引越し準備
私は王から懇願され、関わっていた事業の引き継ぎを簡単に行なった。
引き継ぐ者たちは一様に驚き、理由を尋ねたが、私は無言を貫いた。
こういう事は秘密にしても、すぐに広まる。
多分王家をはばかって、水面下でとなるだろうが、そういう噂のほうが面白いのだ。きっと波が打ち寄せるより速い速度で、広まるだろう。
王との会談の三日後、ロイとトーマスが、訪問の連絡を入れてから、昼間に訪ねて来た。
それは王からしたら、敵情視察だろうが、非常に好都合なことだった。
私たちは久しぶりに、ゆっくりと情報交換を行なった。
「正式に婚約解消したと聞きました。良かったです」
トーマスの第一声はそれだった。
「ありがとう。私も書類を胸ポケットに仕舞った途端に、気分が落ち着いたよ。一安心だ」
「それで伯爵様は、リディアの近くに引越すつもりだと聞きました。どこかの屋敷を借りるのでしょうか」
「いや、修道院周辺一帯の土地を買った。そこに近場の屋敷を移築する予定だ。もう工事を始めているぞ」
もう! と2人が叫んだ。
当たり前だ。そんなに長くリディアをほうっておけるものか。
「工事の管理も必要だし、数日後には最寄りの街に生活拠点を移す。しばらくはホテル住まいになるだろう。君たちも偵察がてら遊びに来てくれ」
ぜひ、とトーマスが即答した。こんなにリディアを思ってくれる男がいるとは嬉しい。ユーリ殿下の邪険な扱いに、鬱憤を溜めていた心が癒される。
「伯爵様は、伯爵家の事業を整理して、国家事業から完全に手を引かれると伺いました。今後の伯爵家の財政に、影響が出るのではありませんか?」
「采配を振るうのに、拠点が変わっても大した違いはないよ。都心部でのメリットを捨てることになるが、ただそれだけだ。国家事業から手を引ける分、メリットの方が大きい。何せ頭の固い役人や大臣どもの相手をして、時間を無駄にしなくて済む」
はあ、そういうものですか、とロイは呆然としている。
多分、国家事業関連の利益や権力を考え、大きな損失だと考えたのだろう。私腹を肥やしたい者にとってはそうだろうが、私はリディアの嫁入り先である王家と国が潤う事だけを考えて、それに関わって来た。その場合、あんな手間暇かかって益の少ないものはない。
だがそれは我が家の内部事情だ。彼らにだとて、教える気はない。
「まあ、伯爵家の収入はがっくりと減るが、全てはリディアを取り戻してからだ。王にも告げたが、リディアが無事でなければ、関係した者たちが許せなくなる。私だって、そんなことにしたくはない」
「伯爵様。そんなことを王に言ったのですか? それこそ、不敬罪に問われてもおかしくない。ほとんど脅しですよ」
「そのまま言ったわけではないさ。かもしれないとソフトな表現にしたよ。もちろん」
言葉をそのまま受け取っているらしいトーマスと違って、ロイの目は絶対に嘘だと言っている。
「王宮内の様子や、噂はどんな感じだ?」
「まず、僕たちはもう一度、三人揃って呼び出されました。そして夜会の始まりから、何一つ省かずに話せと言われました」
結局夜会前に、ユーリ王子から言われた事から始まり、夜会終了まで、ドロレス嬢をエスコートしていた事まで、全てを事細かに話したと言う。
話したのは主にレイノルズだったそうだ。彼が一番ユーリ殿下と仲が良いからと、ロイとトーマスが譲ったせいだ。
そこでロイ達が知らない事も、色々と出てきたという。
その一つに事業関連のことも含まれていた。
ユーリ殿下はこの最近、グレイ家に有利な事業を回すよう、各省に根回しをしていたらしい。
ドロレス嬢を次の婚約者とするには、グレイ家の財政面の弱さがネックだからだろう。
そのため今回、ハント伯爵が国の大規模事業から手を引いたのを、非常に幸運だと喜んでいるそうだ。愚かしいな、と言って私は笑ってしまった。
