番外編2. フィオナとオースティンの自分探し
オースティンがいつものように、ウサギに囲まれながら鏡の箱で訓練していると、浮かない顔をしたフィオナがやってきた。
「ねえ、オースティン。将来何したいかもう決まった?」
「いや、まだ全然。まず人並みに左腕を動かせるようになることが先かなと思ってるけど。なんで?」
「なんかさあ、オースティンが来てからリディア姉さんが安定してるからさあ。私の役割ってもう終わりかなって思ってさ」
フィオナがうつむいて石を蹴りながら言った。オースティンは両腕を箱から抜き、フィオナに向き合う。
「フィオナの役割って?」
「リディア姉さんが悩んでることを聞いてあげたり、困ってることがあったら解決してあげたり、リディア姉さんが治療に集中できるように治療相手の家族と話をしたり」
「すごいな。フィオナってまだ十三歳だよね?」
フィオナが小さく頷く。
「俺は二十歳で、これから適性を見つけるつもりなんだ。フィオナが焦る必要ないと思うけど。色んなことに挑戦して、興味のあることを探せばいいんじゃないか?」
父に言われたことを、フィオナにそのまま伝えてみる。オースティンだって、まだ世間の荒波に飛び込んでいない。具体的な方法は思いつかない。
「リディア姉さんはやりたいことと得意なことがもう見つかってるから、焦っちゃう。リディア姉さんのそばにずっといて、助けてあげるのが私の役割だと思ってたんだ。ずっとそうだと思ってた」
「そうか、そうなんだ」
迷える子羊さながらのフィオナ。オースティンはどうしたものかと頭を巡らせる。
「オースティンは、リディア姉さんをずっと好きでいてくれる? 突然捨てたりしない?」
子羊が狼のような目になってオースティンを見る。
「リディア姉さんのどこが好き?」
「リディアの目が好きだ。その奥に色んな知識が詰まってるんだって分かる。深い井戸みたいに、いつまで見ても底が見えない感じがする。広がりを感じる」
フィオナの顔が少し明るくなった。オースティンの隣に腰かけ、熱心に聞いている。
「リディアの声が好きだ。静かで穏やか。秋の風みたいだろ。冬の吹雪みたいに激しくなくて、春のそよ風みたいに心をかき立てられることもなくて、夏の風みたいに急に辺りを冷やすこともない」
「うん、なんか分かる」
フィオナが落ち着いてきた。オースティンがリディアをいつか捨てることが心配だったんだろうか。
「治療方法を思いつきそうなときのリディアは、風が強くなるんだ。徐々に勢いを増して、木から葉っぱが散り、地面の落ち葉が舞う。俺はそれを、息をひそめて見る」
「そうだね」
フィオナの肩から力が抜けて、不安の色が消えた。オースティンはひとつ思いついた。
「フィオナに頼みたいことがあったんだった」
「何?」
フィオナが身を乗り出した。頼られることが好きなんだな、まだ十三歳なのに。
「リディアに何か贈り物したいんだ。今度、三人で市場に行かない? そこで色々見て、リディアがどんな物を気に入るか知りたい。いつか、自分の力でお金を稼いで、贈りたい。父からお金はたくさんもらってるけど、それとこれとは別だと思うからさ」
「任せて。リディア姉さんが何を気に入ったか、こっそり教えてあげる」
「ありがとう。助かる」
オースティンが心から言うと、フィオナは笑顔になった。
「私、そろそろ戻らなきゃ。勉強の時間だから、先生がもうすぐ来ちゃう」
フィオナはウサギみたいに弾むような足取りで駆けて行った。
***
買ってくれねえかなあ。ジョニーはチラッと露店の前にいる三人を見る。すっごい美形の兄さんと、無表情な妹と、めちゃくちゃかわいい末っ子って感じの三人だ。
「リディア姉さん、これとかどう?」
「そうですね。花よりウサギがいいです」
末っ子が姉に花の形をした髪飾りを見せたけど、姉はウサギがいいらしい。ウサギの髪飾りは置いてない。ジョニーは家にウサギの髪飾りがあったか考える。
「リディア、これは? 四つ葉のクローバーって幸せを呼ぶんだって」
「そうですね。葉っぱよりウサギがいいです」
兄が四つ葉のクローバーがついた腕輪を戻し、がっかりした顔をしている。ジョニーは焦った。ウサギ、ウサギの何かがあれば売れたのに。今から家に戻って、父ちゃんに急ぎで作ってもらえば、間に合うか? あ、ダメだ。店に誰かいないと。ううう、どうする、俺。隣の店の人に頼むのはどうだろう。ジョニーは隣の露店を見る。ショールやハンカチなんかの布物を売ってる優しそうなおばさん。いけるか?
