ピアスの換金
マリー、あなたまで不敬に問われるわよ、と慌ててマリーをたしなめてから、隊長をちらっと見た。
「ねえ、貴方達もこれなの? 私が支払うから、何処かに寄って食事しない?」
隊長は非常に気まずそうに、横を向いた。彼らの食事は、たぶんもっとマシなのだろう。
「申し訳ございません。なるべく早く修道院まで送り届けるように、と言われております。休みを取らずに行かねばなりません。宿泊も禁止されておりますので、野宿で馬を休める程度になります」
「私たち二人を、餓死させようって魂胆かしら」
「道中で食料を買うことはできますが、お金をお持ちでないと思います。私共は、何も差し出してはならぬと、厳命を受けています」
隊長の顔色は悪い。多分、お腹が空いて不機嫌な私が、圧をかけているせいだろう。
「じゃあ自分で払えばいいわけね」
私はピアスを片方外した。ルビーをダイヤが取り巻いた、かわいらしいピアスだ。お気に入りだけど、空腹には勝てない。それに、マリーにひもじい思いをさせたくない。
「街を通るときに少し買い物に寄らせてちょうだい。あまり時間は取らせないと約束するわよ」
隊長は気圧されたように頷いた。
私は街に入ってから、一番最初に目に留まった宝飾店に飛び込んだ。
「これ、買い取ってくれない?」
店員は、いかにも貴族令嬢という雰囲気のリディアを見て、店主を呼びに走った。
慌てて店頭に出てきた店主は、豪華だけどくたびれたドレス姿の私を見て、すぐに訳ありと悟ったのだろう。ホクホクした顔で挨拶した。
「お客様。お売りになりたいのは、このピアス1個でしょうか」
「そうよ」
「小さなルビーをダイヤが取り巻いていますね。良い品です。1個なら三千ミルですが、ペアなら1万ミル払いましょう」 (1ミル100円)
その言葉、冗談でしょう。私は鼻で笑った。
「桁が違ってない? これは最高級のルビーよ。石だけで3万ミルするわ」
店主は目を見張った。年若いレディと侮ってはいけない相手だと悟ったのか、すぐにピシッと背筋を伸ばして、お詫びの言葉を述べた。
「失礼致しました。再鑑定させていただきます」
そう言って、ルーペで石を確かめると、おずおずと告げた。
「確かに最高級のピジョンブランです。ただ……誠に申し訳ありませんが、今すぐご用意できるのは、一万ミルしかございません。他の店を当たっていただいたほうが、よろしいかと思います」
まあ、正直者じゃない。ならいいわ。
「一万ミルでいいわ。売ります」
店主は驚いていたが、バッと頭を下げると、すぐにご用意しますと言って、奥の部屋に戻って行った。
同時に、横に控えていた店員が、お茶とお菓子を私達の目の前に置いてくれた。お菓子は田舎風の手のひらサイズのクッキーで、ナッツやチョコレートがゴロゴロ入っている。貴族が普段食べることのない物だった。
マリーと二人、無言のまま早速頂いた。
これが、1日ぶりの食事だ。いつも食べているものと比べ、素朴なのに、天国の美味だった。
二人は両手にクッキーを持って、なんとなく笑い合った。
「お嬢様、これをいっぱい買って、馬車に積みましょうか」
「修道院で取り上げられるのじゃないかしら。でもいいわ。買えるだけ買いましょう」
一万ミルを受け取り店を出ると、店主が最敬礼で見送ってくれた。
店を出た後、マリーが聞いた。
「お嬢様、よかったのですか? ずいぶん安く売ってしまわれて」
「いいのよ。修道院に持って入れるか分からないし、お金に換金できる場所も限られるもの。これでも大成功だわ」
二人は、少し離れた所で待っていた兵士たちを連れて、市場や店で買い物をし、山程の荷物を持って馬車に戻った。
荷の中には、一級品のウイスキーとブランデー数本に、ワインが入っていて、兵士たちは期待に目を輝かせていた。