「グレイ家か。昔少し因縁があってね。気に入らない家なんだよ。じゃあグレイ家が手がけるものが決まったら、連絡してくれないか」
ロイが上目遣いで私をじっと見つめた。
「......何をする気ですか?」
「失敗したらいいなと思いながら、楽しみに眺めるだけさ。私は手を引くのだから、何もできないよ」
「因縁とはどんなことです? なんだか嫌な感じですが。そう言えば、シリカ修道院の名を出したのは、ドロレス嬢だそうです。昔、身内が入って、すごく大人しい性格に変わったとか」
私は途端に嫌な気分になった。何が大人しい性格だ。多分私が急に苦虫をかみつぶしたような表情になったのだろう。二人は不安そうにこちらを見ている。
ふと、ジョナサンとベラの話をしておこうかと思った。しかし知ってしまえば、心配が増えるだけだろう。しばらくの間、私は迷っていた。
「伯爵様が迷うなんて、よほどのことですね。たぶんリディア嬢にも関連するのでしょう。それなら絶対に聞かせてください」
黙って聞いていたトーマスが、初めて口を開いた。勘がいい男だ。
「ドロレス嬢の言う身内とは、多分ベラ・グレイのことだ。グレイ家の長女で、私の友人の恋人だった。今から話すことは、十七年も昔のことだから、今とは違う。そう思って聞いてくれ。ただし、今のほうがマシかどうかは、私にもわからない」
そう言い置きをして、十七年前に起こった出来事を話して聞かせた。
二人は、聞く内に真っ青になっていった。
「そんな所に、よくもリディアを……」
ロイは、その先が言葉にならないようだ。
「私が何を犠牲にしてでも、せめてリディアの側にいようとする理由が、分かっただろ?」
「私も行きます」
トーマスはやはり即決した。大まかにだが、彼の性格が掴めてきた気がする。
「人を雇って、修道院の詳しい情報を集めている。それと二十年前から現在まで、修道院に入った女性たちと、その後の消息も調べさせている。君たちも、シリカについて調べてもらえないだろうか。王はほとんど知らないようだった。たぶん年配の女性の方が詳しいと思うんだ」
「私はすぐにでもシリカに忍び込みます」
トーマスが言い出した。やっぱりか。
「今、説明したよな。友人は行方不明だ。言っておくが、友人は優秀で強い奴だった。数人に囲まれたとしても、なんなく相手が出来たはずだ。それが捕まるどころか行方不明だ。調べたが、争いごとがあった痕跡も、噂すら何もなかった。あの修道院にどんな罠が仕掛けられているのか謎だが、迂闊に手を出したら危険だと思っている。謎だらけの修道院なんだ」
ロイがトーマスの肩を押さえた。
「君と僕とで女性達から話を引き出そう。本人でなくても、友人や知人の話が出てくると思う。リディアを救うためだよ。一緒に頑張ろう」
「私からもお願いするよ。おおっぴらな噂は聞いたことがないが、陰では噂されていると思う。今回の事件で、噂話が色々と湧いて出ると思うんだ。それを拾ってくれ。私ではそれは出来ないだろう。娘を溺愛する父親に、その話をしてくれる者はいないだろうからな」
そう言われて、トーマスは落ち着きを取り戻したようだ。
「それで、この事件については、社交界にどう伝わっている?」
「母が、茶会で噂を聞いて帰宅し、僕に本当の事なのかと、確認しに来ました。本当だと答えると、信じられないひどい仕打ちだと怒りだしました。夜会に出席していた女性達から、ユーリ殿下とドロレス嬢が、既に婚約者然として振る舞っていた話も、伝わり始めているようです。併せて、完全にアウトという感じですね」
噂に疎いロイの母上も、噂をキャッチしているということは、かなり広まっているな。いい流れだ。




