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8. 貴婦人たちの憂い


 若いふたりが愛情を確認し合っているとき、ロザリー伯爵夫人はこめかみを揉んでいる。


「困ったわ」


 貴族界を知り尽くし、人の裏も表も見極め、酸いも甘いも嚙み分けられる老獪な貴婦人ロザリー。大抵のことでは困らない。なんとでも対処できる頭脳と人脈と資金力を持っているから。


「なんてことを言い出したのでしょう、あの子ったら」


 ロザリー夫人の想定の範囲をいつも軽々と飛び越えてくるのが、リディアであった。気まぐれで引き取ってみたら、命を救われ、今やかけがえのない宝物となった少女。リディアも、妹のフィオナも、ロザリー夫人は孫娘のように大事に思っている。


 リディアはいつもならロザリー夫人には直接相談に来たりしない。リディアはフィオナに思いのたけをぶつけ、必要とあればフィオナが執事のエドガーに報告する。そういう流れだ。


「貴族界のことはよく分からないですし。ウサギたちが微妙な問題だと言いましたから。重すぎる内容だから、奥様に直接お話すべきとあの子たちが言いました」


 相変わらず視線の合わないリディアは、壁にかかったカーテンに向かって話していた。


「探してみたんです、オースティンの腕を。冥界にあると思うんです。だって切られたってことはあちらの世界に行ったということです。ウサギたちは探してくれました。ウサギたちはオースティンが大好きですから」


 リディアはとても頭がいい子なのだけど、話すときはまとまりに欠けるのよね。でも途中で遮ると混乱してしまう子ですから、辛抱強く聞いてあげなくてはいけません。


「冥界の中は基本的に暗闇なんです。でも、光っているところがあって、そこに腕があったんだそうです。光でできたような真っ白な腕。どんな闇も寄せつけない腕。そこに女の人とウサギも。ウサギ以外の死者と交信するのは苦手なのですが、ウサギたちにどうしてもと言われて、女の人と話してみたのです」


 ここまで聞いた内容だけで、頭痛がする。死者と話せるだなんて。その力を使いたがる人がどれだけいることやら。リディアに、このことを外で話さないように言い含めないといけませんね。


「その人ははっきりと言葉を発することはできなかったのです。断片的な記憶を見せられました。あちらに行って長いと話せなくなるのかもしれません。その人は腕の子の、オースティンのお母さんみたいです」


 ロザリー夫人はリディアの話をじっくりと検討した上で、いくつか手紙を出した。情報がまだ出そろっていない中で判断はできない。


 手紙の返事が届き、ロザリー夫人が決断を出そうとしたとき、事態が急展開した。お忍びで貴人が訪れたのだ。


「ロザリー・カールセン伯爵夫人、急に来て悪いわね」

「オリヴィア王太子妃殿下」


 ロザリー夫人はいつになく混乱していた。王族がなぜ、こんな片田舎に。


「座りましょう、ロザリー夫人。聞きたいことがあるの」

「はい、なんなりと、妃殿下」


 王族と個室でふたりきり、膝を突き合わせてお茶を飲む。長年貴族をやってきたロザリー夫人にとっても、初めての体験である。


「自分で言うのもなんですけれど、わたくし人気があるのよ」

「ええ、それはもう。国民から貴族まで、もちろんわたくしも、妃殿下を敬愛しております」


 それは事実だ。聡明で美しく公正。国の宝である王太子の寵愛を一身に受け、五人もの子をもうけた、完全無欠な王太子妃。非の打ち所がないとは彼女のことなのだ。


「わたくしのところには、毎日それはたくさんの情報が届くの。皆、よかれと思って報告してくれるのよ。ありがたいことに」


 ロザリー夫人は、背中に汗がひとすじ流れるのを感じた。


「左腕の肘の内側にアザのある男性に心当たりはないか。あなたがその情報を求めている理由を教えてほしいの」


 ロザリー夫人は頭の中でめまぐるしく何通りもの物語を考えた。どれが最もそれらしいか。


「ロザリー夫人、事実を言ってくれればいいわ。それが最善手よ」


 オリヴィア王太子妃が、きっぱりと言う。ロザリー夫人は深く息を吸い、軽く頭を下げる。それしかない。ウソをついたところで、この方の調査能力の前では意味のないことだ。


「この街の孤児院に左腕のない青年がいるのです。わたくしが面倒を見ている少女が、不思議な力を持っております。彼のなくなった左腕を幻視したところ特徴的なアザが見えたと申しておりました。彼の父親も同じアザを持っているはずだと少女が言うのです」


 オリヴィア王太子妃の眉がピクリと上がった。少し視線をずらし、一点を見つめたまま考えて込んでいる。ロザリー夫人は息を凝らすように、沙汰を待った。


 オリヴィア王太子妃は視線をゆっくりとロザリー夫人に戻すと、静かに言った。


「その青年に会いたいわ」

「はい、承知いたしました。今すぐ遣いを送ります」


「目立たないようにしてほしいわ。わたくしがここにいることは、極秘なの。彼と会うことも、誰にも知られたくはありません」

「お任せくださいませ」


 ロザリー夫人は侍女を呼ぶと、明確に指示をした。何をやってほしくて、何をやってはならないか。


 できる侍女はすぐさま馬車で孤児院に乗りつけ、オースティン、リディア、フィオナを馬車に乗せて戻ってきた。馬車は日よけを下ろし、道行く人にも中が見えないようになっている。別荘の屋敷に戻ると、裏口に馬車をつけ、使用人扉から三人を中に案内した。


「リディア様、フィオナ様、おふたりはこちらの部屋でお待ちくださいませ。オースティン様、どうぞこちらへ」


 侍女に案内されてオースティンが入ってきた瞬間、オリヴィア王太子妃が息をのむ。部屋には沈黙が立ち込めた。誰も話さない。


 オースティンは困ったように右手で口元を軽く押さえ、咳払いする。オースティンの長くて優美な指が口元から離れ、乱れた前髪をかきあげる。驚くほど青い瞳がオリヴィア王太子妃を射抜いた。


「あなた」


 オリヴィア王太子妃の声がうわずっていることに、ロザリー夫人は驚いた。


「あなた、あまり緊張していないのね。堂々としているわ。どうしてかしら」

「いえ、緊張はしています。そう見えないようにしているだけです」


「そう。何かコツがあるのかしら」

「気圧されそうなときは、相手を大好物の食べ物だと思って見るようにしています」


「大好物の食べ物とは?」

「ピーナッツバターとブルーベリージャムを塗ったパンです」

「そう。おいしそうね」


 そして、また沈黙が続く。あまりに静かで、ロザリー夫人は耳の中にキーンという音を聞いた気がした。フッと隣でオリヴィア王太子妃の緊張が緩んだのを感じる。深い呼吸、やっと見えた高貴な微笑。つられて、オースティンが笑う。部屋の重苦しい空気が一気に消える。


 オリヴィア王太子妃は小指から指輪を外し、手を伸ばした。


「これを、あなたに。誰かに無理強いされそうになったら見せなさい」

「ありがとうございます」


 貴族女性から下賜されることに慣れているのだろう。驚きやためらいを見せることなく、ごく自然な仕草で指輪を受け取る。オースティンが退出した後、オリヴィア王太子妃は少し疲れた様子で目を閉じた。


「ロザリー夫人、わたくしから連絡があるまでここに留まり、彼を庇護できますか?」

「はい、もちろんでございます」

「秘密裏に」

「委細承知いたしました」


 オリヴィア王太子妃は美しい姿勢で風のように去って行った。


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