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11. ボイド王太子の悔恨


 王国で最も人気のある男性と言っても過言ではないボイド王太子。人当たりがよく、老若男女から崇拝される天性の魅力を持っている。目を見て少し近づけば、勝手に好かれるので、誰かと会話することに苦手意識を感じたことはなかった。


 そんなボイドでも、初めて会う、生きていると思わなかった息子とは、どう話をすればいいか困った。そもそも、母親の顔もほとんど覚えていないのだ。


 とにかく、自分のせいで息子が陥った苦境をきちんと知り、詫びたい。彼が必要とすることは、なんでもしたい。そのことを伝えようと思っている。


 部屋に入ってきたオースティンは、オリヴィアとの五人の子どもとは似ていなかった。


「長い間、苦労をさせてきてすまなかった、オースティン。君の父親のボイド・オースティン・ハーゼンハイドだ」

「ボイド・オースティン、とおっしゃるのですか。母は俺の名前をあなたから取ったのですね」


 オースティンはまぶしそうな顔をする。


「そう、おそらく私は、君のお母さんにオースティンと名乗ったのだろう」

「そうだったんですね。知れてよかったです」


 オースティンの笑顔は、おぼろげな彼女の記憶のままだ。


「オースティン、今までの君のことを教えてくれないか」


 ボイドが話を振ると、オースティンは何から話そうか考えているのだろう、右手でしきりにあごの辺りをさすっている。


「苦労はそれなりにしましたが、楽しいこともあって、仲間もたくさんいるので大丈夫でした」


 ボイドを安心させようとしてくれているのだろうか。オースティンは前向きなことばかり話してくれる。


「本当は十八歳になると孤児院を出ないといけないんですが。院長が俺の状況を考慮してくれて、今でも孤児院にいさせてもらっています。片腕だとできることが限られるので、ありがたいです」


 おそらく騎士団長が多額の寄付とともに院長に言い含めていたのだろう。彼が寒空に放り出されなくてよかった。ボイドは、彼が世間の荒波の中で呆然としていたかもしれないことを想像すると、胸が痛くなった。


「ただ飯ぐらいでいることは心苦しかったです。でも、俺の顔を好きになってくれる貴族女性がたくさんいたので、寄付を集めることができました」


 ボイドの思考が一瞬止まる。それは一体どういう。まさか。


「あ、ただ会話をするだけです。誤解しないでください」


 燃え滾りそうになった怒りの火が、すぐに消える。そんなことになっていたとしたら、自分のことを一生許せなかっただろう。


「困ったら使いなさいと、色んな人から指輪をもらいました」


 オースティンが首から鎖を外す。膨大な数の指輪が通されていて、ジャラジャラと重い音を立てる。


「見てもいいかい?」


 断りを入れてから、指輪を見させてもらう。近隣の貴族の紋章がひと通り網羅されている上に、少し離れた領地の貴族まで指輪を渡したようだ。


「すごいな」

「はい。困ったことがなかったので、使ったことはありません。先日、オリヴィア王太子妃殿下にもいただきました。一緒にするのは悪いかと思ったので、別の鎖にかけています」


 オースティンが首から別の鎖をはずす。確かに、妻の生家の紋章が入った指輪だ。紋章の知識が少しでもある相手なら、これを見せると震えあがるだろう。あの家族は自分の庇護下にあるものを過剰に守る傾向があるから。


 ボイドは自分の小指からも指輪を外す。立ち上がり、オースティンの手の中に入れて両手で包み込んだ。


「こんなことでは何の償いにもならないが、まずは受け取ってくれ。君をどう助ければいいか、それが知りたい。君は今後の人生に、何を望む?」


 オースティンの目が泳いだ。少し顔が赤くなっている。


「もしなんでもいいのであれば」

「なんでもいい。思いつくことを全て言ってほしい」


「孤児院に今まで俺にかかった分のお金を払いたい。俺にでもできる仕事がみつかると嬉しいです。女性とのお茶会ではなくて、俺の顔が女性に求められなくなってもできる仕事」


