6. オースティンという青年
仕事と割り切っている。寂し気な表情、ふとしたときに出る陰、健気な笑顔。背がひょろりと高く、まだ骨格が大人になり切れていない、初々しい青年。幼い頃に孤児院の前に捨てられた不幸な生い立ち。片腕がないという悲劇性。それらを総合した上に、オースティンは顔がよかった。
「なまじ顔がいいもんだから、貴族のご夫人たちの庇護欲を誘いまくるんだよな」
ご夫人連中たちに言わせると、品のある顔立ちらしい。きっとやんごとなき貴族の落とし子なんだわ、そんなささやきを耳にしたこともある。
「なんとでも好きに言ってくれればいい。寄付さえはずんでもらえるなら」
孤児院の運営は楽ではない。院長はいつも資金繰りに悩んでいる。
この見た目でお金が稼げて、他の孤児たちが食べていけるなら、いくらだって切ない雰囲気を醸し出す。オースティンは乱れた髪をなでつけ、白いシャツに腕を通す。飾り気のないシャツが一番似合うらしい。爽やかで高潔なんだとか。
応接室に入ると、ご夫人たちが既にお茶を飲んでいる。オースティンは品がいいとよく褒められる微笑を浮かべ、丁寧に礼をする。ヒラリと左袖が舞った。もちろん、計算。
初めて来院したご夫人がハッと息をのむのが聞こえる。そう、ここにかわいそうな青年がいますよ。さあ、どうぞ好きなだけ同情していいんですよ。ただし、金を払ってくださいね。
いつも通り、ご夫人たちの話を聞く。彼女たちは、話を聞いて欲しいのだ。彼女たちの夫は、とりとめない愚痴を聞いてくれたりしないのだろう。
「それは大変でしたね」「そんなことがあったんですか」「それはいったいどういうことですか」適当に言っていれば、岩肌から湧水が流れるようにとめどなく会話が続く。
「お前すげーな。よくあんな話を聞いてられるな」トムに感心されたことがあった。
たいしたことではない。おいしいお茶もいれられない、冒険者にもなれない、まともな職につける見込みもない。話を聞くぐらい、なんてことはない。捨てた親を恨んだこともあったけど、見た目良く産んでくれたことには感謝している。
目を伏せてご夫人たちの話を聞く。たまに目を合わせる。控えめに笑う。お別れの際には寂しそうにまつ毛を震わせる。ご夫人たちから差し出された手に、丁寧に口づけをする。
今日の仕事もきちんとこなした。孤児院長に報告し、労われたら逃げるように裏庭に行く。静かなウサギたちといると、心が安らぐ。寄付をもらっているくせに、彼女たちをうっすら軽蔑している自分を嫌いにならずに済む。年齢がいって、顔にシワが増えて、寄付が引き出せなくなったら用無しになる。そう怯えずにいられる。
「ぐっ」
こういうときになぜか痛みが訪れる。引きちぎられたのだろうか。剣で切られたのだろうか。左腕の切れ端が燃えるような感覚。ウサギたちが左腕に群がり、心配そうに鼻をすり寄せてきた。
「いつもありがとうな。もう大丈夫だ。大分おさまってきた」
痛みに耐えるためウサギのように丸くなっていた。少しずつ体から力を抜く。深く息を吸い、なるべくゆっくりと吐く。それを繰り返す。仰向けになって脱力。目を開けた。
「ちかっ」
リディアが真上から見下ろしていた。色っぽい雰囲気は全くない。研究者のような目。料理人が食材を見るときの目。リディアは慌てて取り繕うことも、ニコリともせず、オースティンの頭の上に手を置いている。
「ウサギたちに頼まれました。あなたの痛みを取り除きたいと思います」
リディアはしばらくオースティンの顔と頭の上で手を動かし、空を見たままピクリとも動かなくなった。しばらくすると小さなつぶやきが漏れてくる。
「頭と心は難しい場所です。内臓は分かりやすいから好きです。機能がはっきりしていますから。肺は空気から必要なものを取って全身に巡らせ、不要なものを吐き出す。胃は食べたものを消化する。小腸は栄養を吸収、大腸は便を作る。明確です」
そうなんだ、知らなかったな。オースティンはリディアのつぶやきを黙って聞いている。自分のために何かしてくれようとしてくれているのだ。邪魔をしてはいけないだろう。
「頭と心を研究した書物はあまりないのです。分からないことだらけです。解剖してもよく分からないらしいです。私は解剖したことはないのですが。体は健康でも、心が疲れていると体もつられて不調になるという説を読みました。頭と心は同じなのでしょうか。誰かに教えてもらいたいです」
何を言っているか理解はできないけど、彼女が研究熱心なことはよく伝わった。ここまで夢中になれるものがあることが、うらやましいなと感じた。自分には何もないから。
「先ほどオースティンの頭を調べていたとき、頭の一番外側のウネウネしたところが反応していました。炎症ではありません。なんだか小鳥がさえずっているような感じです。小さな火花がパチパチ鳴っています。お知らせしているのでしょうか。ちょっと自分でも試してみましょう」
リディアは自分の頭の上に左手を置き、右手で左腿をつねった。リディアの眉間にシワが寄る。
「なるほど、痛いと頭のここがさえずるのですね。新しい発見です」
リディアが笑う。お世辞にもかわいいとは言えない笑み。ちょっと怖い。
「もっと調べてみたいですね。あなたたち来てください」
リディアがウサギたちを呼び寄せる。モコモコしたウサギの集団の中にリディアは顔を突っ込んだ。ウサギの耳がピクピク動いている。
リディアは顔を上げ、手をまたオースティンの頭の上に置く。今までは触れるか触れないかぐらいの遠慮がちな距離だったのに、今度はわしづかみにされた。驚いたけれど、不思議とイヤな感じはしない。性的な意図が一切ないからだろう。
突然、ウサギたちがシャツの中に入って来た。ウサギたちがオースティンの脇腹と脇の下で身動きする。
「わっ、やめっ、ハハハハハハ」
あまりにくすぐったくて、オースティンは笑いが止まらなくなる。笑い過ぎて涙が出そうになったとき、リディアの冷静な声が聞こえた。
「もういいですよ」
ウサギたちが大人しくオースティンのシャツから出て行く。オースティンは乱れたシャツを整えた。
「今のはいったい」
「オースティン、お願いがあります。あなたの頭を調べさせてください」
「え?」
「いえ、解剖するつもりはありません。危ないですからね。ただ、一日中あなたの頭を調べたいのです。楽しいときはどこがさえずるか、眠いときは、疲れたときは、驚いたときは。色んなことが分かります。色んな人の治療にも役立ちます。あなたの痛みを取り除く方法も合わせて考えます」
リディアの視線はオースティンの頭に注がれている。決して合わない視線。でも、その瞳は澄んでいて、光に照らされきらめいている。オースティンへの恋情のような気持ちは一切見えない。
「分かった。こちらこそよろしくお願いします」
オースティンは起き上がって頭を下げた。頭を下げ合うふたりの周りをウサギが跳ねまわっている。