「すみません、ウサギの形をしたアクセサリーってないですか?」
ジョニーが悩んでいると、兄から声をかけられた。顔がいい兄、声までいい。
「今は、今はないんですけど。急いで家に戻って父ちゃんに頼めば、夕方までにはできるかもしれません」
ジョニーは思わず答えてしまった。
「ああ、いえ、急いでいるわけではないんで。また今度来ますよ」
無情にも、三人は行ってしまった。ジョニーはガックリ落ち込む。今日はまだひとつも売れてない。ヤバい。どうしよう。今日の晩飯がー。
「ねえ、君。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
声をかけられて顔を上げると、立ち去ったはずの美形兄がひとりで戻ってきてる。なぜか小声だ。
「はい、なんでしょう?」
「さっき、夕方までにはできるって言ってたけど。アクセサリーってそんなにすぐできるものなのかい?」
「複雑なのは難しいですけど。ウサギならすぐできそうな気がします」
「そうなのか」
兄は何か考えている。もしかして、注文が取れるかも?
「ひょっとして、俺でも作れたりするかな?」
「父ちゃんがつきっきりで見てればできるかもしれないですけど。どうだろう。父ちゃんに聞いてみないと」
父ちゃんはたまに俺に作らせてくれるから、できると思うけど。客を家に呼ぶ? あのとっ散らかってる工場にこの美形を? 母ちゃんが大騒ぎしそうだな。
「どうだろう、一度聞いてもらえないだろうか。もちろん代金と講習料は払うから。来週また来るから、そのときにでも教えてもらえると助かる」
「今、今すぐ父ちゃんに聞いてきます。すぐ戻ってきます。走って戻ってくれば一時間ぐらいだから。隣の人にちょっと気をつけてもらえば大丈夫だと思うんで」
金づるだ。金の匂いがする。逃がしてなるものか。ジョニーは必死で言いつのった。美形兄は驚いたように目を見開いた。すぐ笑顔になる。周りの通行人の歩みが少し止まった。それぐらい破壊力のある笑顔だった。
「では、この辺りで待っているよ。ありがとう」
「はい、今すぐ行ってきます」
ジョニーは隣のおばさんに頭を下げてお願いする。おばさんはジョニーと美形兄を見て、胸を叩いて請け負ってくれた。
「いいよ、注意して見ておくから、行っておいで。おばさん、小さいのに一生懸命働く子と美形の青年に弱いんだ」
おばさんはカラカラ笑いながらジョニーを送り出してくれた。ジョニーは駈けた。休みなく、走り続けた。
「父ちゃん、美形の金持ちっぽいお兄さんが、ウサギのアクセサリーを作りたいんだって。父ちゃん、お兄さんに作り方教えられる?」
「ああん? なんだそりゃ」
「ジョニー、落ち着きな。水飲んで、深呼吸。ほら、ゆっくり飲まなきゃむせるよ」
母ちゃんが差し出してくれたコップを受け取り、一気に飲む。変なところに入って、むせこむと、母ちゃんが背中を思いっきり叩いてくれた。ジョニーは最初から最後まで、何度も説明する。やっとふたりに伝わったみたいだ。
「ウサギのアクセサリーか。まあ、簡単な物なら素人でも出来るんじゃねえかな。俺がつきっきりで見てないといけないから面倒だけど」
「お兄さん、代金と講習料を払うって言ってた。金持ちそうだった。いい靴履いてたもん。あれ、きっと貴族だ」
お忍び貴族を見極めるコツは、靴だ。服が古着でも、靴はいいものを履いてる人が多い。履きなれない靴だと、いざというとき踏ん張れないし逃げられないからだって。じいちゃんが言ってた。
「あんた、やりなよ。いい話じゃないか」
「そうだな。やるか」
講習料と聞いて、両親はがぜんやる気になった。ジョニーは講習料と代金の目安を話し合い、また大急ぎで市場に戻る。市場に入り、早歩きをしながら息を整える。ジョニーの露店は市場の奥の方。あまり人の来ない場所だ。
「なんだあれ、人だかりができてる」
たくさんの人が何列にも並んでいる。ほとんど若い女性だ。
「おひとり様、おひとつまでにしてくださーい」
「お金を用意してお待ちください」
「押さないで、危ないですよ。お嬢さんたち」
ジョニーの店の方から、声が聞こえる。若い女性たちのキャーという歓声まで上がった。
なんだなんだ。ジョニーが急いで露店に近づくと、美形兄、無表情姉、美少女妹がジョニーの露店の内側に入っている。
「な、これは?」
「ああ、お帰りなさい。お客さんがたくさんいらっしゃったから店番をしてたの。楽しかったわ」
美少女妹がニコニコしながら言う。
「ええっ、値段はどうやって?」
「ここの価格表を見ました」
無表情姉が露店の柱に貼ってある紙を指す。
「もうすぐ売り切れそうだ。在庫がまだあったりするかい?」
美形兄がとんでもないことをサラリと言う。
「今すぐ取って来ます!」
ジョニーは駈けた。休みなく、走り続けた。さっきより早く家に着き、バーンと扉を開ける。
「父ちゃん、母ちゃん、大変だー。売り切れ、全部売り切れ。ありったけの在庫持って、市場に、今すぐ、早くー」
ジョニーは叫び、水を飲み干し、両親と在庫を袋に詰め込んだ。
「父ちゃんと母ちゃんは荷馬車で来て。俺はこれだけ持って先に行くから」