「分かった。君の適性を考えつつ、必要な訓練など全て受けられるようにする」

「ありがとうございます」


 オースティンの目が輝く。そして顔が更に赤くなった。


「好きな子がいるので、その子のそばで暮らしたいです」

「リディアという少女か?」


 オースティンが頷く。ちょうどその時、妻のオリヴィアが少女リディアの手を引いて部屋に入ってきた。オースティンの顔がパッと明るくなる。


「あなたが困っているかと思って来たのよ。初めて会う息子とどう話を続ければいいかと戸惑っているんじゃないかと。でも、杞憂だったようね」


 オリヴィアの前向きな雰囲気は、いつも部屋の空気を明るくする。ボイドは自分が緊張していたことに、今さらながら気づいた。ボイドはオリヴィアを抱きしめた後、隣のリディアに目を向ける。


 王太子を前にしても、特になんの感慨もなさそうな表情だ。ここまで無反応な少女は初めてだ。美少女ではない。別れて十分後には顔を忘れてしまいそうな、平凡な少女。彼女の何が、オースティンをそこまで夢中にさせるのだろうか。癒しの術を持っていると聞いたが、それのせいだろうか。助けられると、美化して見てしまいがちだから。オースティンのなんらかの不調を治したのかもしれない。


 オリヴィアに促され、全員で座り直す。リディアはオースティンの右側に座り、当たり前のようにオースティンの手を握った。オースティンのはにかんだ笑顔。青年から少年に若返ったような、あどけない笑み。ボイドはなぜか衝撃を受けた。


 これが、オースティンの素の表情なのか。そうは見えなかったが、今までオースティンは緊張していたのか。自然に堂々としているようでいて、もしかしたら内向的な青年なのかもしれない。オリヴィアにだけ見せられる顔があって、その時間がボイドを癒すように、オースティンはリディアといることで緊張を解けるのだろう。オースティンがリディアと出会えてよかった。ボイドは心から思った。


 新しいお茶を給仕が持ってきて、全員が無言でお茶を飲む。オースティンがためらいがちに口を開く。


「あの、もしできれば、母のことを教えてもらえませんか? 俺は、何も覚えていなくて」


 オースティンがボイドを見てから、気遣わしげにオリヴィアの様子を伺う。微妙な話題だ。妻を前にして、軽々に話せることではない。でも、知っていることは答えるべきだ。そのための時間なのだから。


「君の笑顔は彼女にそっくりだと思う」

「そうですか。鏡を見ても、ピンと来なくて。母はどんな人だったのか。父はどんな顔だったのか。考えたことがあります。今回、父の顔を知れてよかったです」


「そうだな。姿絵でも残っていればいいが」


 平民の姿絵などあるはずもない。


「私の記憶と、君の姿を元に姿絵を描かせてもいいかもしれない」


 犯罪調査などで、似顔絵を描く専門の絵師がいる。なんとかなるかもしれない。


「私、描けるかもしれません。布と刺繍道具があれば」


 リディアがボイドの肩越しを見ながらポツリと言う。ボイドは後ろを振り返ったが、壁があるだけだ。すぐに、侍女が布と刺繍道具を持って来た。侍女が針に黒い糸を通す。


 リディアが半目になり、右手を顔の前に上げる。何かつぶやきが聞こえてきた。


「本物の糸を動かすのは初めてです。できるでしょうか。なんだかできる気がします。オースティンのお母さんとウサギが、がんばれがんばれって言っています。冥界の黒い糸をこちらの糸につなげましょう。針があるので重いです。今までより時間がかかりそうです。しかもこれは病気ではないので、あちらの世界に持って行くわけではないのです。いつもと勝手が違います」


 黒い糸がついた針が宙に浮かぶ。リディアがオースティンの手を放し、両手で白い布を持ちピンと張る。持ち手のいない針が、浮いたまますさまじい速さで布に刺繍を施していく。言葉を失った三人が見つめる中で、みるみる内に白い布に人物が浮かび上がってきた。


 若い女性だ。笑い声が聞こえてきそうなほど、生き生きとしている。


 女性を刺繍し終わっても、リディアは止まらない。新しい布を持ち、針を刺し続ける。柔らかそうな毛並みのモフモフとしたウサギが現れた。


「できました」


 リディアはパタンと手を落とす。ウサギが描かれた布と、糸のついた針がテーブルの上に落ちる。リディアが白目をむいて椅子から崩れ落ちた。


「リディア」


 オースティンの悲鳴が部屋に響き渡った。


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