市場で買った、焼き立ての大きな鶏の丸焼きと、豚のローストは、たまらない程美味しそうな匂いを、周囲にまきちらしている。
馬車に戻ると、早速野宿の支度に掛かることになった。やはりおいしそうな食べ物の力は、強かった。先を急がなくては、と言っていた隊長も、ウイスキーを横目で見て、考えを変えてくれた。
それに、とにかく疲れたのだ。馬車での移動は、かなり疲れる。
マリーが兵士達に指示しながら、甲斐甲斐しく食事の支度を整えた。それから敷物を敷いた上に、二人で座ってくつろぐことが出来た。
兵士達は少し離れた所に固まって、地面にそのまま座り、自分達の食事を取り出していた。
やはり、肉やソーセージがパンに添えられていて、ボリュームがあった。更にはワインの小瓶とオレンジが一個付いている。あの薄っぺらいハムとパンは、私達の分だけのようだ。
兵士が紙包みを手渡してきたので、ありがたく受け取って、代わりに肉の塊と、ウイスキーを渡してあげた。紙包みの中身は、例の薄いハムとパンだった。さすがに、兵士もバツが悪そうにしている。
「しばらく一緒に旅をするのだから、よろしくね。これは皆さんでどうぞ」
にこやかに兵士に声を掛けて、淑女然と微笑んでおいた。後四日間の旅のために、仲良くしておきたい。
普通の令嬢は、こんな旅には慣れていないだろうが、私は違う。ここまで質素な旅ではないが、父と一緒に商団の旅に加わったことがある。だから雰囲気は分かっていた。
夜になって焚き火を囲んでいると、なんとなくお互いに親しみを感じるのだ。それを利用して、聞けることを聞いておこうと思っていた。
お腹がいっぱいになって、ワインを少しだけ飲むと、大分気分が落ち着いてきた。
すると、ようやく悲しい気分が襲ってきた。今までは気が張っていて、悲しく感じるのが後回しにされていたらしい。
いきなりボロッと涙がこぼれ落ちた。
「リディア様。泣かないでください。すぐに修道院から出してもらえるはずです。このままなんてこと、絶対にありません」
慰めてくれるマリーを見つめて、リディアは小さな声で言った。
「違うわ。ただ悲しいの。私、失恋したのね。そういうことよね」
「まあ、そう……ですね。こういうのも失恋というのでしょうか……ところで、不敬罪とは、どんな事をしたのですか?」
「ユーリ様に、婚約者以外の女性を、夜会に伴うのは問題です、と言ったの」
マリーが叫んだ。
「たかがそれだけで!」
離れたところで聞き耳を立てていた兵たちも、えっという形に口を開いて、こちらを見ている。
「そうよ。夜会で一人きりで入場させられて、そしてユーリ様から責められたの。私がユーリ様にあげた手刺繍のハンカチを、ドロレス嬢から取り返した事とか」
「当たり前のことですよね。逆にユーリ殿下が土下座すべき案件ですよ」
マリーは口が悪いのだ。私は慌てて、言葉を抑えて、とマリーを止めた。
「ドロレス嬢が彼にまとわりつくのを諌めたのも、叱られたの」
「根性悪の馬鹿王子がそんな事を?」
「あなたは以前から、ユーリ様が嫌いよね。でもそんな呼び方したら駄目よ」
その時、馬の蹄の音が聞こえてきた。それは次第に、こちらに向かって来ている。
兵達がさっと立ち上がり、隊長が私達を馬車に移動させたところに、騎馬の男が2人姿を現した。
私はマリーと一緒に、馬車の窓からそっと覗いてみた。なんだ、ロイと、トーマス様じゃないの。
「あら、ロイ。それにトーマス様? こんなところで会うなんて」
ロイが馬から飛び降り、馬車から降りた私に駆け寄ってきた。
「一体、何がどうなった? これはどういう事なんだ?」
ロイに肩を掴まれてゆすぶられ、私は声が出せなかった。