント伯爵邸で静養しよう、と言う話が持ち上がった。
この先、完治するまで、神獣の傍で生活させたいと王夫妻から頼みこまれたのだ。
重臣達や王宮の使用人達には緘口令を敷いていたが、神獣の噂が王都で広まり始めた。
その姿を見たい人や、病の回復を願う人が出始めている。それ等全ての願いに答える余力は今の所ない。
そう話が纏り、打ち合わせに訪れたある日、私の前にユーリ殿下が姿を現した。
私は同行する予定の従僕と侍女の主だった二人と、旅程についての打ち合わせをしていたが、その姿を見た途端に、ザっと血の気が引くような嫌な気分に襲われた。
ユーリ殿下は以前と変わらない、優し気な態度で私の方に向かって来る。
「やあ、リディア嬢、ご機嫌いかがかな」
「ご無沙汰しております。おかげさまで元気にしております」
一応挨拶して、そのまま打ち合わせに戻ろうとしたが、ユーリ殿下は従僕たちに、席を外すよう命令した。