両親がモタモタと馬を小屋から出しているのを待っていられなくて、ジョニーは小さい袋をかつぐとまた走りだした。全部売り切れだなんて。今日は焼きたてのパンと肉が食べられるかもしれない。ジョニーのお腹が音を立てたけど、ジョニーは止まらなかった。今まで、こんなに売れたことなんてないんだから。売り切らないと。
目の回るような忙しさのあと、空っぽになった露店の前でジョニーはへたり込んだ。
「はい、お疲れさん。お腹減ったんじゃないかと思って、買ってきたよ」
「オースティンさん!」
美形兄オースティンが市場でパンと串焼き肉を買って来てくれて、みんなに配る。両親は立ち上がり、何度も頭を下げる。
「皆さんのおかげで、売り切れました。なんとお礼を言っていいやら」
「いえいえ、こういうことをしたのは初めてだったので楽しかったです」
「私、売り子の才能あるって分かっちゃった」
「私は疲れました」
美形兄と美少女妹は途端に無表情姉の世話を焼き始める。
「ほら、リディア。パンケーキみたいなものが売ってたから買ってきたよ。食べてみたら?」
「それはクレープですね」
ジョニーが言うと、無表情姉リディアがモソモソと食べ始める。
「ペーターのパンケーキには劣りますが、悪くありません。甘いクリームとバナナが入っているのが斬新です。クルクル巻いてあるので、フォークとナイフがなくても食べられるのもいいですね。紙でくるんであるので、手も汚れません。なるほど、これは胃炎の治療に応用できそうな気がします。荒れている個所に糸を張りつけておくのはどうでしょう。なんでもかんでも黒い糸で治してしまうより、自己免疫力で癒す方がいい場合もありますからね。黒い糸は張りついているだけ、冥界には何も持って行かない。ペーターの胃が荒れたら試してみましょう」
ブツブツ言っていたリディアがジョニーの方を見る。ジョニーのお腹辺りを見ている。肉汁が垂れたかな? ジョニーは思わず確認したけど、服は汚れてなかった。
「今日はいい日でした。オースティンとフィオナの新たな才能を発見できた上に、治療方法をみつけました。ありがとう、ジョニー」
「あ、はい。いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
オースティンとフィオナが顔を見合わせて笑っている。すごく嬉しそうだ。
***
ジョニー父の工房に何度か通ったオースティン。やっと納得できるものを作ることができた。
「リディア、フィオナ。ちょっといいかな?」
「できたのね?」
フィオナがパチンと手を打ち合わせる。リディアは首を傾げた。
「リディアにこれを贈りたいんだ。受け取ってくれる?」
オースティンは手を広げ、首飾りを見せる。
「首飾り。ウサギがついてます」
リディアが大きな声を出した。気に入ってくれたようだ。
「首にかけてもいい?」
「はい」
リディアのほっそりした首に、ウサギの飾りがついた首飾りをかける。リディアの細い指がウサギを何度も撫でた。
「かわいいです。すごく好きです。オースティン、ありがとう」
「俺が作ったんだよ」
思わず言ってしまった。しかも得意げに。
「オースティンは売り子もできる上に、アクセサリーまで作れるんですね」
「まだ見習いだけどね。もっと色々作ってみる。たまに売場に立てば、無料で作り方を教えてもらえるんだ」
代金と講習料は受け取ってもらえなかった。売り切れになったのはオースティンの力だから、とてももらえない。そうジョニー父から言われた。それだと気が引けるので、たまに露店で販売を手伝っている。
オースティンはポケットからもうひとつ首飾りを出す。
「はい、これはフィオナの分」
「え、私のもあるの? 本当に? ありがとう、オースティン」
フィオナは大喜びで首にかける。
「実は俺の分もあるんだ。お揃い」
三人の胸元で、小さな銀色のウサギが光っている。
「あの指輪がジャラジャラついた首飾りはどうしたの?」
フィオナが目ざとく指摘した。
「ああ、あれはオリヴィアさんに渡した。持ち主に返してくれるって。父さんとオリヴィアさんの指輪があれば、他の指輪がなくても安全なんだって」
「まあ、そりゃそうね」
フィオナが肩をすくめる。リディアがオースティンの首元に手をかざした。
「オースティンの肩が柔らかくなっています。あの指輪はオースティンにとっては重荷だったのですね」
「そうなんだ。そうかもしれない」
顔がいいからもらえた指輪。顔がいいから無料で作ることができたウサギの首飾り。似ているようで違う。自分の力で作ったものだ。もちろん、ジョニー父に助けてもらったけど。自分で右手と左手を両方動かして作ったものだ。
「いつか、リディアにウサギの指輪を贈るよ」
「ありがとう、オースティン。楽しみに待ってる」
リディアが笑顔になった。貴重でまぶしいリディアの笑顔。
「指輪はふたり分でいいからね。私はお揃いじゃなくていいからね。私の指輪は、私の好きな人にもらうからね」
フィオナが念を押してくる。オースティンが思わず笑うと、フィオナも笑った。
三人の胸のウサギが揺れている。まるで一緒に笑っているように。




